2012年7月2日月曜日

サルトリイバラ

原名は、猿取り茨なのか、それは知らないけれど、蔓性の草の名前、






野山を歩いているときに、見覚えのある葉を見つけた、
熊本で暮らしていた数年間のその間の何回かのお盆、その時期になると、祖母はきまって饅頭を作ってくれた、


無神論者の祖母ではあったのだが、仏壇に飯を供え、歩いて数分の場所にあった家の墓の周りは綺麗に掃除し、盆には花も供えていた、

何人もの我が子を、結核や他の病気で失っていた祖母にとって、先祖を祀るというより、自分よりも先に旅立っていった我が子たちを弔う気持ちが強かったのだと思う、


収穫した麦を農協で粉に挽いてもらい、その粉をこねて固めの生地をつくり、その中にこれも自家製の小豆でつくった餡を入れて蒸した饅頭だった、


その饅頭の外側を、この葉、サルトリイバラで上下を包み蒸した、
墓の周りに何株も生えていて、すぐ手に入ったからなのか、肉厚の葉が饅頭の出来にうまく作用したからなのか、ぼくの家だけでなく熊本のその地方では、そのようにして作るのがいつものことであったように記憶している、


精白を完全にしていない、少し黄味がかった小麦からは小麦本来の強い香りがし、甘さをおさえた餡とうまくあって、とても美味しいものだった、

祖母は何を作るにしても、孫に食べさせるときには、腹一杯という言葉が好きだったようで、饅頭も二つとか三つとかではなく、腹一杯食べろ、というのが口癖だった、
中学生の食べ盛り、幾つ食べたのか既に記憶にはないのだが、腹が膨れて破裂するほど食べたのだろう、、

一回に蒸せる数は蒸し器の大きさで決まっていたのだが、(作れば)どしこでんあるで(いくらでもあるから)と、腹一杯の饅頭を作ってくれた、

近くに食材を売る店は一軒きり、
その一軒も、魚といえば干物か缶詰、干物のそばの棚には学習用のノートや鉛筆、農作業に必要な鎌や砥石なども置いてある店で、魚専門、肉専門などの店は近くに皆無だった、

その店から買うものは塩か醤油と限られていて、朝食から昼飯、晩ご飯にいたる三度の食事のおかずすべてを祖母は畑で取れたもので賄っていた、

小麦から作った太い手打ちのうどん、郷里名物のカボチャをはじめ季節の野菜がたくさん入っただごじる(団子汁)、大晦日には蕎麦と、なんでも祖母は手作りしてぼくにふるまってくれた、

うどんはといえば、太すぎて汁の中でぶちぶちと何本にも切れていたし、蕎麦も蕎麦粉十割のためか太すぎる径のせいなのか、椀の中で大きくとぐろを巻いているような蕎麦だった、、
その太い年越し蕎麦をたまたま訪ねてきていた友人らが、うまいうまいと何杯もお代わりしていたことを思い出す、、

元地主だったという我が家には、戦後すぐの農地改革で多数の土地を手放さなければならなかったとはいえ、祖母一人の手には余るほどの土地がまだまだ残されていた、

水田こそ作業の大変さから無かったものの、祖母はその残された畑で、思いつくさまざまなものをつくり育てていた、
かぼちゃ、胡瓜、馬鈴薯、トウモロコシ、砂糖黍、大豆、ネギ、菜っ葉、さつまいも、トマト、メロン、西瓜、小麦、蕎麦、、
母屋の前の敷地内が大きな竹林になっていて、季節には孟宗筍がいくつも(おそらく300本以上)生えてきた、

学校から帰り玄関を開けると、土間の奥には時季の野菜がごろごろところがっていた、
かぼちゃ、馬鈴薯、さつまいも、トウモロコシ、歩くのに邪魔になるほど大量にあったそれら畑の恵みは、たくさん食べさせ、ぼくの成長を楽しみにしていた祖母にとって、とても心強い光景だったに違いない、、

プロパンガスが各家庭までに行き渡ることがなく、洗濯機もクーラーも冷蔵庫も、車も無かったあの時代、大きな竃(かまど)二つと小さな竃一つを駆使し、祖母は器用になんでも作っていた、


原子力発電所がなくなると電力の供給が不安定になる、安定的な供給を可能にするために原子力発電所は不可欠だ、との論議がある、

あの時代、竃と薪の火だけで、すべての食事をまかなっていた祖母の背中を見て育ったぼくは、電力が少々減ったとしても、だから生活ができなくなるということはない、と思っている、、

水力があり火力があり、太陽光発電、地熱発電、風力発電、潮の干満を利用した発電なども研究課題の俎上に載っている現在、より安全なエネルギーを目指す人類は、きっとそれを手にするだろうとぼくは信じている、、

ぼくがそれを目撃できるかどうかは別の問題として。。




3 件のコメント:

  1. 目覚ましい発展とまではいきませんが、徐々に発展していってますね。

    大電力にこだわりすぎると、原子力は欠かせない存在に思えますが、大規模的な発電力から地域や一家庭による発電へと推移することで、安全や不満からの脱却が可能になるのではないかと考えています。

    また、蓄電設備の向上こそが、地域エネルギー安定供給につながるのではないかと考えています。

    まだまだ時間はかかりそうですが、そういった体系が我々をクリーンエネルギーに導いてくれるような気がします。

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  2. 勝負師さん、おひさしぶり~♪

    まだまだ人類は、原子力エネルギーを使いこなすだけの文明をもっていないのでは、、
    あの福島の原発事故とその後の対応を見るにつけ、そう実感しています、
    どんなクリーンなエネルギーが人類の将来を支えるのか、
    既存のものだけでなく、これからもっと新しい安全なエネルギーが発見発明されるかもしれませんね

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    1. 新しいものが出来ると考えると、ワクワクしますね♪

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