2013年12月30日月曜日

AV女優

「1991年から96年にかけてアダルト・ビデオの世界で息をしていた少女たちへのインタビュー集。
昨日のことのようで遠い昔のあの頃。一人の女の子が傷つき苦しみながらようやく辿り着いた場所。それがAV。・・・・・・。」カバー裏 解説 大月隆寛

この本に、アハーン、ウフーンのアノ場面を期待すると、それは大いに裏切られることだろう、
「AV」という文字がタイトルにあるからといっても、性的興奮をさらに昂進させるような画像も文章も一切でてこない、
ひたすら実直に、真面目に誠実に、淡々と、対象である少女たちの実像に迫るインタビュー集なのだ、
能弁でない著者は、少女たちの「語り」が途絶えると、ただ黙り、近くにおいてある薄い酒を啜りながらひたすらその再開を待つ、、

「困りましたよ。ほんとに何もしゃべんないんだもの。だから、もういいや、と思って、その時書いた原稿は全部その彼女の沈黙の部分はずーっとテンテンテン(笑)」



いま思えば、ぼくは、この本に興味があったというよりも、むしろこの著者に興味が湧き
関心の度合を深めたのからこそ、この本を手に取ったのかもしれない、
同じ著者の前作「風俗の人たち」(ちくま文庫)を読んで、彼の奥底にある優しさに触れたような気がして、この人、こんなスゴイことを書きながら、文章がケバクないなあと、そんな感想をもったからだ、
性風俗の一端から全体像にまで至る膨大な数の取材取材取材、
テレクラ、SMクラブ、本番ストリップ、女装、ロリコン、ダッチワイフ、ニューハーフ,レズバー、ゲイバー、ピンク映画、ピンサロなどなどなど、、
ここに書ききれないほどの量をサバキながら、彼ら彼女らといつも目線は同視線にあり、決して上から見下ろしたりへりくだってイヤ味な文を書いていない彼の文章のスタイルに共感にちかいものを感じたからだ、

フリーの編集者である向井徹から「AV女優インタビューを本にまとめたい」と言われ、永沢氏は驚く、
「私は驚いた。そんなこと、考えたこともなかった。私は呆れてしばし向井の顔を見、そして、そんなことはよした方がいい、と言った。私も一応、元編集者である。そのくらいの勘は働く。今、いかに単行本が売れない時代であるか、その時代にあって、AV女優インタビュー集などという地味な本が売れるわけがない、悪いことは言わないからもっと違う企画を考えた方がいい」と、永沢氏は固辞する、が、結局、本は出版される、

本が発売されてから1週間後、永沢が住むアパートの郵便受けに一枚の葉書が届く、
「文藝春秋 出版局 今村敦」からだった、

「前略
 突然このような葉書を書かせていただきます失礼、お許しください。御著「AV女優」、さっそく購入し、拝読させていただきました。たいへん興味深く一人一人がいとおしく、愛らしく、時々痛々しく・・・・・・とても魅力的に描かれていることに感じ入りました。いますぐ何かお仕事という訳ではないのですが、一度お目にかかれたらと思っております。近々ご連絡させていただきます。
                                                草々」
ビレッジセンター出版局から単行本で発行された「AV女優」が、文藝春秋社から文春文庫として発売されるきっかけとなった、その発端の始まりだった、、
ちなみに、ぼくの手元にあるものも25mmを超える分厚い文庫本なのだが、

ここで多くを語ることはできない、
これから読む人々の興を削ぐことになるだろうし、そもそもアホな頭では伝えることができない、
詳しくは是非とも、本書を手に取り読んでほしい、

P639から綴られた、今村敦を偲ぶ永沢光雄氏の文章が圧巻です、
泣けてきます、、




永沢光雄 36歳。昨年の年収300万。奥さんは新宿二丁目の焼き鳥屋で働いている。(当時)







2013年12月27日金曜日

ネパールカレー

よく食べに行ったネパールカレーのお店が、それまでの場所から引っ越し、少し奥まった場所へ新装開店したので出向いていった、

今まではランチしか食べたことがなかったので、夜のメニューも見てみたかったという気持ちが一つ、
何よりもナンが美味しかったのでそれを食べたかったというのが二つ目の理由、

結果は失敗、、
調理人の若いネパール人男性が、昼間、仲間たちとバレーボールをしている時に左手小指を突き指してしまい、ナンが作れなくなってしまったのだとか、、
ナンが作れないので、カレーにはサフランライスが付いたのだが、米があちら風の長細いぱさぱさ米なので、ふだん食べ慣れないせいなのか、口に馴染まない、

カレーが出てくる前の一品と思い注文した大根の塩もみ(カレー味)、砂肝の辛み炒め(カレー味)、青菜炒め(カレー味)と、すべての料理がカレースパイス使用、
ぼくも連れ合いもカレーは大好きなのだが、出てくる料理がすべて同じカレー味、、
これには、ちょっと・・・なあ、、

食べたかったナンは出てこないし、かなり残念な一夜の食事となってしまった、
「もう夜のメニューはいいや、ランチだけに来よう」
意見の一致をみたところで、帰宅した、

ランチには、カレー、ナン、サラダ、飲み物が付いて700円、かなりお得、
夜はすべて単品の値段なので、別料金、二人で計4100円の支払いとなった、
これも財布には痛い!
人柄もよく、馴れない日本での商いにも一生懸命とりくんでいる姿が好きで、これからも応援しようと思っているのだが、味と値段がこちらに見合ってこその応援だったのだなあ、

昼だけの応援になってしまいそう、、





2013年12月20日金曜日

賀状

今年も残り10日間あまり、、

少し時間があったので、年賀状を書いて投函した、
今年は、友人知人から訃報が何通か届き、去年よりも少ない数の賀状となった、
ぼくもそうなのだが、周りの友人たちも年齢が高くなり、そのご両親のどちらかが亡くなることが多かったのだろう、
90歳を超えた方、それに近い年齢の方々が亡くなった、
すべての生物にとって死ぬということは、この世に生まれて以来の定めのようなもの、仕方がない、
順番なので、90歳を超えて彼岸に旅立つのなら大往生、立派に寿命をまっとうされたことだろう、
立派ということばをこの用例で使っていいのかどうか、バカな頭ではわからないのだが、、

宝くじを買った、
家人とふたり、30枚ずつ計60枚購入した、
一等賞金7億円だという、7億円当たったら、あの子に3000万円あげなくちゃ、ガレージ付きの家を買って車ももっと頑丈なものにしてバイクももう一台買ってみよう!!などと、浮かれている、、

ちなみに、今度の一等の当たる確率は1000万分の1なのだとか、
確率400分の1といわれているパチンコ台さえなかなか当たらない、このご時世、
1000万分の1といえば限りなくゼロなのだが、買わなければ全くのゼロなのでつい買ってしまう、
庶民の夢につけこんだ麻薬のようなあざとい仕組みになっているのだ、

1000万本(宝くじの数詞は本だよね?)買えば必ず一等が当たるのだが、計算してみると、
1000,0000×300円=30億円
30億円買えば7億円当たる 驚愕!30億円払わせて7億円しかもどさない!!

ねっ、ヤクザ屋さんも驚くあざとい商売でしょ?

もし一等が当たったら、これを読んでいる方々にご馳走するので、おでんでも食べながら一杯飲みませう、
昔、今から10年くらい前に、なじみのおでん屋台のおやじに、屋台ごとおでん種、酒こみで全部買い取ったらいくら?と訊いたら「5万円で承知」と言っていた、、


何台買えるんだよ(笑)(笑)










2013年12月14日土曜日

休日



好きな歌 粉雪。。
来週、水木金と青森県六ヶ所村まで、車を飛ばす若い社員の安堵をこめて、、
安堵ってこうやってことばをつかうのか、わからないけど、意味はわかるべ、、


久しぶりの休日、
ネット麻雀をしたら、勝ち進んでランクが二段になってしまい、そのまま3回くらい打った、
こんなつまらない話を書いても、ますますつまらない話になるだけなのだが、、

開高健さんが、読み始めたらおもしろくて一気に読了してしまったと書いていた小説、
「ジャッカルの日」に興味がわき、ネットで購入、
一気というわけではなかったが、おもしろくて、2,3日で読んでしまった、

かつてのフランス大統領、ドゴール氏の暗殺を狙ったプロの殺し屋の話、
何度か映画化されたし、内容だけ借りて、ブルースウィリス、リチャードギア主演でハリウッド映画にもなった、

パスポートを盗み、他人になりすまし、何度も変装を繰り返し、フランスの警察陣の眼をかいくぐって、大統領暗殺を実行しようとする腕利きの殺し屋、
1960年当時の世界情勢やら、国家権力、情報部、警察機構の力関係などなどが綿密に濃密に描かれていた、
またイギリス人だという作者のフレデリック・フォーサイス氏が描くフランスの町並みやら地名がとても詳しく、本当にイギリス人なのかと驚くほどに臨場感を盛り上げてもいた、

表情を一つも変えず、目的遂行のためなら人を殺すことになんのためらいも見せないプロの殺し屋が主人公なので、女性読者にはきつい内容かもしれない、
しかし、小説としてはよくできている、
お勧めです、、

そんな話を仕事の仲間と話していたら、やはり古い本ではあるのだが「パピヨン」の話につながり、
あれもおもしろかったと結論、
映画は見たのだが原作を読んでいなかったので、アマゾンで探したところ中古本で送料込みで1000円ということだった、
値段が高く思え、買うのをやめた、
古本は基本的に1円、送料込みで251円という値段に馴れてしまった、、
図書館で探してみることにする、、
文庫本で上下二巻で売られていたはず、

今日は、友人が営むライブバーで、ライブがある、
二人で参加するとチャージだけで6000円、それではすまないので、一万円の出費が予想される、
たぶん、行かない、、

なじみの居酒屋の忘年会が15日会費5500円、なじみのスナックの忘年会が22日会費5000円、
たぶん、どちらにも行かない、、

仕事上の忘年会が、27日会費5000円、これには参加する、
業務なので仕方がない、というか、楽しみにして参加する、
飲み過ぎないことに十分注意しながら、、ねっ


2013年12月8日日曜日

幾らかのお金がほしい年の暮

今日は句会、10人が参加した

冒頭の句、たぶんあの人が作ったのだろうと、みんなが思っていたので、あえて採らなかったら
その作ったと思われた彼女が選句したので、ええええっ

幾らかのお金がほしい年の暮

じつは、あつみさん(87歳)の句だった
あつみさんの句なら佳い句だなあ、とは、句会のあとでの忘年会場での感想、
幾らかがいいね、たくさんは要らない、とは、みんな勝手だよなあ・・、

あつみさんは83歳の時に胃癌を病み、胃の全摘出、食事制限と毎日ご苦労なされている身、
いつもは、凜とした由緒正しき?!句作りをなさる方、
そのあつみさんの、本音とも思える句なので、会場は盛り上がった、、

ぼくの勝負句は、人妻の足元紅し古炬燵
元句は、赤外線炬燵は足を赤く染め、だった、冬の季語 炬燵

うちでは、今、炬燵はいっさい使っていない、冬はイタリア製のオイルヒーターばかり、
なので、今の炬燵がどんな光にもえているのかいないのか、まるでわからない、

どうせ句作するなら、艶っぽいほうがいいかなあと、人妻の足元を紅く染めてみたのだ、
年末だしね(意味不明・・)、


2013年12月7日土曜日

寺子屋

地元小学生に、将棋を教えているといつかここで書いた、

今日はその例会日、
閉会し子供らが帰宅したそのあと、参加しているボランティア同士の懇親会があった、
囲碁将棋、ホッケー、園芸、書道、フラダンス、バレーボール、武術、などなどの団体があり、土曜日の午前中を利用し、月一回のペースで子どもたちに教えている、

囲碁将棋とはいっても、最近の流行なのか、囲碁を習いたいという子どもは一人もいなくて、22名の在席子どもはみな将棋志望の子、
囲碁の先生も、将棋の指導にまわってもらっている、

将棋のルールがわからないどころか、飛車、角行などの漢字が読めない一年生から、かなり強くなった5年生6年生まで男子19名、女子3名が参加している、

先ほども書いたとおり、指導者全員がボランティアでの参加、
現役を引退された年金生活者や、現役で働いている若い指導者たち、それぞれ立場の違いはあっても、地域の子どもたちに、様々な文化を指導しているというわけだ、

今回、事務局から、全国の小学校128校が、地域振興に著しく貢献したとかで、文部科学省から表彰を受け、そのうちの一校が、ぼくが指導している小学校も選ばれた、
なので、板橋区を選挙区の一つとする現文部科学大臣である下村某大臣より表彰を受けましたと報告があった、

ゆとり教育とかで、教育時間が週5日制になり、その結果、空いた土曜日を子どもたちのためにどのように使おうかというのが、地元「寺子屋」制度の原点、それが認められたというので大方の雰囲気はそのことを素直に喜んでいた、

ところが、ゆとり教育の見直しが叫ばれるようになり、わかりやすくいえば、中国や韓国などの他のアジアの国々に比し学力低下が認められるようになり、もう少し勉強させようかと、年間8日に限って板橋区では土曜日にも授業を行うようにとお達しが出されたらしい、
各区の教育委員会に日数はゆだねられるので、お隣の練馬区は年間11日、

詰め込み教育の見直しから「ゆとり」教育が叫ばれ、それによって学力が低下したからと、今度は8日だけ土曜日も授業をするのだと、なんとなく大人の都合で子どもたちの学習環境が左右されていく、

大人って勝手だよなあ・・、
そんな子どもたちのため息が聞こえてきそうな、今の状況、、
早く大人になって、自分たちの未来は自分たちで決める、そんな状況を創出するんだよと、ぼくは事務局の話を聞きながら、子どもたち一人一人の顔を思い浮かべていた、、




