2015年12月24日木曜日

バイオハザード

好きな映画で毎回必ず映画館まで足を運んでいる、

で、
来年1月に公開されるそのタイトルに<ファイナル>と名付けられていることが発表された、
いよいよ終わってしまうのかなあ・・、
エイリアンシリーズも新作がここ最近出ていないし、プレデターシリーズも、あれで終わってしまったのかしら・・、

ターミネーターは難産だったし、難産の結果生まれた子どもは出来損ないだったし・・、
ここ最近優れたSF映画が製作されていない印象がある、
ところでネットニュースを見ていたら、

『バイオハザード』シリーズ撮影現場で落下事故 ゾンビ16人がケガ

だってさ(笑)

ゾンビもケガするんだね あはあはあは^^;
正確にはゾンビ役の役者16人がケガ、と書くのだろうけれど、バイオハザードだからまあ、これで成功している、


2015年12月11日金曜日

LINE

スマホ、ぼくの場合はiPhone6なのだけれど、に代えたといつか書いた、

アプリと呼ばれる小さなソフト、なかには100MBを超える大きなソフトもあるのだが、がいろいろ便利で、カメラ関係、健康管理、日記、カレンダー、万歩計類、時計、電卓、などなど無料有料さまざま入れて使用、
いまのところ操作に違和感もなく重宝している、

辞書が好きなので、大辞泉やら三省堂の新明解国語辞典、広辞苑の他に、角川の俳句歳時記などをアップルストアで購入し、これもまたスマホに組み入れ便利に使っている、
辞書類は値段も高く、2千円~8千円の間くらいかかった、

スマホにする前は、それらソフトをアップルコンピュータのハード、iPodTouchに入れていたので、携帯電話とアプリケーションソフト用に二台をいつも持って歩いていた、
スマホになり、それが一台ですんでいるので、その意味では楽になったのだが、それ以上のものではない、

スマホからネットにつなぐことは滅多にないので、一ヶ月の使用容量(2GBで契約中)の半分も使ったことはない、
先月などは0.2GBも超えなかった、
最低契約パケット容量を今の半分の1GBにしてもらい料金も半分になったら大いに助かる、
政府の肝いりで実現しそうだと先日目にしたので、アベ内閣に期待することはあまりないのだが、この部分だけはなんとかやり遂げて欲しいと願っている、

で、
スマホソフトの定番に”LINE"(ライン)、というのがある、
お友達をたくさん作って仲良くしましょうね、という内容のソフトなのだが、先日初めてインストールしてみた、

始まった瞬間から、ぼくの電話帳に登録されていた電話番号所有者の中でスマホを持ち、かつLINEユーザの方々から、それこそ何十人もの方々から、LINE始めたんだね、ゲームしましょうか、あの人もスマホだよ、などなど、メッセージの嵐を頂戴する運びとなった、

ソフトをインストールし終わったら、おもむろに、さあ誰に連絡取ろうかなあ、などと暢気にかまえていたので、ソフトが勝手に走り出し、ぼくの意向も無視して、LINE始めたよー、友だちになってねー、
などと言って回るとは・・・、

今は落ち着き、メッセージの数も減り、穏やかな生活にもどっているのだが、LINEメッセージでのやりとりは当人同士だけのやりとりで終わり、他人が見ることもないし、グループを作ることも可能で何人かで同時におしゃべり、まあ手書きのチャットなんだけど、をすることもできるようなのだ、

リアルな生活に忙しいぼくが、見も知らない遠くの誰かと友だちになることを切に望むことは多分これからもないと思うのだが、ネット生活ならではの新しい知人やら友人やらを求めている人もいるのだろう、

それは否定しないのだが、友だち承認だとか、友だちリクエストだとか、そんなウスッペラペラなやりとりで関係をもつ
人と人との関係が”友だち”のわけがないじゃないか、何をこいてる!
というのが本音かなあ、、

友だち一人では寂しいかもしれないけれど、心が通いあった真の友がいれば、二人でも三人でもいいよ、
何十人もいらない、と、思うよ、

今日また、YASUYUKIという人から友だち申請が届いた、
おれ、YASUYUKIって、知らないんだけど・・・、会ったことも話したこともないんだけど・・、、



2015年11月26日木曜日

キャッチコピー

本を買う、
どこで買うのか店を選ぶのだが、目安の第一は価格、次に本の状態、

可、良、とても良い、その記述を参考に本を選ぶ、
価格は1円なのだが、送料に257円かかり、この中に書店の儲け(というにはあまりにもささやかな)が入っていると思われるのだが、価格が同じ場合、書店紹介のキャッチコピーを参考にすることもある、

今日目にしたその書店は・・、価格は5円で申し分ない、しかも状態は良、さて・・、



中古品 - 良い
良品。
東京都中野区、西武新宿線の駅からスキップで1分の
ブックマート都立家政店より即時発送!
店頭同時販売。

スキップで一分!
↑フツー、徒歩一分と書くところをスキップで一分・・・、、

そのスキップって、何歳のどんな人のスキップなんだろうなあ、
男性なのか女性なのか、おじいちゃんなのかマラソン選手なのか女子高生のスキップなのか、いろんなスキップがあるよね、
ちょっと気になったわ(笑)で、気になったついでにここで購入。
なんだかまんまと乗せられた?

2015年11月17日火曜日

憂鬱から開放される手段

おおげさなタイトルですまぬ

やっと、憂鬱から今朝、今は朝の3:30、開放されたのでそのご報告

アマゾンで買い物をしていると何度かここで書いた、
主に書籍の古本探しなのだが、生活日常用品、食料品、水なども購入している、

で、アマゾンのせいではないと思うのだが、クリックするたびに表れるポップアップ広告表示に長年悩まされてきた、
買いたいものはコレだろ、ほれ、買え買えと、いわんばかりのポップアップ広告、
画面一部を占拠し、その影になる商品説明が見えなくなる、
買いたくもない品物を毎回何度も繰り返し見せられる、
いやなことばかりの押しつけ広告・・、

使っているブラウザは主にグーグルクロームなので、その拡張機能からブロックすればいいのかと機能一覧をみたのだが、それらしきものは見当たらない、<DEALS****なんたら>

ネットで検索し、やっと対処法を発見し、それを実行、今おわったところ、

再起動し、アマゾンへ
んーー、
広告がなくなっている、嬉しい♪

その対処法を、ここに記しておきます
同じような問題に悩まされている方々の、いるかどうかわからないが、参考になれば幸い、

要は、グーグルクロームの再インストールをするだけ、
何かの買い物のどさくさにインストールされた無用なポップアップ広告アプリが、これで消えます、

まず、今使っているクロームをアンインストールし、新規にwebから、グーグルのホームページにいき、クロームのインストールボタンをクリックするだけ、
それだけですっきり、きっちり広告がなくなり、精神的安定を取り戻すことができました、

なお、アンイストールする前に、今つかっているブックマークのエクスポートをしておきます、
クロームの、一番上右側にある、三本腺模様、それがメニュー入り口になっていて、

メニュー → ブックマーク → ブックマークマネージャ → 管理 → (管理の一番下にある)ブックマークのエクスポート をクリック、

以上です!

PCに慣れているあなたなら5分で、慣れていないあなたでも30分で解決できるはず、
もしわからないことがあったら、ワタシに連絡ください って、連絡先わからないよね(笑)


2015年11月15日日曜日

テロリズムに反対します

白色テロ、赤色テロ、その他いかなるテロリズムにも反対します、

暴力からは暴力しか生まれない、
憎悪の連鎖はただ憎悪を拡散拡大するだけ、

フランス市民を狙った無差別テロ、そこで起きたことは、どんな政治的言い訳もとおらない、
いかなる宗教的教義をもってしても人を納得させることはできない、

多くの、テロとは無縁のイスラム教徒たちが迫害、差別、糾弾、追放の対象となることを憂える、

2015年11月10日火曜日

病状日記その11

11だかなんだか、よく覚えていない (笑) まあ、そのくらいは書いているはず、

生きるか死ぬか、それは、仏教でも煩悩の中で最大のものだと教えているはず、

まだ経験したことないから、死がどういうものなのか実感はあまりない、
心臓が止まるのか、脳が死ぬのか、どちらでも仕方ないので苦しまないで死なせてください、
お願いします、神様でも仏様でもどちらでもよろしいので、、

四大苦は病労苦死 だったかなあ・・、いい加減な話なので信用はしないで、

抗ガン剤治療が始まり、昨日と今日で3クール目に突入、
2クール目から今回まで、56日の間が空いた、

血液検査の結果がおもわしくなく、治療に体力が保たないとの医師の判断から、特に白血球の数値が低いので、体力の増強を待っての今回の治療となったわけだ、

目立った腫瘍はほとんど消え、体内にも目視できないほどになったと、この前も書いた気がする、
2回の治療で消えたので、3回目をどうするか、4回目はと、そのたびに医師と相談してきた、

完治はしない、寛解しか見込みがないといわれている病気(※1)なので、抗ガン剤を何度も投与することによる体力の低下が心配なのだとか、
標的である癌細胞と同時に造血幹細胞を痛めつけてしまう、そのことが今後の生活に重大な影響を及ぼすのだとか

癌をやっつけるのではなくて、小さな癌なら慣らしながら共存していきましょう、大きくなったら退治しましょう、というのが医師の勧め、
ぼくにも、それはよ~~~くわかる、

良いお医者さんに巡り会えて本当に良かったと、感謝している、

自覚症状もなく、食欲もあり、吐き気はなく、本数を減らしたとはいえ煙草を喫い、お酒を飲み、衰えたとはいえ若干の性欲もあり、健やかな生活を営んでいる、、

だから、あまり心配はしないで、大丈夫だから、って誰に言ってるw じゃなくて(笑)


酒場でてまた木枯しの人となり  山河 (あっ、これぼくの俳号ね)主宰の一郎さんが銘々

※1 癌におかされた造血幹細胞を外に取り出し、抗ガン剤投与や放射線照射などにより徹底的に叩き癌を消滅させる、その綺麗?になった細胞をまた元の体内にもどす、そうすると、新しく作られる細胞は、癌におかされていない新細胞となる
細胞移植とよばれる方法によって、完治したとの例も散見された、らしい
らしい、というのは、ぼくも聞いた話で、医師に確認したわけでもなく、治ったという本人にも会ったことがないからだ、

細胞移植、それができるには、元々の細胞がある程度元気であることが条件、
ぼくの細胞は、今まで何種類もの(7種類)抗癌剤を投与されて汚染し疲弊しているので、その治療はあまり考えていません、と、担当医師が、、

そのあとから、サイアクその方法も考慮していますと(サイアクかよっ)

なので、絶対完治しないと言い切れる状況にはなっていないのだ、

2015年11月8日日曜日

今日は句会

先月、治療を理由に欠席したので二ヶ月ぶりの参加となる、

句会はもちろん人の集まり、人が集まれば楽しいことも、またあまり楽しくないこともままある、、
俳句以外の理由で会員が一人、来なくなった、
会員間のトラブルがあり、そのトラブルが理由となって会そのものへの参加がしづらくなったようだ、

それはそれ、俳句は俳句と割り切れないところに、相も変わらない人のひ弱さのようなものが見え隠れして、なにやらタメになる、
一ヶ月に50句も60句も句作するような熱心な会員さんだっただけに惜しい、、

去る人もいれば来る人もいて、新しい会員がまたひとり増えそうだ、

主宰に代わり面接のようなものをしたのだが、ぼくが懇意にしている会員Kさんの友人なのだとか、
Kさんからの紹介で「会って欲しい」というので、三人で会うことになった、

Kさんと入会希望さんとは子ども同士が小学校時代の同級生で、それから40年以上のお付き合いなのだとか、
最近では子どもそっちのけで親同士で集まり、たまにお茶をする仲らしい、

70歳を超え孫の何人かにも恵まれたリッパなおばあちゃんたちなのだが、なぜか亭主は早くなくしたり別れたりで、女同士の気楽な付き合いを今、楽しんでいるらしい、
たまの海外旅行、月二回の油彩教室を現在も続けながら、次は書道もやってみたい・・、
俳句だけでなく次々にしてみたいことがあるようで、話を聞きながら、彼女らのしたたかな強さに触れたような気になりましたわ、

