2012年12月31日月曜日

大晦日

今日は大晦日、今年も最後の一日となった、

昨日今日と買い物ばかり、食器を買ったり花を買ったりカーペットを買ったり、食材を買ったりと
ずいぶんお金が出ていった、
3万の上、出て行った、

1月2日に将棋の会の新年会を我が家で行うので、それ用にとスーパー西友でタラバの足詰め合わせ1890円也を2パック買ったのだが、水っぽくてダメだなあ
とても客に出せない、
カニはそんなに好きでもないのに、自分たちで食べてしまうことにした、、

今年良いことがあった人も、そうでもなかった人も、サイテーだった人も世の中にはいろいろ居るはず、
月並みだけれども、誰にでも必ず朝は来るし、いやでも年は変わる、年が変わればそれなりに気分も変わったような気になるさ、
それを足がかりにして、良いことが無かった人はがんばれ、

ぼくを応援してくれたすべての人々に大きな幸せを、
足を引っ張った人全員に痛烈な罰を与えてください、神様(笑)

では、来年もよろしくお願いします。


今年最後のしめくくりの歌

アニマルズの中でも好きな曲の中の一曲
めげているときに聴くと力が湧いてくる曲なのだ、

Inside looking out  この題名が当時気に入ったのだ

ヴォーカルのエリック・バードンの歌声を聞いた聴衆の一人が”まるでアニマルのようだ”と言ったことが、バンド名の由来になったとかいう伝説もあるバンド The Animals



2012年12月28日金曜日

忘年会

今日は、仕事納め
で、午後4時から忘年会、

通常、忘年会にはこの字を当てるのだが、望年会と書くのを見たこともある、
忘年会には、年忘れという意味があるのだろう、
その年にはきっと良いことよりも悪しきことが多く、そんな年をさっさと忘れて新しい年を迎えよう、という意味があったのだろう、

望年会には、悪しき年を忘れるのでなく、来たるべき新年を新たな気持ちで望む、という気持ちが込められているような意味があるのだろう、

一時期、ぼくも、望年会という字を当てていた時がある
今、あらためてこの字を眺めると、この望年会を初めて使った、発見した人の得意げな顔が見て取れる、
おれの忘年会は、望年会なんだぜ、ちょっと他のとは違うだろう、小鼻拡げてぴくぴく、、みたいなさ、

その得意げな様子に思い当たるようになって、あまり使わなくなった、

町場のスナックで得意げにマイクを器用にもてあそぶ(マイクを口元から離したり近づけたりして音量を調節しコブシ?をぐるんぐるん回す)ド演歌オヤジの、臭みに似たものを感じ取ったからだ、

普通でいいよね、普通が一番さ

なので、今日は忘年会

まあ、行ってくる 千葉県我孫子市まで(笑)

2012年12月24日月曜日

ライブ




ひさびさのライブ、友だちが経営しているお店でのワンナイトライブ、
いやあ、楽しかった、

ビートルズナンバーだけで18曲、で、前半ステージが終わり、その後はOldiesオールディーズ(英語のカタカナ表記ってほんとヤになる)中心にUnchained Melodyアンチェインドメロディ、ストップザミュージック、朝日のあたる家、と、、

平均年齢61歳のおやじバンドならではの曲とノリ、合間のMCも慣れているのか楽しくて、7時半から10時までの二時間半、楽しくすごせました、

バンドおっかけの女性たちも4人ほど来店し、注文の飲み物や食べ物を運んだり、踊ったり踊ったり踊ったり、、、
DEVILZデビルズ 悪魔たちというバンドだったけど、天使に見えた 笑
普段は4,5人しか入らない店に35人も来店し、みんなノリノリで楽しんでいました、

音楽は聴くものでなく身体に浴びるものだ、というのがぼくの持論、
イヤフォンで聴く音楽と違って久しぶりの身体に浴びる音楽、ジャンルや演奏の上手下手に関係なくステキな音楽でした、
音楽って腕じゃない、ハートでしょ、

はじめ遠慮がちに遠巻きにしていた観客も、デビルズガールがノリノリで踊りまくるので最後は狭い舞台の真ん中まで出て踊り出し、釣られてぼくもうちのも踊りました、、
新宿や渋谷、六本木の踊れる店で昔、よく大汗をかきながら踊っていたので、懐かしかったさ、
リズムに乗ることは大事だけれど、あとは勝手だもね、
ステップもフォームも関係ない、好きに身体を動かして音を浴びればいいのさ、

もっとも、昔のそういう店って、酒が飲み放題か極端に安かったんだよね、女性客は無料だったし、それが一番の理由だったかも 苦笑
しかも渋谷の店なんかは出るときに次回来店時ボトル無料券を必ずくれたりしてね、、


あ、ちなみに写真もぼくが撮りました、
アマチュアの悲しさで、一番右のベースギターが先端まできちんと撮れていない、
ノリで撮ってはいても、基本を外したらダメだなあ、、

んーーー、、、、







2012年12月22日土曜日

眠れない

今日は、昨日はというべきなのか、眠れない夜だった、
前にも書いたことがあるような気がしているのだが、たまに目が冴えて眠れない夜がある、

そんなときは、枕元にうずたかく積んである本をひっくり返しながら、スタンドを目の近くに寄せ、なるべく肩の凝らないバカバカしくものんきな本を探して読むようにしている、

2時頃までは布団の中でそうやってぐずぐずぐだぐだしているのだが、それも過ぎるとこうやって起き出してしまう、今、時間は4時20分、

jo太郎は家人の腕の中で安眠中なので放っておいて、ひとり孤独に別室で寝ているがっちゃんを相手にする、
ぼくの非常食というべき、安価な魚肉ソーセージを棚から取り出し、一本丸ごと食っていると、がつもやって来て欲しそうな顔をするので、口の中でぐちゃぐちゃに噛んでほんの少し分けてあげる、
そうすると、彼も落ち着いて元の寝床にもどっていく、

さーて、何を書くか・・・、俳句だな

甘酒をいただき温む初詣 甘酒を飲んで暖とる初詣 甘酒を呑んで暖とる初詣 酒なので飲むより呑むか、酌むということばもあったな、、

(近くの熊野神社では、初詣の参拝客に甘酒を無料でふるまう、無料だからというわけでもないのだろうが、美味しくない、酒粕に大量の砂糖、、甘すぎて口が痺れそう、でも断ると角が立ちそうなので、少しだけいただくことにしている、そんな状況を思い浮かべ作った句)

明け年の季題を探し初詣 
明け年の季題探して初詣 
明け年の季題はこれだ初詣
明け年の季題求めて初詣


甘茶は季語だけれど甘酒は季語ではなかった、調べたから確かだ、
新年が季語で、初詣とかぶるから、明け年という語をもってきた、
推敲の余地は多いにある俳句だなあ、、


今日は、夕方から友達の店でバンドのライブがある、ワンドリンク付きで3000円、
ドラム、キーボード、サイドギター、リードギターの4人編成、平均年齢61歳のおじさんバンドらしい、
オールディズ中心のポップスバンドで、ビートルズからCCR、アニマルズまで、なんでもこなすらしい、
来てよといわれたので、あいよと応えておいた、
7時半開演で10時頃まで、、
30人も入れば満杯になる小体な店なので、演奏中にタバコをすっていいものかどうか、そっちの心配もある、
昔、六本木のビートルズコピーバンドの店に行ったら、たばこは禁止だといわれて、えっと思ったことがあった、
ビートルズって、後期はともかく、前期のデビュー直後は、酒とたばこの喧噪の中で、わいわいどんちゃんやっていたイメージがあったから、
たしか、ドイツはハンブルグのクラブでぶかぶか演奏していたはず、
いつから、そんなお上品になってしまったの、お嬢ちゃんお坊ちゃんに聴かせる音楽になってしまったの、そんな感想をもった、

まあしかし、ヴォーカルの人に悪いから、たばこは禁止だといわれたら素直に従うつもりではいるけどさ、、、


2012年12月18日火曜日

次郎物語






熊本の中学の担任だった草野先生から、以前在籍していた東京の中学に再転校するときに、クラスでお前に何か贈りたいそうだ何がいい、と言われた、

ぼくが希望したのは、当時新潮文庫から出ていた「次郎物語」全5部だった、

次郎物語の第1部は自分で買い読んでいたのだが、幼年少年時代の次郎が上級に進級し、さらに進学し青年になっていく、その行く末も見てみたいと思っていた、
先生からの申し出を受け止め有り難く頂戴した、

東京へ向かう汽車の中で読み始め、あっという間に読了してしまった「次郎物語」、
当時、熊本から東京へは霧島という準急の汽車が走り、乗車賃は格段に安いものの、片道29時間かかった(祖母の家から東京の家まで、玄関から玄関まで)記憶がある、
なので大概の本は車中にて読めてしまう、、

ここでいつか書いたように、アップルコンピューターから出ている携帯型端末機iPodTouchを最近購入した、
家のWi-Fi機能を使えばネットに接続できるし、ネットにつながるのだから世界は拡がっていく、

自宅のPCとつなぎ、動画や画像、映画、文章を入れ、さまざまなアプリケーションを導入して楽しんでいる、
bReaderというアプリは、ネット上の「青空文庫」から版権の切れた小説をダウンロードし持ち歩き読むことに特化したソフト、

夏目漱石芥川龍之介森鴎外などなどの明治の文豪たちから、石川啄木樋口一葉などなど、出版されて50年以上経ち版権を失った作品が無料で展示され無料でダウンロードすることができる、

作家別索引の「し」のところに、下村湖人があった、
「次郎物語」を全巻ダウンロードすることができた、

今、ぼくのiPodTouchにはさまざまな作家のさまざまな作品が収納されている、
バスを待つ間、料理を注文し出てくるまでの間、地下鉄の中、空いている時間にそれらを取り出し読むことができる、
無駄な時間などありはしない、それが嬉しい、、

次郎物語の主役はもちろん次郎なのだが、次郎の父、母、乳母、兄、弟、父方の祖父祖母、母方の祖父祖母など、次郎をとりまくたくさんの人物が登場する、

初めて読んだときに、ぼくと次郎と、これほど似ている人物がいるのかと不思議に思えたくらいに次郎への感情移入が激しかった、
良い小説というのはそれを読んだ読者すべてに、これは私の話だ、これって俺のこと?、と思わせるのだとか、その伝でいけば、次郎物語も小説として十分成功している、

母から引き離されて乳母の元で育てられた次郎、実家に帰っても、母や兄弟、祖母ともうまく折り合えない次郎、その次郎を暖かく見守る父親、

教育小説の様相を帯びながら、現に、後巻になればなるほど教育的訓導的匂いが漂ってくるのだが、第1部に限っていえば、説教じみてはいない、

少年だから純粋であるとか、清純な精神の持ち主であるだとかの、画一的な薄っぺらい表面的な取り上げ方にアンチテーゼを投げかけるこの「物語」は、出版当時、こんな子どもが現にいるのかと拒絶する意見の方が多かったのだとか、次郎は変質者だね、とする意見まであったとか、、

凡百の少年少女小説と一線も二線も劃すこの小説を、読まれていない方々にお勧めします、、

今回読んで気がついたことも多かった、

ネタバレになるので、書くまいとも思ったのだが、中学時代に読んで記憶していた1シーンの一つ、
臨終間際の母がいう「子どもって、ただ可愛がればいいのね」の台詞は、夫との間で交わされた言葉かと思っていたら、次郎の乳母との間で交わされた言葉だった、

次郎を連れ戻す母と奪われた乳母との間にあった一時のぎくしゃくとした感情が、一方の死を目前に氷解していく、その中での会話だった、

そうだったのか、

しかし、その会話が夫との間でなされたものか乳母との間でなされたものか、そのどちらにしても大きな違いはもたない、作品の質を落としはしない


※青空文庫 
ネットに接続し”青空文庫”で、検索してみてください、作家別索引の”し”の欄に、下村湖人氏があります、その中の次郎物語、、書店に出向かなくてもその場で読めます、ダウンロードすれば、ネットの接続を切ったあとでも、パソコンで読むことができます、
同様の方法で、さまざまな良書を読むことが可能です、、

2012年12月15日土曜日

餅にまつわるあれこれ






先年購入したホームベーカリー、わかりやすく言えばパン焼き器、最近、パンを焼くこともあまりなくなり、使用する機会は餅を搗くことばかりが多い、

餅米を洗い10分程度水に浸し、ざるに上げて水を切ったら、所定の水の量(餅米3合に対し260cc)を加えて器械に入れ、スタートボタンを押すだけ、
蒸して搗いて(こねて、だけど)がすべて自動で一時間弱で餅ができあがる、

搗き上がったばかりの餅を辛み大根のおろしにまぶして食べたり、少し置いてからフライパンで油を敷かないで焼き、七味醤油で味を付け海苔を巻いて食べる通称磯辺巻き風も美味しい、

餅が好きで真夏でも朝から雑煮でかまわない、
食が太いというのか、胃腸が丈夫だというのか、朝から焼き肉OKなので、餅なんかなんでもない、

以前、JR新橋駅の近くにお粥専門店があり、新橋からバスで江東区豊洲まで通っていた頃なので、バスの待ち時間を利用して、その店を利用したことがあった、
中国粥というのだろうか、大鍋にたっぷり沸かせた水気の多い粥に、トッピングでお好みの具を載せるだけのシンプルな品だったが、目覚めたばかりの躯に、口を通して食道を伝わって落ちていくそれはいかにも優しい食べ物のような気がして利用頻度が多かった、、
今思い出せば前の晩に酒を飲み過ぎたときなどに、立ち寄ったことが多かったようだ、

