名前を、ひろみさんといい、とてもクレバーな人だった、
ここで英語みたいな日本語みたいな、身についていない単語を使うもどかしさ、
頭がいいとか、仕事ができるとか、そんな常用の日本語では伝わらない彼女だったので、つまりCoolな人だった、
お互いに世帯があり、向こうには夫もいて子どももいて、こちらだって似たような状況、
そんな二人が居酒屋にこもり、夕方6時から夜中の12時まで、話し笑い身をのけぞらし涙を流し世の中に憤慨しバカなやつどもを嗤いののしり、日本の未来を憂い、地球の将来を楽観視していた、
男女間で友情は成立するのか、
女性解放運動で男性がその役割の一端を担えるのか、
注文したものは残さないで食べましょう、とか、いろいろな話を、、
イギリスの野原に寝転び青空を見上げながらぼくらは革命のことについて語り合っていた、という
レノンの歌のとおり、時間を忘れて、時には顔を30cmにも近づけながら飽きもしないで語り合っていた、、
自分の亭主よりもステキな男性は世の中にいくらでもいるのよ、
でもいちいち、そのたびに心を動かしていたら家庭なんか成立しないわ、
結婚するということは、自ら選んだことに責任をもつということ、
責任をもった結果、たとえ理不尽な、はたまた不幸な世界を覗き見たとしてもそれは自分のせい、
それがわかれば結婚できるわよね
子どもを可愛すぎるということはない、可愛がって困ることはない、いくらでも可愛がっていい
信じることに際限はない、
信じて信じていくらでも信じればいい、もし途中で信じられなくなったのなら、それは最初から信じてはいないということ、
そんなことを言ったり聞かされたりしたことを、今でも思い出すのだ、、、
100%合う異性をもし見つけられたら、居るかもしれないもね、それは幸運、
でもたいがいの男女の普通は、見つけることはできないで一生を終わる、
だから、自らの責任において60%合いそうな相手を選ぶのだ、
もし違っていたら、おめがねに適わないのだったら、自分の眼を呪え、、
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