2013年11月29日金曜日

60% or 100%

昔、今から8年くらい前、将棋をしながら知り合った女性の友達がいた、
名前を、ひろみさんといい、とてもクレバーな人だった、
ここで英語みたいな日本語みたいな、身についていない単語を使うもどかしさ、

頭がいいとか、仕事ができるとか、そんな常用の日本語では伝わらない彼女だったので、つまりCoolな人だった、
お互いに世帯があり、向こうには夫もいて子どももいて、こちらだって似たような状況、
そんな二人が居酒屋にこもり、夕方6時から夜中の12時まで、話し笑い身をのけぞらし涙を流し世の中に憤慨しバカなやつどもを嗤いののしり、日本の未来を憂い、地球の将来を楽観視していた、

男女間で友情は成立するのか、
女性解放運動で男性がその役割の一端を担えるのか、
注文したものは残さないで食べましょう、とか、いろいろな話を、、

イギリスの野原に寝転び青空を見上げながらぼくらは革命のことについて語り合っていた、という
レノンの歌のとおり、時間を忘れて、時には顔を30cmにも近づけながら飽きもしないで語り合っていた、、

自分の亭主よりもステキな男性は世の中にいくらでもいるのよ、
でもいちいち、そのたびに心を動かしていたら家庭なんか成立しないわ、
結婚するということは、自ら選んだことに責任をもつということ、
責任をもった結果、たとえ理不尽な、はたまた不幸な世界を覗き見たとしてもそれは自分のせい、
それがわかれば結婚できるわよね

子どもを可愛すぎるということはない、可愛がって困ることはない、いくらでも可愛がっていい

信じることに際限はない、
信じて信じていくらでも信じればいい、もし途中で信じられなくなったのなら、それは最初から信じてはいないということ、

そんなことを言ったり聞かされたりしたことを、今でも思い出すのだ、、、

100%合う異性をもし見つけられたら、居るかもしれないもね、それは幸運、
でもたいがいの男女の普通は、見つけることはできないで一生を終わる、
だから、自らの責任において60%合いそうな相手を選ぶのだ、
もし違っていたら、おめがねに適わないのだったら、自分の眼を呪え、、


Well Well Well





2013年11月27日水曜日

今日は休日

水曜日の今日、現場仕事が一段落し、休日となった、
今週は、明日と明後日、木曜日と金曜日に仕事があり、来週は月曜日に行けば木曜日までは仕事がない、

つまり、週のうち、3日か4日働いて、あとはお休みというわけだ、
若い人は毎日仕事をしているのだが、ぼくができる仕事がその日にはない、ということ
現場にでれば請求金額が発生するので、休めるのなら休んだ方が経費がかからない、

老年を迎えたぼくがお金を持っていくよりも、若い人に少しでもお金がまわるよう、
そんな気持ちもどこかにある、
体力的にももちろん、楽だということもある、

明日が休みだと思えば、前の晩には少し遅くなっても本を読むことができる、
朝はゆっくり起きることもできる、

年金生活にはまだ少し時間があるのだが、こうして過ごしながら毎日が休日になるという年金生活の予行演習をしているかのようだ、

二人合わせて月に27万円ほどの年金支給額、2ヶ月に一回55万円に幾らか不足する額の年金が振り込まれるのだという、
多いのか少ないのかわからないのだが、どちらにしても、その金額の内で暮らしていくのだろう、

本は図書館で借りて読み、外食を控え自宅で食べる、
そんなことくらいしか思いつかない、

今までもけっこう美味しいものを食べ、酒も飲んできた、
いまになって、あれが食べたいとか、これが欲しいとか、そんなこともない、
高価な装飾品に興味も趣味もない二人なので、そちらへの欲もない、

人はなぜ生まれどこへ行くのだろう、生きている間にそのこたえが見つかるのだろうか、
そのこたえが見つかるのか見つからないのか、いずれはっきりする時期がすぐそこまで来ている、
そんな気がしながら、今朝はキーボードを叩いている、、



2013年11月24日日曜日

ターナー展

秋晴れ?季節としては冬の今日、上野までお出かけ、

「英国最高の巨匠、待望の大回顧展」と称したターナーの作品を見に東京都美術館まで行ってきた、
日曜日の上野は親子連れを中心に人出も多く大混雑、
動物園目当ての親子たちを追い抜いて、少し奥まったところにある東京都美術館へ、

ターナー氏の、青年時代の習作をふくめ、大作秀作を鑑賞しながらおおよそ2時間、久しぶりの絵画鑑賞を楽しめた、

絵画の知識はないので、なるほど、ふんふんと言いながら回ってはみたものの、たぶん作品の良さの十分の一も理解できてはいないはず、
まあしかし、たとえ理解できなくても、実際に足を運んで実物を見ることが大切だと思っている、

緻密なデッサン力に目を見張る青年時代の習作から、評価も固まりスポンサーも付き脂の乗りきった壮年時代の大作、描きたいものを自由に、一見抽象画にも見受けられる柔らかに省略した筆使いと色の選択に至った老年時代まで、
nattyさんがここに居たら、教えてもらうことも多々あったなあとの感想を胸中に収めながら、、

誰が保存したのか、下絵のような、練習のようななぐり描きまで展示されていた、
生涯に残した作品数はおよそ2万点にのぼるのだとか、画家という職業は、その人生は、一生絵を描くことに費やされるのかと、その数の多さに驚いてしまった、
しろうとのぼくには、途中で飽きないのだろうかと、そんな疑念さえ湧いてきてしまう作品数なのだ、

好きでなった画家の道、絵を描くことが好きで好きで仕方がないターナー氏だったのだろう、
まともな仕事を少しすると、すぐに酒を飲むことに気がいってしまうぼくには無縁の世界がそこにある、
あらためて、そんなところにも感心してしまった、

帰りはアメ横まで行き、いつもの韓国料理店「古家」で遅い昼食、
ぼくはユッケジャンクッパ定食、連れ合いは石焼きビビンパ定食と、これもまたいつもと同じ食事となった、


画は「ヴァチカンから見たローマ」と題された大作、、
青空と明るい光が中心から溢れ出ている、
何号なのかわからないのだが、実物はかなり大きな絵だった、


2013年11月21日木曜日

訃報

今日、訃報が二通届いた、

亡くなった妻の実家の本家にあたる、通称「本家のおとうさん」の死を知らせるもの、
血はつながっていないのだが遠縁にあたるおばさんのもの、

本家のおとうさんは82歳、おばさんは89歳
どちらも男女の平均年齢を超えている、その意味で大往生といってもいいだろう、

本家のおとうさんには、私もだが、子どもたちも大変お世話になった、
子ども達がまだ年少の頃、顔を見せにいくたびに、小遣いだ、お年玉だといってお金を呉れた、
帰るときには「みやげだ、持っていけ」と、米を渡された、

新潟のその地域では、先祖を同じにする親戚遠戚の集団を巻(まき)といい、冠婚葬祭などの集まりには巻で動くのだが、本家のおとうさんは巻の長でもあり、また長に相応しい財と人格を備えていた、
「だからよく借金の保証人に頼まれるのよねえ、イヤになっちゃう」
次女からそう聞かされたことがあった、

人の好い彼は、一切ことわることもなく大様に引き受けたのだとか、


おばさんは、義理の祖母が、戦災孤児だったおじさんを「拾って」きて育てた、その連れ合い、
この義理の祖母というのは、育てた子どもたちを幼いうちから学校にも通わせず奉公に出し、その給金を奪い取ることで自らの生計を立てていた、あまり性質の良くないおばあさん、
子どもが親の面倒を見るのは当たり前だ、そういってはばからない義理の祖母だった、

「働いても働いても、おっかさんが給料日前に持っていっちまう、あれには本当にまいった」
お酒をのんだおじさんが、涙ながらにそう話したことが何度もあった、
そのおじさんも、もう何年も前に亡くなっている、

その話を結婚してからきかされたおばさんは、義理の祖母にも、その娘である義理の母にも敵対心をもっていた、
良い印象をもつわけがない、

おじさんおばさんには、二人の娘がいて、長女がぼくと同年だった、
背がすらりと高く、目元が涼しげなこの長女とぼくは気が合い、小学校時代に何度か互いの家を行き来し、一緒に寝泊まりしたこともあった、
蚊帳をつった布団の中で、いつまでも語り合っていた二人を次女がねたみ、枕を投げつけられたことがあった、
次女は気が強く、長女はしっかり者だというのがぼくの初対面からの感想なのだが、後年、これがほぼ当たっていると知った、

久しぶりに長女に電話し、来年3月の再会を約束した、
姉妹の間のぎくしゃくは両親の死を前に、財産のことでまた再燃しているのだとか、
「いろいろ聞いてほしいの」、電話の向こうから話しかける長女の声は、子どもの頃と少しも変わっていなかった、

あれから50年も経っているのに、、、



2013年11月14日木曜日

ななみちゃん

以前、同じマンションに住んでいて知り合い、引っ越ししていった松本(仮名)さん夫婦と、たまたまバスの中で出会った、
うちは4階の401号室、彼らは同じ棟の5階501号室に住んでいた、

エレベーターが設置されていないうちのマンションでは、若い夫婦しか5階では暮らせないのかもしれない、
そんなご夫婦に女の子が授かり、それが原因となったのか別のマンション(たぶんエレベーター付きの)に、移り住んでいったのだと思う、
毎日の買い物に赤ちゃんの世話、いくら若いお母さんだとはいっても、片手に荷物、もう一つの手に赤ちゃんでは、お母さんの体力的疲労や精神的苦労も大変だっただろう、

その時生まれた赤ちゃんも、きけば5歳になったのだとか、
生まれた時も可愛い赤ちゃんだったのだが、久しぶりに会ったななみちゃんは、少しだけ大人になって、ますます可愛くなっていた、

で、何年かぶりに会った、ななみちゃん、との会話

「今日はどこへ行ってきたの?」
「二つも三つも行ったから、どこへ行ったのって訊かれても、わからないよ」

と、5歳のななみちゃんの返事、
「そ、そうだねえ・・、」

おんなの子は、いつまでも甘えっ子の男子よりも成長するのが早いようで、すっかり大人の会話になっていました、、

以上。。








2013年11月8日金曜日

文学フシギ帖

「文学フシギ帖」―日本の文学百年を読む 池内 紀 著 岩波新書1261


学生時代の級友、中村君は毎日一冊の岩波新書を読破することを日課としていた、

承知のように、岩波新書といえば、政治経済文学音楽絵画ドキュメンタリーなどなど、さまざまなジャンルを網羅した我が国の出版文化の一部を代表するかのような有名な新書群、、
中には意に染まらない記述もあるだろうし、まるで興味のない内容もあっただろうけれど、とにかく、なんでもかまわないので一日一冊を読了するために、彼は毎日数時間を費やしたはず、、

読もうと思った動機は、教養を増やすとかなんとか、そんな軽いことからだったと彼から直接きいた覚えがある、
奈良県出身で、同地の県議を父親にもつ比較的裕福だと思われた彼、
他の学生のように家庭教師やら日雇いやらのアルバイトをしなくても済み、毎日数時間を岩波新書を読むためだけに費やせる彼の生活を羨ましく思ったことを記憶している、

そのことが頭にあって、最近の図書館通いでは、行くたびに2冊か3冊の岩波新書を借りることにしている、
手元に置きたいほどのお気に入りが見つかれば、amazonの中古本で買う、

ぼくの本の読み方をあえて説明するなら、理科系の本と文化系の本とを必ず混ぜて読むこと、そのことを常に意識して借りたり買ったりしている、
俳句の本と星座の本、流行りのエッセーと化石採掘の本、ロシア文学と化学の実験の本、とまあ、そんな具合に、、

頭を一つのことに狎(な)れさせない、ふりがなを振ることもないのだが、そんなことを意識している、

で、ここまでが前振りの部分、ここからが本題、これも一々ことわらなくてもよいのだが、いちおう、、

前述したように、借りて読んで手元に置きたくなれば買うのだが、借りて読めばそれで済んでしまい、後からわざわざお金を出して買って再度読むこともない本ばかり、、

標題の本は、初めて買うことに決めた本、
文学好きだったり、興味がある人ならお薦めの本なのだ、、

日本の文学百年を読む、と傍題にもあるとおり、
鴎外、漱石、露伴、子規、啄木からはじまり、宮沢賢治、佐藤春夫、内田百閒、久保田万太郎、永井荷風、坂口安吾、太宰、井伏鱒二、江戸川乱歩、三島、川端、深沢七郎、開高健、手塚治虫、池波正太郎、寺山修司、村上春樹と、

数え間違いがなければ、上述以外にも計51名の作家、著述業者たちの、あまり知られていない話が取り上げられている、

図書館で借りたり買ったりして手に入れたならば、本題に入る前の「はじめに」の部分から精読されることを勧めます、

「読み方を変えてみると、ガラリと表情を変えないか。それまで見落としていた登場人物に気が付いて、目からウロコが落ちたように思った・・」著者が綴った、日本文学のさまざまな顔、顔、、

鴎外と高利貸し、漱石と狸、啄木の臨終、晶子と「世界の標準」、藤村と道化役、宮沢賢治の広告チラシ、内田百閒と借金、林芙美子23歳、江戸川乱歩の犯罪、三島由紀夫の「宴」、開高健と飢え、池波正太郎の「御馳走」、寺山修司のパロディ-、村上春樹の自由、