粥は、漱石のような胃弱者には格好の食べ物なのかもしれない、
ぼくのように、焼き肉も粥も餅も同じ、朝から差別なく区別なく当たり前に食する人種にとって、粥だから餅だからと格別に思いを寄せることは、はっきり言って無い、、
焼き肉も旨いし餅ももちろん美味いし、粥だって美味しい、
丈夫な胃腸でよかった、
こういう場合は、丈夫に生んでくれた親に感謝、と書くべきなのだろうか、、

子どもの頃、小学校に上がる前から上がって三年生になったばかりの頃まで、父親の仕事が定まらず職を何度も変わり引っ越しばかりをしていた、
家賃を溜めて夜逃げをしたこともあったのだと思う、家に帰ったら布団も食卓も電球さえもなくて真っ暗ながらんとした中に親だけがぽつんと座っていたこともあった、
小学校だけで6回転校した、

ある年の正月、父親が「今年の正月は寝正月だ」と言う、
寝正月の意味が精確にはわからず、なんとなく寝ているのかなあと想像していたら、一月一日の朝、そのとき一緒に居た父親の二度目の妻と父親は布団の中で二人で寝ているばかりで起きても来なかった、
朝ご飯もない年の初め、元旦の日、寂しかった泣きたかったというのはなくて、とにかくお腹が減って困った記憶しか残っていない、
その年は、雪が降った正月で、外では同じ年頃の子どもがその家の家族らしき大人たちと凧揚げをしていた、綺麗に着物を着せてもらっていた少女の頭に赤いリボンが載っていた、
ぼくは、朝飯も食べていなくてお腹が減っていることがその人たちにばれないように、少女が突いている羽根や、曇天の空に悠々と揚がっている凧を眺めていたように覚えている、、

正月だからご馳走が出たとか、餅が食えたとかの記憶をたどってみると、幼年時代少年時代にはほとんど無いことに気がついた、
東京での生活、そこが破綻すると送られた熊本の祖母の家、東京と熊本を行ったり来たりしていた幼年少年時代だった、
熊本で食えないことは一度もなかった、
祖母は倹約家で日頃の生活も食事もつましかったのだが、野菜や米は豊富にあり、好きなだけ食うことができた、
ほとんどの野菜を自家栽培し、鶏を飼い豚も販売用に飼っていた、
子豚を買って大きく育て、売りに出すのだ、
その豚が売れた時などに、人吉市に出向き、肉を買ったり魚を買ったりしたのだと思う、
饅頭も作ってくれたし、麦芽糖を利用して飴のようなものも祖母が作った、

小遣いをもらった記憶はないのだが、だからといって食に飢えたことはなかった、、
学校に行けば図書館があったし、たまに父親から送られてくるぼくの食費代を祖母から少し分けてもらってバスで人吉まで行き、学校の勉強で使う参考書を買うことが、ぼくの現金利用の主な使い途、存分に食えて好きなだけ勉強ができたのだから、熊本での生活はぼくにとって今思い出しても一番幸せな時代だった、
幸い学校での成績も良かったので、祖母にとっても自慢の孫だったのだろう、
生き仏のように大事に育ててもらった、

東京に戻ると、熊本とは違い気を遣う毎日が続いた、
そのときには、父親の三度目の妻がぼくを迎えた、
その妻と同居していた妻の母親、義理の祖母は、ぼくのことがあまり好きではなかったようだ、

ぼくにとっての三度目の母親となった女性は、大柄な女性で身長が172cmもあった、
父親は162cmしかなく、つまり昔風にいえば蚤の夫婦だった、
そのことを義母はいつも気にしていたようだ、
義母は、ぼくの父親との結婚が三度目、今まで子どもを産んだことがなく、そのことをあからさまでなく陰で義母の大柄な体格にかこつけて卑猥に噂する周囲の声が義母の耳にも届き、悔しくて泣いたこともあったのだとか、

大柄な女だから大味で子どもも産まれないのだろう、
そんな周りの陰口を蹴飛ばしたくて、子どもさえ産まれればどんな男でも良かった、こぶ付きでも良かったのよ、こぶというのはぼくのことなのだが、そんなことを言われたこともあった、
父親には実際にぼくという子どもがいたので、その意味で種はある、たしかに生殖能力がある、そのことが義母が父親を三度目の夫に迎えた大きな利用だったことは否定できない、

義母と義母の母にとって、ぼくが勉強することが好ましいことではなかった、
勉強してもお金が入ってくるわけではないし、むしろ、家の手伝い、風呂を沸かしたり七輪で炭に火をつけたり、夕方の食事の買い物をし、義母が読む芸能週刊誌を買いにいき、金魚の水槽を洗い、トイレで使う新聞紙を切ったり、内職を手伝ったり、そうすることが良い子の条件だったようだ、

学校の勉強に遅れないか、気が気でないぼくを尻目に、終わっても終わっても後から用事を言いつけられた、
義母と義母の母親の家に転がり込んだ形の父親とぼくは、父親は朝仕事に出かけ夜まで帰って来ないのでまだ気が晴れるものの、ぼくは学校から帰ってくれば、必ず手伝いが待っていてずいぶんと働いた、
この家の人に食べさせてもらっているという意識から、文句を言うどころではなかった、

ある日曜日、仕事に出かけたはずの父親が早めに帰宅したことがあった、
父親が目にしたものは、義母とその母親とぼくと三人が、おもちゃの部品を組み立てる内職をちゃぶ台の上でしている光景だった、
それが原因で義母と父親との大喧嘩が始まった、

父親は、ぼくが家で様々な用事を言いつけられ、それが終われば内職を、日曜日は朝からそれを手伝っていることを知らなかったのだ、

子どもをこんなに働かせるとは、
労働基準法違反だっ、
お前が産んだ子どもじゃないからそうやって女中かわりにこきつかっているのか、
父親の怒鳴り声がガラス戸一枚を伝わって近所中に響き渡り、その声に驚いた近所の大人たちや子どもたち、その多くは同じ小学校に通うこどもたちだったのだが、ぼくの家を取り巻いた、
その幾つもの好奇な視線がぼくには堪えられなかった、、

小学校4年生、ぼくが10歳の時に、待望の妹が産まれた、
太陽のように輝く子になれと期待されて陽子と名付けられた妹の面倒をぼくがみることになった、
義母にとって初めての妊娠出産だったせいなのか、陽子が産まれる前つわりがひどく、食事もとれない日も多く、たまに摂れば何度も吐いた、
義母の枕元に置かれた鉄製のボール、そこに嘔吐物が入っているのだが、それをトイレに捨てる役割がぼくに与えられた、
胃液のような唾液まじりの血を薄めたような茶色い液体を、息を止めて持ち上げトイレまで運び捨てるのだが、途中で止めた息が続かなくなり大きく吸ってしまった、
液の臭みが鼻を襲い肺の奥まで侵入してきたかのようで、ぼくも吐いてしまった、

人が弱って寝ているのに人真似をして吐きやがった、バカにしてやがる、
下町育ちの口の荒い義母はそう言ってぼくを殴った、、
殴られながら、涙もでなかった、
あ~あ、早く大人になればなあ、大人になればこの家を出て自分で稼いで自分で食えるんだ、
びしびしと叩かれながら、そんなことを考えていた、

妹が産まれ5ヶ月か半年経った頃、義母の母乳が止まった、
母乳が出るようにと、義母は餅を食するようになった、なぜか、餅を食べると母乳の出が良くなると思われた時代だったのだ、
ぼくがその餅を買いに行くのだが、結局、お裾分けの一つもなかった、
義母と義母の母親とふたり、寝ている妹の顔を見ながら、母乳の出を案じるように餅を食べていた、
ぼくも欲しいと言えば負けたような気になる、そう思って我慢した、、

正月だからといって餅も、普通の朝飯さえも食えなかった幼年少年時代、、、
小学校の朝礼で貧血で倒れたぼく、
学校に呼ばれた義母は保険医から、もう少し栄養のあるものをこの子に、と申し訳なさそうに言われたのだとか、その話を担任の浅川先生から後から聞いた、

あんたのおかげで恥かいたわよ、寝ているぼくを上から見下ろしながら義母が憎らしいものを見る表情を浮かべ言った、、

この母と心が通うまでにはその後、8年かかった






2012年12月9日日曜日

今日は句会

曇天や大鳥の舞ふ枯蓮田  曇天下大鳥舞ひし枯蓮田

鮟鱇は腹に大海治めけり 鮟鱇は腹に大海治めける

訃報あり三通来たり十二月

十二月それにつけても党の多さよ

年惜しむ友ら三名逝きましし



以上の句をもって参加しようと思っている、
二つあるのは、どちらか迷っているから・・、

今年最後の句会、終わったあとは恒例の忘年会をかねての飲み会となるだろう、

パソコンを変えた
今までのXPからWindows7に、ソーテックからDELLに変えたのだ、
前のマシンはもう10年も使ってきた、子どもがその会社に勤めていたのでその縁で購入したもの、
さすがに最近では古くなってしまい、あちこちガタが来ていた、
昨日は届いた新品のパソコンにソフトのインストールをしていた、

スピードが早くなった、ネットも軽快に見ることができる、プリンターも新しくなった、
なんとなく嬉しい、

単純なのだ、、、


2012年12月6日木曜日

12月


訃報あり三通もあり十二月

今月に入り三通の訃報が届いた、
連れ合いの父が亡くなりました、父が亡くなりました、新年のご挨拶は遠慮いたします、
というものだった、
 あれだけの猛暑のあと、涼しさを飛び越えていきなり寒さが厳しくなった感のある今年の冬、
老齢、高齢の方には乗り切ることが難しかったのだろうか、、

従姉妹の父は今年九十三歳だったとか、 通称「立川のおじさん」と称ばれたこのおじさんとは、小学生の頃から何度も会っていたし、従姉妹と同学年ということもあり、小学校の夏休み中、お互いの家に泊まりに行ったりしたこともあった、

同じ歳の従姉妹には二歳年下の妹がいて、夜遅くいつまでも仲良く話している従姉妹とぼくの間を妬み「お姉ちゃんばっかり・・・」と、泣かれたことも今では懐かしい思い出になっている、

立川といっても、実際は少しその先の昭島市だったということも後で知った、
五十年前の昭島は、近くに米軍基地があったせいで白人や黒人の兵隊たちが歩いているのをよく見かける町だった、
日本人が住む団地に設置してあった小さな公園のブランコで、近所の米軍兵舎からやって来たのだろうか、白人の女の子が遊んでいることもあった、
 地元では見かけたことのない黒人たち、金髪をなびかせてブランコを漕ぐ白人の少女たち、立川をはじめその周辺の町々は、ぼくにとって初めての異人種との接触といってもいいものだった、

立川のおじさんが訪れると必ず注文するものがあった、
それは、冬瓜のあんかけ汁、
薄く切った冬瓜を鰹節の出汁でとった薄塩味のあんかけ汁に仕立て、香り付けで醤油を少し垂らしたもので、おじさんは何杯も何杯もお代わりをして飽きるということがなかった、

それを思いだし、 我が家でもそれを作ってもらうことがある、
家人は冬瓜のあんかけ汁を作ったことも、だから食べたこともないというので 、味と作り方を口頭で説明しなんとなく似たようなものを作ってもらうのだが、出来たそれは似たようなものであって、あの時食べた冬瓜の汁とは少し違っているようだ、
 似てはいるものの、そこには思い出という味付けが不足している、

あの時、昭和の中期、ぼくが小学生の時に食べた冬瓜のあんかけ汁は、大人になってしまった今のぼくにとって二度と味わえない、もう決して口にはできない味なのだろう



2012年12月1日土曜日

今日は将棋

俳句の会の先輩にあたる方から、妻が旅行で留守なので我が家で将棋でもどうですか、と誘われた、
この先輩は、ぼくの周りには珍しくお金持ちの方、
一億円を超える(たぶん?)マンションに住み、現在は年金暮らしとはいえ悠々自適の生活、
息子さんも娘さんも北海道で開業医を営んでいるのだとか、子どもの心配もなく、朝昼の散歩と夕方からの晩酌を愉しみにしている方、

奥さんは海外旅行が大好きとかで、この前はモロッコへ行き、今回はカンボジアのアンコールワットを訪ねる旅なのだとか、羨ましいほどの恵まれた生活、

株をはじめ動産をすべて集めたら一億を越えたときもあったらしい、
「やっと一億を越えたね」と、奥さんと会話したこともあったとは本人の弁、
それがいつぞやのリーマンショックで7割を失い、大損をしてしまったと嘆いていた、
7割失ってもまだ何千万円も残っている、、、

同じ句会に所属し、いつもお金で困っているぼくの友人は、7割なくしてもまだ何千万もあるもなあ、羨ましすぎてイヤになるよ、と嘆息、、

明日、ぼくと仲の良い友だち数人で鮟鱇鍋を食べに茨城まで出かける、
鮟鱇だと言ったら、アンコールワットと聞き間違えて、あー妻も同じ場所にでかけるよだって、
いえいえ、こちらは鮟鱇で、あなたのところはアンコールワットでしょうと思わず苦笑い、
旅行の桁が違う、、

茨城は、あの原発事故以来、あちこちに放射性物質の濃度が高いいわゆるホットスポットがある所、高濃度に汚染された排水を東電が海に流したことにより、海底から揚がる鮟鱇にも汚染があるかもよと別の友人が、、
そういえば、しばらくは蟹や海老は食わないとぼくの周囲で話題になった、
津波で流された多くの犠牲者たち、海でどうなったのか想像してみろよ、というのがその言い分、
聞いていて気持ち悪くなった・・・、、

昔、島で暮らしていた数年の間に海で入水自殺を遂げた女性が一人いた、
その時にも、その女性の家族は、しばらく海のものを口にしなかった、
今回、海老や蟹を食わないとする心境は当時の家族と同じなのだろうか、
その心向きが理解できるような気もするし、それって結局は悪しき風評となって、立ち直り、復興の足がかりをなんとか掴もうと必死に生きる努力をしている被害地域の足を引っ張ることになってはいないか、