句会の内容、持参するもの、会進行の様子などを話しながら小一時間、
地元駅前にできたばかりのコメダにて話をした、
コメダは最近のお気に入りスポット、店内が綺麗で椅子も座り心地がまあまあだし、一人あたりの専有面積が他の似たようなチェーン店系珈琲店に比べ、ゆったりと作られている、
午前11時前なら、モーニングセットもあり、トースト一枚とゆで卵がサービスとなる、
新聞雑誌も比較的多くおいてあるので、図書館の帰りなど立ち寄るには絶好の場所なのだ、
これだけ言ったのだから、なんかくれ (笑)


句会の説明ばかりで俳句の話はなにもしなかった、
このぼくが俳句とは・・、などと説明するのは20年早いと自覚している、

またその内容ならぼくよりも主宰が説明されるのが本筋だろうしね、
ぼくは、案外、義理堅く、こうした「筋」を大事にする、

仁義が廃ればこの世は闇なのだ、、
昔から、任侠の世界に心情的シンパシーを感じてきた・・・、まあいいや、、


十二桁の個性なき身や北の吹く


2015年11月2日月曜日

なるほどなるほど

なるほど、は一回でいい・・、

先日、図書館には新刊本が少なくて結局買うことになってしまい本が増え続けて困る(精神的に困るわけではないのだが、社会的経済的に下の中に在するかと思われる我が家のスペースがそれでなくても狭いのに本に占領されてしまう、それで困るの意味)、と書いた、

そのことに関連して、出版社側からの言い分が新聞に掲載されていたので、取り上げてみようと思う、
近年の若者の本離れともいうべき現象が、その背景にはありそうなのだが、、

10月15日、16日に東京都内で開かれた全国図書館大会(こういう大会があるのだなあ)の席上、新潮社の佐藤隆信社長から「新刊貸し出し猶予」について発言があったのだとか、
それは、

「増刷できたはずのものができなくなり、出版社が非常に苦労している~売れるべき本が売れない要因の一つは図書館の貸し出しにある」というものだった、

新潮社を旗振り役にし、著者と版元の合意がある新刊について「貸し出しの1年猶予」を求める文書を11月にも図書館側に送る予定、だそうだ、

そもそも、国内の書籍(雑誌を除く)の売り上げは1996年のピークから減る一方で2014年には7割弱に落ち込んでしまった、とりわけ漫画出版などをもたない文芸系出版社が苦境にあるのだとか、、
ところが、出版社不況の一方では、全国の公立図書館は増加傾向にあり(それは知らなかった)、この10年で400館以上増え3246館に、同時に貸し出し冊数も増加するというわけだ、

図書館で貸し出しさえしなければ本がもっと売れたのに、という出版社の言い分が見て取れる、

たしかにそうしたことはあるだろう、それはわかる、、

読み手側の言い分を少し遠慮がちに述べてみるならば、読後、手元に置いておきたい本がある、かと思えば、読んでいる途中でぶん投げたくなる本も正直ある、

ぶん投げたくなる本を金を出して買ったときのやるせなさ、情けなさ、鬱陶しさ、こんな本のために出したお金がもどってこない悔しさ、、

読書が好きな人なら誰でも経験あることだと思うのだが、その点について出版社側はどんな対応もしてきてはいない、
買った商品が気に入らない場合、2週間以内であるなら返品可能という消費者の利益保護制度もあるのだが、その制度はなじまないのか、本には適用されない、

感動して読んだのにもかかわらず、また内容が大いに参考になったのに、つまらなかったといって本代を請求してくるズルイ客も予想されるので(この手の、心根の卑しい人間はいつの時代にでもどんな場面にでも居るものです)、返本可能制度が導入される見込みは当分ないのだが、
そこにこそ図書館の存在価値の一つを、ぼくは見いだしているのですけど・・、

文藝春秋社が出している直木賞や芥川賞をはじめとする各賞、それらの受賞作をその年に読むことはまず絶対ない、ぼくなので、この手の出版社の売り上げには貢献していないのだが、何年かしてその受賞作が残っているのならば、残されているほどの価値があった本ならば手に取ってみようとは思っている、

単なる話題作りのための出版社側の思惑に振り回されたくはない、というのがその理由、
その年話題になったままで消えていったいわゆる「作家」の数のなんと多いことよ、
わかっているだけでも、椎名なんとか子さんどこいった、あとはアレでしょう、コレでしょう、あっソッチにもいたね・・、

そんな根無し草のようなアテにならない「作家」の作品に時間と金を使うのなら、青空文庫に収録されている古典を読んでいたほうが、なんぼかタメになるし、楽しいし、有意義な時を過ごせるというものだ、

なので、これからも文芸系新刊には手を出さないぼくなのだが、出版社が苦境にあるのであれば、倒産してなくなっては困るので、図書館での「新刊本の貸し出し1年猶予制度」には、基本賛成です、

なぜなら、1年の間にどれだけの「新刊本」が「新作家」たちが消えていくのか、見てみたいから、、、

2015年10月21日水曜日

日々読書

あいかわらず本を読んでいる、乱読雑読淫読の日々をおくっている、

図書館にも通うのだが、置いてある本が古く、新刊本の数が少なく、あっても誰かが借りていてなかなか、手に入らない、
興味ある本に行き着かないこともしばしばなので、どうしても自分で買うことになる、
なにしろ、パソコンコーナーには、いまだに「WindowsXPの使い方」やらが置いてあるのだから・・、

利用するのはもっぱらアマゾン、
気に入った作者の著作に掲載されていた、紹介されていた本を追いかけたりして、本がどんどん増えている、

ちなみに最近追いかけたのは、亡くなってしまった女優の高峰秀子さんのエッセーいろいろ、
映画「二十四の瞳」の大石先生を演じた方だといえば、ある程度の年配者ならば皆、わかるだろうか、
生涯に400を超える映画に出演した、日本を代表する大女優、
彼女のエッセー数冊を手に入れ、しばらく(二週間ほど)読み暮らした、

そのあと、新劇出身の女優、吉行和子さんのエッセーやら、エッセー+俳句やらを数冊、

今は、また以前にも目を通した開高健氏の著作にもどっている、
彼のエッセー集「白いページ」が最近のお気に入りで枕元に置き、睡眠前の小一時間、愉しんでいる、

それは、文庫本サイズにしては分厚く、厚みは4cmはあろうかと思われる、
文の容量もエッセーの内容もぎっちりと詰まり、読んだあとも最中も、活字の洪水に襲われたかのよう、
開高節ともいう言葉のつながりを次々に書いていく書き方、いわゆるこれが彼の文体というのだろうか、
よくここまで思いつくものだと感心させられる、

学生時代に何かの授業で、テーマ(主題)や内容がその作家なのではなく、文体こそが作家なのだ、としきりに主張した講師が居たことを思い出した、

そういえば、野坂昭如氏のあの饒舌な文体、松本清張氏の乾いた文体、大江健三郎氏のいかにも翻訳調なあの文体、山本周五郎、藤沢周平、池波正太郎、吉村昭、本多勝一、志賀直哉、漱石、龍之介、鴎外、、
これまで読んできた日本文学のさまざまな作家の顔やら本やらが、ここに掲げた以外のいろいろな作家も含め、思い出されてくるのだ、

こうしてみると、女流作家が出てこない、
有吉佐和子、山崎豊子、武田百合子さんら、目にもし手にも取り、読みふけった作家たちもいたのだけどね・・、

写真は、いつだったか昔、撮ったままになっていたもの、
それ自体がゴミになってしまっているという自虐風景が、人の社会にもあてはまる光景があるような気がしてなにやら面白かった、、








2015年10月19日月曜日

延期のこと

あまりにも白血球の数値が低く、今日の治療は延期となった、

経過が悪く、放置すれば甚大な損傷を身体に与える場合には、数値の低下にかかわらず治療を実施することもあるらしいのだが、経過良好で、癌もほとんど消えているので、ここは焦らず少し様子をみましょう、ということだった、、

だからあまり落胆しないようにと、医師から告げられた、

ありがたい言葉だと素直に受け止めた、

次回予定は、11月9日10日、

それまで3週間、またヒマな(という何に使ってもかまわない贅沢な)時間が、待っている、
久しぶりに、ギターのコード進行でも練習しようかなあ・・・、

次回の句会の兼題は「北窓塞ぐ」とか、

心にも家にも北窓塞ぐ日々  どうだろう


2015年10月16日金曜日

病状徒然

三回目の抗ガン剤治療を来週にひかえ、昨日は体調のチェックと、二回目までの治療の結果把握のためのCT検査があった、

目に見えるところや触ってたしかめられる場所、たとえば首まわりや鼠径部、脇の下などの腫瘍は明らかに消えているのだが、体内の腫瘍がどうなっているのか、みてみようという検査なのだ、

結果、

明らかに腫瘍は萎縮し目視では確認できないほど小さくなっているのがわかった、
「良かったですね」
普段、患者を安心させる言葉をほとんどいわない担当主治医からそう告げられた、

この病気には完治という概念がなく、寛解という、
比較的おだやかな状態が保持できている、という状態なのだろう、

こうして、治ることは治るのだがまた再発もしやすく、次の再発はいつなんだろう、というのが医者とぼくとの共通の話題、

「早い人だと半年で再発することも・・・」

そのときに使える抗ガン剤があるのか、新薬の開発は間に合うのか、などなどに関心がいくのだ、
二回の治療で効果があったので、ここで止めてもいいのだがと、医者が、、
まあ、中途半端なので予定の四回は続けましょうと、、、

六回までは治療可能なのだが(徹底的に癌をやっつけるという意味で)、ぼくの骨髄細胞がその回数に耐えられないことが予想されるのだとか、

抗ガン剤のなかでも副作用が少ないといわれるトレアキシンなのだが、それでも骨髄中の造血幹細胞にダメージを与えるのは避けられないので、あくまでも様子をみながら慎重に治療を進めていく方針なのだと、きいて安心した、

ここまできて焦ることはない、
次の再発に備え、骨髄の損傷をいかに少なくとどめておくのか、医者はそんなことを考えているようだ、

「完治はしないのですよね?」
医師からかえってくる答えを知っていながら、あえて聞いてみた、

医師は、ただ笑っているだけで、言葉は何もなかった、、



2015年10月5日月曜日

散歩

体調もよいので、少し遠出の散歩をしようかと、たまたまやってきた石神井公園行きのバスに乗って、でかけてみた、

地元からは、地下鉄が二本、有楽町線、副都心線が走り、東武東上線もあり、バス路線もいろいろある、

JR吉祥寺駅までや大泉学園町、石神井公園までならバスの直行便が一時間に4本ほど走っていて便利なのだ、
吉祥寺までなら約1時間、石神井公園までなら30分ほどのバス乗車で現地に到着する、
一度、池袋や新宿まで出ることがなく、都心を横に突っ切る形で行き来するそれは、渋滞や事故でもないかぎり簡便に安価な小旅行を愉しむことができる、

始発から始発なので必ず着座できることも魅力の一つ、

で、今日は石神井公園まで、
ここには以前も訪れたことがあり、たしか、ワニが出たとかカミツキガメがいたとかで話題にもなった公園のはず、周囲数キロメートルほどの小体な池があり、白鳥型の足こぎボートがあったりして家族連れや若いカップルで賑わいをみせている、

ボートには乗らず、池の周囲を歩いて回ることにした、
30分も歩けば一周できる、
天気は曇りで、汗もかかず散歩にはちょうどよい、

家を出るときに写真を撮ろうと、今日はがんばって重い一眼レフを持参したので、その重みが肩にくいこみ、少々めげる気持ちになった、
コンパクトデジカメのお気に入りも持っているので、どちらにするか、いつも迷うのだ、
結局、その日の気分で重たい方をとったり軽い方になったりするのだが、遠出をするときは、重たい方を選びがち、
気合いをいれて撮る、という気分になるのだろう、

なあに、気合いを入れても町中のスナップ写真ばかりで大したものは撮らないし撮る腕もないのだけれどね、、、

写真を数枚、アップしておいた、

たまたま管弦楽の練習風景にでくわした、
ちなみに指揮者の人物はまだ若い男性でした、
休日に管弦楽の練習をおこなっている公園、やはり地元とは違い、東京の文化を感じさせるのだ、








2015年9月26日土曜日

なんとか危機脱出

と書くと、なんだか危機が訪れたみたいじゃないか、と思われるのだが、副作用による発熱があり、
それも40℃を超えてしまって・・・、ね、危機的状況でしょ?