取り上げられているいくつかのタイトルを記してみた、
ねっ、興味が湧いてきたでしょう?えっ、こない?あら、そう、文学に興味がないなら仕方がないよね(苦笑)、、

2013年11月5日火曜日

ホンジ

本地陽子さん、、逢いたかったあー、

今日、やっと逢えて嬉しい、、



からっぽの世界、この歌のオリジナルな世界が好きでした、
iPodTouchに入れて聴いている曲に、同じ作者の「ラブ・ゼネレーション」が、、
詩と曲と、彼にしか描けない世界が広がり、何十年も前の曲だとは思えないほど
新鮮さにあふれています、

アコーディオン奏者としての彼女の動画はみたことがあったけど、本業?の
バイオリン奏者としての彼女の画を初めてちゃんと見た、
情感こめた本地さんの生の声も聴くことができて、感激している、
38歳、乳がんのためにこの世を去ったホンジ、
もっともっと生きていてほしかった人の一人なのだ、、


2013年11月1日金曜日

今日は病院

採血のあと、CT、、

採血を右腕でしたので、CT用の造影剤注入を左腕にしてもらった、
それがあまりうまく刺さっていなかったようで、再度右腕でやり直し、
「今日は3度注射されましたね」と、医者が・・、
あのー、失敗したのはあなたなんですけど、、

帰り際、若い女性看護師さんが「いろいろすみませんでした」と、頭を下げた、
可愛い子だったから、まあいいか、、

明日は板橋区俳句連盟主催の秋季俳句大会の日、
参加者各人が前もって二句投句してあり、せんせい方がその中から佳かれと思うものを選句、
明日の大会というのは、その発表の場、
得点の多い順に、区長賞やら区議会議長賞やら、俳句連盟会長賞の天地人賞などが授与される、
賞品の中身は、区内で使える商品券で、500円から3000円ほどの額が入っているらしい、、
(参加費が二句千円なのだ)

去年から区内の小学生中学生にも投句のお願いを始め、たくさんの応募があった、
今年はそれら子ども部門だけで2000句以上もの作品が寄せられ、その選句に四苦八苦(俳句だけに・・、ぶっ)しているのだとか、、

大会が終わると、大山駅周辺の居酒屋で一杯やるのが恒例、
それが楽しみで参加する方もいる、
俳句と酒は、山頭火、久保田万太郎氏の例をもちだすまでもなく、切っても切れない縁がある、
ほろ酔い気分で即興で作った句がすべて佳いということもないのだが、たまに佳いのができる、
酒はいいよね

湯豆腐や いのちのはての うすあかり  万太郎

どんな酒の味がしたのだろう・・、、、



2013年10月26日土曜日

颱風

台風よりも、こちらの颱風のほうが颱風らしいと思うのだがどうだろう、、

たぶん、昔は颱風と書いたのだろう、
第二次世界大戦後何年かに始まった漢字の簡略化とともに、颱風が台風となった、
こうして書いてみると、台ではまるで、颱風の意味がつたわらない、

學校が学校になると、ありがたみが薄れるようで・・、

英語のABCや、ハングルと違って、漢字には漢字の意味がある、
東という字にも西という字にも意味がある、

それを無視しての漢字の簡略化は、漢字への冒涜、いわば文化の破壊ではないかと、
おおげさに思うのだが、どうだろう、

それにしても今年は、こんな季節まで颱風が来る、
颱風が来ても来なくても、ぼくの酔眼朦朧人生は、なんら変わらないのだけどね、、



2013年10月19日土曜日

文壇ブランドとしてのハルキ$

タイトルに付けた$には、意味は無い
プログラミングをしていた頃、コンパイル前のファイルと後のファイルとで名前を変えるために、
前には$、後には#を付けていた、その名残り、、
この前のタイトルがハルキなので、それと区別するためにつけたもの、

1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など。  Wikipediaより

ベストセラー作家、なのだとか、
正直いって、彼の作品を読んだことはあまりない、
あまりの中身は、以前、辺境もののエッセーを読んだことがあったことくらい、
彼が若い時に経験したバスを使っての小旅行について書かれていた、かどうか、そんな文章だったような記憶が少うし、ある、、

作家として人気がある彼の作品は、新作が発売される前の予約分だけで20万部を超えるのだとか、
増刷につぐ増刷で30万、40万、50万、、300万部を超え、となり、発売当日には売り出される本屋の前に求める人々で長い列ができたと、その列の様子とともに報道されていた、

彼の小説を格別に好む人々を、彼の名前からハルキストというらしい、
男女の性の別なく、愛読者層は文字通りの老若男女、すべての年齢層に受けているのだとか、特に、25歳以上40歳未満の独身女性にファンが多いらしい(知らないけど)、

昔、マルクス主義(マルキシズム)が流行ったころ、その信奉者、活動家を称して、マルキストといったことがあった、
学生時代の友人の一人は、マルキストでもあったのだが、当時のアイドル、天地真理嬢のファンだったこともあって、ぼくはマルキストでなくマリキストだ、と言っていた、、
その後の変貌甚だしい、かつての美人アイドル?を、今彼はどのような眼で眺めているのか、
音信不通の彼なので、心情を聞くことはできないのだが、おそらくかなりの割合で落胆していることだろう、、

さて、ハルキスト、ハルキスト達、、
1Q84という彼の作品を、ぼくは、IQ84と読み間違え、知能指数の低い人を描いた皮肉たっぷりの本だと曲解していた、実際には、そうではなかったのだが、、

その本が売り出された当日の午後、原宿にあるオープンカフェ(小洒落たというのか、小生意気だというのか、見かけ倒しのハッタリコーヒー店)の椅子に座り、その本を拡げて読んでいる、頭の悪そうな、84どころか、IQ69くらいの知能指数の持ち主らしき人物に、テレビ局で用意したレポーターが質問していた、

なんで、その本を買われたのですか?
今日買ったことで注目が集まるし、この本を拡げていると利口そうに見えるので、、

利口なのではなく、利口そうにみえる、というところに眼目がある、
そういう手合いばかりではないのはもちろんだと思うが、この手の読者?買い手が、この作者に多いのも事実なのだろう、

読まれることを期待した作者の意図とは違い、持つことに価値を見いだす、読むことよりも拡げていることに意味がある、
それを知った作者の苦笑いが目に浮かぶ、、

最近では使ったこともない、先端にマッターホルンの雪山の紋章を頂く万年筆を3本も持っているぼくが、大きなことは言えないのだけどさ・・・、





2013年10月17日木曜日

ハルキ

書きたいことは、あるけど、ヨッパなんで、またいつか、

角川じゃなくて、村上?村上春樹?

いっつも、ワンテンポ遅れて書くのがオイラの流儀、
やっと沈静化したので、書こうかな、、、


2013年10月12日土曜日

緑茶割り

焼酎の緑茶割り、緑茶ハイは、静岡県のお茶生産組合の青年部の発案だったと、いつかここで書いた、書いた?

「世の中には、ウーロンハイがあって中国のお茶は酒としてもよく飲まれているのに、日本でありながら緑茶ハイがない、おかしいじゃないか、みんなにもっとお茶を飲んでもらうために、焼酎を緑茶で割った緑茶ハイを飲食店に勧めたらどうだろう」

そんな話から始まったのよと聞かされたのが、今から15年前の、出張でたまたまふらっと立ち寄った居酒屋「ばく」のカウンター、

それ以来、静岡県島田市に行くと必ず「ばく」に立ち寄り、店主のあきこさんの顔を見ることにしている、
最近、島田への出張が減り、顔見せの回数も年に一度か二度、
顔を忘れたんじゃない?と聞いたら、忘れてないわよ、だって、嬉しいじゃないか・・、


緑茶ハイを二杯、たこの刺身を肴に飲み、そのあと角のロックで二杯、
心地よく酔って店を出た、

(お酒は)強いのよねと、あきこさんからは言われるのだが、店を出るときにはヘロヘロ状態、
失態を見せられないので、がんばってしゃきんとしているように見せているだけなのだ、

写真はその時のもの、綺麗な緑色の、本当の緑茶ハイ、おそらく抹茶を入れているのだろう、
地元で飲む緑茶ハイなるものはなぜか色が茶色、番茶かほうじ茶のような色をしていて、色だけみれば美味しそうでない、

だから、緑茶ハイは静岡に限るのだ、そう思う、、、




2013年10月9日水曜日

値上げ とは・・・、(フォークの力を見よ)




あべのみくす って、日本語 
英語よりもこっちのほうが、ぼくの性にあってる

明治以来、欧米のそれまでは日本になかった感性とか、制度とか、仕組みとかを
翻訳した、しようとした苦労は、十分理解できる、

傑作は、FREEDOM が 自由 
自らに由る(だれの束縛もうけない、移動も婚姻も職業の選択も、それがFREEDOMの訳 拍手~)

たぶん、福沢諭吉か正岡子規か、あのへんの苦心の表れなのだろう、

哲学だとか、野球だとか、(あー、こんなことで、教養のなさがばれる・・・、)

コンプライアンス なにそれ?
法令順守 法令遵守 ということばが日本語にあるし・・、

「アーバンなミッドナイトにコンテンポラリーなふたりが、エキセントリックなシティーを離れ・・、」

おまえらは、何人なんだ バカっ

グローバル、アンジュレーション、地球的、不陸、それぞれの英語に合った日本語があるのに、
それを使わない日本人を、ぼくは認めたくないなあ、







2013年10月6日日曜日

器量

ぼくがまだ20歳代の若い時に、当時の会社の責任者から聞かされた話がある、

自分の尻も満足に拭けない人が多い中、まわりの人間の何人の尻を拭けるかで男の器量が決まる、自分は何人の尻を拭けるのか、そこで人間の大きさがわかる気がする、それを知る楽しみのために仕事をしているような気もしている、と、、


自分の尻はこの歳になるまでずっと自分で拭いてきたので、ぼくは一人前なのかもしれない、

社長をしている以上は何人かの社員の尻を拭く覚悟をこれまで持ってきた、
でも、尻は拭けるかもしれないが、自分と血族でもない人のために死ぬことはたぶんできない、

踏切の中で人が倒れていたのを発見し、列車が近づいてくるのを知りながら、助けようとした女性がいた、
助けようとした相手は助かり、自らは命をなくしてしまった、
一緒にいた彼女の父親が制止したのにもかかわらず、それを振り切って助けに行ってしまったのだとか、
彼女の死を知った多くの人々が、その事故のあった現場に花束を手向けていた、と報道していた、

ぼくもその現場が近くにあったら行って手を合わせたい、と思った、
彼女が亡くなり、それを目の前で目撃した父親の心情を思うと言葉にならない、、

ぼくは無神論者で、正直いって神も仏も信仰してはいないけれど、今度ばかりは、仏の慈悲によって彼女の死を止められないものかと、踏切がなければ死ななくてすんだのだから、全国から踏切がなくなればいいのにと、子どもじみた考えに至ってしまった、

たぶんこれからも、彼女を偲んで多くの人たちが現場で手を合わせ花を捧げることだろう、
彼女の名前は忘れても彼女の行為はいつまでも記憶に残ることだろう、

警察協力賞だとか、なんとか勲章よりも、その捧げられた花々にぼくの心は傾いている、、、


☆昨日も、友人の店でライブがあった、
これから店をささえていくバンド、DEVILZさんの出演だった、
店は大勢で賑わい、ぼくも終演まで参加し踊った、何人かの新しい友だちができた、
音楽で世の中は変わらないかもしれないが、そこで友情が芽生えることもあるのだと、ぼくは実感した、






2013年10月1日火曜日

友人

25年以上も前に知り合った彼から、仕事のことで話がある、会いたいと連絡をもらったのは今月半ばのことだった、

彼とは豊洲にあった、ということは今はもうないのだが、現場で知り合った、
所属する会社は違っていたのだが、働く現場が一緒だったので話すことも多く、普段会わない会社の連中よりも接触する機会の多い別会社の人間と仲良くなる、
よくある話なのだ、

彼とは馬が合った、というのか、彼の生き方に惹かれるものがあった、
例えば、
物を買うときに、現金で買う、ローンで買うより安くなるというのがその理由、
趣味のカメラ撮影に使用する車を買うときにも、彼は370万円という金を貯め、現金で買った、
現金で買うために、何年も、おそらく5年は貯金を続けたのだ、

35万円のカメラも、27万円のレンズも、彼はすべて現金で買った、
買うための我慢なら、欲しいものを手に入れるための辛抱ならば、それが楽しくてたまらないという風な顔をみせて、彼は貯蓄する、

「500円玉貯金で60万円貯めたこともあったよ」 笑いながら、そう語ったこともあった、
缶切りで開け瞬間、その貯まった500円玉がジャラジャラとテーブルの上に広がったのを見て感動し、山盛りにしてカメラに収めたのだとか、、

そう彼の趣味の一つにカメラがある、、

いま何を使っているの?
ニコンのF6
えっ、あのニコン最後の一眼レフのフィルムカメラ?
だってフィルムは、今はもうあまりないじゃん
そうなんだよ、フジに頼るしかないんだ、でもサブでデジカメも持ってるよ、
なに?
D300
あっ、それ、おれと同じ、
へえ、そうなんだ、

仕事の話はそっちのけで、カメラの話に夢中のふたり、彼は、ある意味、ぼくのカメラの師匠でもある、
彼の影響で、オーディオに興味をもち、それからカメラを趣味とするようになったからだ、

バイクの話、山の話、話題が尽きることはない、

年賀状の交換を再開することを約束して、家路についた、

彼の年賀状は、毎年、富士山、それも年賀状の季節に合わせて、雪を頂いた富士山に限定される、
今でもそれは続けているのだとか、
11月の後半から12月半ばまでの、わずかな期間の間を狙って撮影に出かけるのだとか、

