今日、訃報が二通届いた、
亡くなった妻の実家の本家にあたる、通称「本家のおとうさん」の死を知らせるもの、
血はつながっていないのだが遠縁にあたるおばさんのもの、
本家のおとうさんは82歳、おばさんは89歳
どちらも男女の平均年齢を超えている、その意味で大往生といってもいいだろう、
本家のおとうさんには、私もだが、子どもたちも大変お世話になった、
子ども達がまだ年少の頃、顔を見せにいくたびに、小遣いだ、お年玉だといってお金を呉れた、
帰るときには「みやげだ、持っていけ」と、米を渡された、
新潟のその地域では、先祖を同じにする親戚遠戚の集団を巻(まき)といい、冠婚葬祭などの集まりには巻で動くのだが、本家のおとうさんは巻の長でもあり、また長に相応しい財と人格を備えていた、
「だからよく借金の保証人に頼まれるのよねえ、イヤになっちゃう」
次女からそう聞かされたことがあった、
人の好い彼は、一切ことわることもなく大様に引き受けたのだとか、
おばさんは、義理の祖母が、戦災孤児だったおじさんを「拾って」きて育てた、その連れ合い、
この義理の祖母というのは、育てた子どもたちを幼いうちから学校にも通わせず奉公に出し、その給金を奪い取ることで自らの生計を立てていた、あまり性質の良くないおばあさん、
子どもが親の面倒を見るのは当たり前だ、そういってはばからない義理の祖母だった、
「働いても働いても、おっかさんが給料日前に持っていっちまう、あれには本当にまいった」
お酒をのんだおじさんが、涙ながらにそう話したことが何度もあった、
そのおじさんも、もう何年も前に亡くなっている、
その話を結婚してからきかされたおばさんは、義理の祖母にも、その娘である義理の母にも敵対心をもっていた、
良い印象をもつわけがない、
おじさんおばさんには、二人の娘がいて、長女がぼくと同年だった、
背がすらりと高く、目元が涼しげなこの長女とぼくは気が合い、小学校時代に何度か互いの家を行き来し、一緒に寝泊まりしたこともあった、
蚊帳をつった布団の中で、いつまでも語り合っていた二人を次女がねたみ、枕を投げつけられたことがあった、
次女は気が強く、長女はしっかり者だというのがぼくの初対面からの感想なのだが、後年、これがほぼ当たっていると知った、
久しぶりに長女に電話し、来年3月の再会を約束した、
姉妹の間のぎくしゃくは両親の死を前に、財産のことでまた再燃しているのだとか、
「いろいろ聞いてほしいの」、電話の向こうから話しかける長女の声は、子どもの頃と少しも変わっていなかった、
あれから50年も経っているのに、、、
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