2012年7月10日火曜日

コンドルは飛んで行く





1970年、Simon & Garfunkelによって歌われたこの歌は、ペルーの先住民族の旋律を元に、二人が詩を付けたものだとは承知でも、作者不詳の民謡ではなく、実際に作曲した人がいたことをご存じだろうか、

ある文章で、その作曲者の名前に触れていたので、目が留まった、

ダニエル・アロミア・ロブレス(1871-1942) 
名曲の作者として、この名前を覚えておくことに意味はある、

まだラジオもなかった時代のこと、庶民の娯楽の中心は芝居だった、
歌芝居(サルスエラ)の序曲として、ペルーの先住民族の旋律を元に同人によって作曲されたものだという、

芝居の筋は、ペルーの銅山で劣悪な環境と労働条件の下、銅山を牛耳るアメリカ資本に対し、鉱山労働者たちが連帯して闘い勝利するというもの、
庶民には大受けしてロングランとなるのだが、アメリカ資本の怒りに触れ上映禁止になったという、いわく付きの歌曲だったのだとか、

序曲は、歌詞がなかったことが幸いし、上映禁止になった以降も演奏し続けられ、やがてさまざまな歌詞をつけて歌われるようになった・・、

その中の一つが、冒頭で書いた、アメリカ人デュオ、サイモンとガーファンクルによる「コンドルは飛んで行く」だった、
ポール・サイモン氏による歌詞は、
「なれるならカタツムリよりも雀の方が良い、釘よりもハンマーの方が・・」となっている、

今では世界中で、おおよそ4500もの歌詞が存在する名曲になったと、目に留まった文章は結んでいた、

ぼくが人生で一番最初に買ったレコードは、日本の民謡”南部牛追い歌”だった、

中学一年生の時の音楽担当の女教師が、日本で一番美しい歌、と授業で紹介し、それに心を動かされたからだ、
そのレコードを、当時、東京で一緒に暮らしていた義祖母にプレゼントしたのだが、あまり喜ばれなかった、
口には出さなかったけれど、こんなものより饅頭一個の方が有難いね、彼女の顔はそう語っていた、
それ以来、人にものをあげることの難しさを知ったかのようだ、

ちなみに、”南部牛追い歌”は、作曲者不肖の、我が国固有のフォークソングだと思う、
誰が作ったのかわからなくても、いつできたのかわからなくても、良い歌は良いのだが、作者がわかっていれば、その作者の名前が後世の人々の口に上る、
そのことって、けっこう大切な気がする今日この頃・・、


こんなシメでいいのか、、、




※ 紹介した歌は、数ある「コンドルは飛んで行く」の中から、もっとも力強いと思われるそれを選んだ、
銅山労働者が闘いの中で勝利したという内容の歌曲、
哀愁を帯びた切ないだけの歌ではないだろう、との思いからだ、




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