大きなことはできないけれど、援助らしい援助も義援金の他はしてこなかったけれど、現地に足を向けできるだけ買い物をし名物を食べ、許せる範囲でお金を落としてこようと思っている、

あの時以来、お客が減ってと嘆く旅館の女将や商店の女主人のため息をテレビで見るたびにそう思う、、、

さーて、鮟鱇を食って酒を呑んでくるぞっと。。






2012年11月27日火曜日

雑記

政治的な発言は、それぞれの主義や主張、思いや願いさまざまあり、その一つが一つが体験や立場、置かれている生活環境、それまでの各人の生き方から成り立っているのだと思うと、ここで体験的なそれゆえにまことに私的な心情から、ぼく自身の感想、良いとか悪いとか、どれが正義でどれが悪だなどと発言することは、控えてきた、

どんな主張にも一理はある、

人殺しはいけないだとか、ものを盗んではいけないだとか、ウソは許されないだとか、平凡にして当たり前のコメントも控えてきた、
小学校で習ったことをいまさら確認してみたり、正義漢面して凡庸な発言に終始し共感を得てもなんの精神的な高揚も得ることはない、そこまで自分はエラクもリッパでもない、

人殺しには人殺しの理屈があり盗むには盗むだけの理由があるのだと思っている、

子猫が可愛いだとか、雨に濡れた犬が可哀相だとか、情緒にしたがって心の琴線をふるわせるのなら、せめてその前に昨日の晩に食ったチキンの唐揚げ、鶏にも命があったことを想像すること、
小間切れで売られている豚や牛や魚にも命があったことに思いを馳せること、
他から責められる以前に自己の内部に規範を設けること、
矛盾の決済は自己責任でおこなうこと、
裁くのは他人でなく己の理想や精神世界の規範からだろう、、

可愛いわねと子猫を抱きかかえるその同じ両腕で、霜降り牛肉を食し「とろけるわね」と曰う、
その矛盾をぼくには責めることはできない、その人自身が決済していく問題なのだ、

どこかの誰かが言うであろう同じことを、ぼくがここに書いてもつまらない、
当たり前過ぎて心は揺れない、

会社を作り何人かの社員を迎えてきた、
若い社員の中には、ぼくの会社に規則がないので困りますという意見を述べ立てる人がいた、
規則には罰則があり、遅刻を何回しても何も罰がないのでは遅刻も直らないし、きちんと出勤している社員がバカらしくなる、そういう意見だった、

与えられた規則の中で生きる安易さに気がついてはいないようだ、
規則があるから遅刻をしないだとか、罰せられるから仕事をしようというのでは、その人の中に何も規範がないということになる、

ぼくが作った会社は株式会社だから、登記のときに定款やら設立後に就業規則、安全基準やらを、どこかの会社のをパクリ創作した、
古本屋にいけば「会社の設立の仕方」などという本が数百円で売られている、そこに、小商業のための就業規則、工業従事者のための就業規則の見本が添付されている、

そんな借りものの規則が人間にとって何になる!!

強制された労働ではなく自ら進んで参加する労働、協働作業、
会社で得た生活の安定を基盤に好みの余暇を追求する、歌を歌い山に登り釣りを愉しむ、絵を描いてもいいだろう、小説を創作してもいいだろう、英会話に精出してもかまわない、
自己の能力の開発にもっともっと取り組むべきなのだ、そのためにこそ会社を大事にしよう、会社がなくなれば生活に追われるばかりで子育てさえもままならない、
基盤となる会社は生活の支え、自己の夢や理想の実現のために会社はある、だから会社が大切なのだ、、、

その共通の認識さえ確立されているのなら、少々の遅刻や飲み過ぎてしまった後の酒臭い息を見逃してもよい、そんな小さなところになんら問題はないのだよ、関口くん、、

何人かその意味を理解してくれた社員もいた、が、多くは理解もできず共感も得ないまま去っていった、
設立時から社会保険制度に加入し、厚生年金があり健康保険や失業保険も完備し、毎月わずかではあるが退職金も積み立てている会社、土日祭日は基本的に休日の会社、資金も貯蓄も乏しい零細企業にとって、その制度がどれほど負担になっているのか、思いに至る社員は僅かだった、、

無知ゆえなのかか、想像力が欠如しているためなのか、おそらくそのどちらもなのだろう、

ぼくが作った会社はぼくの理想の会社、ある意味「夢」のような会社なのだ、

設立して20数年、相変わらず貧乏な会社ではあるけれど、その夢を捨ててはいない自分を今でも発見するとき、自分で自分を誉めてやりたい、
このクソのような金社会の中でよく理想を持ち続けてきたよねと、うわべだけでも泰然とした姿勢を持ち続けてきたよねと、、、

ちくしょう、誰も言ってはくれないぜ(笑)








2012年11月23日金曜日

浅草

今日は吟行の日、6人集まり浅草まで、小雨ふる中、行ってきました、

この前の吟行が去年の10月だったので、一年以上ぶり、
何度も行ったことがある浅草だけれど、俳句を作るという目的を持って眺めるとまた違った景色が、、
浅草で五句詠み、それをもって地元に帰り、いつもの居酒屋で披講の会、


浅草の寒を蹴飛ばす人力車


上の句で、5点いただいた、つまり今日の参加者全員から点をいただいたということ、

浅草の寒さ蹴飛ばす人力車 

寒さを推敲し上の句に直した、寒さだと優しくて人力車の力強さが伝わらないと思ったから、今回は推敲が実を結んだようだ、と自画自賛、、、

雨なので現地では自由行動、仲のいい一人を誘い二人で昼飯の代わりに昼から開いている居酒屋に入りこみ、ハイボール2杯、、そのあと喫茶店で珈琲をのみながら句作、、
一日で5句作るとなるとそれなりに頑張らないと今の自分では出来やしない、

浅草に行くといつも立ち寄る店々がある、
伝宝院通りにある佃煮屋で、葉唐辛子、山椒、きゃらぶきを買い求めた、
薬研堀で唐辛子、大辛2袋、中辛1袋、山椒をつよくしたもの1袋を買った、
雷門近くで和紙一枚、表紙のとれた歳時記用に手に入れた、




馬の毛を使った歯ブラシも買った、一本300円を3本買った、
歯を磨くというより歯茎のマッサージ用のもの、歯を磨いたあとこれを使ってマッサージをすると気持ちがいい、、

いろいろ買ったけれどそんなに高い買い物ではない、一つ一つが皆何百円のもの、和紙は一枚170円だった、
安価なものでも気に入ったものを手にいれれば心が豊かになれる、それが浅草で買い物をする理由の一つ、
唐辛子なんかはスーパーでいくらも売っている、それをわざわざ薬研堀で買うところに味のようなものがあると思っている、店に居る間ずっと唐辛子を買い求める客足が途切れることはなかった、

浅草も仲見世をぬけ、少し裏に入るとまるで別の区域、お客の足も途絶え、祭日だというのに閉めたままの店が多い、場所が悪いのか、魅力ある店が少ないのか、どちらかかもしれないし両方なのかもしれない、
そこまでは日本人も外国人も足を運ばないようだ、、



2012年11月17日土曜日

おだやかな土曜日の朝は雨模様

この2,3日、ばたばたしていた、
私用ではなく業務で、、

仕事をいただいている電力関係の団体から見積依頼が届いたのは3週間前、
我が社にということで特命見積もあるのだが、最近では、競争見積がほとんど、
見積金額が安価な会社に仕事が落ちるようになってきた(建前上は)、、

我が社をふくめ、毎回おなじみの3社が見積に参加するのだが、今回はそのうちの1社が事情により参加できず、3社いないと競争にならないと判断した団体契約セクションの担当者が、どこからか会社を探してきて見積に参加させた、

誰にでもできるわけではない難しく面倒な仕事、
いきなり見積に参加してきてもそれは無理、というものなのだが、3社一斉に金額を提示し、新たに参加した人材派遣会社のA社が落札してしまった、

内容は2件、300万と600万なのだが、件名ごとに2通の見積を作成し提出、そのあと団体から連絡があり一本にしてくれと、
期限は3日後に迫ったその日のうちに、ばたばたと新たに900万の見積を作り直し、再提出、

なんと新たに参加した経験と実績のない会社が500万という金額を提示したのだとか、、
驚愕の値段!!

知らないということは怖ろしい、
我が社の最低単価でさえ一日2万2千円、なのに人材派遣会社というのは時間給で計算するらしく、一時間1500円、×8時間で 一日1万2千円の単価構成だったとか、

慌てたのは、実際に担当する団体の研究者たち、
当然、我が社が落とし、これまで通りに実験、解析を進めていく予定だったのが、どこの誰ともわからない全く仕事をしたことがない力量も経験もわからない派遣会社が落としたときいて大騒ぎさ、、

木曜日金曜日にかけて、団体の中の研究グループと契約セクションの間で、上司を巻き込んでのバトル発生、
研究をなんだと思っている、できないとわかっている会社に値段が安いからといって安直に仕事を出して実験が滞ったらどうするんだ、というのが研究者側の言い分、

3社に公平に見積条件を明示し、その中の一番安価な会社に仕事を依頼するのは競争見積の基本、というのが契約セクション側の言い分、、

結局、昨日金曜日、一本にした900万を再度2件に分け、300と600での見積書の再提出、
なんのことはない、3週間前の元にもどったというわけ、

木曜日は夜の9時まで、メールでのやり取り、昨日金曜日は夜7時まで、これまたメールでの文書のやりとり、
作った見積に捺印し、スキャナーで読み込ませ電子ファイル化し相手に送付、相手からのメール、日付は今日の日付に修正してくださいと、、また日付を直し再度スキャナーにかけ、メールにて再送付、相手から、中間納期は12月21日になっていますが、1月21日の間違いなのではとメール、いえ、仕様書には1月21日となっていますが、相手、小考し、少しお待ちくださいと、、待っているとまたメール、12月21日でかまいません、だと、、だから言ったじゃないか (怒

はあ~~~、、疲れる~~、、

今日は、午前中に小学生に将棋を教え、午後から大人の将棋の会、
夕方から、ベトナム旅行をし帰ってきた友人の店に寄り、みやげを貰いながらベトナム話をきく、

話は違うのだが、最近手に入れたAPPLEのiPodTouch、動画と音楽を大量に仕込みいつも持ち歩いている、
ジミヘン、ジャニスの定番から、岡林、エンケン、清志郎、スキャンダル、山崎ハコ、立川談志、志ん朝、エロビデオ、、、







2012年11月16日金曜日

叱咤

自宅から最寄り駅に向かう途中に登りの坂がある、
距離にしておおよそ60m、大した坂ではないのだが、自転車で上るとなると、
押して歩く人の数の方が多い、

若い男性なら立ちこぎをし、身体を左右に揺らしながら必死になって上っていく、
少しお年を召された方々は例外なく自転車を降り、押していく、

その坂を、年の頃30歳前後の母親と、その娘と思わしき小学生の女子と、それぞれ自転車に乗って上っていこうとする光景に出会った、

母親は若いだけに力強い、坂にもめげずぐいぐいと上っていく、
小学生の娘の方は、車輪の直径が小さいこともあり、漕いでも漕いでもなかなか上がっていかない、
ついに坂の途中で倒れそうになり、身体をかばおうとして自転車を降りてしまった、

それを見た母親が子どもを叱咤した、

「しっかりしないさいよ、何やってるのよ」



母ちゃん、そりゃねーべ、母ちゃんの乗ってる自転車は電動式だもの、、

2012年11月14日水曜日

鮟鱇鍋

出張で知った茨城県にある居酒屋、お酒の種類や料理が口にも舌にも合い、出張に行くたびに寄らせてもらっている、

茨城県潮来といえば、今から数十年前、歌にもなり一大ブームを迎えたのだとか、
潮来、水郷、花嫁、、そんなキーワードで観光客も溢れるばかり、
歌や舞台にもなった地方都市なのだが、今はそのようなことはない・・、

シャッター街というわけでもないのだが、そもそもお店にシャッターを用いていないし、夜7時になれば歩く人もまばら、駅前だけ明るい、

通っている居酒屋は割烹と名乗っている、
十四代という山形の酒があり、十四代の本醸造、純米、酒を仕込む米の種類によっていろいろあるのだが、コクといい旨味といい香り、味、すべてが好きな日本酒の一本、

なんにしますか、初めて店の玄関を開けたときにいわれ、右手にあるガラス張りの酒をしまってある冷蔵庫を見た瞬間、十四代の銘柄が目に入った、
えっっ、十四代がある、、、
酒好きな日本人なら誰でも名前を知っているその銘柄を、今、地元の居酒屋で見ることはない、
手に入らないのだ、、

本格的な地酒に共通の、宿命ともいうべき生産量の少なさ、大きな蔵をもたない地方の造り酒屋にとって仕込みの量は年間三千本がいいところ、
大手という名のニセモノの酒を工場で作っているさまざまなメーカーとの違いがそこにもある、
語りたいことはいろいろあるのだが、大手メーカーがいかに混ぜ物をし、日本酒ではなく日本酒もどきの色つき香り付き味付きアルコホルを売ってきたし、今でも売っているのか、、
話は戦前にまでさかのぼるので長くなる、なので止める、


風呂上がり、足早にホテルを出て徒歩3分の場所にある店の暖簾をくぐる、
その日のお通しで生ビールを流しこみ、いよいよ本格的にはじめる、
金目鯛の煮付けを食い、鰹の刺身を大蒜と生姜両方で食い、十四代を飲む、飲む、飲む、
それだけ飲んで食らって五千円もしない、そんな店、
鹿島が近いせいもあって、以前、ジーコやアルシンド(懐かしいなあ~)も来たのだとか、
サッカー好きなぼくにとって、ジーコが座った席で飲ませてもらえるなんて夢のよう、、