詳しくは、だったの過去形であり、今はなんとか治まったので安堵安堵、

発熱やらめまいやら吐き気やら、治療にともなう副作用についての説明が医師から手渡された小冊子には書かれていたのだが、これまでそれに関しては目立った経験がなかったので、あまり注目することもなく過ごしてきた、
食欲も落ちず、めまいもなく、吐き気もなく、まったく通常のまま、のほほんと抗ガン剤治療をおこなってきた、なんとも説明のしにくい、身体強健なのだが弱体なのだかわからない肉体の持ち主である自分、

それが、今回は、熱を出し、8.9℃、9.4℃とわずか2時間の間にみるみる上昇し、40℃を超えるころには、死ぬかと思った次第、
振り返ってみるに、発熱の経験がこれまでの長い人生の中でほとんどなく、風邪をひいたときでも8℃を超えることはなかった、それが40℃を超えるとは、、
この歳で(どの歳だよ)、40℃を超えるのはつらいでしょう~~、

何かあったらすぐ連絡を、と言われてはいたのだが、連休最後の日でもあり、(駆けつけるのは)大げさなのかなあ、などと遠慮する気持ちも多分にありためらっていたのだが、熱が下がりそうもないので、タクシーを飛ばしかかりつけの大学病院まで、

感染症か合併症か、そちらの方をまず疑われ、胸のレントゲン写真を三枚、採血による血液検査、
あとはその結果待ちの、おおよそ2時間、、

肺は綺麗で血液検査の結果も、今の状態では正常な値を示しているとか、
熱冷ましの薬をもらって帰宅の途についた、

その後、大量の発汗があり(下着からシーツまで濡らすほどの)、なんだかツキモノが落ちたようで、見守っている家人はともかく、本人はスッキリとした気分に、熱い珈琲が飲みたい気分に (笑)

まあ癌と闘っている体内闘争の象徴なのでしょう、
発熱くらいは仕方がないか、と思える今日この頃、なのだ、

タレント夫婦の片方が乳癌になったとか、無事手術に成功しただとか、これからは手術を終えた相方を家族で支えていくつもりであるとかの与太ニュースがテレビ欄の大部を占めていた、

それとぼくの記事と似たようなものなので恐縮なのだが・・・、



うちのかあちゃんが乳癌になりましてー、
手術しましてー、成功しましたー、これからみんなで励ましあっていこうかと・・・・、、

そんなのはそっちの家の中で好きにやってくれよ、なのだがなあ・・、
興味の無いよそのおうちの娘のお遊戯会のDVDを見せられるくらい時間の無駄遣いなのだ、

どっかの家庭のかあちゃんのおっぱいの右か左かわからないが、なくなろうがなんだろうが、日本国民にとって主要な問題ではないと思うのだ、
いや乳癌一般の問題は、大問題ではあるのだよ、

よその家庭の問題をそこまで大げさすぎる記事にするマスコミの姿勢、アホらしいやら、バカらしいやら、この国で生まれたことが情けなくなってくる、

今でも国会周辺で声を挙げている戦争法案反対の市民の声を届けてくれたほうが、なんぼか良いものを、真剣にそう願う、

取り上げていた家族には、縁もなければ何の利害関係もないので、ここでこうしたコメントを書くことも、彼らを責めているようで申し訳なく思う気持ちもある、
家族にとっては大変な問題、どうか、一家力を合わせて乗り切ってくださいとエールをおくりつつも、

そんなことを何時間も使って放映するのかよ、このアフォマスコミがと、我が国のマスコミの在り方に、たまにヒットを飛ばすものの、時の政権者に対する批判の視線欠如という点で、マスコミの精神を捨てたのか、金で売ったのか、そのどちらもなのだろうと、常日頃感じているので、そのまま書いてみた、

あの資本主義総本家アメリカですら、時の大統領を退陣に追い込むような痛烈な批評と、手に入れたトップシークレットの暴露すら許す社会的器量が昔はあったのに、昔も今も一貫して時の勢力優勢なる方の味方であることを社是としているかのようなNHK 文春、フジサンケイグループはともかく、朝日、お前までもかと、言いたくなる我が国の昨今、

他人のかあちゃんのなくなったおっぱいについてコメントするひまがあるなら、その10倍の時間を使って、沖縄県知事が海外で語ってきた内容を、彼が世界に向けてどんなメッセージを発信してきたのか、それを伝えろ、、

他人のかあちゃんのおっぱい(しつこいな 笑)話は、この際どうでもいいだろうーー、




2015年9月22日火曜日

シルバー連休

だと、、

5月がゴールデンウィークなので、9月はシルバーということなのだろうか、
シルバーでなくても、プラチナでも銅でもよいと思われるのだが、どちらにしても、こちらには関係ない、

いつも感じることなのだが、ファッションの流行色やスタイル、今年の秋はカーキが流行だとか、少しミニが復活だとか、茶系のタートルネックがとてもお洒落だとか、いったい、どこで誰が決めているのか、

日本ではデパート系のデザイン室、イタリアフランスなどヨーロッパでは、ファッションリーダーと目される各メーカーが決めているのだろうか、

若い時、新宿伊勢丹のデザイン担当責任者と仕事をする機会があった、
JUNやVANがまだ現役のころ、長髪にノーネクタイ、緑色のカーディガンをざくっと羽織った彼は、いかにも美術系ヤサ男、
体育会系のぼくとは、真逆の位置に在ったのだが、仕事上何回か対話することがあった、
まだ年若いと見えたのに、伊勢丹のデザイナー責任者だという彼、

その彼に、疑問を率直にぶつけたところ、秋の色は春に、来年の春の流行色は今年の秋には決めてしまい、それに合わせて各衣料メーカーが作るのだよと、きいたことがある、

結局さあ、流行なんていうものは、デパートのデザイン担当が勝手に決めているのだよ、

今年は白が流行りますとか、アース色(地球色)が、とかなんとかいっても、去年のものを着せたくなくて、
毎年同じ服を着るなよなあ、新作を買ってくれないと困るじゃないかあ、今年も新しいのを買えよなあ、
ということなのだ、、

流行に過敏なわけがないぼくにとって、世間がどうであれ、モテ男がどのようなファッションを着るのか意に介さないぼくにとって、着たいものをいつまでも着ているぼくにとって、流行というものは、永遠に交わらない平行線のようなものかもしれない、

ブランドでなくても、清潔で毎日洗濯してあれば、安い下着でもいいじゃないか、

安心してください穿いてますよ それでいいと思う今日この頃・・、



2015年9月13日日曜日

今日は句会

行く秋や枕代わりの旅鞄

やがて来たる時を静かに秋の蝉

秋寒や背中を探る聴診器

爽やかな大地引き裂く雨嵐

団栗の丈それぞれも争わず

大颱風ガリレオガリレイ嚔せり

いくつか用意し、会場でどれを投句するのか決めようと思っています、

類想を避ける意味から、またオリジナル性を強調したいがため、奇抜な言葉や言い回しをなんとか思いつき、また使ってみたくもなるのだが、なるべくそれらを避けて、平明な言葉、用句を用いて詩のようなものを作ってみたい、探してみたい、
そこに季語があればなお良し、のような心境の今です、

心のふるさと という言い回しは今でこそみんなが用い、日本語として多用されているのですが、最初に使ったのは早稲田大学文学部教授だということは、あまり知られていない事実だと、何かの本で読んだことがあります、

さて、心境はともかく、それが成功しているかどうか、、、

わからない、


2015年9月12日土曜日

茄子紺

日本人は、色々な色に(シャレではないよ)名前をつけ色そのものを愛でてきた、

極めて日本的というのか、決して東南アジアや欧米にはない習慣だと思う、
北から南へ細長く伸びた島国の日本では、四季折々、各地にさまざまな光景があり、
様々な習俗や文化が地域性と独自性を加味しながら、色を、つまり自然を愛でてきたのだと思う、

浅葱色、小豆色、鶯色、江戸茶、江戸紫、柿渋色、辛子色、京紫、古代紫、嵯峨鼠、錆利休、、、

あ行から順に選んでもこれだけの色があり、楽しく勉強にもなる、
それぞれの名前の色がどんな色なのかは、調べてもらうことにして、茄子紺、

茄子の紺色のこと、

それを見ていただこう



まあ、上手に漬かった糠漬けのご披露、つまり自慢話なんだけどね(笑)

ネットで買った冷蔵庫にしまっておける糠漬けの元に、同じく茄子の紺色を色よく仕上げるという、
鉄の塊(たしか、家庭用具の形になっていた)を入れてみた結果、この色が得られた、

お薦めは人参なのだけど、キャベツも美味しい、セロリも美味しいわよ、タマネギも試してみてと、糠漬けを作っているという話から、いろいろこちらでは盛り上がっている、

ほどよく発酵し、栄養も旨味も付加された糠漬け、朝晩かかせませんわ 奥様!

ちなみに使用している皿は、沖縄で暮らす子どもから送って貰ったもの、
漬け物に合うので、いつもこの皿に盛っている、感謝感謝なのだ、、




2015年9月7日月曜日

文庫本

ながら族という言葉が今日でも有効なのかどうか、知らない、

なになにしながら、何かをする、
一番身近な例で、またその愛好者も多かったのは、ぼくがまだ若かった頃、今から数十年前のことなのだが、ラジオを聴きながら受験勉強をする、という「ながら族」だろう、

音楽を聴きながら、掃除をしたり車を運転したりジョギングや一杯飲むのもある意味「ながら族」なのかもしれない、

最近、もっぱら寝ながら本を読むことが多いので、今でもながら族を自認しているのだが、その際、読む本はどうしてもサイズの小さな、手に持って軽いものに限定されてしまう、

文庫本の数倍の大きさと重量がある単行本を寝ながら読んだこともあるのだが、一時間も保たなかった、
フォントサイズが大きくて、目には優しいのだが、とにかく重い・・、

こちらはあくまでも寝ながら読むことにしているので、仰向けの姿勢が多くなる、
両手に持ち、ページをめくる時には片手でおさえ、右手の小指の外側で本を支えながらめくることも、何ページも読むとなると負担が大きい、

寝ながら読書族には、文庫本サイズが適当でありがたい、のだが、、

写真を見ていただこう、


たまたま近くにあった文庫本のいろいろを並べたものなのだが、問題はタイトルでも内容でもなくて、その大きさ、縦方向の長さ、つまり本の高さをみていただきたいのだ、

写真ではわかりづらいと思われるので、説明をすると、一番右が朝日文庫、次に、右から順に、中公文庫、文春文庫、新潮文庫、知恵の森文庫、ハヤカワ文庫となっている、

朝日文庫が一番背が低くて、右から4つめまで、中公文庫から知恵の森文庫まではほぼ同じ高さ、ハヤカワ文庫だけ突出して高くなっている、

文庫本というのは、ぼくのこれまでのイメージは、A4であるとかB5サイズのように、文庫本サイズというのが決まっていて、どの出版社もそれに準じて本を作製出版しているのだと思っていたのだが、そうではないことに今日、気づいたというわけだ、

んーーー、

ネットで”文庫本サイズ?”と検索したら
文庫本のサイズはA6(105X148)が採用されています。
文庫本以外にもライトノベル(ラノベ)も同じサイズが標準です
がヒットした、

と、決められているのに、それぞれの出版社の思惑?からバラバラまちまちだったのだなあ

ちなみにハヤカワ文庫は高さ158mm 朝日文庫は148mmだった、
朝日らしいというか、なんというのか、きちんとルールに則り、文庫本サイズの本道を守っていたのはいかにも・・、だよね

さて、これからが本論なのだが・・・、長い前振りですまん (苦笑)

サイズが違って困ることがある、

お気に入りのブックカバーに、本が入らねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ









2015年8月24日月曜日

通院

1クール最後の施薬、リツキサンの点滴に日大まで、

今日で1クールが終了し、おおよそ一カ月後に、2クール目が始まる、

まったく現代医学の進歩は大したもので、あれだけ目立っていた腫瘍が、たった一回の施薬によって、みるみるうちに消えてしまった、

鼠蹊部の腫瘍、下腹部にびらんと下がっていた腫瘍、右首回りに固くしこっていた腫瘍、そのどれも今はないか、小さく目立たなくなっている、

前回の抗癌剤治療からおおよそ6年、医師が予見していたとおりに再発し、今回また新たに治療が始まったわけなのだが、今回は前回と違い、新薬という味方がある、

それもかなり強力な味方っぽいのだ、
HP15くらいが今のぼくだとして、HP77くらいはありそうな強力の持ち主みたいだ、

こうしてまたあと5年くらいは生きて、また再発し、その時にも新薬ができていて、なんだかんだと75歳くらいまでは生きていくのだろうか、

あと10年かあ・・・、、





2015年8月19日水曜日

秋の蝉

俳句の世界では、蝉は夏の季語となっていて、秋の句会の席題に用いられることはない、
太陰暦を採用していた明治時代以前の季節感と、現代のそれとでは約一ヶ月ほどのズレがある、