いろいろまわってみたのだけど、結局、三浦半島から見た富士山が一番綺麗だということに気が付いたよ、

彼の話は、はじめから最後まで実話としての説得力をもっていた、
おれも三浦半島に行ってみるか・・、鮪を食いに、、、

んーーーー、、、





2013年9月23日月曜日

冬の花火

明日も出張、、
茨城県潮来市、この前と同じ場所、

ぼくらが泊まっているホテルは、昔は栄えたホテルだったらしいのだけど、潮来市の市としての地盤沈下と一緒に、すっかりさびれてしまった、、




このあたりは昭和40年代に栄えた街、昭和という時代が去って早何十年、
往時を偲ぶ人さえ東京にはいないのかもしれない、、

出張の楽しみは、夜の食事と酒、
ちょっと飯でも行きますか?
と誘われて、飯なんか一回も食ったことがない、結局は酒、酒、酒の、男の世界を生きてきた、、

楽しみにしている酒の世界が、この地盤沈下街ホテルのせいで、近所に飲む場所が少ない、
少しお高めの割烹があるけど、若い人たちは一晩にちょっと飲んで5000円も払う気がしない、

で、最近は現場仕事が終わると、一同そろって大型スーパー店に行き、夜食、次の日の朝食をめいめい買うことにしている、、

コンビニで買う缶コーヒー一本125円が、そこで買えば88円、
どちらが得なのか、子どもでもわかる計算、、

宿にもどり部屋で落ち着き、いや、落ち着かない・・、
外に出て飲みに行った、、

みかけたのが花火屋さん、花火専門の店、
びっくりした、
この街に、ある意味こんな流行らない場所で、花火専門店がある・・、
こんばんわー、こんばんわーと、いくら問いかけても誰も出てこないし・・、
やっとでてきたおばさんは、ぼくの顔を見て慌てたかのように店の奥に身を隠すし・・、

次にでてきたおじさん、、
「なんでしょうか?」 (花火しか売ってないんだろう、花火を買いに来たのに決まってるし・・)
「んー、花火を」
「・・・、」
「あのー、花火が欲しいのですけど」
「あーー、はいはいっ」

さあー、それから花火の説明が・・。途絶えることもなく約20分、

なので買いました、価格にしておおよそ3000円、
そんなに花火を買ったのは生まれて初めてです、奥様(どの奥様。。)、

線香花火、これは国産なんです、中国製の安い花火は玉ができずにすぐ落ちますけど、これは必ず玉ができて、あのパチパチが楽しめます、、

見たら、熊本県製品じゃないか、
一袋10本入りで、370円、値段なんか問題じゃない、買うでしょ、、
今夜、マンションのベランダに水入りのバケツを持ち出して、線香花火を上げた、
上げたというのか、線香花火なので下げた、、

で、なにが面白かったのか、
家人と次男と、少し早い「冬の花火」に大盛り上がりだったという、お話なのだ、、、







2013年9月19日木曜日

ぶじに帰ってきた

下道も事故渋滞、常磐道も事故渋滞、外環も事故渋滞、、、

なんやねんっ 怒

カレンダーをみたら、仏滅だった、あーなるほど・・、
って、納得すんのか、、

飯の前に酒だな、ウイスキーをロックで4つばかし・・、
やっと精神が解放されたわ、明日は客先に謝罪の挨拶、そんなに酔ってもいられない、
だから今日はこのくらいで許しておくのだ・・、

AKB、旅館でひまだから、なんとかかんとかのアホじゃんけん、ずっとみちまったじゃないか、、
あの時間を返せ、返して欲しいよ、、




2013年9月16日月曜日

明日から出張

二泊三日での出張、
しばらく書くことができない、、

寝たまま(横になったままで)、卓の上の葡萄やら煎餅やらをつまんでいたら、舌の左側をがぶりと噛み、ひどく傷つけてしまった、
いまだに痛くて、どれだけしみるのかと思うと熱いお茶を飲むのもコワクなっている、

舌も人体という物体の一部、ならば重さがあり地球の中心に向かって落ちてくる、
寝っ転がって何か食べていたら、思っている位置に舌がないのは当たり前、
もっと下にあったんだ・・・、

しかし、何もそこまでしなくても、舌を噛んでまで、重力の存在を確認することはないじゃないかっ、、、


お知らせ
友人が開いたLiveBar ZiZi しばらくは年中無休、夕方6時からオープンです。

〒175-0094
1-31-12-3F Narimasu, Itabashi-ku, Tokyo
☎  Fax  03-3975-7018


です。
ドリンクも、種類は少ないおつまみも、価格はすべて500円です。
2000円もあれば飲んでつまめます。
ライブ以外の日には、ミュージックビデオが終日流れています。
時間があれば寄ってみて。互いの都合が合えばご一緒したい。
まだ会ったことがない人同士がネットで知り合い、気心がわかり会うこともある、
なんだか少し昔のオフ会を思い出す♪


2013年9月15日日曜日

ライブ

友人が経営しようとする店の新規開店を手伝い始めて数ヶ月、昨日9月14日(土)やっと開店となった、
地元に音楽ライブができる場所を、そんな目的から手作りで作ろうとした店、内装も床張りも壁塗りから水道工事、排水関係、音源電源の手配、ほとんどすべての工事を友人知人たちのボランティア、手弁当で作り上げてきた、
バンドマンといえど昼間は様々な職種の職人たちなので、その気になればお手のものなのだ、

これだけやってアメリカンドッグ二本が報酬だもなあ(笑)、とぼやいたのはバンドリーダー、
なんちゃって禁煙しているぼくは、ラッキーストライク二本を吸わせて貰う代わりにPC操作で手伝った、

楽器を人前で弾くことも、歌うことも上手ではないぼくは、ポスターや名刺、新しい店のメニューなどを作ることで応援してきた、
昨日は、応援してきた者としていわば身内の関係者として、接客をボランティアで務めることにした、
オーダーを聞き品を運ぶ、テーブルを拭く、灰皿を取り替える、枯れ木も山のなんとかで合間に踊る・・、

30人は入るという店に入りきれないほどのお客が来場、
何人来たのか正確な数は把握していないのだが、座れないで立ちっぱなしの客も居たので、予定の参加人数を大幅に超えたのだろう、

うちからだけでも、連れ合いと弟夫婦、娘、とぼくを入れれば計5人も参加した、

ビートルズナンバーから始まった第1部、オールディーズ中心の第2部、来週出演のバンド2組の飛び入り参加などなどで、19時開演~21時終了を大幅に過ぎて、終わったのは22時を回ったころだった、
大汗をかきシミができた青色のTシャツを脱ぎ、風呂に入ったのは23時過ぎ、疲れた、でも気持ちよい汗だった、

これで癌患者だというのだが、あと5年は大丈夫なのだろうか、、、

2013年9月11日水曜日

昨日は誕生日

9月10日は毎年、ぼくの誕生日、

心優しい長女次女、それぞれからお祝いメールが届いた、
本人たちもたまにここを訪れているようなので、書いておかないとね・・、

夜は、誕生日だからというわけでもないのだが、焼き肉を家人からごちそうになった、
チェーン店なのだろう、名前は「牛繁」というのだが、焼き肉を食べようかと話がまとまると駅前ビルの5Fにあるこの店に最近よく行く、

国産牛・極上盛り4980円を注文、それと、カルビ1、キムチ1、カクテキ1、オイキムチ1、サンチュ2、上タン塩1、ライス1、ユッケジャンクッパ1、ウーロン茶1、生ビール1、ウイスキーW1、しめて9802円だった、
初めて行ったときと比べ、キムチも、ユッケジャンクッパも、味が落ちたと感じ、どう?と意見を求めたら同伴者も同じ意見だった、、

食事の合間にたのんだウイスキーも、舌を刺激するだけのすさまじいもので、チェイサーで薄めてさえ飲めるシロモノではない、
なんというウイスキーなのだろう、意地悪く名前を知りたくなったわ、
ほんの数滴、舌の先で舐めとっただけで後は全部残した、

食材は命、調理は手間だというふうに食事を理解している、
食卓に供されるたくさんの生命のこと、仕込みや調理、味付けの手間を考えれば、注文したものを残すことはまずないのだが、久しぶりにこれはひどかった、
そのまま残せばいいのにという家人のことばを無視して、ウーロン茶の中に混ぜ入れ、残したという証拠を消した、
犯罪者ではないので、なんら証拠を消す必要はないのだが、コップのまま残すのは店員さんに申し訳ないという気持ちからだ、

酒のまずさは店員のせいではないものね・・、




まあ、この歳になると、誕生日というのは”あちら”の世界へより一歩近づくことと同じこと、
なのでこの曲、、




2013年9月8日日曜日

反東京オリンピック

福島の問題も解決していない、放射性廃棄物である汚染水を海洋に垂れ流している、いまだに30万近い人間が仮住まい生活、漁業も農業もフクシマときいただけで売れない風評被害、

ついには韓国でも日本の魚介類を流通させないことに決めたと、報じられていた、
喜ぶのは建物箱物入れ物造りのゼネコンと観光事業者だけ、
基本給が上がらないのに、消費税だけ上げるバカ、
こんな時期に、


槍なんか投げている場合じゃないだろっ

ってやり投げの選手に罪はないのだけどさ・・、

2013年9月7日土曜日

明日は句会

書きたいことが一つも思い浮かばなくて困る日もあれば、幾つも幾つも書きたいことを思いついて困る日もある、
今日は、後者の日、、

40年も前に手に入れ、名品なのでは、今の時代なら数十万円にもなっているかも、もしかして100?と気になっていたギター、ネット時代の今、本体に刷られていた名前からその価格と価値を調べてみたら、国産の木曽の木を用いたものだとわかり、かつ、今でもそれほど高値ではないと知った話、

友だちの店の新装開店の宣伝のために作ってあげたポスターが、我ながら出来映えがよく、当の本人の友だち以上に、あちこちの店に張ってもらいたいと願う気持ちになっていること、

まあでも、明日は句会、
句のことを書くのが優先されるべきだろう、、


ほしいまま久女の手縫ふ菊枕

土産にとかぼす戴く季になり

身にしむや野生に還る被爆の地

すり鉢を妻が押さえてとろろ擂り

おうい癌よすこし休めや鰯雲

どうだろう? って、壁に向かっていう味気なさ・・、


久女の句、わかる人にはわかる、わからない人には全然・・、

俳句の師である高浜虚子のおだやかな睡眠を願い、菊枕(枕の中に干した菊の花びらを仕込んだもの、枕として用を為すために何千何万の菊の花を摘めばよいのか、考えると気が遠くなる)を作り贈った久女、

谺して山ほととぎすほしいまま の、ほしいままの5文字を得るために何度も郷里の大分の山に登ったという久女、

それらの合算なので、ほとんどは他力本願寺 汗

兼題が「菊」で、菊といえば菊枕しか思い浮かばなかったのだ、、


2013年8月31日土曜日

東急ハンズへのお勧め



新聞のチラシで東急ハンズでバーゲンがあると知った、

子どもたちの一部から”ハンズマン”という名誉ある名前を頂戴しているほどのハンズファン、普通の日でも行きたいのに、チラシまで入っていて、来てねといわれれば行くしかない、
池袋ハンズまで出かけた、

相変わらずの混雑ぶり、
入り口近くで家人とは別れることにして(お互い、興味の対象が違うからね)、ぼくはエスカレータの順に、一階二階と上にのぼることにした、

タオルの詰め放題に若い女性が群がりビニール袋に詰めている姿に目が行った、
どうみてもすでに30枚は入っているぱつんぱつんに膨らんだビニール袋にさらに詰めこもうとしている、
もうやめてよ、というビニールの悲鳴が聞こえてきそうな気がして、他に移った、

しかし、考えてみたら、来たのはいいけれど買いたいものがあまりない、
好きな分野の、刃物だったり、ナイフ、工具、鉄製品のあれこれ、文房具、アウトドア用品、、ほとんど欲しいものは持っているものばかり、買いたいものは買って持っているものばかり、
何をみても、買いたいものではないのだなあ・・・、、、

これって幸せ不幸せ?歌の文句じゃないけれど、、

時計もお気に入りがすでにあって、これ以上のものはこの世にないと思っている、
(ちなみにオメガ製品で文字盤の色が濃い藍色、その色と同じ色のゴム製のバンドが気に入っている、300メートル防水ということなのだが、なあに実際には5メートルも潜れはしない、鉛の錘を腰に巻かないと浮力に負けて浮いてきてしまう、浮くのは得意で、泳ぎより浮きながらたまに潜り、貝を獲ったり魚を追ったりするのが好きなのだ、浮くだけなら一時間以上は浮いていられる)

その時計を形見として誰にあげるか、まあ、男の子が3人いるので誰かのものになるのだろうなあ・・、

で、ハンズね
入り口近くで見かけたシール(一枚300円+税)を買うことにした、
熊本とひよこを一枚ずつ、熊本は買うしかないでしょっ、ひよこはよくわからない、チキンが気に入った、チキンでひよこ、当たり前過ぎて笑ったのだ、、

工具売り場では、日頃千円近くもする、その世界でのブランド品ともいうべきドライバーが、一本100円で売られ、ペンチが200円で売られていた、
ドライバーもペンチも既に持っている、持っているのだけれど、100円という値段200円という数字の力に負けてしまった・・・、

壊れてしまったときの予備に、というのがその時用意した言い訳なのだが、予備の工具もすでに3セットあるし、ぼくが生きている間どころか死んでから200年は保ちそうな勢いなのだなあ、、

なんだかんだと屁理屈をこねながら、ただの消費、浪費者なのだ、
んーーーー、、、、






2013年8月26日月曜日

今年の夏も、またあの偽善番組

日本テレビ系列で毎年放映されてきた、あの偽善番組がまた今年の夏も放映された、
うっかりチャンネルを合わせてしまったりするたびに慌てて違う局にするので、実際には何も見ていないのだが・・、