その店で12月に鮟鱇鍋を食うことにした、
以前、新潟の柏崎に行き、日本海の夕陽を見るドライブ旅行にも参加したいつものメンバー、
通っている地元スナックのママとそのお客の女性、そしてぼくの俳句仲間でもあり将棋仲間でもある友人と計4人、

ちょこちょこっと鮟鱇を食ったことはあるのだが、一匹まるまるを食ったことはない、
俗にいう鮟鱇の七つ道具、身はもちろん、肝や胃、皮などなどをそっくり食うのだ、
鍋と、いくつか料理を用意しておきましょうという店主の言葉に、今から胸をときめかせている、



2012年11月9日金曜日

なんだか忙しい

なので、ここに書くこともあまりしていない、

現場に出れば年齢は問わずの、一人工
体力がなくなっただとか、すぐ疲れるだとかの言い訳は許されないのだなあ、

白血球の数は相変わらず少ないのだが、体調は普通、元気なのだ、
死ぬまで、いつ死ぬのかわからないのだが、動ける間は働くことに決めている、

昔、読んだプロレタリア小説にこういう一節があった、

登場人物の一人に、線路工夫をしている在日朝鮮人がいたのだが、
当時の日本の戦争推進政策に反対し、集会に参加したり反戦ビラをまく毎日、
治安維持法という悪法がまかり通った時代、天皇制に対しての批判や戦争批判をすれば
死刑にもなった時代での反戦活動、
文字通りの命がけの活動だった、

仲間の工夫の一人が彼に問う
「で、お前の言うとおり、革命が起きたとして、お前は何になるんだ」
「俺か、俺は、線路工夫をするんだ」

オバマ大統領が再選し、中国の指導部が替わるのだとか、
アメリカは別として、少なくとも社会主義を標榜する中国で、共産党幹部の子弟が優遇されたり、
地方での共産党幹部の富の蓄財やら賄賂の横行、汚職事件の多発をみると、社会主義とは名ばかり、
相変わらずの部族国家、明や清の時代と変わらない体質をいまだに保持しているようだ、

8時間労働制、子どもの就業禁止、女性の参政権、労働権争議権の確保、なによりも徹底した民主主義を目指した初期の社会主義の理論や方向とは全く無縁としかいいようがない、、

革命をして金儲けができるとは、皇帝を放逐し共産党がその位置に着いただけのこと、
こんなの、革命でも、社会主義でもまして共産主義でもない、

革命理論の低さは、清廉高潔という概念からはるかに遠く離れ、新たな金の亡者どもを生み出しただけなのだ、、、




2012年10月29日月曜日

明日から出張

場所は同じところ、茨城県潮来の近く、明日往き金曜日に帰ってくる、
この時期は忙しい、この時期に忙しくないとご飯が食べられなくなる、

携わるほとんどの仕事が国をはじめ公共団体からの依頼なので、予算の執行がお盆過ぎから3月にかけて本格的になる、
4月5月6月にはあまり仕事はない、

予算を残すと見積の甘さを上司から指摘されたり、使わないのであればそんなに要らないのだねと次年度に減額されたりするので、予算額いっぱいなんとか使い切ってしまおうとする態度が見え見えなのだ、
もっとも、だからこそ、うちみたいな会社でも食っていける、

以前一回だけのことだが、仕事もなにもしないのに、お金だけ頂戴したことがある、
あるゼネコンの技術研究員に、「(予算を)残すと上司から叱責され、研究員としての評価も下がりかねないので、申し訳ないけど貰ってくれる?」と、頼まれたのだ、
喜んでいただいた、、
ただし、繰り返すけれど、一回こっきりのこと、その後はない、、

泊まる宿は素泊まりで4000円、一万円の宿泊代が支給されるので毎日6000円残ることになる、
この6000円で、出張中の朝昼晩の食事をとることになる、
上手に使えばかなり残る、
残ったお金で酒を飲む人もいれば家族にみやげを買う人もいるだろう、
どう使うのかはその人次第、
最近の流行は、仕事が終わる夕方、全員で大型スーパーに買い出しに行くこと、
めいめい好きなものを買い、宿に帰り自室で食べたり飲んだり、、
気が向けば一同そろって外に行き、居酒屋で呑むこともあるのだが、最近は滅多にしなくなったなあ、、

ぼくのことでいえば、登山用のガスバーナーやキャンプ道具をもちこみ、簡単な自炊生活をする、
調味料なども、岩塩、七味、一味、胡椒、醤油などを用意していく、
鮪や烏賊の刺身などの生ものも宿に持ち帰るし、冷や奴に醤油をかけ、うどんには七味、ラーメンには胡椒と、スパイスの力を借りて愉しんでいる、
珈琲もドリップ式の珈琲を買い、朝晩のむ、

優雅とはいえないまでも、いっときの独身生活を楽しく過ごすための知恵なのだ、
不足する野菜は野菜ジュースで補い、食パンにポテトサラダ、ハム、チーズを載せたりして3日か4日の食生活をおえる、

出張に行くと、食事が、食うことが喜びの大きな部分を占めることになる、
好きな本や読みたい本、聴きたい音楽をすべてもっていけるわけではない、
それらとはしばらく遠ざかってしまう、それが難点、、

2012年10月26日金曜日

訃報

島で知り合い、共に島での生活をおくった友人でもあり同志でもあった女性が亡くなったと連絡をもらった、
彼女は兵庫県からの移住、ぼくは東京からの移住だった、
兵庫県時代は看護婦をしていたとか、知り合った当時ぼくは25歳、彼女は21歳だった、
若くて美貌にも恵まれた女性だった、
ぶっきらぼうで、さっぱりとした性格、女の変な色気をふりまかない女性だった、

心臓を悪くし、最近では呼吸も苦しく、家事もできずほとんど寝たきりの状態だったとか、
享年58歳だった、

そんな彼女を、ただ一度、泣かせたことがある、

事情があり島を出ることになった彼女なのだが、離島する数日前に、ぼくの自宅に彼女を招待しささやかな別れの宴をもった、
その時にかけたレコードが、山崎ハコさんの「ヨコハマ」だった、

♪あの日からこの町に居ようと決めたよ~♪
♪この町が好きだから~、離れはしないよ~♪

歌詞が流れた瞬間、彼女が泣き出した、
号泣に近い泣き方だった、
曲が終わりレコードの針が元にもどっても、流した涙そのままにぬぐおうともしない彼女、
彼女の涙を初めてみた、

本当は島に居たい、残ってまだまだやりたいことがある、そんな彼女の心情が痛いほど伝わってきた、

最後の最後に泣かされちゃったね・・、ぽつりと一言、
そうして彼女は島から出ていった、、

結婚し二人の男子を産み、今は小田原に暮らしていた彼女、

島で知り合い行動を共にしたみんな今はどうしているだろう、同窓会をしたいね、数年前そんな企画を持ちその打ち合わせのために新宿南口の居酒屋で数人が集まり酒を飲んだ、
それが彼女と口をきく最後になってしまった、
30年ぶりに会う彼女は若い時の美貌を失うことなく綺麗に歳を取っていた、

58歳でこの世を去るなんて、早いよ、早すぎるよ、、、




智子さん、心からのお別れを申し上げます

2012年10月22日月曜日

一泊旅行

群馬県の水上温泉まで車で出かけた、

ネットで調べ好さそうな旅館をみつけ予約、家人の姉夫婦と計4人での旅行、
70歳67歳65歳62歳と、高齢者ばかりのドライブ旅行、車を運転できるのはぼくだけ、
東京から水上温泉までは150km、片道約2時間と比較的近距離なのだが、単独運転はやはり疲れる、
なにかあっても運転が替わってもらえないというプレッシャーもあるし、、

高速入り口でいきなりの警察による止まれの指示、
きけば後部座席の二人がシートベルトをしていないことが違反なのだとか、
法令が変わったのは知っていたが、なにも今日ここで捕まえることはないじゃないか (怒
見れば、ぼくの車の前に2台、捕まったと思われる車輌が停まっている、
続々と高速の入り口に入ってくる全車両を見張っているようだ、

反則金無しの違反点数1点、せっかくの旅行の足元を掬われた、

旅行そのものは、幸い好天に恵まれ泊まった宿の食事にも大満足、源泉だという温泉もややぬるめとはいえ、気持ち良く入ることができた、
露天風呂だったので少し湯上がりが肌寒いのはこの時期だから仕方ない、

日曜日出発で一泊、平日の月曜日帰宅という旅程は、高齢者ならではの日程、
現役ばりばり勤労者には考えられないことだろう、
数百人を収容できるかと思われる大きな宿は、月曜の朝だというのに圧倒的に高齢者の姿が多い、
エレベーターに乗れば老人の集団、風呂場でも食事の席でも見えるのはじじとばばの姿ばかり、
100人の中に数人の若い女性たちの姿、誇張ではなくそうした光景が目の前に広がっていた、
そういう自分だって、高齢、ひとのことは言えないけどさ、


明日からまた出張、準備、実験、準備、実験、そんな生活が数日、
火水と泊まり木曜の夜に帰宅の予定、

次の日の金曜日には飲み会に誘われている、
ただ飲むためだけに千葉の柏まで、本音は自宅でゆっくりしていたいのだがしばらく会っていない知人も参加するというので、それならばとでかけるつもり、

この飲み会ではぼくが最長老、温和しく静かに飲む若者たちにハッパをかけ、酒池肉林阿鼻叫喚空前絶後高歌放吟を意図し、ひとり騒ぐのだ、
称して「昭和」の飲み会、
ケンカありグチあり、泣き出すもの、寝込むもの、醜態をさらすものなどなど、バカな飲み方ではあったが、それはそれで活気があった、

静かに冷静に今後の仕事の動向と景気の予想を語る飲み会・・、好きでないし、だいいち悪酔いしそう、



2012年10月19日金曜日

帰宅

今帰ってきた、

帰ってきたと入力したら、帰ってきた若大将かと、漢字入力の先読み、
んなことはないだろうと、一人でつっこみ、読点を打って完了、

出張中、一緒に働いた人に年齢を聞いたら、ちょうど、だと、
ちょうどというので、50歳かと思ったら60歳だった、
ぼくよりも年下の彼だけど、二人の年齢を合計すれば100歳を遙かに超えている、

シルバー部隊だ、
シルバーだもの、仕事を早くできるわけもないし、仕事だってたまには間違えるよねと、二人で笑い合った、
彼とは20数年来の知り合い、
飲んだ帰りに泊まっていけというので遠慮なく泊まらせてもらったら、夜中に奥さんとセックスを始めた彼だった、
ぼくが寝ていると思ったのだろう、
奥さんの声だけが深夜にやけに響いたのを覚えている、

その話をしたら、ちょうどその時なら生まれたのは長男だろうなあとは彼の弁、
長男はもうすぐ30歳になるのだとか、よかった、計算は合う(笑)

来週も忙しい、
11月半ばまでは忙しい、
シルバー部隊の活躍はまだまだ続くのだ、、、




歌は「野バラ」 シューベルト氏作曲でなく、ウェルナー氏作曲のほう、
出張先の工場でたまに流される音楽なのだ、
無人自動搬送機が設置されている工場で、その搬送機がレールの上を走行するときに必ず流される、、
走行中、と注意をうながす音楽なのだ、






2012年10月15日月曜日

今から出発

また出張へ、
時刻は05:47 自衛隊風にいえば、マルゴーヨンナナ (知らないけど・・)、

茨城県潮来市の近くの工場まで、
常磐道を下り、現地に向かう途中、蓮池があったりする国道をずっと海に向かって東進する、
ちなみに茨城県は蓮根の産地で生産量は日本一だと、思った・・、

めだつものといえば、休耕地や空き地に育つセイタカアワダチソウ、通称ブタクサの群れ、

外来植物で雑草、生命力の強い繁殖力旺盛な植物で、茨城県の空いている土地ほとんどを占めているかのようだ、
セイタカというのは背が高いということだろう、2mを越えて繁茂している群生もよくみかける、
この土地を借りても野菜が育つまでには限りないブタクサとの闘いが待っているのだろうなあ、と、借りもしない前から夢想している、

さーて、コーヒーが落ちたようだ、次の帰りは木曜日、
行ってくる





2012年10月13日土曜日

帰宅




今聴いている歌、椎名林檎さん、歌がうまいとか下手だとか、そんな域を超えているのはたしか、、
好きなように歌わせてよ、私はいつだって好きなように歌っている、
そんな声がきこえてきそうな、この歌、

長谷川きよしさんの、声質がとても好き、なのだ



今週火曜日からの出張が今日終わり、今帰宅、

明日は10月の句会、明後日の月曜日から木曜日までまた出張、
なにかと忙しい、

来週の土曜日は将棋の会、日曜日は子どもたちに教える将棋の会、
なにかと忙しい、、

考えてみたら、休んでいる時がない、
嬉しいことだ、
まだ使い道があるこの肉体、忙しいということは求められているからだろう、
求められることもなく求めることもなくなれば、時を持て余す、