おおざっぱにわかりやすくいえば、太陰暦の五月は、太陽暦の六月、

昔の五月雨と、今の梅雨とは、じつは同じ雨のこと、
台風襲来にともなう集中的な雨降りのことなのだ、

ズレているのにもかかわらず、俳句の世界では相も変わらず太陰暦を元にして当季の季語を決めているので、8月はまだまだ暑く夏の盛り、汗が噴き出してくるというのに、もう秋だなあ、の俳句を作らなければならない
というのが現代の俳句なのだ、

※有季定型俳句ばかりでなく、無季無形を認めている会もあるので、一概にはいえないのだが・・・、

現代の月(month)と、俳句の世界での季節区分は、

2月3月4月 春
5月6月7月 夏
8月9月10月 秋
11月12月1月 冬
1月のみ特別に(別格という意味で)   新年 としている

と、なる

2月といえば感覚的には冬まっただ中、それなのに、俳句の世界ではだという、
俳句を始めたばかりの誰もが経験する、なんだか納得できないことの一つである、


ちなみに、「蝉」は夏の季語、
今月8月、蝉を見かけたとしても、そのままを詠んだのでは、叱られる、

今日のタイトルをわざわざ「秋の蝉」と名付けたのには、そのような背景が脳裏にあったから、



訪れる時を静かに秋の蝉  山河


で、油蝉、
バス停の裏にある桜の樹にとまっていた、
鳴き疲れたのか、ただじっととまっているだけ、まもなく訪れるであろうお迎えの時を静かに過ごさせてあげたくて、邪魔をしないように、そおっと写してみた、

写した機材は、iPhone6 
今年7月にアップルのスマホに替えたばかり、いろいろ機能を試している最中なのだ、
iPhone6で撮った写真は、メールで自分のPCに送り、そこでサイズやら明度を変えてアップしている、


2015年8月16日日曜日

病状日記 笑

他人の病状を誰が面白くて読むのか、という話にもなるのだが、他人だけでなく、肉親や、肉親同様の何人の方々が読んでおられるというので、ある程度、状態が定まったら報告しておくことも意味は、小さいけれど、あるだろう、

ぼくの病気の正式名称は、
低悪性度B細胞性非ホジキンリンパ腫、というものらしい

同じ病気で、低悪性度、中悪性度、高悪性度と3種類あるのだが、
低悪性度というのは年単位での病気の進行、中悪性度は月単位、高になると週単位と、大幅に進行の速度が速まる、ようなのだ、

おおよそ一万人に一人の割合で発症する血液の癌で、他の癌、胃癌や肺癌、大腸癌、乳癌、子宮癌などと比べて症例は少ない、

低悪性度で始まった病気が、途中、悪い方に転化し、中ないし高になることもたまにあるのだとか、
それぞれの程度で、使われる薬剤や治療法が違うので、どの病気なのか、癌の性質を見極めることがとても大きな意味をもつ、といわれた、

なので、先月、血液検査、PET検査、生体検査(5泊の入院をともなった)などなど、徹底的な病状の解明を目的とした検査をおこなって、6年前に発症した病気、つまり低悪性度のまま、だということがわかったのだ、

中になっていたら、また高悪性度だったらどうしよう、さすがにぼくも少し悩んだ、

検査の結果、運良く? まあ、不幸中の幸いというのか、悪い方に転化していないと確認されたので、ようやく治療方法が確立し、明日、17日の月曜日から治療が始まることになった、

2010年に承認されたトレアキシンという抗癌剤で点滴治療をおこなう、

余談なのだが、トレアキシンは、東西ドイツの合併時に、西ドイツの医師団が東ドイツの医療資料を調べたときに発見されたもので、「東ドイツ、良いもの持ってるじゃないか」と、言ったとか言わなかったとか・・、
副作用も少なく治癒率91%と高い効果をしめす、

2010年でっせ!今からたった5年前のはなし、、
存在はしていても日本での治療には使われていなかったのだ、
ということは、それ以前に発症した多くの患者は、この薬の恩恵に浴することなく・・・、

この薬は低悪性度の患者だけに効く薬、もし、中や高に転化していたら、と思うと、ほっと胸をなでおろしてみたくなる気持ちもわかってもらえるはず、

施薬を実施し、その後一ヶ月休み、これを予定では4回くりかえす、

8月9月10月11月、年内には治療を終えるはず、
副作用も少ないので、入院でなく通院での治療、点滴に要する時間も1時間~5時間、
まあ、じっとしていればいいので、楽なのだ、

ぼくにとっては、ただじっとベッドで寝ているだけの状態がとても苦痛ではあるのだが、この際、仕方ないだろう、


で、また、余談なのだが(今日は余談が多い)、
一回の治療にかかる費用が100万円なのだとか・・、まじ?!

でも、社会保険適用の3割負担で30万円、高額医療費補助制度を利用して、なんとか8万円を超えるぐらいで収まりそうなのだ、
欠陥があるあるといわれてきた我が国の社会保険制度なのだが、今回は保険制度に助けられたようなのだ、
まだ実際に治療費を支払っていないので、はっきりしたことは言えないのだが、

1回の治療で100万円、4回で400万円、出せない、
たとえ出せても治ってから生活できないし、、

病気が治っても貧しさが原因で死んだりしてね 苦笑、

まあ、明日からの治療、行ってくる!






2015年8月6日木曜日

川柳の力

まずは読んでいただこう


誰だって戦争なんか行きとない      三重県 毎熊 伊佐男

すばらしい意見と思う「行きたくない」   東京都 林 葉子


朝日川柳 西本空人選 2015・8・6 より



自民党代議士 武藤滋賀4区氏のあのツイートに対する明確な回答となっている、


ここで書くことは、できるだけ他とは違ったことを書くようにつとめてきた、
しかし、日々伝えられるニュースの中で沖縄に関係するできごとや動きに、沖縄に浅からぬ縁をもつぼくは、決して無関心ではいられなかった、

普天間基地移設から辺野古埋め立て問題へ、いろいろ取りざたされてきた、それらをニュースで知るたびに胸にざわざわと波が立つような気がした、

それほど沖縄に思いを寄せながら何も書かなかった(書けなかった)理由らしきもの、それは、書くならば正確な事実と確かな状況把握に基づいて書きたいから、というのが一つの大きな理由、
それは膨大なニュースの中から一つ一つ事実を取り上げ積み重ねていくという重く限りない時間を要する仕業となる、その作業に、今のぼくは体力がもたないことがまた別の、かといって無視できない大きな問題、

ならばぼくと同じ観点からものを書いてくれる世の識者の意見を紹介することに(たぶんコピペで済むはずの比較的楽な作業となるはず)、努めたほうが、より良い

そして、そのコピペで済むだけの話を、ここで披露することへのためらい、
それらが複合的に噛み合わさって、結局何も書かなかったわけだ、

70年代の学生運動の末端をかじったぼくは、仰々しいスローガンや、声高く反戦を訴えることに、それが時には必要なことだと熟知していながら、ただそれだけでは力にならないことをわきまえている年齢になった

それら聲高なもろもろは、大河の上を流れていく木の葉のようなもの、本流の力はもっと深いところを静かに流れていくものなのだろう

安保法制の問題をめぐり、専門家である憲法学者だけでなく、国会議員が、主婦が、女子大生が、老人が、医療従事者が、弁護士が、そしてもうすぐに選挙権をもつであろう高校生までもが反対の声を挙げている、

戦後70年の今年といわれている、
70年が節目ではなく、69年も71年もそして75年も、二度と戦争を繰り返してはいけない節目であることに間違いない、

普天間だけでなく沖縄のあらゆる場所から、日本のすべての土地から異民族であるアメリカの軍事基地の撤廃を、

夢でなくぼくはそう思っている、





2015年7月27日月曜日

帰ってきた

4泊5日の検査入院を終えて、帰宅した
やっと口に合うものを食すことができると、なによりそっちをほっとしている

贅沢だといわれることを覚悟しあえていうなら、病院食、ほんとに口になじまない、
薄味でそれでいて甘みが強く、なにより塩気が少ない
高血圧患者や糖尿病患者のことを思えば塩分の制限は理解できるのだが、胃腸になんら問題がない患者には、たとえばぼくのような、食事を支給しないで、出前とか(院内にレストランあり)の方策もありそうなのだが、
それこそ贅沢だと叩かれ、一泊48000円も取られる特別室へどうぞといわれそうなので黙る、

06時起床
08時食事

12時食事

18時食事

午前中に血圧と体温の測定が一度あるのだが、それ以外は、ずう~~~~~~っと、ヒマ・・
今回の入院では、この空いた時間の使い方がかなり深刻な問題だった、

テレビはあまりみないし、ラジオもそれほど聴く方ではないし、本、本の乱読が趣味なのだが、
院内に設置してあるコンビニには、コンビニにあるような本しか置いてない、
当然といえば当然なのだが、それでは、こちらの要求にこたえてはくれない、

みないし聴かないし読まないで24時間を過ごすのは、これは大変だった、
お気に入りの本の長編ものを10冊くらい持っていけばよかったよ、とは本心、

まあ、こんなお気楽なことを書いていられるのも帰宅できた安心感からなのだろう、

しかし、局所麻酔はつらかった・・、





2015年7月18日土曜日

暴力的乳房

暴力的乳房を揺らし水着走る

7月の句会に投句したなかの一句、
主宰からお褒めをいただき、天賞にとっていただいた、
久しぶりの天賞だったので、少し嬉しい、

「この水着の女性は、はち切れそうなふくよかな胸をゆさゆさとゆすり走ってゆく。
傍目はいっこうに気にすることなく、むしろ自慢の肢体を浜辺の人々に見せつけているのでしょう。
それをまるで暴力のようだと表現をした。のびのびした現代女性の一面を炙り出してもいる。
暴力的という作者の目に、意外性があり、活写が効いていて映像も見えてユーモアに富んだ作品となっている」
との、評を頂戴した。

たまたま大きく振ったら、ホームランになったかのよう・・・、

句会にもいろいろあって、新しく入会した人、古くからいるのに最近顔を見せなくなった人、
認知症が始まり参加を家族に止められてしまった人などなど、

嬉しい言葉をきいた、
あなたが居たから私は今まで(俳句を)やってこられたのよ、と言われたこと

上手くもなくこれから上達もしないだろう自分だけれど、
どんなに駄作だと思える俳句も世界でたった一つの句、
自分の感性、自分目線を大切にしよう、人マネはぜったいダメ、
文法とか、句作のルールとかではなくて、句会のしきたりなどではなく、
言ってきたのは、ただこれだけだった・・、

それが良かったのか、どうなのか自分ではわからないのだが、途中で止めないで続けてきた人の背中をいくらかでも押して前へと進めたのだから、きっとよかったのだろう、



来週木曜日から検査入院で4泊5日、いよいよ本格的な抗ガン剤治療が始まる、

生検(生体検査・患部を切り取り、患部の状態と質を見極めるための検査)後の抜糸までの間、少し入院してください、といわれた、
患部を大きく切るので、念のための入院なんだとか、
6年前の入院以来の久しぶりの入院、局所麻酔による切開さえなければ、ベッドで寝ている時間ばかりのような入院なので気が楽なのだが、

パジャマを買わなければ、私物をしまっておくキャスター付き旅行カバンを買わなければ、ほとんどはそろっているのだが、この二つは、持っていなかった、





2015年7月7日火曜日

病状

実生活になんら支障はないものの、また腫瘍が大きくなってきた、

右鼠径部の放射線治療がかなり効果を上げ、まったく無くなってしまったとこの前書いた
今度は左鼠径部が膨らんできている
大きさは鶏卵より少し小さいくらいの大きさ、痛みも痒みもなにもないのだが、気になることは気になる、

大きくなって欲しいところはそうでもなく、ご近所なのに関係ない場所が大きくなるとは・・、苦笑

右の耳の下、首回りのリンパ腺も腫れてきている、
言われなければ気が付かないよ、とは友人の弁、

今日は通院の日、
放射線科の医師と面談、

気になるのなら鼠径部と首まわりを一緒に治療も可能ですから、と嬉しいことば、
ただし大学側が儲からないけどね(笑) だってさ、

明るい先生で助かった、

来週の月曜日は内科の診察日、いよいよ抗ガン剤治療が始まるのだろうか、
新薬ができて、治療が可能になったのだとか、
この前の抗ガン剤治療は今から6年前のこと、新薬治療をすればまた5、6年、4、5年は命を永らえることができるのだろうか、

血液の癌はいうまでもなく全身病、一部を切り取ったりつまんでみたところで根本的な解決にはならない、
抗ガン剤を全身に巡らせ、病巣を叩くしか治療法はない、のだ

まあ、こうして治療を続けながら、画期的な新薬の登場を待っている、

短くてあと4年、長くてあと9年だといわれたこの命、
どうなるのかなあ・・・、

どこかの女性に、もう一人、子どもでも作らせるか・・^^;

そんな冗談を言ったら、いくらあなたの子どもでも育てるのは私はごめんですからと、連れ合いが、、

そりゃそうだわ なあ?!


