太陰暦を採用していた明治時代以前の季節感と、現代のそれとでは約一ヶ月ほどのズレがある、
おおざっぱにわかりやすくいえば、太陰暦の五月は、太陽暦の六月、
昔の五月雨と、今の梅雨とは、じつは同じ雨のこと、
台風襲来にともなう集中的な雨降りのことなのだ、
ズレているのにもかかわらず、俳句の世界では相も変わらず太陰暦を元にして当季の季語を決めているので、8月はまだまだ暑く夏の盛り、汗が噴き出してくるというのに、もう秋だなあ、の俳句を作らなければならない
というのが現代の俳句なのだ、
※有季定型俳句ばかりでなく、無季無形を認めている会もあるので、一概にはいえないのだが・・・、
現代の月(month)と、俳句の世界での季節区分は、
2月3月4月 春
5月6月7月 夏
8月9月10月 秋
11月12月1月 冬
1月のみ特別に(別格という意味で) 新年 としている
と、なる
2月といえば感覚的には冬まっただ中、それなのに、俳句の世界では春だという、
俳句を始めたばかりの誰もが経験する、なんだか納得できないことの一つである、
ちなみに、「蝉」は夏の季語、
今月8月、蝉を見かけたとしても、そのままを詠んだのでは、叱られる、
今日のタイトルをわざわざ「秋の蝉」と名付けたのには、そのような背景が脳裏にあったから、
訪れる時を静かに秋の蝉 山河
で、油蝉、
バス停の裏にある桜の樹にとまっていた、
鳴き疲れたのか、ただじっととまっているだけ、まもなく訪れるであろうお迎えの時を静かに過ごさせてあげたくて、邪魔をしないように、そおっと写してみた、
写した機材は、iPhone6
今年7月にアップルのスマホに替えたばかり、いろいろ機能を試している最中なのだ、
iPhone6で撮った写真は、メールで自分のPCに送り、そこでサイズやら明度を変えてアップしている、
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