ぼくが働く業界はお盆過ぎからが忙しい、
これから年末、二月三月までが稼ぎ時なのだ、
忙しいだけでなく、稼がなくては、、、


兼題は「花野」

にわか雨花野飛び出す隠れ鬼

愚考せり塩辛とんぼは塩つぱいか

苦瓜の苦きや人の世の苦さ

蓑虫や糸一本に釈迦の慈悲



思いがけない入金があったので、またカメラを買った、
まだ届かないが、アップルのiPodTouch第五世代も購入した、


カメラはSONY DSC-RX100




有効約2020万画素 1.0型センサーとF1.8レンズを小型ボディに搭載

大口径カールツァイス「バリオ・ゾナーT*」レンズ

広角28mmから中望遠100mmまでをカバーする のだそうだ

NikonD200 オリンパスC5050 と これ、好きなカメラが3台になった、




2012年10月9日火曜日

今月の句会


今更ながら、もう秋、しかも晩秋、今月は秋の最後の月、、、



先月の兼題は「花野」

雨兆し子どもら逃げる花野中

雨降れば花野逃げ去る隠れ鬼
雨降りて(?)花野逃げ行く隠れ鬼

↑文語の活用がいまいちわからない


ちょっと遊んでみた、俳諧の世界は遊びもあるという、、

愚考せり塩辛とんぼは塩っぱいか




今日から出張、帰りは金曜日の夜、来週も出張、
また少し仕事が貰えた、

2012年10月5日金曜日

放射線被ばく早見図

というタイトルのパンフレット(ちらし?)が、通っている大学病院の廊下に置いてあった、
核医学なんたらという実験室だか処置室の前の廊下に、、家に持って帰り、ようく見た、

独立行政法人「放射線医学総合研究所」というところが責任編集出版しているもので、治療上仕方なく被ばくしてしまうその量と、自然界における宇宙線やら大地からの被ばくの量とがまとめて記述されていてわかりやすい、

最近の流行りなのかビジュアル的な表現が主で、文書的な記述は少ない、

東京電力の原発事故以来、新聞をにぎわしている単位、mSv と書きミリシーベルト
その上に、Gy グレイという単位があり 1Gyは1000ミリシーベルトに相当する、

つまり 1Gy=1000mSv


胸のX線集団検診一回 0.01mSv~0.1mSv以下の被ばく

胃のX線集団検診一回 1mSv~10mSv以下の被ばく

自然放射線一年間   2.4mSv 

宇宙から         0.4mSv
大地から         0.5mSv
食物から         0.3mSv

イラン/ラムサール大地からの自然放射線 100mSv以上の被ばく


そして、癌治療は10Gy つまり 10000mSv 以上の被ばく、

200mSvあたりが、危険かどうかの数値の目安になっていると思うのだが、放射線による癌治療をおこなっている患者は、その50倍もの強力な放射線を照射されている、
白血球の減少や脱毛現象をともなうこの治療行為は、いかにも西洋医学の最大の成果、

癌もぶっ叩くかわりに、正常な本人の細胞も叩いて破壊してしまう、
癌が死ぬのか、本人が死ぬのか、まさに、生か死かのデッドヒートを争う、

ぼくが罹った病気、悪性リンパ腫には、抗癌剤治療、放射線治療、骨髄治療などなどが予定されていた、一番最初の抗癌剤治療が効いたため、他の治療は行われなかったのだが、それが幸いしたと思っている、

8月15日に亡くなった彼女は、肝臓に転移した癌を抗癌剤と放射線と両方で治療を行ったときいている、
もう無理、治療はせんどこ(しないようにしよう)、メールで送られてきた彼女の弱音と、面会時に見かけたやつれた頬、それは癌治療の肉体に与える負の厳しさを物語っていた、

10000mSvもの被ばくを生体に与えて、副作用が無いはずがない、
毎年毎年、日本だけで20数万人以上の人間が癌のために命を落としている、
今日も、苦しい副作用に耐えて強大な放射線を浴びている患者がいる、





2012年10月2日火曜日

ガリウムシンチ


核医学検査の一つで、悪性腫瘍の診断や炎症性病変の診断に用いられます。
クエン酸ガリウムを静脈注射し、投与後48~72時間後にガンマカメラ(シンチカメラ)と呼ばれる特別なカメラで撮影し、その分布を画像にします。 クエン酸ガリウムは、腫瘍や炎症に集まる性質があります。 その性質を利用して、腫瘍や炎症が、どの部位にあり、どの程度進行しているかを調べることができます。
X線検査やCT検査などは主に臓器の形の異常をとらえるのに対して、核医学検査は臓器の働き(機能)をとらえることができます。 注射されたガリウムは、投与後24時間以内では腎臓や腸管から排泄され、その後は肝臓が主な排泄経路となります。 48時間から72時間では、肝臓、骨、脾臓で高い集積を示します。

・臨床的意義

腫瘍診断悪性リンパ腫、乳がん、肺がん、悪性黒色腫、甲状腺未分化がん、頭頚部腫瘍などの悪性腫瘍組織に有用です。
炎症診断結核、間質性肺炎、サルコイドーシス、肺炎、関節炎などの炎症性病変に有用です。



なのだとか、

昨日ガリウムの注射をし、明日がその撮影の日、今晩の食後には下剤をのむ、
下剤をのんでもダメな時用に浣腸剤まで出された、毎日きちんと出る方なので必要ないのだが、、

浣腸は生涯にたった一度、まだ小学校に上がる前、したことがあった、
自分本人は気がつかなかったのだが、母親の目から見て排便の数が少ないと異常を感じたのだろう、
朝、いきなりの浣腸だった、
幼い子どもとはいえ、母親の前に尻を出す行為に恥ずかしさを覚えたことを記憶している、

病院から出された浣腸剤は量としては60cc、トイレなどで自分で処置を施すのだとか、
他人や家族の前に尻をさらけ出すことはなさそうだ、







2012年9月28日金曜日

新米

今年も新米が新潟から届いた、
そろそろ届く頃だと思ってはいたのだけれど、家の米の在庫が無くなりそうだったので、昨日、米を買ったばかりだった、
届く頃なので、5kgと、普段より少なめに買ったのだが、やはり、買った直後に届いた、

こういうことが、毎年よく起きる、、

家人の実家も農業を営んでいるので、そちらからも新米が30kg届く、
家で買ったばかりの10kg、新潟から届いたばかりの30kg、そして山形からの30kgと、合計70kgもの米が玄関口に山積みになることもある、
嬉しい悲鳴とは、こういうことをいうのだろうと、家人とその光景を見ながら喜んでいる、

送ってくださいと請求するわけではないので、いつ届くのかわからない、
たぶん、もしかしたら、今週あたり米が届くはずなのだがと思いながら、つい心配になり買ってしまうのだ、

新潟県の南魚沼郡産コシヒカリ、、
スーパーで求めるあきたこまちも美味しい米ではあるけれど、口に合ったコシヒカリ、まして新米ともなれば、新潟に少し分があるようだ、、

さて、そのお礼の電話、
届きました、ありがとう、ではお元気でと、済みそうなのだが、そう簡単にはいかない、

時候の挨拶やら近況を伝えることなど、10分か15分は電話の受話器を通じてしゃべらなくてはならない、
じつは、これがけっこう苦手・・、

どう身体は大丈夫、みんな元気?
と、問われ、はい皆元気です、変わりありませんと、繕っていえばよいものを、ついつい、少し体調を崩してとか、子どもが職を替わってとか、伝えなくてもいいことと思いながら、正直に言ってしまう、

あらどうしたの、治った?なんで会社を替えたのよと、そこからまた会話が続き、結局最後はいつも通りに、お大事にね、みなさんによろしくで、電話が切れる、

田舎の人は、送った米が届いたかどうか、すぐにでも結果を知りたがり、何日も間をおくと、向こうから「米を送ったのけど、届いたかなあ」と、電話がくる、
電話が億劫なので放っておいたと、告げることもできないので、出張で居なかったとか、なんとか、相手を傷つけない程度のウソをつくことになる、

ウソをついてはいけないと、何十年も前に小学校の先生から教わったのだが、いまだに、ウソをついて生きている、、

もっとも、昔の彼女が、温かいウソと冷たいホントがあるのよ、とのたまわっておられた、
うどんや蕎麦にも、温かいのと冷たいのがあるように、ウソにも、温度差があるようだ、、

いいのか、こんなシメで・・、、




2012年9月23日日曜日

三日連続の点滴

今日も、点滴だよ、
点滴の他に飲み薬だべ、まったく薬漬けの毎日だな、
おかげで、何の薬の副作用なんだか、顔が膨れてきてしまい、人相が変わっちまった、
特に、目の周りが盛り上がってきて、目だけ見ると別人だよ、

喉の痛みや、舌の下の腫れはいくらか和らいできたから、なんとか薬の効果を信じてこのまま薬漬け生活に続行のGO指令を出そうと思うのだが、
ただでさえ小さくない顔なのに、これ以上、膨らませてどうするんだよ、ったく、、

今朝は、早朝から髪切り、おかげですっきりした、、

理容学校へも行っていない、実技も何も教わったことはない、全くの独学の家人の髪切り技、調髪というのか、相変わらずスゴイなあ、
一枚刃の日本カミソリで、うなじやら、もみあげ、顔まわりのひげそりもしてもらうのだが、過去に一回も顔を切ったことはない、
一枚刃がこわくて、いつもT字型カミソリしか使っていないぼくにとっては名人の技を見ているようだ、




五月天 と書いて MayDayと読むらしい 発音を気にしなければ メイデー でいいのだろう

台湾のロックバンドだというのだが、ロックというよりも、日本のスピッツに似た音色で癒される、
台湾語、北京語?なので、歌詞の意味はまったくわからないのだが、甘くもせつない青春の一頁、好きなフレーズだなあ、これ、を切り抜いて歌にしたような歌、
これから、出てくるバンドだと思う、

まあ、聴いて、

裏話で、スピッツが初期の頃には、実はパンクロック志望のバンドだったことはあまり知られていない、パンクロックを演ろうと思っていたら、ちょうど同じ頃、ブルーハーツというバンドが存在し、どうみてもあちらの方がパンクだ、ならおれたちの音楽って何なんだと、
急遽、路線を変更し、あのみんなが知っているスピッツの音楽ができあがった、
変更して正解だと思うよ、ぼくは、、

じゃなければ、数々のスピッツの名曲を聴くことができなかったかもしれないのだからね、

2012年9月20日木曜日

体調悪し

先週来、口の中があちこち痛み、舌の下、なんというのか、舌の裏側を見るときに鏡に映すところが、めちゃくちゃ腫れ上がり、滑舌も悪くなるほどだった、

舌が二枚できて、そのうちの一枚が口から飛び出そうな大きさに・・、は大げさか、、

今までそんな場所が腫れたことはなかったので、こわごわ病院へ行くと、いきなりの点滴、CTスキャン、
もしも化膿していたら化膿の部位がどこまで進行しているのか確かめるためのCTだったらしい、
幸い、化膿はしていなかったのだが、医師からは入院しての点滴を勧められた、
仕事があり今週は休めないと伝えると、

おどかすわけではないけれど、化膿すると全身麻酔で喉を切開し膿をひきだす大手術になりますよ、と、、

全身麻酔かよっ、

抗生物質をのんで、副作用をやわらげるための整腸剤ものんで、なんだかんだで6種類、一日三回三食後、8錠の薬をのんでいる、
それも明日で終わり、明日は朝9時からの問診が待っている、
8時前には家をでることになるだろう、

こうやって書きながらも、口の中の違和感が取れない、
今まで気がつかなかったけれど、舌で発音というか発声をしているんだね、
舌が腫れて動きが悪くなった途端に話が伝わりにくくなった、
一つ一つの文字の発音が不明瞭なため、相手にとって聞き取りにくいのだ、

生きるのか死ぬのかとなれば、死にはしないのだろうが、不便極まりない、

腫れがまだひいていないので、また7日分、薬が出るのだろう、

こんな状況でも楽しかったのは、白血球の数が5600だったこと、
いつも1400とか1800くらいしかないので、5600もあれば嬉しい、
きっと、口の中の炎症を抑えようと、白血球たちが現場に駆けつけたのだろうなあ、

ひ件はケン場でおてぃている(事件は現場で起きている)のだ、、



※歌は、佐渡山豊 例のドゥチュイムニー「ひとりごと」なのだが、なぜアップしたかというと、
傍らでバイオリンを弾いている彼女、いつか紹介したHONZIさんなのだ、
本名、本地陽子さん、

ストラディバリウスのバイオリンもステキなのだろうが、彼女のバイオリンは、ぼくの側で弾いてくれているような、庶民性に溢れている、
庶民=文化度の低い人、と思っているバカがいたら叩いてやろう、
死や苦や病、憂き世のつらさを抱えて生きている人々を慰め励まし、安寧の時をたとえ一時でも枕元に届ける、
気取ったフレンチの冷えた静謐よりも、嬌声と大声で溢れかえる民謡酒場のおねえさんの肌の温もりのようなもの、彼女の音楽に、そんなことを感じ取るのだ、

しかし、佐渡山氏、ずいぶんと肥えていた、今はすっきりと枯れたじいさんになっているけど、、
ぼくももう少し歳をとれば枯れるのだろうか・・、






2012年9月17日月曜日

腸より大事なもの

テレビで、医師が、人間にとって腸ほど大事なものはない、と力説していた、
健康かどうかすべて腸で決まると、、

よく見ると、その医師は毛髪が薄いのだろうか、目立つほどのカツラを付けていた、
医師にとっては、腸よりもさらに大事なものが他にあったのだろう、、



中国が荒れている、



日本総領事館が襲撃され、日系企業が襲われ、日本車がひっくり返され、日本人だとわかると殴打される危険性があるので、日本人は外出しないようにしているのだとか、

にわか愛国主義者、一時ナショナリスト、中国政府に対する不満分子、尖閣諸島の正確な位置を知らない中国人、ただ騒ぎたいだけのストレス解消者らにまじり、”職業的”反日活動家も確認されている、

国家にとっての領土と、国民にとっての土地という認識の間には、政治的にも文化的にも大きな隔たりが在る、
国家目的である戦争遂行論、侵略論が、まるで、総国民の望みであったかの如くすり替えられていく様を、ぼくらは、この100年の間に何度も見てきた、