2015年6月25日木曜日

収穫の時期

ベランダで野菜を育てている、

菜園ともよべない小さなそれらは、ホームセンターの園芸コーナーで買ってきた野菜の苗と鉢、肥料、土などなど、からできあがっている、

一昨年、去年、今年と作り始めて3年、
何度か失敗を繰り返しながら、なんとなくコツのようなものが身についたのか、今年は収穫にありつけた、

ミニトマト、ゴーヤ、胡瓜、大葉、明日葉、ジャガイモ、みな育っている、

完熟したミニトマトの濃厚な味わいに感激し、旺盛なゴーヤの育ち具合に感嘆し可憐な黄色い花を愛でている、

育ててみると皆可愛い、

かけた手間と時間、費用を考えれば、この30分の1の値段でもっと美味しい胡瓜やミニトマトがスーパーで買えることはわかっているのだが、野菜と、自然と共生できる喜びは金銭に代えがたいものがある、

ベランダ側の窓は、全面、ガラスになっていて日当たりもよくカーテンを開ければ表がよくみえる、
朝、カーテンを開けると真っ先に目に飛び込んでくるのは、育っている野菜や花々の数々、
それが目に心地よい、

なんだか穏やかな気持ちになるのだ、

買った土は消毒さえすれば何度も使い回せるし、鉢やプランターもそのまま使える、
苗は数百円のものばかり、大葉150円、ミニトマト180円、胡瓜200円、そんなものなのだ、
おそらく、毎年、春になれば苗を買ってきて植え付ける生活が続いていくのだろう、

小さな、小さな、本当に小さな喜び、
日々の暮らしが、そのような小さな喜びに満たされているのならば、人はそれを幸せとよぶ、のかもしれない、

青い鳥はどこか遠くにいるのではなく、身近な、すぐそばにいるのだなあ、などと、ヨッパライ頭で考えているのだ、


今日は午後からでかけ、明日始まる実験のために泊まりにいく、
車輌で朝でかけると、思わぬ渋滞や事故のために遅刻してしまうおそれがあるとかで、お客からの依頼もあって、前日から乗り込むことになった、

安全靴やら作業服、お泊まりセットなど、荷物は多くなるのだが、ボストンバッグ一つに詰め込み、電車とバス使用で現地、千葉県佐原市まで、

帰りは明日、今日は宿泊だけ、楽な仕事なのだ(笑)

土曜日は将棋の会、日曜日は俳句の会、なんだか忙しい、


夏休み子らは顔伏せスマホ指

昔日の染みは涙か汗手拭

友笑ふしばしの頭痛かき氷

あぢさゐの色それぞれに池之端

なかなか進歩しないのだ 苦笑











2015年6月22日月曜日

空中庭園

池袋、西武デパートの屋上に空中庭園なるものができた、と聞いたので連れ合いと二人行ってみた、

西武デパートは、縦にもそこその高さがあるのだが、横に長く広がっているデパートで、どこに何があるのか、わかりづらいこと甚だしいデパートとしても有名(個人評)、
今、自分がどこに居るのかさえ、建物内部の地図を確認しながら歩かないと迷うほど、

おそらく、建て増し建て増しの連続で、どのようなデパートを造ろうとしたのか造っているうちにわからなくなってしまって、それでもとにかく造ったモンが勝ち、売り場面積日本一を目指してみました、のような発想で、生み出されたのだろう、

その、建て増しの真ん中の部分の9階に、それはできたのだという、

入り口を背にして右側に食事ができるオープンテラスがあり、左側に空中庭園なるものがある、

6月にしては日射しが強い訪れた日は、テラスで食べている人々の頭や体を、当然、注文した食事にも太陽光線がじりじりと照りつけ、遠くから見ていても、お気の毒としか、言いようがない光景だった、

一部には屋根もあるのだが、全体の20%くらいしか覆っていない、
ほとんどの訪問者は、陽の下で食べることになってしまう、

昼よりも、デパートの営業時間中の夜間に行った方がお薦め、だと思われた、
夕から夜にかけて、涼しい風に吹かれながら、生ビールで喉をうるおす、それが一番良いのでは、
お節介ながら、そう忠告申し上げておく、 誰に言ってる。、、

空中庭園とはいっても、デパートの屋上にしっかりと据え付けてあり、決して空中に浮いているわけではない、
当たり前か、、

広さもそれほどでもなく、おおよそ250平方メートルの広さしかないとみた、
幅10メートル、奥行き25メートル ね

それは、食事客を呼び込むために話題を造ってみました感がアリアリな狭小な庭、
10分も歩けば、すべて見物できてしまう、

園のまわりと中央には花が植えられ、池があり、池には蓮が植え付けられていた、
季節なのか蓮には花が咲き、それは目を和ませてもくれた、

天国よりも地獄に興味と関心があるのだが、蓮は天国(極楽)のイメージにふさわしい花なのだろうと、毎回見るたびに納得させられる、
古代インドの思想的宗教的影響を受けていると思われる蓮の花信仰が、日本に定着したのはたぶん仏教伝来以降のことだろう

地上界で正しいことを行った、悪いことをしなかった善男善女たちが永遠の生命を得て、極楽に咲く蓮の花の上で静かな生涯を、永遠に!!過ごせるのだという、

苦からも病からも死からものがれ得た永遠の穏やかな時間の流れ、

たぶん、3日で飽きそうなんだけどなあ・・、


図書館も映画館も野球場もサッカー場もコンビニもないんだぜ、
居酒屋もスナックも〇ープランドも、ないんだぜ、、、
酒もビールもワインも焼酎すらない、

そんな世界が、天国?!





2015年6月16日火曜日

焼きそば

巷に流行るてふ〇ヤン〇ソース焼きそばなるものを食す

さほどのものにはあらず

我、ミーハーなれど、決して迎合せず







一部修正。。

2015年6月2日火曜日

遺憾

の意味?

岩波国語辞典 第六版
思い通りでなく残念なこと。残り惜しく思うこと。

三省堂国語辞典 第四版
十分にできなくて、心残りがする様子。残念。不満である様子。こまったことだと思う様子。

角川書店新国語辞典
思いどおりでなく、残念なこと。残り惜しいこと。残念。

三省堂新明解国語辞典 第六版
十分な結果が得られず、心残りがする様子。

岩波書店広辞苑 第五版
思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。


不正アクセスを受け、年金個人情報が125万件流出したと、日本年金機構が1日発表した。
個人情報には、加入者の住所氏名や年金番号などが含まれ、年金番号の不正利用などにより、本人になりすまし受給が予想される、らしい、

遺憾、とは、それを受けた厚労省担当大臣が、コメントの締めで使ったことば、
「こうした事態は・・・・・・、誠に遺憾に存じます」

指導担当部署の責任者として、自らの責任を痛感し謝罪したものでなく、ただ残念に思う、ということなのだろう、

「残念」ですまないだろう、きちんと謝罪しろよ!

年金はいうまでもなく、老齢によって働けなくなった個人事業者や、会社を定年退職した人と、その家族の生活を支えるための大切なお金、
そのシステムが、不正アクセスを受けたからといって、125万件もの個人情報を漏洩するのでは、システムそのものの脆弱性が問われ、安心できない、ということだ、

サイバーテロともいう極めて現代的なネット社会ならではのこの犯罪、軍事面で優位に立つことを目指し、また経済を混乱させる目的から、政治的に対立する相手国家の中枢を破壊する目的で、北朝鮮、中国はもとより、ロシア、アメリカ、中東の各国によって、国家的規模で、研究実施されていることが常識となっている、

オレオレ振り込み詐欺集団のような、窃盗目的の(小さな)犯罪者集団のしわざだと、一概にはいえない背景があるのだ、

年金個人情報をはじめ、今年10月から番号通知を開始する国民共通番号(マイナンバー)制度では、国民の預貯金や健康診断情報、カルテ、診療報酬明細(レセプト)、戸籍や旅券、自動車登録情報など、あらゆる分野での、個人情報の統合、一括管理を実施する狙いを、今の政府は目論んでいる、

今回の、個人年金情報漏洩が示すものは、システムが不正アクセスには弱いということ、
その弱いシステムに、年金に限らないあらゆる個人情報を託すことがいかに危ういものであるかと、いうこと、

システムのことなんかまるでわかってはいなさそうな一大臣が、遺憾に思う、などと聞き飽きた常套句を並べてすませるような問題では決してないのだ、、

結論
マイナンバー制度は、国家による国民管理を容易に効率よくするためだけのものであり、国民にとってはなんらメリットはない、
マイナンバー制度は、税金や社会保険料などの徴収強化、社会保障制度などの給付抑制をねらったものであり、漏洩流出すれば致命的な被害を招く欠陥制度だ、

盗まれたことが現実となった今日、決して導入させてはならない、

今日は、いつもとは違って、思わず熱く書いたぜ。。





2015年5月28日木曜日

この人は誰?

その人の名前は、

ガントルガ・ガンエルデネ さん

興味がある人は知っているかも、
ない人も、あるかないかどっちでもいいぼくのような普通の人はたぶん知らないだろうなあ

答えは・・・、


このたび大関に昇進した相撲界期待の星 照ノ富士 さんの本名だってさ


角界に外国籍相撲取りが大勢いるようになって久しい、
古くは力道山など朝鮮半島出身者が、ついこのあいだまでは曙、小錦などのハワイ勢が、最近ではモンゴル出身の相撲志望者が特に目立つ、

横綱は白鵬、日馬富士とどちらもモンゴル人、少し前には朝青龍というモンゴル人横綱もいったけ、
詳しく調べたことはないのだけど、今の角界には、50人を超えるモンゴル人力士が明日の横綱を目指し汗を流しているのだという

モンゴル人ばかりが活躍していてつまらないよ、だから俺は見ない、という人を知っている、

ぼくは全然そうは思わないのだけれどね、

特別、相撲に興味がないせいなのかもしれないが、国籍や出身の違い、目の色や肌の違い、話す言葉や習慣の違いなどは、本来、スポーツの世界には無縁な区別の在りようだと思っている、

まあ、相撲がスポーツかどうか、議論が分かれる課題ではあるのだが、ここではそういうことでもう少し話しを進める、

何人であれ、どこの出身であれ、その世界で活躍する、名をはせる人がやはりトップの座を占めるのは当たり前のこと、

モンゴル人が、モンゴル相撲という土壌を背景に、日本の相撲界に進出し、活躍するのなら、大いに結構ではないか、

そうでなければ、野球界のイチロー選手がアメリカメジャーの野球界で活躍することにも否定的な態度を取らなくてはならなくなる、

自分の国の選手が他国で活躍し賞賛を浴びることに賛意を覚えるのなら、まったく同じ理由で、異国からはるばる日本に渡ってきて、知らない言葉、食べたことのない食事に苦労しながら、土俵で汗を流す外国人力士にも、暖かい目をと、そう思うのだ、

強ければそれでいいじゃないか、というのは極論にしても、スポーツの世界、体力と気力、技を魅せる世界では国籍などあまり問題ではない、そのように思っている、

まあしかし、それでもさ、そろそろ日本人の横綱が欲しいよねと、横綱審議会を代弁し語ろうかな(笑)




2015年5月24日日曜日

塵も積もれば山と・・・

これが実は<ならない>のだなあ、

昔、高校で習った数学の等比級数という分野での話で、
(ここから記述が難しくなるのだが、その理由は、内容の難しさよりも、数式を視覚的にここで表現しようとしたとき、この手のブログでは数式を描くツールをもっていないので)

10のn乗分の1 このnに、1からはじまる整数を無限に与えたときのΣ(総和)は?