この番組が放映されるたびに、ぼくもここで書かなければとあらためて決意し、今年も書くのだ、

偽善番組めっ

ふだん高額なギャラを貰っているタレントや芸能人、お笑いのあれこれたちが、この日ばかりはギャラを受け取らずにボランティアをする、それなら話はわかる、
受け取ったギャラを社会福祉活動のために全額寄付をする、それでも話はわかる、
タイトル通り、そこに愛を少しは感じるからだ、(愛もずいぶん安っぽくなった・・ものだが)、、、

以前にもここで書いたのだが、長距離をタレントに走らせ、腰を痛め足にまめを作りながらも懸命に走る姿を画面に映し、共感させる、お涙を頂戴する、という企画がこの番組の一つの呼び込みになっている、

ウソかまことか、
間寛平氏が走ったときには300万円が報酬として支払われたとか、
そして今年走者に選ばれた女性お笑いタレントには1000万円が支払われるらしい、

総額で2億から3億もの出演料がタレントたちにばらまかれる、とも噂されている、
局はスポンサーから多額の宣伝料を受け取り、その金の一部がタレントたちの間で山分けされるという図式のどこが「愛は地球を救う」、なのだ

ここまで書いているのは、少し慌てて書いている、
次男が、あの番組はおかしいよ、明石家さんまさんは絶対出演しないと言ったと、家人に話したということをきいたから書いている、
触れるだけで腹立たしいので、一切無視という態度で今年はいこうと思っていたのだが、次男がそういう意見を持ったときいて、親として嬉しくなって書いているのだ、

ビートたけしの見解も、ネットを検索するなかで見いだした、
彼がテレビなどで日頃表明している見解になんら共鳴するものを見いだせないぼくは、彼の作る映像を何一つみたことはないのだが、今回は賛同し、同意見であると共感を寄せるのだ、、

「24時間テレビから出演依頼がしつこく来てたんだけど全部断ってやったよ。 あんな偽善番組は大っ嫌いだ。 誰がなんと言おうと俺は絶対出ないから。ヨダレ垂らした芸能人どもがこの番組でめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせにこれ以上貧乏人から金巻きあげんな。 チャリティーって言うくらいならおまえら全員ノーギャラで出ろよ!コノヤロー!! 」 :ビートたけしのオールナイトニッポン 

明石家さんま 「この番組はノーギャラですよね」 
番組スタッフ 「いえ」 
明石家さんま 「ならそのまま募金に回してください」 
番組スタッフ 「そういう訳にはいきません」 
それ以来、出なくなった。  byヤングタウン 


たけしさん、さんまさん、良いこというじゃないか、そこには拍手、そして喝采なのだ。。。






2013年8月23日金曜日

圭子




圭子といえば、藤圭子、、転落死?自殺?

おいらと同じ歳だった彼女、高校生の時にデビュー、
すげー歌の上手い高校生がいるよなあ・・と、当時の酒飲み仲間、麻雀仲間で話題になっていた彼女(たぶん高校には通わないで歌を歌って稼いでいたのだろうけど)、同じ歳のこちらも相当苦労はしているけど、彼女のドスのきいた、あの声にはどんな苦労もかなうものか、そんな気がした、

ホントは明るい性格なのよ、でも、営業的に暗くしないと・・・、
浪曲師の父をもち、たしか盲目だと、貧しい家庭に生まれ、たというSP(セールスプロモーション)を展開、それを忠実に演じた彼女、、

着ている服はいつも黒、決して笑顔を見せない、でもなぜかギターは白だった・・・、どうでもいいけど、、

なんで、亡くなるのだろうー、なんで飛び降りる・・、

怨歌、演歌というそれまでの歌に対し彼女の歌だけにその漢字をあてたのは、たしか作家の五木寛之氏だった、そのことがまた彼女の歌の「暗さ」「底の無い悲しさ」にお墨付きを与えて・・、

怨歌、えんか、うらみの歌、、
そんな宿命をデビューから背負わされた圭子、、
いま、ユーチューブで検索すると、彼女以外の演歌歌手の歌を彼女がカバーしていることに気が付く、
彼女自身のヒット曲がなくなったせいなのか、
歌手として存在するために、生きるために、あえていえば、食うために、他人(ひと)の歌を歌わなくてはならなかった圭子さん、なのかなあ・・

こうやって書きながら、彼女のことについて何一つわかってはいなかった、わかっていない自分であることを知っている、
自分が死んでもたぶん、そうなんだろう・・・、
人はなにもわかっていない、自分という他人をふくめて・・、

んーーーー、、、


↑酔っている時に書いた文章をかなり添削、よくいえば推敲、頭をぽりぽりかきながら直している、
頭を掻くときに、なぜぽりぽりなのか納得はしていないまま、、










2013年8月19日月曜日

免許更新

9月10日が誕生日、覚えやすいのだ!?

免許更新ができる日になったので、今日行ってきた、
更新の時にしか訪れないJR高崎線鴻巣(こうのす)駅に降りたのが、12時15分、
そこからバスで10分と、不便な場所に免許センターはあるのだ、
午後の更新は1時から2時半までの受付に限られるとか、あまりゆとりはない、

申請書をもらい証書を買い視力検査をし、軽微な違反2回ということで120分の講習会、
終わったのが3時45分、地元に戻ればほとんど5時近い、
なんだかんだと一日がかりの免許更新なのだなあ、、

軽微な違反2回というのは、一時停止違反(これに文句あり)、後部座席のシートベルト非着用(大いに文句あり)という内容のもの、
踏切を渡るときに、向こうから見ていたおまわりさんが、今ブレーキを踏まなかったでしょう、と難癖をつけてきたのだ、
そっちからはブレーキを踏んだか踏まないか見えないじゃないか、ブレーキをかけないで踏切を渡る度胸はないと抗議しても認めてもらえず、結局違反とされたもの、
後ろから見ていてブレーキランプが赤く点灯しないことを確認した上での違反ならわかるけれど、おまわりさん一人での違反したんじゃないか、そう思うぞおれは、きっと違反だでの検挙では、いくら捕まっても悔しさと憤りが残るだけで、いまだに反省なんかしやしない、

同じ場所から少し離れた坂では、天気がいい日に限っておまわりさんの二人連れが、一時停止違反者を見つけるため目を光らせている、
近隣地元では有名な場所なので捕まる人も少ないのだが、他府県から来たりなれていない人が通りかかるとたまに捕まっている、

違反者といったって、皆、人を殺したわけではない、下着を盗んだわけでもない、麻薬もやらず買春もしてこなかった善良な納税者たちなのだ、
踏切手前の地面に書かれた一時停止案内と真上の一時停止標識に気が付かなかっただけで、毎回何人かが犠牲になっている、
本当につまらない、犯罪ともいえない文字通り「軽微な違反」者たち、、、

昨日は近所の中華の出前のおにいちゃんが捕まっていた、
言葉もたどたどしい中国人か台湾人か香港人か、とにかく日本人ではないそのおにいちゃん(というより、おじさんなのだが)、書類を書いているおまわりさんの前で無言で立っていた、

おれの大型バイク1300ccを盗んだ犯人はいまだに捕まっていない、
自宅マンションの駐車場からおれのホンダカブ90ccカスタムを盗んでいった犯人もいまだに捕まっていない、

組織的な犯罪集団や車輌窃盗団は逮捕できないくせに、急いで配達に向かっている中華の出前を、一時停止違反みたいな「軽微の違反」で、捕まえて点数稼いでいるんじゃねーぞ、
ごらっ 怒怒

明日から静岡島田まで出張、帰りは木曜か金曜、余命5年にしてはよく働くのだ・・・、
んーーーー、、、



2013年8月15日木曜日

検査結果

白血球の数値は2800だった、
数値が上昇しているとはいえ、まだまだ低い、

以前服用していたフルダラという抗ガン剤は骨髄そのものに影響を与え、癌細胞にも効くかわりに正常な細胞をもやっつけてしまう薬、年単位で身体に影響を及ぼす、らしい、
影響が長く続くので、いくら食事に気をつけたり体力温存につとめても白血球の数値の上昇はなかなか望めないのが実情で、副作用とはこういうもの、なんだとか、
詳しい説明を5年間の治療の間に、初めて聞いたような気がする、、

前の先生は何も教えてくれなかったのだなあ・・・、

ぼくの病気は「ろ胞性悪性リンパ腫」だということも今日知った、
悪性ではあるけれど進行が比較的遅いので治療を慌てないでもすむ病気らしい、
ただ、一生治らないし、治療法も確立されていないのだとか、、

この後の5年、ここが一つの大きな山ですよ、
半分以上の方が10年を境にして(発病以来)、ばたばたと亡くなっています・・、
今日もまた同じことをいわれた、
あと5年経ってもまだ70歳に届かない、、
まだ死ぬのは早いかなあ・・、

書く内容はほとんどすべてが独白のようなもの、有名人でも名士でもタレントでもないぼくの独白に読む意味や価値はあるのかと自問することがある、
子どもをはじめ身内の何人か、知人の数名、熊本関連で何名かが読んでいるということなので、現状報告をかねて、書くことに小さいけれど意義はあるのかもしれない・・、

インターナショナルな視点(笑)からとかグローバルな観点(笑)からのコメントはあまりでてこないのだなあ・・、

かっこ悪いことはかっこいい、かっこいいことはかっこ悪い、
若い時にそんなことをきいたことがあったような気がしている、記憶違いかもしれないけど・・、

友だちの店がライブ中心にした店へと生まれ変わり9月14日のオープンに向け慌ただしい、
俳句でも将棋でも付き合いのある古くからの飲み友だちでもあるその店のオーナーから、新しい店の名前を名付けてくれと頼まれた、、

ええ、そこは自分で付けるでしょー、
いや、前から決めていた、名前考えて、
・・・・・・

ということで、自分ならこの名前というのを考えていてそれをあげることにした

ZiZi ジジ 読み方はジではなくズに近く、ズィズィと呼んでくれるとありがたい
名刺を作る段階で(ぼくがデザインしてみた)提案があり、Z!Z!と、ビックリマークを入れることになった、

LiveBar Z!Z! 

オーナーも来店する客も演奏者も、じじーばっかりだからジジなのだ、、、

バーのジジー(笑)、
地元にライブの店が一軒もないので、期待感満載、
一人で演じるミュージシャンやバンドに場所を提供する意味からもその存在の価値はあると思う、
あとは永続持続すること、飽きないで店を続け少しずつファンを獲得していけばいいのでは・・、
最後まで見届けることはできないと思うけど、期待しちゃうのだ、、、





2013年8月14日水曜日

明日は通院

久しぶりの通院日、
この前行ったのは5月だったから、ほぼ3ヶ月ぶりの検診となる、
特別な指示がないので、明日は血液検査だけのはず、
検査結果をもとにした簡単な問診と次回の予約が待っている、

白血球の数値がどの程度あがっているのか、患者本人としてはそこに心が惹かれる、
下がっている時は1400という数値が示されたことがある、
健常者の平均で4000から5000以上ということなので、かなり低いのだ、
うっかり風邪もひけないし、もしひくと大変なことになるとこの前、身をもって体験した、

抗ガン剤を服用しないで来たるべき本格的な治療に向けて体力向上を図る、
医師の治療方針が今年の4月から抜本的に変わり、結果がどうなるのか、少しは心配もあるのだが、心のどこかで達観していて、落ち着いている、

今朝生まれたばかりの新生児も含め、これを読んでいる方全員が100年も経てば皆居なくなるのだ、
長生きだとか短命だとかいっても、その程度の話に過ぎない、
そう思えば気持ちも楽になる、

ならないか・・、






2013年8月12日月曜日

今日は句会

席題は「小鳥」だった、、小鳥帰る、とかさ・・・、

なので、ぼくの句は
「席題は小鳥孫の名ことりなり」 んーーーー、、、

天に一点さらに一点、二点獲得、だけど・・、

主宰から副主宰から、これは俳句ではないとお叱りを受け、苦笑い、、
席題の「小鳥」を見た瞬間に、孫の、可愛い孫の、ことりしか思いつかなかったのだ。。

じじーとしての自分と、俳句を作る自分とどちらが優先されるかといえば、
やはり、孫の方に力を入れたのだなあ・・、

孫を題材とした句は、句会では、そう句界では、特に厳しく審査されるとあえて承知で、
そんなことはどうでもいいので、孫のことりの句を作りたかったのだ、、

その意味で、バカなのだ・・、
そこらへんの、知性も教養もない、これだけ失政を重ねているのに、相変わらず自民党や公明党に一票を投じる、
アホじじー&ばばあと同じになってしまうのだなあ・・、

あー情け無い (T-T) 
↑この顔文字、今もだれか使ってるの?
知らないけどさ・・




2013年8月9日金曜日

ミント

薄荷だよねと言ったら、なに?って言われた、、
ああーミントのことでしょ笑 だって、、

今日で現場仕事も一段落、明日から10日以上の長い休みになる、
毎日通っていた現場は、新宿から小田急箱根バスで約50分、神奈川県海老名市にある、
敷地も広いので、社員の一人が空き地を利用して菜園をひらいた、

枝豆、西瓜、トウモロコシなど、、そしてその中の空いた場所にミントも植えていった、
植えた本人はとうに会社を辞め、もういないのに、毎年ミントだけは枝も栄えて葉も茂る、あーこりゃこりゃ、

いろいろ付き合いもあったし、酒も飲んだし、「炊きたてのご飯の上に生のニンニクを添えてしばらく蒸らすとチョー美味いっすよ」と教えてくれた彼だった(その食べ方は試してないけど・・・ごめん)、

今はもう誰もが、彼のことは忘れて、どんな会話にも出てこない、
でもぼくは、この葉をみるたびに彼のことを少うし、ほんとに少し思い出すのだ、、

何日か前の昼休み、また”菜園”を見に行ったら花が咲いていた、
ミントの葉の上に咲いていたから、ミントの花なんだろう、、
この色がとても気に入って、たぶん、もしかしたら、誰もミントの花を見たことがないんじゃないかと、
おせっかいながらもアップしてみた、、

綺麗だよね!