農耕民族の国境に賭ける情熱と、遊牧民族のそれにも差があるだろう、
自らが所有する確固とした土地が欲しい農耕者と、草さえあれば国境は要らない、必要なときに必要な場所へ移動するさ、とする遊牧民族、
中国がかつて、内モンゴル自治区として手中に収めた広大な草原地帯には、いまだに、モンゴル人でありながら、中国人として登録されている400万人以上の人間が暮らしている、
モンゴル系中国人という、

さて、領土論、
歴史的には、どう見ても日本の領土であったらしい・・、のだが、歴史をどうみるか、いつからの歴史を歴史とみるのかで、その歴史的という言葉が時間軸上を前後にぶれていく、

今現在は私たちの土地だとするパレスチナ、2000年前は我々の土地だったと主張するユダヤ人、
誰の土地でもなかったはずの、たかだか1万年前・・・、

どこまで主張しても、どちらの国家にもメンツがあり、振り上げた剣を収める鞘が見つかるまでは、今後何十年も不毛の争いや論議が続いていくのだろうか、

ぼくが尖閣諸島に上陸することは20000%ない(どこかで聞いたよね、徹くん(冷笑))だろう、
正直いうと、日本政府や中国政府が問題にしているほど尖閣諸島問題に情熱を燃やしていない、
国家的利益確保という大言にも、あまりピンとはこない、
ぼくと国家とは違うのだし、国家のこれまでの在りように疑問を持ってもいるからだ、

はっきり言わせて貰えば、ぼくが望んだ国家が我が国に存したことは、かつて一度もない、
そうした国家論を保持し続けているぼくのことだから、この問題に対して明瞭な答えなぞ、持ちようもないのだけれど、大人の判断として言わせて貰うのなら、

今の日本政府にも中国政府にも、解決能力は無い、と断言できる、
このまま反目がエスカレートしていけば、小競り合いから武力衝突へと、拡大していくのは目に見えている、
海上保安庁から自衛隊へ、その主力が入れ替わることのほうが大問題、
傷つき死ぬのは、国家の中枢にいるシロアリのような老人たちではなく、中国や日本の青年たちであるのだから、

なので、あと100年後200年後、両国の有能な子孫たちが解決の手段を見つけるまで、問題を棚上げすれば、どうよ、、
どちらも上陸しない、どちらも恒久的な施設の建造をしない、お互いに引いて見守る、
そのくらいしか案は浮かばないけどなあ・・、

反日デモの参加者の中には、日本に宣戦布告をしろ、とわめきちらす愚者もいたとか、
日系の食堂や、日系デパートを襲い品物を持ち出す輩もいたとか、

デモ参加者でなく、ただの略奪、強奪、放火、強盗、暴行、空き巣狙い、の集団なのだな つまり、
中国の領土を守れと聲高に叫びながら、その実態は、チンケな犯罪集団の集まりなのだよ、
と、思われても仕方がないほどの、中国人の民度の低さ、そこだけは強く指摘しておこう、

このごろ朝刊を、ひとつの杞憂をもちながら眺めている、
在日中国人を日本人が襲わないか、中国系日本人を襲わないか、中国料理店、中華飲食店を襲撃し物品を奪う行為はないか、

今のところ、横浜でも、神戸でも、長崎でも、池袋の中華系風俗店でもそれは確認されていない、
よかった、よかった、

中国人と日本人、どちらが大人(たいじん)であるのか、今日現在では結論が出たようだ(笑)

※音楽は「インターナショナル」 いつの時代も、犠牲となるのは国民だった、
  そんな時代にはもう訣別しようよとの、願いをこめて。。
  国家的な呪縛を絶ち、万国の労働者よ団結せよと、彼の中国人自身がかつては歌っていたし、今も歌っているはずなのに、だ

海を隔てつ我等 腕結びゆく この意味がわかっているのだろうか


起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの


  

2012年9月13日木曜日

オリンピックとパラリンピック

健常者たちによるオリンピックが終わり、身体に障害をもつ人たちの体育の祭典パラリンピックも終わった、

どちらもロンドン大会、
種目も、水泳、陸上、球技とかぶるものが多く、同じ会場、同じ日時で競技可能だと思うのだが、なぜかいつも、パラリンピックはオリンピックの閉会式の終わったあと、同じ地で開催される、、

参加することに意義があるとされた、古代ギリシアを発祥の地とするオリンピックが、メダル獲得競争、商業化への道を邁進してすでに久しい、
ある国は国威発揚のために、ある国は国民の内部の不満を外に向けるために、そしてある国は儲けるためにオリンピックの道を突き進む、

戦争のない世界、人類の英知を結集し平和な世界を築こうと、そのために国同士でスポーツの交流を活発化し、政治や外交の世界でないより親密な関係を築きあげるのだ・・、
古代オリンピックを近代や現代にもちこんだ最大の理由は、たしか、そのあたりにあったはずなのだ、、

なのに・・・、

メダル獲得数に興味がないので、その数をここに列挙することは控えるが、アメリカも、中国も、そして我が国日本も、それぞれ多数の金や銀や銅色のメダルを獲得したはず、
そして、発表されたその数の中にパラリンピックで獲得された各国のメダルの個数が集計されることはない・・、

健常者たちのメダルが本気で、障害者たちが獲得したメダルなんて・・、とは決して言わないだろう、
しかし、本心は見え見えなのだ、、

開会式での選手入場、健常者、障害者が手を取り合い共に入場することは、これまでのどのオリンピックでもなかった、
天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、という有名な警句を生んだ国も、自由平等博愛を旗印に民主主義革命を成した国でさえ、かつて一度も、なかった、

百歩譲って、本来の参加することに意義があるとされたオリンピックから逸脱し、金メダル獲得競争に狂奔するのなら、それは認めようと思う、
経過(努力)よりも結果(メダル)が大事だと選手の考え方も変わり、発展途上国にとっては絶好の国威発揚の舞台、これを利用しない手はないのだから・・、

ならばそれは認める、認めるかわりに、障害者と健常者との間に横たわる大きな壁を取り外せ!

オリンピックとパラリンピックの同日開催、トラック競技の予選、本戦、決勝も、オリンピック対象選手の競技の後で、パラリンピックに出場する選手たちが出場し、観衆に日頃の努力の成果を披露する、

メダル獲得競争も、健常者が獲得した数に障害者が獲得した数を合算して発表する、
もし、パラリンピックとオリンピックが同日開催されるのならば、メディアはパラリンピックでのメダル獲得を無視できない、、
同日に行われた競技でパラリンピックの結果を報道しないメディアには、抹消か抹席か、どちらにしても手厳しい結果が下されるだろう、

そして、少なくとも、入場式での選手入場は、各国選手団は母国の障害者を先頭にして入っていこうよ、
メジャーなオリンピックの有力選手が、自国の車椅子選手の背中を押して入場する、二人で観衆の歓呼に応える、

それこそが、ぼくが、思い描く理想の世界なのだ・・、

※イギリス王子の全裸写真が流出したと同国大衆紙が、、
 王子ひとりだけ、ポロリンピックに参加したのだろう  げふっ



夏季 パラリンピック種目

冬季 パラリンピック種目





2012年9月12日水曜日

風邪をひいた





昨日の夜、寝る前から寒気がし、あまりにも寒いので冬の掛け布団を出してもらい風呂にも入らず床についた、
ひさしぶりの風邪、
喉が痛い、寒気がする、足元が冷たい、身体の節々が痛い、、

べつに夜遊びをしたわけでもないのに、なんで風邪をひいたのか、よくわからない、
一日中、点けっぱなしのエアコンが原因なのか、エアコンが効いた部屋で、薄着のまま寝転んで本を読んでいるのが原因なのか、おそらくそのどちらもなのだろう、、

今日は仕事の日、朝7時にはつくば市に向かって車を運転する、
昔から風邪だと思うと、某製薬会社のルル三錠を服むことにしている、
効くのか効いていないのか、よくわからないのだけど、なんとなく楽になる、なったような気になる?!

今日一日仕事をし明日も仕事、うまくいけば明日は午前中で終わる予定、
これが終われば来週の火曜日までは何もないからゆっくりできる、
あっ、土曜日は将棋の会だなあ・・、
いきなり日本酒で始まる将棋の会、無理して呑まないようにね って誰に言ってる、、

他人の風邪ひいた話を読んでも面白くないよね、もうしわけない、
たまたまここを見たという、これも何かの縁ということで、、

こわいのは風邪でなくて、白血球が少ないことからくる合併症、
風邪から肺炎、肺炎から・・、なんになるんだっけか、肺癌じゃないよね、肺結核でもないしなあ、
まあとにかくだ、風邪をこじらせたらこわい、という話、
こんなまとめでいいのか・・、

※写真は最近の”がっちゃん” 少し毛も伸びて一段とたくましく男らしくなった
 腹が減ると、減ったという合図にjo太郎をいじめる悪い猫なのだ、、




2012年9月10日月曜日

友人



昔、島で暮らしていたことがあると、ここで何回か書いた、
島で知り合った島民とは、あれから30数年経った今でも何人かと交際がある、

島でぼくが担当したさまざまな仕事の中に、島中の各家庭にプロパンガスを配達するという仕事もあったので、島のすべての住民の家と名前と家族構成を知っていた、
家族が多ければガスの消費も多く、あのうちはそろそろ無くなる頃だと、予測が立つからだ、

同じ苗字が多い島では、戸籍上の苗字よりも屋号の方が通りやすく、トクベエ、ジロベエ、などという屋号でお互いわかりあっていた、
今でも、ほとんどすべての屋号と顔を覚えている、
配達のルートを自分で工夫し、後ろに戻ることがないようにしたので(車での配達を少しでも早く終わらせるために)、何人かの氏名を忘れていても、その場所を思い出せば、Aの名前がでてくれば次はBだと、芋の蔓のようにずるずると記憶が引きずり出されてくるのだ、


大学を中退し、ボストンバッグ一つとサッカーボール一個だけを持ち島に渡ったのは25歳の秋だった、
いきなり来られても困りますという相手の制止にも、こちらにはこちらの都合があるのでどうしても今晩の船に乗ります、と押し切り、無理矢理押しかけた、
押しかけなければ、自死か行方不明か、まあ、そんなところだっただろう、

その時に知り合った島民、また同じように都会の生活に見切りを付けて島へ渡った数十人の先輩やら後輩やら、その人たちの特徴と氏名は今でもはっきり覚えている、

すごいね、とても記憶力が良いね、と毎回誉められるくらいには覚えている、
ぼくにとっては恩人たちであったし、島はオアシスだったのだから、、
オアシスというのは誇張したり美化したりした表しようではなくて、都会という砂漠で遭難しそうだったぼくにとっての、まさに実感なのだ、

特に仲が良かった友人とは毎年一回の割合で会い、酒を飲みながら歓談の時をもつ、
友人が島から上京し(※島では、東京に行くことを”江戸へ行ってくる”といったりする)てくると、連絡があり、時間があえば惜しまずに出向いていく、

会う場所はいつも浜松町、夜11時に島へ向けて船が出るので、乗船客にとって都合がよいからだ、

先週の土曜日、ひさしぶりに友人とその奥さんと三人で浜松町で呑んだ、
後から、ぼくの長女も合流し、4人で船が出発するまでの数時間、居酒屋で歓談した、
娘が島を出たのは小学校一年生の時、彼女にとっても30数年ぶりの再会なのだ、
30数年という時は、人の顔を朧にし、当時の記憶もかすれさせるものなのだろう、

友人は娘を覚えていても、娘は友人の顔をかすかにしか覚えてはいなかったようだ、
7歳だった彼女にとって、同級生や先生ならばともかく、お父さんのお友達、までは、記憶に残らなかったようだ、

島はいいよ、疲れたら島へ行くといい、どんなストレスも島で1年も暮らせば治ってしまうだろう、
都会とは時間の流れが違う、満員電車も渋滞もない、周りは海だけ、春も夏も秋も冬も海だけ、
海が好きなら島へ行ったほうがいい、うん。。

※写真は竹芝桟橋夜の11時ごろ、出帆前の光景、懐かしくて涙ちょちょ切れるわ・・、



2012年9月7日金曜日

日々雑感

出張の際、宿泊に利用しているホテルは、掃除を頼まないと4500円で宿泊できる、
毎回、同じホテルを利用しているので、こちらの顔を覚えられ、フロントの担当とも顔馴染みになり、気軽に声をかけられるようになった、

朝食が洋食(食パンと卵焼き、ウインナ3つ)と、和食から選ぶようになっていて、どちらもワンプレート、、
和食は、ごはんと味噌汁がおわかり自由で、プレートのおかずとは別に納豆と生玉子を食べることができ、おおよそ30ccばかりのヨーグルトがデザートにつく、
さらにコーヒーや他のソフトドリンクが飲み放題、

食堂の入り口には大きな木彫りの虎が配置され、敷地内に”平壌苑”という高級な焼き肉屋も隣接しているので、おそらく経営者は北朝鮮系の人物なのだろうと推測している、

朝食は500円、夕食は650円、あまり夕食を注文することはないのだが、今回初めて夕食をたのんだ、
とんかつ定食、野菜炒め定食、アジフライ定食、焼き肉定食、カレーライス、
その中から、アジフライ定食を選んだ、
山盛りのキャベツの千切りの横に、アジフライが三匹、、、
油ものの多さに辟易したのだが、残しても・・と思い、三匹すべてを平らげた、
食後のコーヒーを飲み終わっても、まだ胸に油がとどまっているようで苦しかった、
アジフライは二匹でいいから、他に煮物とかを付けて欲しかった、、

部屋にはテレビ、電話が備え付けてあり、テレビはデジタル、今時なら当たり前か(でも自宅は今でもアナログなので・・、デジタル放送をアナログに変換して視聴している)、

例のエロビデオチャンネルも選択できるのだが、冒頭の30秒あまりの紹介が終わるとあとはザーっと砂嵐になり、続けて見ようとすれば各フロアーのエレベータ横に置いてある有料カードを購入しなくてはならない、
このカードの料金が一晩見放題(朝7時まで見放題)で1000円、