0.1+0.01+0.001+0.0001+・・・+0.0000000000001+・・・・・・・・・・+無限に続く

と無限に足し算をおこなっても、その総和は無限に(山に)ならないというものだ、

では、その総和はどんな数値になるのか、0.1以上になるのは間違いないのだが、0.2以下なのか、それとも0.3以下なのか、あるいは、1.0になるのか・・、
すでに答えは出ていて、その明解な説明もたしかあったはずなのだが・・・、
思い出せない・・・、うーーーん・・・・、

まあ、答えは

0.111111111111111111111111111111111111111・・・
となって、0.12さえ超えない、となるのだが 笑

どう見ても、いくら塵を足しても山にはならない、よね

そんなことを今朝考えていたら、いきなり数学をもう一回勉強したくなり、アマゾンの力を借りて
「新体系 高校の数学 上(ブルーバックス)」「新体系 高校の数学 下」の2冊を注文した、

このブルーバックスシリーズは、ぼくのように大学には行ったものの、ほとんど授業に出ないで、遊んでばかり?いた者が、もう一回、勉強がしたくなったときに、読み直す際、とても有効な本で、同じシリーズの「高校の化学」「高校の物理」はすでに入手し、たま~に再読している

これで、化学物理数学と理系の3部門がすべてそろったわけだ、
なんとなく嬉しいのだ、

理系学問には、文系のそれにはない良さがある、

人間の感情の外にある真理に近づこうとする学問なので、歴史や文学と違って、民族主義や一部イデオロギーに依存するような国家主義が入り込む隙間が無い、
徹底的にインターナショナルなのだ、

フランスで証明された理論は、ブラジルでもベトナムでも有効だということをそれは意味する、
香港のビル街でもアマゾンのジャングルでもエジプトの砂漠でも万有引力は常に有効だということ、

歴史観における互いの民族の相違というか違和感は、アメリカネイティブインディアンと騎兵隊の関係を想起すればわかりやすい、

お互いの英雄は、相手側からみれば人殺しでありゴロツキなわけで、ネイティブアメリカン、騎兵隊双方に共通の英雄など、あり得ないわけなのだ、

白人アメリカの繁栄の歴史はネイティブアメリカンにとって悲劇の歴史であり、清教徒たちによる西部開拓史は、ネイティブアメリカンにとって土地を奪われ食料を奪われた絶望の歴史でもあるわけなのだ、

塵も積もれば、から、話が飛躍しぼくの記述能力を超えてしまった、

まあ、あれだ、言いたいことは、ことわざだとか教訓めいた話をそのまま信じ込むのではないよ、ということ、
問題はつねに多面的であり、その多面性はまして人間ならなおさら、だということ、

何人もの人間を殺害した犯人がじつは大の愛犬家であったり、謹厳実直だと思われた校長先生がじつは無類の女性好きで買春を繰り返していた、などという現実を、ついこの前も、ぼくらは見たばかりなのだから、、、







2015年5月4日月曜日

いなくなる本

本というのは、BOOKのこと、
大元とか本源とかの意味の本ではない

買ったきたのに、図書館で借りてきたのに、見えなくなることが時々ある、
これまでに3回あった、

買った本ならば、どうしたんだろう、そのうち出てくるさと諦めて気長に待てばよいのだが
借りてきた本となるとそうもいかない、
2週間という期限付きのため、2週間経てば嫌でもなんでも返却しなければならない、

以前、俳人・杉田久女の伝記を借りたときに、その「いなくなる現象」が起きた、
まだ読んで幾日もたっていないのに姿が見えなくなってしまった、
本棚はもちろん、押し入れ、トイレ(持ち込んで読むことが多々ある)、洗面所、はては風呂場の上に設置した簡便な物置まで、何カ所も幾度も探したのだが見つからなかった、
電車の中、バスの中で無くしたのなら、もう出てこない・・・、

本代と同額の金銭を支払い許してもらおうかと図書館でその旨説明したら、それはダメだという、
金銭ではなくあくまでも同じ本を提出してください、と相手も譲らない・・、

仕方なくアマゾンのお世話になり同じ本を手に入れ、期限は相当過ぎていたのだが返却したことにしてもらった、
(このときくらいアマゾンの古本力(ふるほんりょく、造語)の大きさに感じ入ったことはない)

数ヶ月後、いなくなった本が顔をのぞかせた、
それは本棚の後ろから出てきた、
滅多にしない本棚裏の掃除をしたときに、背表紙を下にしひっくり返った状態で発見された、
何かの拍子に落ちたのだろう、

今回、またいなくなってしまった本がある、

色川武大著 食いたい放題 文春文庫

色川氏といえば、ペンネームの阿佐田哲也の名前でも知られた麻雀の名人だとされた人、
惜しくも1989年に亡くなられたのだが、彼がどんなものを食べ何が好きだったのか知りたくなって、この本を買ってみた、のだが・・・、

また、いなくなってしまった、

就寝前の小一時間、布団に体を潜り込ませた状態で仰向けのまま本を持ち、眠くなるまで読むのが長年続いている習慣、
枕元には常時50冊くらいの本が置いてあり、手を伸ばせばいつでも読める状況にあるのだが、その積んである本のどこかに、たしかにあるはずなのだが、見当たらない、
いくら探しても見つからない、

積んである本を上から下へ順に手に取り全部の本を見たのだがどこにもいない、
あちらこちら探し続けたのだが出てこない、
自分で買った本なので返却する必要もなく探すことを中断し、出てくるのを待つことにした、

10日ほど経ったある日、それは突然顔を出した、
枕元ではない本棚の一番下、大型本を置いてあるそこ、その大型本の上にそれはあった、

木を隠すなら森に隠せ、というらしい
本を隠すなら本棚に隠せ、ということなのかしら、

あれだけ探したのに見つからなかった本が、ふっと視線を別に向けた時に、ちゃんとそこに在ったりする、

まあそんなことがあって、残念ながら、我が家に「床下の小人たち」は住んでいないと証明されたようなのだが、まだ見つからない本があと一冊残っている、
これだけはどうしても見つからない、

図書館で借りた、食べ物に関して書かれた馳星周著のエッセイ集、
これだけが、どこへ行ってしまったのか、見つからないまま一年を過ぎてしまった、

古本力を頼り、同じ本を買い求め図書館には納めたのだが、いまだに消えたままになっている、

どこへ行ってしまったのかなあ・・、
まだ半分も読んでいないまま・・・、





2015年4月22日水曜日

縁というものは・・

友人と待ち合わせをした、

JR上野駅、不忍口、夕方6時、、
6時に友人から電話が入り、少し遅れると、

うんうん、わかった、

どのくらい遅れるのかわからないので取りあえず喫茶店を探した、

改札を出た右側に、タバコが喫えるチェーン店系の店があった、
(まあ、つまりドトールなんだけどね)、

店は混んでいて入り口付近から奥まで人でいっぱい、
喫煙席は店の奥の方、頼んだコーヒーをもらい店の奥まで、コーヒーがこぼれないように歩いた、

一番奥のカウンター席に座り、やっと座れて安心したし、まずは一服でしょ、

タバコを取り出し、ライターを、ライターを、あれっ、ライターを・・・
ないんだよなあ・・、ライターがない、

んーーーー・・・、

喫煙席なので座っている皆さん全員、ライターをもっている、
隣の席をみたら、40代くらいの女性がライターを彼女の左側に置いてスマホに夢中・・、

あのー、すみません

は?

ライターを貸してもらっていいですか?

は、はい。どうぞ

一服、

しばらくして、もう一服、

あのーー、、

どうぞ、、

また一服、

隣の席の彼女が待ち合わせの彼か、友人の彼女が来たのだろう、
席を立って、出て行こうとした、

これ使って下さい、
自分の目の前にピンク色のライターを置いて、、、

あ、いや、いやいや、(店を)出れば買えるんで、いいです・・

あ、でも、どうぞ!

あ、はい、いただきます、、

そんな短い会話のあと、彼女は後も振り返らず、店を出て行った、、

んーーーー・・・

(もらっていいのかなあ・・)
(こんなところで出会いって、あるんだなあ・・・)

いただいたピンク色のライターを、今でも持っているといえば、少しは話にもなるのだけれど・・、


若い異性のトモダチから、最近更新してないでしょ、と言われた、
う、うん、
あっ、見てるんだ?

そんなことでまた書いてみました、みいちゃん、どうでしょ、こんなもんで・・・ 
コメントはいいから・・、、


2015年3月17日火曜日

NETトラブル その後

出品した相手とは、送った、届いていないの水掛け論で終始し終わらない、

埼玉県朝霞警察署に届け出て事情を説明、

「相手が、定形外郵便で送ったと言っているのでそれ以上追及のしようがない」
「相手の住所、連絡先もきちんとしていて詐欺の疑いもほとんどない(担当警察官が相手に連絡を取ってくれ事情説明をしてくれた)」
「盗難というには、ビデオ、目撃者、鍵を壊されたその他、盗難を立件する要素がない」
「警察としては、あなたが受け取っているにも関わらず、受け取っていないと主張している可能性さえ考慮して捜査を進めなければならない」
「そうした事情により盗難届けを提出されても受理する事案にはあたらない」
「紛失届けなら受理するので・・・」

と、言われ、足取り重く帰ってきました、

ヤフーにも連絡したところ、ぼくがプレミアム会員だということで(それも忘れていた)、
お見舞い金、また、トラブルに伴う保証金制度があるのだとか、
保証されるかどうか、わからないのだが、用意してほしいという書類は用意し、明日郵送してみようと思っている、

住民票、免許証のコピー、ヤフーから送られてきた用紙(ダウンロードしたもの)、警察への届け書(ないので受理番号だけ送付)、出品者とのやりとりの一切、と、その数も多い、

後追い追跡ができる発送を頼まず、安いからといって定形外郵便(210円)で発送をたのんだこちらにも甘さがあったと、プチ反省、

金を取られるは品物は届かないで、踏んだり蹴ったり泥水をかけられるとはこういうことをいうのだろう・・・、本当は反省なんか小指の先ほどもしたくはないのだが、、

ネットでのトラブル、初めての経験でした、

宅急便での発送か着払い、それが一番確実ですわ、奥様!!

2015年3月12日木曜日

NETトラブル

ヤフーオークションで、初めてトラブった、
落札し入金したにもかかわらず、品物が届かない、、、
出品者の応答も遅く、届かないことに対して親身になっているとは思えない、

いまだに届きませんけど? RE:(わたしは)発送しました、

(この野郎!!!)
この際、徹底的に追及してやろうと何故かマジになって、、、

警察への被害届けを視野に入れ(なんとなく犯人はわかっているけど)、NETに特有の、発送したにも関わらず届かない事例に敢然と挑戦するのだ、
発送しました、届かない、それって郵便局内での犯罪(?!)、
郵便局ってビデオあるよね、じゃあ、配達員が盗った?1万円の時計と人生を賭けるか?

いくら定形外郵便とはいえ、届かないなどと今どき日本ではあり得ないということを十分承知で、一方で、出品者と落札者の間で行われる正当な商行為に敵対する窃盗行為は決して許さない、
という正論を掲げ、とことん、やってみようかと思った次第・・、

以下、そのやりとり全文!