2013年8月1日木曜日

風邪

風邪をひいた、
今週の月曜日に医者に行き、5日分の薬をもらい今ものんでいる、

激しい咳、やっかいな痰、胸の痛みと、自分的には肺炎か気管支炎かとも思われたほどの症状だったのだが、医者いわく、胸の痛みは咳による筋肉痛でしょう、大したことはありません、だと、、

根が臆病なので、身に降りかかる災難を大げさに見たがる、言いたがる傾向がある、
大げさにいえば、みんなから同情も買えそうだしね、、

なので今週は一日も働いてはいない、
表に出歩くこともしていない、

今日は8月も1日、地元の商店街で”阿波踊り”を踊る日なのだとか、
自宅前の橋が出発地点になっているので、太鼓やら鉦やらの音がそのうち鳴り出すのだろう、

2013年7月22日月曜日

選挙

選挙がありましたね、
大姉大兄におかれましては、きっと投票なされたことと推察いたします、

我が家は4人家族、夫婦、長男次男の家庭です、
夫婦と次男は投票に行き、長男は寝てしまっていて結局投票せず、、
我が家の投票率は75%でした、100%でなくて残念・・、
長男も投票に行く気持ち満々だっただけに、、

何党の誰それに入れたのかとか、何党支持なのかとか、それは二の次三の次、
子どもの判断にまかせてきたこれまでの選挙です、
当然、今回も今まで通りの選挙でした、

当選を願った人は落選してしまいました、
しかしそれでもいいんです、
投票、義務でなく権利としての自己主張を、これからも、生きている限りずっと、
していこうと思っています、






2013年7月20日土曜日

お宿

うちの猫は(たぶん猫はみんな)、身体だけがすっぽりと入り込める狭い場所が好き、
箪笥の引き出し、冬に使う鍋、化粧箱、机の下、送られてきた段ボールなどなど、、

以前、カメラをオークションで競り落としたときに、出品者のご厚意でカメラバッグも一緒に送っていただいた、カメラとバッグが同梱されてきたので、リンゴ箱様の大きな荷物が届いた、

届いたその時からその段ボールの箱に、うちの猫たち、がっちゃん(白)とjo太郎(黒)が興味津々、
入りたくて入りたくて、入るまで気持ちが治まらない、

で、その段ボールで「宿」を作ってあげた、
作るという言葉を使うのも恥ずかしいほどの工作、
段ボールを箱に組んで、前後二カ所に猫が通れるくらいの穴を空けただけのもの、

前後空けないとエアコンの冷気が中まで入らずに、この夏場、大変なことになると思ったのだ、
こういうところの気の回し方は、一流なのだなあ
というか、今風にいえば、つーか、猫には優しいのだ、、、
わたしには冷たいよね (家人談)

入り口にはネットからダウンロードした猫の画像をA4サイズにして貼り付け、暖簾状にすだれにしてみた、
猫がお気に入りでなく、人間がお気に入り、だけなのかもしれない、




2013年7月17日水曜日

ほとんどはどうでもいいこと

自宅マンションのベランダで、野菜作りをはじめた、
何十年も前から都会のあちこちでよく聞く話で、関係ない人にとっては、野菜を作ろうが米を作ろうがどうでもいいこと、
どうでもいいことなのか、どうでもよいことなのか、日本語としてそれがよくわからない、

たぶんではあるけど、よいというのが先にあり、後からいいができたのだろう、
よいが本語で、いいはなんとか弁なのかもしれない、
あてにはならないのだが、、

ベランダに、トマトと茄子、ごーやを植えた、
初めてのことで経験もなく、トマトと茄子と同じ鉢に植えてみた、
少し大きめの鉢を買い、そこからトマトと茄子とが同時に成ったら面白いと思ったのだ、
結果は、しっぱい、みたいだ
トマトの実は小さく、茄子の葉は白くカビが生えている、
茄子は実が一つ、かびてしまった葉の裏に皮を固そうにして己の躰を隠している、

で、ごーや、、、
うちは4階なのだけど、うちと5階の間にネットを張り、ゴーヤの葉が伸びる方向を邪魔しないように手当してある、
そのごーやが調子よく実ってきた、
だけど、一個だけ、、





土にも4種類、いかにもプロっぽく細工をしたのでこれは自慢なのだけど、20近い花が咲き実がなったのに大きく育ったのはこれ一つ、
他のごーやくん、ごーやさんには申し訳ないことをした、かのような気になっている、、
もう少し育ったら食べてみる、
水を遣り肥料を与え声をかけとっても可愛がって育て、結局は腹の中、、、
人間というのは、因果を背負って生まれてきた生きものなのだな、っと、これが今日の〆、、



2013年7月14日日曜日

今日は句会


夏草に赤錆匂ふ廃線路

縞馬の縞にまたがる銀の蝿

颱風が地球の顔を丸洗い

鬼灯を鳴らす口元歪みけり

海の日やここ何年も海を見ず 兼題「海の日」


今回はこれらの句 
どうだろう? 誰に問うてる・・、どうだろうと問いながら、応えを求めているわけでない、
おはようとか、ハローとかと同じくらいに軽い挨拶、、


昨日は知人の三回忌、友人と連れだって二人、行ってきた、
亡くなった人は本物のやくざだった、広域指定暴力団「住吉会」の組長だった、
詳しくは知らないのだが、何人かの組長の上に総長という人物がいて、その遙か上に親分とか若頭とかがいるのだとか、
組長まで務めたのだから、やくざ社会の中でも一番にエライのかと思ったら、俺なんか総長の足下にも及ばないよ、ときかされて驚いたことがあった、
どんな世界にも上には上があるものだ、

彼の奥さんとは、今でも親しく付き合っていて、たまに声をかけ、お茶をしたりしている、
彼女の感性がとてもユニークで、

ユニークとは、唯一の、一意の、固有の、特有の、独自の、独特の、類稀な、珍しい、変わった、などの意味を持つ英単語

たとえば、

みんなは鳩に餌をやりカラスがくると追い払うけど、私はそれがイヤ、カラスだって同じ鳥じゃない、ただ色が黒いからって嫌われるのは可哀想、だから私はカラスに餌をあげて鳩がくると鳩を追い払うの、とか、、

地下鉄の駅の上にカラスが居て、そのカラスが私を見ると「ばばあ、ばばあ」って鳴くのよ、じじいが通っても「じじい、じじい」って鳴かないから、ばばあだけに鳴くのかと思ったら、他のばばあには声も掛けないで、私だけに「ばばあ、ばばあ」って、鳴くのよ、失礼しちゃうわ、とか、、、

奥さんも亡くなった彼も、大の猫好き、
野良猫を拾ってきては面倒を見、その面倒があまりにも面倒でそれをいつも嘆いているような人物、
嘆きながらも捨てられないので、その嘆きは生きている間ずっと続くわけなのだけど・・、

遺影のそばに猫の写真も飾ってあった、
「サンボも、亡くなったのよ」
サンボというのは、彼女の家のまわりをうろついていた野良猫の中の一匹、
彼女の娘が見つけて家の中で飼い始めたのだ、
餌やりはするものの家の中で飼うことをためらっていた彼女も、飼うと可愛くなり娘と一緒になって可愛がっていたのだ、
中型の体格に白と黒だけの毛模様、太く短い尻尾は上を向き常に肛門が丸見えの猫だった、

やくざの元組長の遺影と愛猫の写真が同じに飾られている仏壇、
やくざも猫も、死んだら、大した違いはないのかもしれない、、、

写真は、奥さんの若い頃、
ね、通う意味がわかるでしょ?苦笑








2013年7月7日日曜日

句集を買う

現代俳句の世界4 山口誓子集を購入、
朝日文庫、昭和59年4月20日、古本でありながら第1刷がたまたま手に入った、

俳句に関する文献、句集はかなりの数を図書館で借り読んでいるのだが、実費を出して買い求めた句集は初めてのこと、
ただし、しばらく前に、評論としての杉田久女を購入したことがあった、
松本清張原作の短編「菊枕」に、久女のことが暗に描かれていると知って興味が湧いたのがその理由、
彼女の俳句を詠み気持ちが動いたというわけではなかった、

山口誓子の句には惹かれるものがあってこそ手に入れたのだろう、
しかし、どこに惹かれたのか上手くことばで説明できない、

何句も何句も彼の句を詠み、そこに描かれている世界、凝縮され研ぎ澄まされた世界、削って削って最後に残されたもの芯のようなもの、彼が掘り出したその芯に感情の昂ぶりを覚えたのか、
いや、昂ぶりではない、もっと冷えたもの、冴えた細い月の輝きのような熱をもたない光の真理に触れ得たときめきなのかもしれない、

ね、やはりことばで説明できないでしょ?


学問のさびしさに堪え炭をつぐ 「凍港」 大正15年以前

夏草に気缶車の車輪来て止まる 「黄旗」 昭和8年

海に出て木枯帰るところなし 「遠星」 昭和19年11月19日


80年以上前に作られた句が決して古びていないのを目撃している、、、


”俳壇が今後50年続くものとして、その先頭に位置付けられる俳人は誓子を置いて他にな”く、
”今日、名ある俳人は、常に誓子俳句を目標として成長し、或は誓子俳句に影響を受けざらん事に努めて成長した”のだ、


佳い本を手に入れた、、






2013年7月5日金曜日

2013年6月29日土曜日

どうしてこうなったんだろう




40歳になった時には、ノーベル文学賞の受賞者として世界的な名声を博しているはずだった、
なっていなかったので、40歳の誕生日その日に愕然としたことを覚えている、

それ以降、文学の才能はないと気づき、平和活動なるものに精を出して、ノーベル平和賞をいただこうとした、
それなのに、別の精を出してばかりで、平和活動に熱心に取り組むこともなく、たまに国境の無い医師団とかに寄付をしただけで、この歳になってもいまだにノーベル賞には縁が無い、

3度の死にそうな交通事故、2度の死にそうな水難事故、何度も死ぬ目に遭いながら、こうして生き永らえている、

どうして今のこの位置に自分が居るのだろう、なんでこういう人生をおくっているのだろう、
考えるとわからなくなる、、

平穏な人生ではなかったと思うのだが、それは誰しも同じこと、
自分だけ特別な、他人とは違った波乱ある人生を送ってきたはずはないじゃないか、
みなそれぞれ、大なり小なりいろいろあったのだ、、
(いろいろあった、という書きかたは描こうとする内容を薄める凡庸な記述様式、そのいろいろが具体的に何だったのかを書かないと、ここの意味や意義が半減してしまう、わかってはいるのだけれど・・)

6月5日、通いの病院で番号で呼ばれたことに腹を立て
「ここは刑務所か!」「会計をすっぽかして帰ったものの、腹の虫が治まらない」と、自身のブログに書き込み炎上状態になった、岩手県の一期目県議=小泉光男氏(56)が、同17日には記者会見を開き「不適切な表現で、著しく思慮に欠けていた」と謝罪した、

同25日午前5時ごろ、一戸町平糠の大志田橋の上流約50メートルの川岸で、男性が倒れているのを通行人が発見110番し、小泉光男県議の死亡が確認された、

県議になり自分がエラクなったような勘違いをしたのか、病院での番号読み上げが個人情報漏洩防止のための方策だったことの認識がなかったのか、どちらにしても居丈高に病院関係者を怒鳴り飛ばしたと同じ人物とは思えない、あっけない幕切れとなった、
遺書らしきものがないことから他殺自殺両面からの捜査が実施されているのだろうが、自ら命を絶ったのだとしたら、亡くなった人を責める気は毛頭無いが、小泉氏、弱うぇよー
そんなことで命まで絶たなくてもいいのに・・、

5日にブログ、17日に謝罪、25日に自死、一ヶ月も経たない短い期間の間に、彼の人生は急展開し、最期を迎えてしまった、
なんでこうなってしまったのだろう、いつからこうなったのだろう、なんで・・、そう彼は自問し自責したのか、、

死の直前、どのような想念が彼の脳裏をよぎったのか、もちろんわからないのだが、56歳の県議が選んだ死への旅路は、つい最近までの彼にとって思いもかけない選択肢だったことには間違いないだろう、、


※画像は、地元のモスバーガーの店内に設置してあった植栽、
うまく撮れたかのような気になっている、自画自賛は相変わらずなのだ、、













2013年6月24日月曜日

消せないメール




相変わらず、スマホではなくガラケーといわれる旧来のケイタイを使っている、

特殊な発達を遂げたとされるガラパゴス諸島の生物の生態と、海外とは違って(海外ってどこだよ?)特殊に発達したとされる日本のケイタイの事情が似ているというので、ガラパゴスケータイ 略してガラケーというネーミングはいかがなものかと、センスのかけらもないよね、ずいぶん失礼なものの言い方ではないかと、と日頃から考えていたのだが、どうなんだろう、

”日本の特殊な事情”というのは日本固有の文化であり、日本人ならそこをもっと掘り下げるべきなのに、日本製品でなく海外製品を売りつけたい狙いしかない様々な海外メーカーは、そしてその手先の犬たる評論家たちがこぞって、そんなものは捨てて早くこっちのモノを買いなよ、といわんばかりの攻勢が、スマホなのではと、、
韓国製品のスマホ、ギャラクシーGALAXYが売れている背景というのはそんなものなのではと、邪推している、