朝食が500円、夕食が650円で、エロビデオ代が1000円なのだ、、、

宿泊代が4500円なのに、朝食夕食をここで食べさらにエロビデオを見ると、7650円にもなる、
安いといえば安いのだろうが、高いといえば高いだろう、、

試しに、あくまでも試しに、参考程度に、どのようなものなのか調査の意味から、エロビデオ鑑賞カードを1000円で買い、しつこくなるが、朝食は500円、夕食は650円なのにだ、見てみた、

色事が大好きなナースが、入院患者の男性のベッドにこっそり忍び込み、色々気持ちいいことをしてしまうという設定なのだが、白衣の下にはブラジャーもなくて、いきなりの大ぶりな乳房の開陳、
どんな病気で入院している患者なのかわからないのだが、ナースが男性患者の上にまたがり大胆に腰を使い声をあげ白目を剥く、
こんなんじゃ治る病気も治らないよなあ、と、まあ普通の気弱な男性の感想、、

あのノーベル文学賞受賞の大江氏も、かつてはかなり大胆な性的描写を文中に描いた作家であったのだが、性的なシーンの描写がイコール、性的興奮を励起するものではないので、そちらを目的で読まれる読者には申し訳ない、とかのコメントを自らもされていたと記憶している、

社会党の委員長刺殺事件に題材をとった、温和しい男子高校生が右翼に染まっていく「セブンティーン」、学校では誰からも相手にされない目立たない男子生徒の自慰行為が描写されていた、

他の短編では、同棲相手の女性と、短期間に何度も何度も繰り返し性交をおこなう若い男性が主人公の話の中で、婦人科を訪れた女性の外性器を診た医師が、「あなたの性器は、まるで15年の性生活を経た性器のようですなあ」と、驚嘆するシーンが出てくる、

もっとも男性の性器も「使い古された水道のホース」状になっていたと、いうので、なるほど、性交というのは男性にとっても女性にとっても、身体を酷使するものなのだと、妙なところに感心した覚えがある、

かたやノーベル文学賞、かたやエロビデオ、
おなじ性を題材にしながら、どこがどこでこんなに違うのだろう、というのが今回の問題提起、
提起などというほどの問題でもないのだろうけどね。。




2012年9月3日月曜日

副作用

先週の月曜日から金曜日までの5日間、錠剤の抗癌剤を服用していた、、

今回は少し副作用が激しい、

この薬を服むといつも起きる手指の痺れ、痺れというか、爪先が常に深爪しているかのような違和感、それはチリチリとした意識化を常時伴うのでとても気になる、、

今回はそれと同時に、胸のつかえのようなものが常にある、

息苦しさや、呼吸がままならない虞のようなもの、無呼吸症候群というのはこういうつらさなのか、そんなことを思わせる、、
決して呼吸ができないわけでなく、普通には暮らしているのだけど、不快なんだなあ・・、
胸骨の中心を押さえるとゲップは出ないまでも、小さな苦しさの元のようなものが感じられる、、

こんな身体なのに、友人からの誘いを受けた昨日は行けなかったので、今日行ってきた、

俳句、将棋、どちらにも共通のメンバーで、今では親友といってもいい仲なので、顔を出した、
同じく俳句の同人が営む小料理屋で・・、

中生も呑めないので、さらに小さな生ビールにしてもらい一杯、あとはウーロン茶で、しばし雑談、


彼の父親は今年亡くなったのだけど、その骨を粉骨にしてもらい、母親がまだ持っているのだとか、

母親の気持ちとしては「もし、私が死んだら、夫の骨と一緒に混ぜて石にして欲しい、子どもたちにあげる、要らないなら捨てればいいし・・」ということらしい、

戒名も葬儀も要らない、生前の名前を書いた小さな紙切れだけを残して骨は石にする、、

骨を綺麗な石にする職業がすでにあるのだとか、
お金をだせば骨がダイヤモンドにもなるのだとか、費用はわずか、ダイヤモンドに加工しても数万円で済むらしい、
※骨はカルシウムで、ダイヤモンドは炭素、CaとCでは元素がまるで違い、骨がダイヤモンドになるというのは科学的な話ではないのだけどね 

埼玉県の戸田市にそれをする会社があるので、来週の火曜日に、そこに行ってみようよ、となった、


死を意識する年代になると、話題も死や死後の話題になってそれが普通、

予測される死後の面倒、葬式代、戒名や墓地、永代供養料や、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・、そうしたもろもろを、子どもには残さずに、俺たちの代で断ち切ろうと、そんな結論を得て話を終えた、、

ぼくは青い色が好きで、サファイアが好き、ロイヤルブルーの青が好きだし、コバルトブルーという言葉の語感も好き、コバルト雀という魚も好き、

誕生日が今月で、誕生石がサファイアだと知る前から、青い色が好きだった、、

ぼくの骨からサファイアができればなあ・・、嬉しい、、、


家人の子どもが三人、ぼくの子どもが五人居るから計八個、、


八個といえば里見八犬伝、それなら仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 八つの字を彫ってもらおうかな・・、

古っ

明日は日帰り出張、明後日からまた泊まり込み、金曜日の夜には帰宅、、

なんていうのか名前はわからないのだが、たっぷりの野菜と肉が入った熱々の鍋、唐辛子で真っ赤になった韓国の鍋料理を、ハフハフいいながら思いっきり食べたい、
地元にあった韓国料理の店がなくなりタイ料理の店になったので、それがかなわなくなった、
かなわなくなったと思ったらますます食いたい、
誕生日祝いに、娘にねだってみるかなあ・・、どう?(苦笑しながら・・





2012年9月2日日曜日

Bob Marley


ある民族がある民族より優れている、または劣っている
そんな思想が、最終的かつ永続的に根絶され廃棄されない限り
いたるところで、戦いは続いていく

いかなる国においても、市民の間に差別がなくなり
人間の肌の色が目の色と同じく意味をなさなくなるその日まで
戦いは続いていく

基本的人権が民族にかかわらず
すべての人に平等に保障されるその日まで
戦いは続いていく

平和の永続、世界市民、国を超えたモラルの法
それらが議論を呼ぶ幻想であるうちは
世界中いたるところで戦いは続いていく

醜悪で下劣な政治体制が
われわれの仲間を
アンゴラ、モザンビーク、南アフリカで拘束する
それらの政権が打ち倒され、
徹底的に破壊し尽くされない限り
いたるところで争いは続いていく

東でも戦争が起きている
西でも戦争が起きている
北でも戦争
南でも戦争
戦争 戦争 戦争の噂が聞こえてくる

勝つその日まで アフリカ大陸に平和は訪れないだろう
もし戦いが必要ならば、我々アフリカ人は戦い続けるだろう
そして我々は勝利する 勝利を確信している 善が悪に打ち勝つのを

Until the philosophy which hold one race superior
And another
Inferior
Is finally
And permanently
Discredited
And abandoned -
Everywhere is war -
Me say war.

That until there no longer
First class and second class citizens of any nation
Until the colour of a man's skin
Is of no more significance than the colour of his eyes -
Me say war.

That until the basic human rights
Are equally guaranteed to all,
Without regard to race -
Dis a war.

That until that day
The dream of lasting peace,
World citizenship
Rule of international morality
Will remain in but a fleeting illusion to be pursued,
But never attained -
Now everywhere is war - war.

And until the ignoble and unhappy regimes
that hold our brothers in Angola,
In Mozambique,
South Africa
Sub-human bondage
Have been toppled,
Utterly destroyed -
Well, everywhere is war -
Me say war.

War in the east,
War in the west,
War up north,
War down south -
War - war -
Rumours of war.
And until that day,
The African continent
Will not know peace,
We Africans will fight - we find it necessary -
And we know we shall win
As we are confident
In the victory

Of good over evil -
Good over evil, yeah!
Good over evil -
Good over evil, yeah!
Good over evil -
Good over evil, yeah! /fadeout/ 

Bob Marley Lyrics - War

音楽で世界は変わる―
それを体現した男が辿った波乱の36年
未発表音源や未公開映像、数多くの関係者証言を基に、
レゲエの神様、ボブ・マーリーの素顔に迫る奇跡の144分!
(映画のキャッチコピーより)

日曜日の午後、かねてから観たかった映画「ボブ・マーリー/ルーツオブレジェンド」を観に、有楽町まで、、
この会場は先日、アウンサンスーチさんの自伝的映画を観たと同じ場所、、
小さなキャパしかない会場には、だからかもしれないがよく人が入っている、

1981年5月に亡くなっている彼、亡くなってから既に30年以上経っているのに、彼の伝記的な映画を観るために集まってきた年齢層も職種もさまざまであろうと思われる男女たち、、
ボブ・マーリーの映画を観に来たのだというそれだけの事実で、親近感を感じる、
それも、音楽を越えた彼の力の一つなのだろう、、

one love , no woman no cry , war , i shot the sheriff ,,,

幾つもの名曲を発表してきた彼は、ミュージシャンというよりも、革命家、思想家であり、20世紀の哲学のある部分を、差別され抑圧されてきた人々の抵抗の哲学を代弁してきた、
その思想、哲学に共感を覚えた世界中の人々からいまだに崇拝され尊敬され愛されている、、

彼が生きていた頃のジャマイカは、極右政党と反体制政党とが互いに銃をもち撃ち合い殺し合い、内戦状態であった、
当時すでにジャマイカの国民的英雄となっていたボブ・マーリーは、どちらの勢力からも注目され彼の支持をどちらの勢力が取りつけるのかをめぐって彼を奪い合っていた、
どちらにも属することを望まず、彼のコンサートで、両方の政治的指導者を壇上に呼び、二つの手をしっかり握らせる、

壇上から聴衆に、あのいつもの飾らないステージングと同じように身体を揺らしながら腕を振り上げ、会場に来ている指導者二人に心をこめて和解を呼びかけるボブ・マーリーの姿と語った言葉に、ぼくは率直に感動した、

二人に(異なる政党の指導者に)上がってもらえないだろうか、
二人がここで手を結んでもらえないだろうか、
それが実現するのならこれほどの喜びはない、、

レゲエ特有のシンプルなリズムとメロディに乗せて語られる激烈なアジテーション、
それに応えて歓呼の声をあげる10万人の聴衆たち、

そして壇上には二人の指導者が・・、

音楽が世界を変えた瞬間だった、、

とまあ、ぼくなりのことばで映画の一部を伝えようと努力してみたのだが、二時間24分に及ぶドキュメンタリーの内容を精確に伝えることなど、最初からできないとわかっていた、

ただ彼の音楽で初めてレゲエという音楽を知り体感でき、その音楽に身を浸す喜びに、、

んーー、、

ここまで書いてきてこの後は書けなくなった、、
目の前の文章を読むと、自分のいいたいことが書けていない、
なんだか評論家然とした自分を発見するだけ、こんなことを書くために時間を費やすのはイヤだ、
しばらくキーボードから離れる、、

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド

“レゲエ”という一つの音楽ジャンルを世界に広めたミュージシャンであり、さらにジャマイカの歴史すら変えた伝説のカリスマ、ボブ・マーリー。
本作は、世界的なアイコンとなり、神格化されたボブ・マーリーの生涯を、家族や友人、バンド・メンバーによる貴重なインタビュー、さらに今まで明かされることの無かった秘蔵のプライベート・アーカイブで綴った、初のオフィシャル・ドキュメンタリー。
当時、血で血を洗う政争を繰り広げていたジャマイカで、二大政党の党首をステージ上で握手させた、ワン・ラヴ・ピース・コンサート―彼にしか成し得なかった奇跡に至る、彼の行動と緊迫の背景に迫る展開は圧巻の一言。
他にも、多くの女性を魅了した華やかな一面にも大胆に切り込み、一方で、幼少時より人種的な偏見に晒されながらも、その逆境に立ち向かった青年期など、初めて知るようなエピソードが数多く描かれている。

とされた映画を観ることをお勧めする、、9月14日まで一日4回上映中 角川シネマ有楽町にて


2012年8月31日金曜日

帰宅

なので・・、
また今日も飲んだ、、

んーーーー、、、



今日はこの歌だな、詞が詩になっている、
我が国日本の、若い才能のTOPの一角を占めていると、ぼくは彼の歌を評価する立場に立っている、

じつは、彼も、ぼくにとって、ひばりと同様に、亡くなってから注目したアーティストなのだ。。

それまでは、一顧だにしなかったのに、亡くなって、メディアの露出が増えてから知ったのだ、
本当に、失礼した・・、

そんなことがいつもなのだなあ・・、


決して、保守的ではないと、まして音楽の世界ではと思っているのだけど、
R&B、オーティス・レディングの、あの世界から脱却できない自分を今でもここに発見する、、

彼、尾崎が切り取った断面は、ぼくが好きだとかキライだとかいう前に、日本のある現状を切り取っていたのだろう、
それに、ついていけなかった、気がつかなかった、興味を示さなかったぼくは、先鋭であるとの評価を受ける資格がなかったのかもしれない、

先鋭=前衛、であるかのような錯覚を含めて・・・、








2012年8月27日月曜日

今日から出張

今、朝の6時ちょっと過ぎ、今日から出張なのだ、
帰りは金曜日の夜の予定、

作業の進行状況によっては木曜日に帰宅できる可能性もあるのだが、どちらにしても帰ってくるまでここの更新はできない、
ビジネスホテルに、ノートPCを持ち込んだこともあったのだが、上手く電波をつかまえることができなくて、ネットにつながらなかった、

ネットにつながらないとソフトのバージョンアップも、ニュースの検索も、調べものもできない、
自宅なら本があるし、近くに図書館もあるから、ネットがなくてもなんとかなるのだけれど、出かけ先ではそうもいかない、