〇〇さまとのやりとり

ビンテージ オールチタンPROTREK PRT-420を落札したものです。
短い間ですが、お取引よろしくお願いいたします。
3・・-・・・・ 
埼玉県・・・・・・・・
××
0・8-4・・・・・・・
落札金額は、10,500円でした。
 ただいま、簡単決済にて支払いが完了しました。
ご確認の上、商品の発送方よろしくお願いいたします。

連絡遅れてすみません  〇〇と申します  早速ですが 振込先等のご連絡をさせていただきます
ジャパンネットバンク /(支店名)本店営業部 普通・・・・・・・
ゆうちょ銀行/ 記号・・・ 番号・・・・・まで
楽天銀行/支店番号・・・支店 口座番号(普通)・・・・・・・・まで
yahoo簡単決済の場合 同金額の手続きをお願いします
振込金額は落札金額\150+送料¥250(追跡調査なし/破損・紛失等の保証はありません 時間指定・曜日指も掛けられません)です 
その他 別途料金掛かりますが宅配等の保証の有る発送方法もありますので他の発送方法をご希望場合の
発送方法をご連絡ください  返信頂く際 ご住所(マンション等の場合マンション名・部屋番号もお忘れなく)・お名前・郵便番号・電話番号等をお知らせください よろしくお願いします なお振り込み確認後の発送となります
遅れましたが自己紹介を・・・
230-・・・・
神奈川県横浜市・・・・・・・・・・・・
090-3・・・-・6・・(緊急の場合または連絡が途絶え3日間以上連絡ない場合 メール見落としまたはチェックできない状態 上記該当する場合)
〇〇

〇〇さま
××です。
ご連絡ありがとうございます。
じつは、すでに決済を完了しております。
ヤフー簡単決済の、銀行支払いを利用し、34日朝6に。
(くどくてすみません、振り込み完了の案内を手元にもっているので)
「ヤフー決済」あてに、送料、手数料込みで10,954円、支払われております。
ご確認の上、商品の発送方よろしくお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。

では 保証のない定形外で発送いたします

〇〇 さま
入金をご確認されたのなら、よろしくお願いいたします。
じつは、ヤフー簡単決済の、銀行引き落としを利用するのは今回が初めて、
今まではカード決済だったもので、安心だったのですが、
確実に〇〇さまの元に入金されたのか、それが心配で・・、
入金をご確認の上、よろしくお願いいたします。
××

振り込み確認とれましたので明日発送いたします 到着までしばらくお待ちください では また ご縁がありますように 〇〇

〇〇 さま
××です。
実は今現在、39日(月曜日)午後6時、まだ商品が届いておりません。
保証のない定形外郵便というのを、いつ送られたのでしょうか。
念のために、何日送られたのか教えてください。
そろそろ届いてもいいと思っているのですが、少し心配になりました。
よろしくお願いいたします。

6日に発送済みです

〇〇 さま
今現在、まだ届いておりません。
こんなことは初めてです。どこかで紛失したのかもしれませんね。
諦めきれないので、郵便局に問い合わせたところ、差し出した郵便局がわかれば
追跡調査が可能だとの回答を得ました。
お手数かけますが、どちらの郵便局に出されたのか、ご一報ください。
お忙しいところ申し訳ありません、よろしくお願いいたします。
××

〇〇 さま
商品未着の件で、お手間をとらせます。
先ほど、ヤフーの方に問い合わせ、窃盗に対する商品の弁済が可能かどうか確認しております。
〇〇さまと私との間の善意の商行為に対し、途中で盗むなどとんでもない話です。
正直怒っております。
6日に発送されたとか、遅くとも8日の日曜日には到着しているはずですよね。
配達員が盗んだのか、郵便局内にて盗まれたものなのか、調べてもらおうと、
警察への依頼も含め検討中です。
せっかく〇〇さまより購入した時計、大事に使っていこうと思っていた、
あこがれのプロトレックです。
警察へ窃盗の件で捜査願いをした際には、〇〇さまのご自宅に警察からの問い合わせがまいるかもしれません。
悪質な泥棒行為なので、その際には、是非ともご協力ください。
どこの郵便局、どこのポスト、何時頃の投函なのか、それだけでけっこうです。
郵便局内のビデオカメラなどから、意外に早く犯人がわかるかもしれませんね。
今後ともよろしくお願いいたします。

××

〇〇は相手の出品者、××はぼく、

どうよ、これ、どうみても、送ってはいないよなあ・・
オークション評価も高いので信用したのだけど、んーーー・・・、

警察への被害届けも考慮し、なんとか払った金額を取り戻すと同時に、そんな甘いことばで世間を渡っていけるほど、世の中、甘くはないんだぜっと、思いしらせる!!

結論

なめるな!

2015年3月7日土曜日

日々雑感

今日は、行きつけスナックの企画にのって、水戸の偕楽園まで、ドライブ、、

その後、那珂湊に寄り昼食、ただ大ぶりというだけで、シャリよりネタが大きいという、寿司ともいえない、飯の上に魚の切り身を置いただけの回転寿司を食べるのだという、

なぜそれを知っているのかというと、以前、バイクで何度か出かけたことがあったから、

若かった当時は、そのネタの大きさに驚き、寿司じゃねえ、刺身の盛り合わせだ、などと感心したのだが、今となっては、寿司には寿司のバランスというものがあり、鮪の切り身の大きさだけにうれしさを覚えない、

昼食後、どこか途中で温泉に入るのだとか、
下着の用意をしてきてと、昨夜遅くにママからメールが届いた、のだが・・・、

低温やけどの治療をしている身体なので、雑菌うようよが予想される風呂には入れない、

あいにくの雨模様だし、梅を観るのも海を眺めるのも正直、気がすすまない、

自分たち家族だけで計画したのなら、天候をみて今日は中止だね、で終わるのだが、
何人も参加するらしいドライブなので、それもできない、

なんとなくユウウツ、、

訊けば、ぼくが企画立案し、それにみんなが乗ったのだとか

「あなたが来なければ何にもならないじゃないの」と、言われたのだが、んーー、覚えていない、
何軒目かのはしご酒に、口走ったものなのだろう、

相も変わらず、あのことわざを思い出す 口は災いの元、、

まあ仕方がない、行ってくるのだ、、


2015年3月2日月曜日

アメリカン・スナイパー

映画をみてきた、

何かと話題になっていた映画「アメリカン・スナイパー」
監督は、クリント・イーストウッド氏 

多数の映画人、タレント、評論家諸氏から賛辞を贈られたこの映画は、
サダムフセインを倒したあのイラク戦争に参加し、米軍海兵隊の突撃を後方から支援するスナイパーの話だ、

戦場のビルの一角に陣取り、海兵隊を狙う現地イラク人の狙撃隊を狙撃するという、
銃に取り付けられた高性能スコープによって次々とフセイン側イラク兵(らしき人物たち)を倒していく、
彼が殺した数は160人にものぼったという実在のスナイパー、クリス・カイル氏、
その彼の戦場での姿と、戦場からもどった一人の平凡な父親であり夫である彼の姿を、描いたもの、

多くの賛辞とは別に、この、アメリカ人によってアメリカの映画会社によってアメリカの資本で作られた映画は、当然のことながらアメリカ側からの視点から逃れることができない映画だと、ぼくには思えた、

戦場からもどり家庭で過ごす彼の日常、家族と買い物をし子どもとたわむれ妻と愛を語らう、その彼が撃ち殺した160人のイラク人にも、同じように平凡な家庭があったのだという視点がまったく欠落している、そんな風に思えたのだ、

アメリカ映画なので仕方がないといってしまえばそれまでなのだが、クリント・イーストウッド氏の作品だということで、また、多くの賛辞に刺激されて映画館まで足を運んだ者としては、少し、期待にそわないものがあった、

まだ観ていない人のために、ネタばらしは御法度だと承知しているので、多くを語れないのだが、そもそも、なぜ遠く離れたイラクにアメリカ兵が存在しているのか、核兵器をはじめとして大量の殺人兵器を隠匿しているとの疑いから、始められたイラク戦争、
時の日本総理大臣、小泉純一郎が、あるかないか行ってみなければわからないじゃないですか、と国会で答弁し、失笑を買った、あの時の映画なので、そこだけは興味深かった、

結局、噂された核兵器も大量の化学殺人兵器も発見されないまま、イラク戦争は終結し、多くのイラク人の心にアメリカに対する憎しみを植え付けたまま、今日の「イスラム国」ISIS、ISILの出現に一役も二役も買っていると思うのは、考えすぎだろうか、

あの戦争がどんな戦争であったのか、もう二度と語る事ができない死んでしまったイラク人やアメリカ人に代わって発言するとしたら、どちらか一方からではなく、その当事者両方から真実に迫って欲しかった、

アメリカが正義で他はすべて悪者でありならず者、殺しても拷問にかけても許される、そのような戯画化されたアメリカンヒーロー像が跋扈する時代はかなり昔に終焉を告げていると思っていたのだが、まだ生きているのだなあと、そんなことも思った次第、

アカデミー賞に6部門がノミネートされながら、期待したほどには獲れなかったことが、ある意味救いになっているのかもしれない、、
 

以下のすべてのコメントが、なぜかしら薄い!!!