で、メールの話

いつの間にか溜まってしまうメールの整理として、送信メールは気がむいたときに全削除するようにしている、
受信メールも、同じ人からのメールを1通だけ残し、あとは削除するようにし、保存箱には一切入れていない、
今使っているケイタイの、DISK容量であるとかメモリー容量を意識して使ったことはないのだが、不必要なものをしまっておくこともないだろうと、そんなことをたまにしている、

メールをくれた人の中には、すでに亡くなってしまわれた方もいて、そのメールをどうするか、
今そのことで悩んでいる、悩んでいるというのは大げさかもしれない、そのメールをみるたびに気になっている、

ぼくが死ねば、ぼくの思い出とともに、そのメールもどうせ消えてしまうに違いはないのだが、生きている間は消してはいけないような気になっている、
恋人でもなく身内でもないひとりの彼女から届いた削除していなかった5通のメール、数えてみたら何故か5通あった、
1通だけ残してあとはみな削除しているはずなのに5通あった、

2012.07.28 RE:おすすめの店
2012.03.07 RE:おはよう♪
2011.03.12 こんにちは
2009.02.05 こんばんわ♫
2009.01.08 こんばんわ

2012.07.28 RE:おすすめの店 を書いたあと一ヶ月も経たない8月16日に彼女は亡くなっている、
享年60歳だった、

彼女の夫が長年幹事をつとめてくれていた中学のクラス会に出席するために、その夫も先年亡くなっていたのだが、ぼくはその8月に熊本に行っていた、
13日には彼女を見舞っていた、
今までメールを書いていた人が20日後には亡くなった、、

人が生きるってなんだろう、
人が死ぬってなんなんだろう、

あと100年もすれば、今年生まれたばかりのぼくの孫さえもきっと死んでいることだろう、それがわかっているのに、頭では理解しているのに、この表現できない感情はなんなんだろう、、、

持っていても意味はない、死んだ人のことをいつまで考えていても仕方はない、まして形見のモノでなく文章、それも軽い挨拶のような文章にいつまでもこだわっていてもしょうがないと思うのだが、センチメンタルな心持ちになっている自分がそこに居て、結局消せないまま今になっている、

共通の友人に昨晩メールし、この気持ちってどうなんだろうと書いたら、消さないで、と返信がきた、
ケイタイを替えたためにすべてのメールが消えてしまい、亡くなった彼女との記録、メールも消えてしまったから、まだそれを持っている貴方が羨ましい、というような内容の返信だった、

まさよさん、あなたからのメールをいつまでも削除できずに今でも持っているぼくが、他の人から羨ましがられるほどステキな位置にいるのでしょうか、
あなたから見て、ぼくは今でも男らしいのでしょうか、、、






2013年6月18日火曜日

句会その後

日曜日、定刻の1時に句会が開かれた、

今回は、特別なお客さんとして、板橋区俳句連盟会長職にある上田桜さんが来場、
彼女は現代俳句協会会員でもあり、自身も句作に励む一方、板橋区内に二カ所、銀座、錦糸町にそれぞれ一カ所、句会を毎月定期的に持ち指導にあたられている、
忙しい日程を割いて出席してくれたのだろう、

で、当日の句の中から、彼女が選んだ優秀句、天地人三句の中に、二句ぼくの作品が入った、

人が 桑の実や子どものころの舌となり
天が 十薬の花の白さに気負ひなし だった

特に、天に選ばれた句については、一句一章(一つの句に一つの事象を詠み込む、二つも三つも詠まない)が気持ちよく、俳句になっている、十薬(どくだみ)は、十の薬ともいわれるほど効能の多い古来より多用されてきた漢方の薬であるけれど、そんなことを鼻にかけずただ白い花がひっそりと咲いている、それが目に浮かぶ光景ですとの講評だった、
天賞として、500円の全国共通図書券をいただいた、
嬉しかった、、

彼女とは何度か板橋区俳句大会で会っている、
大会の表看板でもあり裏方の指導にもあたる忙しい彼女なので、立ち話程度で一言か二言交わすのだが、ぼくの句を前から目にとめていてくれて、光るものがある、良いものをもっていると何度か励まされてきた、

言葉とおりに受け止めるほどお人好しではないので、ありがとうございますとだけ云い、その場を離れるのが常だったのだが、今回もまた褒められ天賞までいただき、少しは俳句になってきたのかと素直に喜ぶことにする、





2013年6月10日月曜日

今月の句会




会場の都合で、通常の第二日曜日開催から今回だけ第三のそれとなった、

兼題は「滴る」
岩の間から滴る水の様子を表し、水車であるとか滝のように滴る水ではないのだとか、
なんとなくわかるのだが、本当にわかっているのかと問われれば自信はない、



十薬の花の白さに気負ひなし

夏空や碓氷峪舞ふ白帽子

落球の少年に汗土ほこり

桑の実や少年時代の舌となり

み仏の座して十薬白き花


縄文の代より滴る女陰岩


で、もっていくのは以上の六句


女陰というのが今回の冒険、
縄文という大きな言葉をもってきて印象を弱めたとはいえ官能とエロスの世界なのだ 笑

句界の先達、金子兜太氏の好む題材で、ホトトギス派にはなじまない、
「ホトトギス派の弱点は、糞小便を描かないこと、花鳥風月に逃げている」と、
公言されておられる兜太先生のこと、90歳を超えると何を言ってもユルサレルのだなあ・・、


歌は、レッチリ 「スノー」
ひさしぶりに、ケーブルテレビでデスノートを見た、DEATH NOTE と書いたほうがそれらしいが、
松山ケンイチさん演じる”L”、それは彼の最高傑作ではないかと、今でも思っている、
映画のエンディング曲が、これ


脳髄が働くときには糖分を必要としている、なので、つねに甘いものを食している彼、
名前を書かれると死ぬという疑いをもち、ひょっとこのお面をかぶって歩く”L"

死に神にも名前があり、レムとDUKE、、

日本にもオリジナル曲を創作する能力があるのだと確信し感激した、CHARAさん歌う「スワローテイルバタフライ」あえてカタカナで・・、それに匹敵するデスノート、
その後の、デトロイトメタルシ・・、よりも、Lの方が彼には合ってたし、気持ちのノリも違っていたんじゃないのかなあ?

えっ、清盛はって?
んーーー・・・、役者を活かすもころすも原作と監督だと、役者の資質はその中でこそ磨かれる、





2013年6月6日木曜日

ググる

検索サイトGoogleで検索することを”ググる”という、
50歳代以下のネット使用者なら、かなり以前から常識になっていると思われる(本当か?)、ググるという名称に表された行為についての話、

図書館で借りたスティーブン・キングの短編集にも、そのことに触れた引用があり、彼の国アメリカでもそういうのかと、その行為を”ググる”というのかと、新しいハッケンをしたような気になった ※「夜がはじまるとき」文春文庫

で、このぼくのサイト、なにやら個人的なことをいろいろと書いているこのサイトのタイトルに、ぼくは

somebody _somewhere

と、名付けたのだが、訳せば、訳すだなんて大げさなことをいわなくても、見ればわかるとおり、
誰か何処かで、という意味の英語、

誰か何処かで、どうした?
といわれると困るのだが、気に入って使っている、使わせてもらっている、

元々は、ネットを始めた頃(ネットサーフィンとかいう単語が流行っていた頃だから20年以上前だろう)に知り合った方の個人的なサイトに、その方がsomebody somewhere という名前を付けていた、

彼は、ある会社でアップルコンピューター専門のプログラマーとして働いていたのだが、自宅でも製作ができると気がついて退職し、個人として、自分で作ったプログラム、ソフトウェアを販売して生活しようとしていたのだ、

どこかで目にした、彼が作ったアップル専用のソフトウエア、それはカレンダータイプのTODO LISTソフトだったのが、を購入したいと思ったぼくが彼に連絡し(ソフトをダウンロードした後、彼にメールし、プロテクト解除キーを教えてもらったあと、それを入力してから使えるようになる、という、当時にしても少し面倒な、でも普通の行為だったのだ、それは)、そんなところから軽いお付き合いが始まるようになった、

その解除キーは、valentine というアルファベット9文字だったので、そこに詩的なものを感じ、作者の感性をみる思いがして、どんな人なのか興味も湧いたのだ、
何回かのメールでのやりとりのあと、彼から教えて貰った彼専用のサイトには、彼のプロフィールも載っていたのだが、趣味として、プログラム作り、詩を作る、ギター演奏などが挙げられていた、

一言でいえば、ロマンチストなのだなあ、
身長176cm、体重52kgという細身の身体に、女性のような細い長い指 (あくまでも想像だけど)、そんな彼を想像し、、、いつしか連絡も途絶えてしまった、

その後、フリーソフトでもかなり良質なソフトが出回るようになり、800円だか1300円だか払って使った彼の”valentine”ソフトを使わなくなってしまったことも、関係が途絶えた一因なのかもしれない、

で、somebody somewhere
ぼくのサイトは、somebodyとsomewhereの間に、アンダーバー _ が入っているsomebody _somewhere

彼と同じにすると申し訳ないと思い、少し変えてみた、ほんの少しだけ変えてみた、

今、somebody_somewhere で、ググると、まっさきに、このサイト、日本のこのぼくのサイトがググられる、(何回か試してみて確認した)、
彼の somebody somewhere は、どうなったのか、気になるのだなあ、、

個人で作った小さなソフトが売れたネットの黎明期、結局は、大手の会社が、その分野にも手を出し足を伸ばして、個人では太刀打ちできないようになっていったのだろうが、会社を辞め自宅でこつこつと、どこか品のある感性が感じられるソフトを作って生活をしようとした彼、今はどうしているのだろう、
結婚したのだろうか、生活はできているのだろうか、、そんなことに思いを巡らす今日なのだ、





2013年6月4日火曜日

ABCDEFGHI




と書きながら、このアルファベットの数はAからIまでいくつあるだろうと数えていた、
見ればわかるとおり9つ、だった、

つまりあのときのクラスの数は9クラスだったのだなあ・・、1学級おおよそ50人、1学年に450人いたんだなあ、、ふーん・・・、

ぼくの子どもの頃には、小学校時代はクラスを1組2組とかで呼び分けていた、
東京と熊本と何回か転校を重ねたことがあったのだが、どちらの地域も小学校は数字で分けていた、
ちなみに、いつの時にも小学校時代はなぜか1組ばかりで、他のクラスに入ったことは記憶にない、

小学校は数字で分けていたクラスが、中学校に入学するとA組とかC組とかの名前を付けられるような時代だった、
アメリカの音楽やTVドラマが盛んに放映されていた時代、授業内容から教育制度までアメリカに影響されていたので、そんなことになったのかもしれない、

高校も(ぼくが入学した都立高校は)、A組からF組までアルファベットに分けられ、担任の教師は一年生の時に教わった先生がそのまま持ち上がり、決してクラスが変わることはなかった、
一年生時のクラスメイトが卒業するまでそのままクラスメイト、というわけだ、
良い担任教師、好いクラスメイトに恵まれ出会えるならば最高の形態なのだが、実際はいろいろあって・・、

1年A組、2年A組、3年A組を併せてA属と称し、体育祭文化祭などの学校行事は、属ごとの対抗戦形式をとっていた、
新入生の1年A組の生徒を、先年度に入学した2年A組のオネエサンやオニイサンが指導、教授するという制度で、(毎年同じ数の生徒が入学してくるならば)なかなか面白い制度だったと思う、

後年お世話になった取引先にも、新入社員を世話するブラザー、シスター制度があり、早い子で3ヶ月、遅い子でも3年で辞めていくという”今の新入社員”引き留め策に効果を発揮しているときいたことがある、、これは余計なことだけど・・、

で、クラスの分け方の話、

ぼくは東京の葛飾区の中学を卒業することになったのだが、そこでは、一年生をF組、二年生をB組、三年生をI組で過ごし卒業すると、それぞれの頭文字を取って、FBIだと喜んでいた・・、
CIAでなくてよかったねと、そんなツッコミは置いておいて、なぜFBIになると嬉しいのか、今はもちろん当時でも明確な理由がわからない、
やはりこれもアメリカナイズされたテレビの影響だったのだろう、
下らないし、しょうもない話なのだが、そんなことに胸をときめかすこともあるのが中学時代という時代だったのだろう、


歌は最近のSCANDAL 
ガールズバンドの王道をますます歩まれているようで慶賀慶賀(こういう使い方ある?)