スマートフォンに、少し気持ちが動く一つの理由ではある、
パケットし放題が月々6000円近いのでは、それも無理なのだけどさ・・、

なんといってもケイタイの使用代金が最近では毎月2000円を下回っているのだから、
なんとかここまで使わないようにしてきているのだから、いきなり三倍近い金額を払えといわれても、金銭的にではなくても、心情として拒否に傾く、

とまあ、ここに書けない鬱憤をスマートフォンに晴らしているのだが・・、

つことで、行ってくる、

2012年8月26日日曜日

相変わらずの通院生活

金曜日は通院の日だった、

おおよそ二ヶ月に一回の通院で、採血がありその結果を待って診察、
白血球が少ないことと血小板が少ないことが医師から指摘があるのだが、
いつものことなので気にもしていられない、

免疫力が少ないので人混みやホコリなどには注意してください、との毎回の医師のことばも
聞き慣れた注意なので、はいとだけ応え、それ以上の進展も変化も望めない、

免疫力が少ないとはいえ、日常の業務、つまりお仕事はあり、そちらは普通にこなしている、
現場作業が主なのでホコリはダメとか人混みはダメとかは言ってられない、
働かなければ病気で死ぬ前に食えなくなって死んでしまう・・、

通院の日はそれが終わったら酒を飲むことにしている、
この日までは生きたなあと実感を味わう意味と、病気だからとくよくよしていては
ますます免疫力が下がるのではと、酒飲みならではの勝手な理屈から、、

無事に生き延びた祝いとでもいうのか、かなり酒を飲む、
通院の日は痛飲するのだ・・、ぐふっ

これを書きたくてさっきからいろいろ書いていた、

死ぬ時には、一回死んだと見せかけて、わっと取りすがる親族やら子どもたちを尻目に
しっかり目を開けて、まだまだ~とか、なあんてね、とか言ってみたい、
泣かせるのではなく笑わせて死にたいなあ、

とん福でモツ焼き、ゆり子でウイスキー、雅で将棋を指しながら水割り、、
飲み過ぎて土曜日は一日寝ていた、それじゃあダメじゃんなあ

2012年8月23日木曜日

帰宅


一泊二日の出張より帰宅、
いつもの茨城県つくば市への出張、試験体5体のうち来週の火曜日に3体目の実験、
その次が9月4日、最終試験が9月24日、それをもって今年3月から始まった一連の実験がすべて終了する、

来週から連続3週間出張となり、月火水木は泊まり、金曜日の夜に帰宅という生活が待っている、
夜はヒマなのでお近くにお出かけの節は、最寄りホテルまで是非お立ち寄りください(笑)


短か世の夜の長さを持て余し   季語は夜長 
短か世の夜の長きを持て余し

夜長といえば秋のことなので、俳句の世界では秋の夜長とはいわない、のだとか・・、
そうなんだ、意味がわかれば納得できる、かな・・、

9月の兼題が「夜長」なので、一句詠んでみたのだ、

2012年8月18日土曜日

スローバラード

キヨシローに捧げた、布袋寅泰氏のギター、、

例えようもない悲しい気持ちを、彼のギターが例えてくれる、、

まあ聴け!! あまり命令はしないぼくだけれど、今晩だけは命令してこのギターを、
この歌を、聴いて欲しい気分なのだ、、
まず第一にぼく自身が聴いているのだけどさ・・、

なんで点・・が二つなのと質問を貰った、ミッツだと誰かと同じになるから、
で、三つだと点が多い気がするし、
二つと(、)で、小さな自己表現・・、




2012年8月15日水曜日

訃報

今日、見舞いに行った彼女が亡くなったと連絡があった、、

8月11日に見舞いに行き、あれからまだ4日・・、
男性のぼくが女性の病室へ入ってよいものか、癌患者特有のやつれを目撃してよいものだろうか、美しいままの姿を思い出として残すことを彼女自身は望んでいるのではないだろうか、
遠慮しようかどうしようかと最後まで悩んだ見舞いだったのだが、母は来てくれるのを待っていましたよと、彼女の娘に言われ、誘われるように病室へと入った、、

彼女の死が現実となった今、生前の彼女に会っていてよかったと思う、
彼女が拒めば誰が来ても面会はしなかったという事情の中で、本当に会いたかったぼくらに会えて彼女も嬉しかったのだと思う、

先に逝った夫の同級生たち、ぼくらと彼女との親交は彼亡き後もずっと変わらず続いていた、
とくにぼくは彼女の夫とは親友といってもよい仲だったし、彼女一人で切り盛りする店に何度も級友たちを誘って通った、

11日のこと、
「母は、一昨日からずっと、必ず来てくれるからと気にしていて、髪の毛は乱れてないか肌の色は普通かと何度も言うので、お母さん大丈夫よ、いつも通りよ、綺麗よと言ってきたんです、
本当に今日来てくれてありがとうございます、もし来て貰えなかったら・・、
その時の母の気持ちを思うと・・、本当に本当にありがとうございます」

大粒の涙をこらえようもなく流しながら顔をくずして泣く長女を前にして言葉もなくただただぼくも泣くだけだった、


今日は通夜、明日が葬儀なのだとか、
通夜にも葬儀にも行けないのだが、級友たちは必ず顔を出すだろう、
そこでたくさんの涙が流れることだろう、
58歳の早すぎる死を悼み、多くの涙がいつまでも流れることだろう、、



2012年8月14日火曜日

帰郷



数日間の帰郷を終え昨日帰宅しました、
4年ぶりの級友たち、歳を取ったと感じさせた人、あまり変わらなかった人、それぞれさまざま、

いまだに中学のクラス会を開いているクラスは我がクラスだけ、
恩師は数年前に亡くなり、級友の何人かも早い旅立ちをし、残った人数も少なくなるなか、8人の級友たちが集まりました、

宴会をし、その後、場所を移動してのカラオケと、いつものようにいつもと同じ流れ、
それを嫌って不参加の意志を表明する級友も何人かいるなかで、まあ4年に一回だからそれもいいのかなと、少し宗旨替え、

今年で最後にしよう、これで最後だねと前もって話し合ったことも忘れ、終わってみれば、また次の4年後にも元気で会おうと約束してきました、

祖母と暮らした実家も今では他家のものになり、熊本とのつながりがだんだん薄くなってきました、
叔母、父の従兄弟が住み暮らしているとはいえ、そこを頼って訪れるのには少なくない気苦労があります、
なので、行けばホテルに泊まり、一日だけの級友たちとの懇談を楽しむ、
特に親しい友だちとは、クラス会に参加しない級友も含めて、前夜祭と称して前の晩から集まり焼酎を酌み交わし、球磨郡の郷土料理に舌鼓を打つ、

変わらんなあ、ぼくの顔をしみじみ見ながら言われました、
少しは変わっているはずなのに、話し方とか声とか表情があの時のままなのだとか、、

会場や進行形態などで問題点もいくつか指摘されているクラス会、声をあげてその問題を指摘し改善を求めることをしないで、

Everything is all right.

とするのも大人の対応なのかもしれないなと、そんな感想を抱いて戻ってきました、
参加したい人はすればいい、したくない人はそれでもいい、どちらにしても、みなかつてのクラスメート、なのでしょう。。




写真は郷土を流れる球磨川、そして観光の目玉の一つにもなっている球磨川下り、
何度か事故もあり中止かと危ぶまれたこともあったのですけど、今はこうして復活しています、
写真を撮っていたら、乗船客から手を振られました、





2012年8月9日木曜日

ユーモアなのかギャグなのか

好きなアメリカ映画「ダーティハリー」、興行的に成功しシリーズ化されて五本作られた刑事もの映画

主人公ハリー・キャラハン刑事の使用する銃は S&W M29装填される弾丸は.44マグナム弾(直径11.2mm)、持ち歩くのには不向きな大きさ、その銃で犯人を次々と撃ち殺していく、汚れた(ダーティな)刑事ハリー、
法の下で裁くのではなく、悪いやつはぶっ殺せばいいのだ、と言わんばかりのハリーのアクションに、好き嫌い良い悪いではなく、ある意味、胸がすかっとしたものだ

職務遂行のためには暴力的な手段も辞さないアイルランド系のキャラハン刑事が活躍するこの映画は、70年代以後のアクション映画に大きな影響を与えたといわれる映画シリーズだった、

さて、その何作目かの中のワンシーン、
被害者の司法解剖を警察病院の医師に頼んだハリー刑事は、翌日になるという結果の報告を待ちきれずに、解剖しているすぐそばで、医師から直接聞き取るべく待機している、

突然、大声をあげる医師の一人、
驚いて立ち上がるハリー刑事、

「うわお~、こいつは驚いた」「どうした・・・?」被害者の体内から取り出した肝臓をハリーに見せながら、
「”食えません”って、書いてある 」、言いながら激笑する医師、

こんな時に何を言ってやがると、手で払う真似をするハリー刑事、このシーンでかなり笑ったなあ


明日から熊本へ、
クラス会なのだ、4年に一回、オリンピックの時に会おうと決めたクラス会、だんだん参加者も少なくなり、今年は11人だとか、
中学時代に同級だったということだけで何回も会い、談笑することにはもう無理があるということなのだろうか、、
酒を飲む相手も選びたいし、ついていけない話題もあるし、たとえ二時間強の宴会とはいえ、つまらない話題でつまらない相手と同席することには我慢と忍耐が要求される、
それに耐えられそうもないと、そこでは己の欲求が満たされないと判断すれば、不参加もやむを得ない意志表示となるのだろう、

今年で最後のクラス会となるような予感もする・・、なによりも二次会でいつも使っていたスナック「桔梗」の閉鎖が、痛い、、
石原が逝き、続いて奥さんが病に倒れ・・、

帰宅は13日月曜日 では行ってくる


2012年8月6日月曜日

味なセリフ

西部開拓時代の話、
話がこじれて争っている最中に、銃弾を身体に受けたカウボイの一人が仲間の助けを借りて診療所に運び込まれる、
弾丸が身体に残ったままなので、それを取り出さなくてはならない、

痛みに堪えながら無事に取り出してもらう、
気がついて診療所の壁を見渡すと、そこには馬の骨格の説明図やら牛の病気についての但し書きが・・、

カウボイが起き上がり「お医者さんよー、あんたは何の医者なんだい」と、

医者が応えて 「言葉を話す患者さんは、貴方が初めてですな


映画の中のワンシーン、
アメリカ人って、どんなときにでもシャレを忘れない国民性の持ち主なんだなあ・・、

葬儀や臨終の場面など、日本では絶対に厳格性深刻性、真面目な顔と態度を求められるシーンで、あえてそういう場面でのユーモアが、アメリカでは多いように思う、

もうひとつネタがあるので、次回に、、


2012年8月4日土曜日

勝てなくてすみません

いえいえ大丈夫、最初から勝てるとは思っていなかったよ・・、

最近寝不足で、、、とか、うんうんアタシも~、とかの挨拶が流行しているのだとか、
例の国際的なスポーツ競技大会を深夜になってからライブでみている、それだけ関心があるのだと、おれってスポーツ好きのさわやか男子だぜぇ(右肩あがりスギちゃん風?)、と自己アピールしきりなのだろうか、

男子サッカーの試合に参加する選手の基準として、23歳以下しか出場できないという規則が生まれて以来、この「競技大会」に興味を失ったぼくにとって、いくら4年に一回、真夏の祭典、と煽られても、決して寝不足になることはない、
毎晩、高いびきで寝ているのだなあ、、

さて、冒頭のことばは、卓球選手や男子柔道選手の口から出たことば、
今まで何度も世界を相手に闘い、そのたびに並み居る強豪たちを打ち破り常にトップ、世界一の実績を積んできた選手なら話もわかるのだが、卓球界の頂点には相変わらず中国勢がトップを独占し、ここ何十年も日本人選手が勝ったことはない、

「卓球王国日本」といわれたのは遙か昔のこと、
団体戦での男子は1969年第30回ミュンヘン大会までに7回、女子は1971年第31回名古屋大会までに7回優勝、獲得した金メダルは実に48個、
しかし、卓球王国日本の名は1979年第35回世界選手権平壌(ピョンヤン)大会を最後に今日まで、残念ながら復活をみていないのだ、

日本の牙城(がじょう)を脅かし世界に登場したのが中国、

10年計画で「打倒日本」を標榜し、1961年第26回世界選手権北京大会男子団体で日本の6連覇を阻止、日本に初めて勝って初優勝し、以後その立場が逆転したまま今日に至っている、、
すでに数十年以上、中国がトップなのだ・・、


本気で中国に勝とうと思うのなら中国選手と日頃から交わり練習し、中国の競技大会でトップの成績を収める、それが一番の近道なのだと思う、
そうしている女子選手もいるのだが・・、

男子柔道にしてもそう、体操の内村選手のように圧倒的な強さを他に見せつけ過去何度も世界一に輝いた選手がいたわけでは決してない、

気力で、気迫で、日の丸を背負って、(大和魂をもって・・、カミカゼ精神で・・、)なんとかメダルをと挑んだだけのこと、
負けて当たり前、なのだ
それにしても、銀メダル2個、銅メダル2個、と過去の大会に比しても劣らない成績なのだから、

謝る必要はないよ、、うん。。

なんだかんだ言いながら、けっこう見てるじゃないか(笑)

しかし、アンダー23って・・、
アマチュアリズムを標榜するあまりプロ選手を排除する目的で作ったアホルールのおかげで、サッカーがつまらない、
その国を代表するのなら、アマチュアでもプロ選手でも誰でもいい、10代でも40代でも強いと思ったヤツ出てこいとする、ワールドカップの大らかさに比べ、なんと尻の穴の小さいことよ、、