『アメリカン・スナイパー』が描き出すのは、自らの帰宅にも気づけず、さまようしかない捨て子の現実だ。
阿部 和重(作家(芥川賞受賞、谷崎潤一郎賞受賞))
いまの時代こそ、個人の質を考えなきゃいけない。戦場に行く前のクリス・カイルと、戦場で英雄という役割を背負ってしまった彼は、変わってしまっている。帰ってきたカイルは自分を精神崩壊から救うには、「世の中に悪というものは存在していて、仲間の命を助けるためにはそれを排除することが大事なんだ」って言い続けるしか手立てはない。それを個人レベルで考えなきゃいけないだろう、というメッセージを僕は受け取りました。
新井 英樹(漫画家『ザ・ワールド・イズ・マイン』)
戦争は殺し合うこと。そこには勝者は存在しないということ。見終わってからしばらく言葉を失ってしまった。“今”だからこそ直視するべきストーリーがこの映画にはある。
安藤 優子(ニュースキャスター)
これは、戦争映画ではなく、子育ての物語でもあり、夫婦の物語。正義の為にも自分の居場所は戦地だと思い込んだ主人公の闇を覗く視線と、“あなた の居場所はココよ”と何度も言う妻の視線が何より現実。どこまでも深くえぐる“人間の心”の物語だった。
伊藤 さとり(映画パーソナリティ)
戦争ってなんだ?ヒーローってなんだ?いろんな目線から色々と考えさせられる映画。ブラッドリー・クーパーの表情、話し方、体つき、何かが乗り移ったかのように見えます。本当にすごい。
IMALU(タレント)
帰国後に彼が自宅に直行せず、夜中独りで酒場から妻に電話をかける場面が胸をうつ。それは彼がすでに平凡な日常を喪失してしまったこと、いやそんなものは初めから存在しなかったことを物語ってる。
大久保 清朗(映画評論家)
目を覆いたくなる激烈な戦闘シーン。でもこれが現実だ。戦争は人間の幸福を奪い、善良なひとりの男を悲しい英雄にしてしまう。クリント・イーストウッド監督、渾身の反戦映画だ。
大沢 悠里(ラジオ・パーソナリティー)
昨今の中東情勢や日本が置かれている状況などを含めて、社会性の強い作品ですが・・・何よりも映画として超一級品!!こんなにハラハラドキドキする映画、観たことない!!!
大根 仁(映画監督)
この映画は、戦場では剛健な性格を、そして祖国の家庭ではそれとは対照的に温和な性格を持つ、伝説のスナイパー、クリス・カイルに対する頌歌(しょうか)であるが、同時に戦争がもたらす悲劇を象徴する反戦映画でもある。
大野 和基(国際ジャーナリスト)
クリント・イーストウッドはスゴイ!!必見の1本です。なんという構成力、なんという映像、何ひとつ負をつけることのない名作!!
おすぎ(映画評論家)
主人公クリス カイルは実在の人物で“レジェンド”と呼ばれる程の超優秀な狙撃手。しかしこれは単なる戦争映画ではない。家族への深い愛、戦場での友情、そして祖国への忠誠心。カイルの心の底まで抉った一代エピックとも言える。カイルの男として、また人間としての生きざまは激烈なテンポで見る者の胸に迫る。これを見ずして平和は語れまい。名監督であり名優でもある監督のクリント・イーストウッドと主役のブラッドリー・クーパーに参りましたと頭を下げるほかはない。
落合 信彦(作家・国際政治ジャーナリスト)
アメリカン・スナイパーは、勇気ある素晴らしい反戦映画で、戦争の実態を知るために日本のすべての若者が観るべき作品です。
オノ・ヨーコ
地獄の戦場そして帰還兵を待つ混乱と狂気。しかし戦争映画ではない、「人間」映画だ。イーストウッド監督の最高傑作にして集大成。船上結婚式で流れるヴァン・モリソン、エンディングのエンニオ・モリコーネの曲、その後5分に以上にわたる無音の音までシンプルで強力。音楽的演出は勿論、イーストウッド監督の音楽的才能もすごい!
亀渕 昭信(ラジオDJ)
祖国を、家族を、友を、彼は守った。 彼が放った銃弾が、見えない弾となって彼に撃ち返しされて来ても、彼は他者を思った。その半生に、うちのめされる。
小堺 一機
ビシ!突然崩れ落ちる兵士、凄まじい銃撃音の応射!静かにトリガ―を引くスナイパー。遥か遠くで兵士が倒される。伝説の狙撃手の半生は、非常な現代戦の実体と、戦場で必死に人間であろうとした男の葛藤を伝えて哀れ。
齋藤 安弘(ラジオパーソナリティー)
背景に戦争があるものの、この映画が語るのは、愛、使命感、葛藤という人間ドラマ。だからこそ、世代や国境を超えた観客に感動を与えているのだ。
猿渡 由紀(LA在住 映画ジャーナリスト)
恐るべき底力だ。戦場の兵士の無意識をこんな風にあぶり出す作法がまだ残されていたのか。プロパガンダから遠く離れた深い映画だ。
芝山 幹郎(評論家)
これは、ヒーローの映画なのか、悪魔の映画なのか?現実が用意したあの衝撃的な結末がなかったら、この映画は、一体どんな方向のエンディングで話をまとめ得たのだろうか?――あの大胆なエンドロールの演出は、その《問い》を我々観客にも突きつけてくる。 「いかなる誘導もしないから、後はお前が自分で考えろ」と。
下村 健一(元TBS報道キャスター)
愛する男性を送り出す女性目線描写は、もしも自分だったら…と、深く共感。そして、戦場シーンよりも何よりも胸を締めつけられるラストシーンの妻の眼差し。息が止まるほどのあの衝撃、一生忘れない。
新谷 里映(映画ライター)
観終わって、家族のことを考えました。大切な友達に逢いたくなりました。故郷に思いを馳せました。戦争は誰も幸せにしない。何も残らない。悲劇の連鎖を絶とう。
陣内 貴美子(スポーツキャスター)
映写が始まった瞬間に、時空を超えて、イラク戦争の最前線に立っていた。飛び交う銃弾、総毛立つ恐怖、映像は完璧なロケの賜物だが、そこに映る全ては真実の戦場だ。テレビニュースは、イラク戦争について何も伝えていなかった。今、その事実に愕然としている。
辛坊 治郎(ニュースキャスター)
観終わった後、言葉を失いました。 特に印象的だったのは、妊婦の妻が戦地の夫と近況を微笑ましく話している矢先、夫が敵軍に襲われるシーン。 自分ごとのように、彼女の悲しみが心に刺さりました。 ただ戦争を描きつつも、心に残ったのは―主人公の友を想う気持ち、そして妻や子供たち、家族へのあふれる愛。 壮大なストーリー。まさに今の映画。是非、女性たちにも観て欲しい。
杉山 愛(元プロテニスプレーヤー)
なぜ人は人を殺すのか?これは人間の本性をめぐる哲学的な問いかけであり、『許されざる者』以来、イーストウッドが一貫して問いつづけてきた根源的な問題なのです。
中条 省平(フランス文学者)
これは過去の物語ではなく、今の中東の原点だ。アメリカはイラクで消耗した。最強の狙撃手クリスも硝煙の中で心を消耗していく。イーストウッド渾身の反戦映画だ。
露木 茂(テレビキャスター)
いかなる戦争も凄まじい毒を孕んでいる。「伝説のスナイパー」も愛する国家や家族のためにと必死に大義にすがりつくのだが、戦争という名の病に侵された兵士に命を絶たれてしまう。この悲劇に言葉を喪ってしまった。
手嶋 龍一(外交ジャーナリスト)
狙撃手のモラルジレンマが全米で物議を醸した話題作。大勢の戦友を助ける孤独な狙撃手の使命感が忘れられない。戦場から戻ってからの生活が新たな戦いになり幸せになれるか。ブラッドリー・クーパーの抑制された演技が、狙撃手が必要とされる冷静さそのもの。正当化しにくい戦争の中で義務を果たすカイルに心を動かされた。ヒーローになりたくないヒーローは興奮ハラハラのストーリー展開。最後まで映画館のシートにしがみついた。クリント・イーストウッドらしい作品が図星!これほど「的」な映画は久しぶり。本当に「的」な映画!
デーブ・スぺクター(放送プロデューサー)
「国のために」迷うことなく、戦場で銃の引き金を引き続け、レジェンドとなった英雄。 彼の悲劇は昨今の世界こそが胸に刻みつけるべきではないか。
戸田 奈津子(字幕翻訳者)
イーストウッドは、『硫黄島』『星条旗』などこれまでの作品と一貫して、1個人そして家族にもたらされる悲劇を描くことで、戦争の残酷さ、痛さをリアルに見事に描ききった。私たちにとって、決して遠い国の話ではなくなった“今”だからこそ観て欲しい。必見。
鳥越 俊太郎(ジャーナリスト/ニュースの職人)
ただの英雄伝説ではない。戦士であることの苦衷も的確に織り込まれていて、それが最後に深い感動につながってゆく。良質のリアリストである監督の面目躍如。80代半ばで、この力強さと繊細さは、奇跡と言うほかなし。
中野 翠(コラムニスト)
たった一人の兵士を描き尽くすことだけが、戦争のすべてをみせる唯一の方法だと感じさせる映画だ。戦争は戦略でも経済でもない。戦争そのものなのだ。
名越 康文(精神科医)
日本はほんまに平和ボケ。そんな頭をガツンとやられるこの映画。愛国とは何なのか、人命は本当に尊いのか。その答えを見失なわせるのは戦場シーンのド迫力と臨場感! 是非この思いを共有してください。
ハイヒール・リンゴ(漫才師)
強き者、それは使命に殉じ、限りない優しさに包まれている存在である。 そして常に「孤独」という代償を払わなければならない。強い男ゆえの寂寥(せきりょう)と宿命に涙せざるを得ない。
橋本 五郎(読売新聞社 特別編集委員)
素晴らしい作品を次々と送り出すクリント・イーストウッドの凄さをあらためて実感させてくれる大傑作!ブラッドリー・クーパーの演技に本物のスナイパーの怖さと苦悩を実感出来て肌が粟立つほどの映像です。
ピーコ(ファッション評論家)
戦場におけるリアリティは時代ごとに異なり映画の表現がそれを代弁している。この作品が示すものは、死との距離感だろう。それは前線とはまるで異なる静謐さの中で行なわれる。近くて遠い生死の距離が日常を狂わす。
藤原 カムイ(漫画家)
ー戦争は何も産み出さず、人間を人間でなくしてしまうーこの作品は冒頭からそんな命題をまざまざと私たちに突きつけます。
その衝撃的な感覚は物語の展開とともに薄れ、ある種の麻痺状態に陥りました。
戦争における‘人間性の喪失’を本作品で疑似体験するかのように。
狙撃銃のスコープ越しに主人公カイルが見たもの。。。
それはまさに戦争の異常性。

爆弾を抱えているかもしれない男の子を果たして撃つべきかどうか・・・苦渋の決断を迫られた彼の葛藤は、圧倒的なリアリティを持って私たちの意識に語りかけます。
まるで、ひとつの間違った選択で命を落としかねない戦場にいるような、そんな緊張感が全編に漂い、カイルが直面する‘平和と戦争’‘秩序と混乱’そして‘任務と家族’というジレンマが私の感覚を支配します。
160もの敵兵の命を奪いながらも、家族に対して常に良き夫であり父でありたいと願うクリス、そのジレンマは彼の心を徐々に崩壊し、憎しみの連鎖が支配する戦場では‘決して勝者など存在しないのだ’という事をこの映画は語っています。
“英雄”として尊敬されながらも、絶えず心の奥底で葛藤を抱いたカイルの人生を通じて戦争とは何なのかを私たちに教えてくれる作品だと思います。
藤原 紀香(女優)
対テロ戦争なるものに猛り狂った愛国心の化け物をイーストウッドが抑えつける。アクシデントにより製作後に変更された衝撃の幕切れは、まるで戦争に突き進む全世界の指導者に突きつけた天からの最終警告のようだ。
前田 有一(映画批評家)
戦場とはいえ160人も殺した男が英雄なのか?アメリカで大論争!しかし、イーストウッドは問う。
本当の悪はどこにいる?
町山 智浩(サンフランシスコ在住 映画評論家)
英雄か殺戮者か、反戦か好戦か、そんな簡単に二分できるような映画ではない。暴力と共にあるアメリカを描いてきたイーストウッドが出した答えは、 沈黙だった。
松江 哲明(ドキュメンタリー監督)
イラクに身を置いた日々よりはるかに緊張感の高い濃密した2時間を体験できた。
宮嶋 茂樹(報道カメラマン)
ヒーロー映画として見続ける観客もいよう。だが最後まで見れば戦慄に襲われる他ない。理不尽と不条理を描く監督の真骨頂を見た。
宮台 真司(社会学者)
戦場を描いているのにも関わらず、画面には静謐感が漂う。イーストウッド監督によって戦争映画の傑作がまたひとつ生まれた。いや魂を描いた傑作が。
吉川 美代子(フリーキャスター)
イラク戦争で兵士がこう教えてくれた。 「一度戦場に足を踏み入れた者は、必ず戦場に戻ってくる。」  兵士として、父として、そして夫として、何をすべきなのか。戦場の狂気から誰も逃れることはできない。
渡部 陽一(戦場カメラマン)
本作の結末には正直言って激しく動揺させられた。戦争の傷跡はあまりに深い。はたしてアメリカは事態とどう向き合っていくのだろうか。この映 画に叙情的なシンフォニーは存在しない。無音で流れゆくエンド・クレジットは我々に、今この瞬間、自分自身の頭で思考し続けることを求めている。
映画.com 牛津 厚信
アメリカの英雄と呼ばれる男を描きながら、巨匠はただただ戦争の現実、理不尽さをつきつけ、低い声で地鳴りのような反戦の歌を唄うのだ。
ELLE JAPON 3月 久保 玲子(ライター)
クリスカイルを英雄として描いていない。戦争の英雄となってしまった悲しい夫であり、父親であり、ただのひとりの男として描いている。そのためにこの映画は冒頭で、兵士になる前のクリスの意外といい加減な普通の青年の部分も、しっかり描いているのだろう。
CUT 古河 晋
戦争という名目のもとに、次々と命が失われていくことの重みを突き付ける名匠のメッセージがズシリと響く一作だ。
シネマトゥディ 石井 百合子(編集部)
「アメリカン・スナイパー」は映画的な美にあふれた傑作であると激賞したい。
SPA 黒住 光(ライター)
無音のエンドロールが心に刺さっ た。静かに涙を流しました。
週刊朝日 2月27日 号 LiLiCo(映画コメンテーター)
ヒロイズムの代償を苦く描く。84歳でこれだけの大作を精力的に撮りあげたことが驚異的。
週刊朝日 2月27日 号 わたなべり んたろう(監督、映画ライター)
イーストウッドはカイルの内面を静かに見つめる。戦場という地獄の悲痛さ、生々しさは印象的だが、戦争映画である以上にヒューマンドラマとして力強いのだ。
週刊女性 若林 ゆり(ライター)
一見、アメリカの正義、アメリカの“英雄”の言動をそのまま映像化したようなイラク戦争映画だが、現役後のカイルに待ち受けていた運命がすべてを逆転。
週刊新潮 2月19日号 北川 れい子(ライター)
砂塵の戦場、狙撃音、壊れゆく男、 臨場感ある音に引き寄せられ、モリコーネで突き放す“西部劇”?!是非 Dolby Atmosで体感を‼
週刊文春 2月26日号 洞口 依子(女優)
この作品はアメリカの表と裏を見事にえぐり出している傑作だと思います。
ビーズアップ 3月号 有村 昆
本作は、今年85歳になる巨匠が”最後のカウボーイ”のひとりとして、かつての西部劇の魅力を解き放ったスリリングな一作でもある。だから、衝撃作や感動作の一言では簡単にくくれない。
Forbes JAPAN 3月号 門間 雄介(ライター)
西部劇でのお馴染の砦をめぐる攻防に対する明らかなオマージュ―だ。
BRUTUS Vol.794 門間 雄介(ライター)
西部劇での正義のヒ―ロ―映画を観るときは、ヒーロー=守る側よりも、守られる側がどう描かれるのかに興味がある。だから主人公以上にその妻に注目したが、かなりグッときた。
POPEYE 3月号 三宅 唱(映画監督)
長年ヒーローを演じてきたイーストウッドが、ヒーローと呼ばれた男の光と影を力強く描き出す。
men's FUDGE  Vol.70 村尾 泰郎(映画/音楽ライター)