音楽に関係のないオワライ系MCが進行をつとめるテレビ番組にも時折顔を出すようになり、ファッションとかメイク、髪型にも素人っぽさがだんだんなくなり少し寂しい気もするのだが、武道館ライブでデビューからの最短記録を作ったのだとか(なにそれ(笑)?)、
目立ったガールズバンドがない今、彼女たちにはがんばって欲しい、

ドラム担当のリナさんが、某テレビ番組でのリズムを競うゲームで高得点を出し優勝していた(ほらよくゲーセンにあるでしょ、太鼓を叩くあれさ)、
ドラマーだから(出演でなく叩く方ね)当然といえば当然だけれど、超絶技巧なのだとか、そうでなければ98万点も出ないのだとか、
ゲームそのものに興味がないのでわからないのだが、見ている分には面白かったわ、、









2013年5月29日水曜日

アメリカ



ここ何日かあらためてアメリカに興味が湧き、ネットでの検索を中心に、あれこれ調べたりダウンロードしたアメリカ地図を見ながら、うーむ、ミネソタというのはここかあ、オレゴンとアイダホは隣同士なんだなあ、おやっルイジアナママがこんなところに、ジョージア(ジョージアオンマイマインドの)はここね、などと唸ったりしている、
(どうやら、ニューヨークとかワシントンDCには興味がないことがわかる)

きっかけは、人命を奪い多くの家財や農業、産業、生活に被害を与えた先日の大竜巻の発生地、オクラホマ州はアメリカのどこにあるのだろうと思ったこと、
なんとなく南部ではないかと思っていたのだが、本当の場所とアメリカ本国での近隣との関係を知らなかった、
時間もあるので調べてみようと思い立ったのだ、

ネットで検索したらいろいろヒットし、オクラホマ州の位置はわかったのだが、今度は、南北戦争での南軍と北軍、それぞれの州に興味が移りそちらも調べてみた、

アメリカ連邦を脱退する形で形成された南部連合、初期の南部連合は13州あったといわれているのだが、その13州というのは何州と何州だったのか、それがわかれば地図に明記して理解しておきたい、
そんなことをしているうちに平面的な2D図だけでなく、ここに山とか川とか平野とかを入れたら各州の様子がより具体的になるのではと思い始め、そちらにも手を染めた、

なんのことはない、中学校での夏休みの宿題状態なのだ(笑)

映画「風と共に去りぬ」で描かれた南部の大地主たち、綿花の栽培を中心として黒人の奴隷制度にその労働力を依拠していた、だから奴隷制度を維持し続けようとしたといわれているのだが、本当のところはどうなんだろう、
リンカーンは、心の底から奴隷制度に反対だったのだろうか、実際は南北戦争勝利のために黒人を利用しようとしただけではなかったのか、
そんなことにも関心はある、

ビビアン・リーの怜悧な美貌を思い出しながら・・、

地図は二枚、アメリカ合国に南軍と北軍との境に赤い線を引いておいた、
山脈と平野の関係図もアップ、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング各州はほとんど山岳地帯だということが見て取れる、平野部にミシシッピー川も入れればよかったのだが、まだしていない、






2013年5月26日日曜日

真竹の竹の子採り

春から始まった野遊びの最後は、例年この時期の真竹の採集で終わりとなる、
昨日、計4名で埼玉の奥まで出かけていった、

結果、まだ時期が早かった・・、

去年は、6月の第二日曜日に出かけ、参加者全員が満足のいく成果を挙げたのだけれど、今年は二週間早かったせいなのか、小さな竹の子がちらほら、
広い場所なのに、ぼくで7本、全員でも20本採れたかどうかくらい、

去年はみんなが一抱えも真竹が採れたのに、どういうわけなんだろう、
きけば今年は孟宗竹も不作の年だったのだとか、真竹も孟宗も同じ竹だから真竹も不作なのかなあ、単に出かけた時期が早かっただけなのかしら、と、手ぶらで帰る車の中で反省やら原因究明やら・・、

6月の第二日曜日にまた出かけてみようとなった、
運転は往きも帰りもぼくひとり、けっこう大変なんですけどね 




2013年5月14日火曜日

2013年5月句会の結果

白靴を揃へ秘仏拝観す
言い過ぎしその夜のビールの苦きこと

以上、二句をもって主宰と副主宰から天賞を頂戴した、
俳句に造詣の深い両者から同時にいただくことは滅多にないことなので嬉しいを通り越しびっくりした、
別の参加者の天賞が、韓国海苔だと包装からわかったので、それも欲しいと駄々をこね、こね勝って貰ってきた、
つまり3つも貰ったのだな、、

主宰の天賞は海苔、副主宰のそれは蕎麦だった、
自分のはいつも和菓子なので、他の人がどんな品を天賞にするのかと、参考になった、

大学病院でのCT検査の結果から、体中に癌があることがあらためてわかり、今後の治療方針を家人ともども伺ってきた、
肝臓や膵臓など他の臓器に転移が認められず癌細胞も最大100円玉程度が観察されるものの、その大きさでとどまっているなら生命に別状はないので、今後も経過観察を続け、大きくなるようでしたらそのときにまた考えましょう、とのことだった、
髪の毛がぬけてなくなる治療に備えていただき、体力をつけてください、その意味で投薬による抗癌剤治療はしばらくしません、とも、、

同時に、

「私はヘボ医者で『あと二週間ですね』と診断した患者がその後一年半も生きたこともあって・・、」
担当医から、冗談とも本気とも判別つかないまま笑顔でそう告げられた、、
「はあ・・・」、こちらも中途半端な笑顔で応えたのだが、、

死ぬのにはまだ早いので、もう少し生きたいとは思うのだけど、いつまで生きたら満足するのか納得するのか、それがわからないので困る・・、

二年前に生まれた孫が一七歳になるまでだとあと15年、嫁に行くまでだとあと20年くらいか、、
しかしこの孫が二〇歳をいくつか過ぎた年齢で嫁に行くかどうかもわからない、、

長女のように四〇歳になっても嫁にいかなかったらどうしよう、
孫の結婚式には無理をしてでも参加し、巨額の祝い金を包みたいのだが、、
どこまでいっても、煩悩の尽きることはないようで、、





2013年5月12日日曜日

今日は句会

俳人を分解すると、人非人 
つまり人に非ずの人となるから、自分は人でなしだと、高名な俳人がどこかで書いていた、、

人でなしなら、物を盗み女を犯し道に痰を吐き隣家に火をつけオペラを鑑賞しながら脱糞でもするのかと思えば、所属する結社の創立記念日に新宿にある創価学会系ホテルのなんとかの間で礼装したまま記念の写真に収まっているのを目撃したことがあるので、人非人といってもさすが俳人、底が浅いものだと嗤ったことがあった、

アイロンをぴっちりあてたGパン(今はジーンズというのか、しゃらくせー)に、たるんだ尻肉を無理繰り押し込み、オレも昔はワルでさーとワルぶり宣う、ご近所でよく見かける善人たちを思い出したじゃないか・・、

俳句作成サイトを発見した、、
俳句は基本575 17文字で構成される世界で一番短い詩だというのだが、上 中 下 そのどれか一つ、または二つの箇所に勝手な文字を当て込むと、過去の俳句から言葉を探してきて残った語句を埋め込んでくれるベンリものサイトなのだなあ
ベンリだったらそれでいいのか・・、

ちなみに、今回の兼題「青嵐(あおあらし)」を上の位置に差し込み、クリックしたら

青嵐 家ははるけし 踏み歩く と・・・、 こんなん出ました!

はるけしというのは、もちろん春の景色なんかではなく、遙けし なのだろう
なかなか佳いじゃないかと書きながら、やるせない思いに囚われの自分ハッケン、、

で、今日は句会

言い過ぎしその夜のビールの苦きこと
それほどのものにはあらず粽食(た)ぶ
白靴を揃へ秘仏を拝観す
陰干しの下着翻し青嵐
こわいもの無くて17歳青嵐
買ひ食ひを叱られし帰途青嵐

どれを取ろうか・・、



曲は LeAnn Rimesさん - Can't Fight The Moonlight 
好きなのだなあ・・、
あちらの女子、特にかっこいい女子は、決して痩せていないよね、
なんで日本の女子は痩せにこだわるのだろう・・、


2013年5月7日火曜日

ロシアン ララバイ




Garcia/Grisman - Russian Lullaby 


ロシアの子守歌 という歌なのだろう
ガルシアの優しいヴォーカルに癒やされる

芸に うまうま うまへた へたへた という領域があり、芸人を目指すものは皆、うまうまの域まで辿り着くようにとされたものらしいのだが、最近はどうもそうでもなく、うまうまよりは、へたうまの方がもてはやされる時代となり、
ものすごい美人よりかは、少し美人で、もしかしたら手が届きそうな隣のおねえさん、近所の妹タイプタレントが稼げる時代なのだとか、

落語でいえば、文楽がうまうまで、志ん生がへたうま、なのだろうか、
いやいや、志ん生師匠の落語はアドリブこそ効いていて、一聴誤魔化しに聞こえる落語だったかもしれないが、十分名人落語の域に達していたと、、
三平さんが、へたうま・・、

長島茂雄氏、ゴジラ松井両氏の二名同時の国民栄誉賞受賞式典があり、贈る立場の(勲章と違い、時の総理の勝手な気分次第で当たり障りのない、毒にも薬にもならない人間に贈ることで自分の名声を高め、次の選挙でもなんとか国民から多くの票を入れてもらわんと人気取りに終始する立場の)アベ氏が審判となって、読売巨人軍ファンを盛り上げたのだとか、

思うのだが、歴代自民党総理にとって一番の功労者はナベツネだろう
彼こそ、先代の正力社長の例にならって自民党とともに原子力発電所建設のレールを敷いてきた人物、
終始、自民党を、保守層を利する発言を繰り返し、平和運動や反原発運動に牙をむいてきた人物、
アベ氏が贈るなら、ナベツネこそ保守界を代表し「栄誉賞」を受け取るにふさわしい人物、

ガルシアのヴォーカルを聴きながら、上手いか下手かでいえば決して上手くはないよなあ・・、と
感想をもちつつ、そんなことを考えている今日なのだ、、




2013年5月3日金曜日

サントワマミー

またあの日がやってきた、

人は二度死ぬ、という
一度目は亡くなった日、二度目は亡くなったことを皆が忘れた日、

そうであるなら、彼は一度しか死ななかった数少ない人間の一人なのだ、

4年前の5月9日、ぼくは葬儀を執り行う会場の最寄り駅に午前11時半に到着していた、
目の前に斎場があるのに逆の方向に「止まらないで進んでください」と、係員らしき人から言われ、納得がいかないまま指示に従って乃木坂通りを進み、外苑西通りも抜け根津美術館もさらに通り過ぎ、(こんなんじゃ葬儀に間に合わないじゃないか?!)と、頭の中で???をぐるぐる廻らせながら前の列に遅れないように、ひたすら歩いていたっけ、、

どこの交差点で折り返しを許されたのか、今となっては思い出せない、
空には二機のヘリコプターが舞っていた、
報道関係者らしき重たそうなビデオカメラをもった人が長いコードを持った若者を従えて、歩道を歩く長い列を撮影しながら通り過ぎていった、
彼の曲を歌っている人がいた、車椅子を押されて参加している人、母親らしき若い女性に手を繋がれて歩く少女、白髪の老婦人も、頭の禿げ上がった老人もいた、
夏のような日射しの中、どの顔にも長い道のりを歩いたためか汗が浮かんでいた、

葬儀会場に着き、彼の遺影の前に立ったのは夕方五時半を過ぎた頃だった、
彼の名前を叫びながら若い男性が泣き崩れていた、

亡くなったのだと実感したときに初めて涙が溢れてきた、
心の中で(アリガトウ、サヨウナラなんだね)とつぶやき、その前を離れた、、
あれからもう4年経ったのだなあ・・、





忌野 清志郎(いまわの きよしろう) 
1951年4月2日 - 2009年5月2日 日本ロックミュージシャン

2013年4月25日木曜日

天使の絵筆



今日の空に浮かんだ雲の様子が、大きな羽ペンのようになっていたのでパチリ、

こういう形状の雲がなぜできたのか、思い当たらないこともないのだが、それを言ってはねえ・・、
天使か神がうっかり落とした羽ペンということにして、楽しみましょう、、
月にはウサギが住んでいて毎晩お餅を搗いているし、毎年12月になるとサンタクロースさんが子供たちにおみやげを配ってくれる、

バッグの中にはいつもコンパクトデジタルカメラが入っている、
持ち歩くばかりで滅多に撮りたい光景に出会わないので、バッテリーの消耗もなくただ重いだけのような気もしていたのだけれど、こうしてシャッターチャンスにたまに恵まれると、持って歩いている意義と同時にチャンスをものにできた喜びも生まれ、プチ嬉しい、、




2013年4月23日火曜日

大丸温泉

4月21(日)22日(月)、一泊二日で栃木県は大丸温泉に、、




年に数回、家人と温泉旅行に出かけている、今回は栃木県那須近くにある大丸温泉、
標高1900mを超える茶臼岳に抱かれた秘境?!ともいうべき山の上の一軒宿、
前夜大雪が降ったとかで着いた駐車場も真っ白な雪景色、
それどころか当日も猛吹雪で、乗車していたマイクロバスが左右に揺れるほどの大風と降雪、同乗していた女性客が「こわい~」と悲鳴をあげた、

温泉は各部屋に内湯、一階にある大浴場、そして露天風呂、
豊富な湯量が川となって流れ、その川を計7つに仕切り露天風呂としている、

最上流は女性専用、最下流は男性専用、途中の5つは男女混浴となっていて、用意された緑色の湯浴み用タオルを身体に巻けば、一つの湯池に男女が混ざり湯を愉しむことができる、
まさか女性は入湯してこないと思っていたら、しっかりとタオルを身体に巻いた若い女性が恋人らしき外国の男性と手をつなぎながら入ってきた、
女性は上から男性は下からと、どこか途中の露天風呂で落ち合い一番下の男性専用露天風呂まで降りてきたらしい、

湯はもちろん温かいのだがあいにくの気候で首から上が寒い、
露天風呂の中に設えてある堂を見上げれば氷柱が下がっている、4月も半ばを過ぎたというのに、ここでは冬がまだ続いている、
宿の人にきいたら、5月の連休が過ぎる頃にならないとちゃんとした春は来ません、と、、

食事も、栃木黒毛和牛の山菜鍋をメインに、蛍烏賊の春サラダ、若鮎と山菜天ぷら、鱒と筍の木の芽味噌焼きと、どれも美味しく、当たり前なのだが部屋も綺麗に整頓清掃されていて気持ちよかった、

山の上までたどり着くのが面倒で不便なので、もう一回行きますかといわれれば考えてしまうのだが、季節を選び雪がない頃ならばいいかもしれない、