2012年7月29日日曜日

明日は現場

昼には終わるはずなので、ホテルはキャンセル、
その次の火曜日からまた泊まります、

火水木と泊まり、金曜日に帰宅、
火曜日は今回の第一回目の実験、準備はOK、
すべてのセンサーは順調に稼働しているので、明日は仮載荷・・、仮載荷も無事に終わるでしょう、

載荷(さいか)だなんて、業界用語ですよね、
ターゲットとなる試験体に、本物の生の荷重を与え、構造物の変形やら歪みやらを測定します、


その結果が、実際に用いられる現場や生産工場に反映され、想定される振動や地震に耐え得る構造物が製作されるというわけ・・、


破壊実験なので、跡形もなく破壊してしまい、子どもや孫に「おれがこれを作った」と、見せてあげられるものが今回もない


橋やビル、トンネル、原子力発電所の建屋など、すべての構造物は模型を作って破壊強度を確認した上で製作されています、
その意味では十分に安全なはずなのだけど・・、


運用を間違えたり、あるはずがない重大な事故や手抜き工事などで、往々にして簡単に破壊しますよね、
阪神大震災での高速道路の落下事故や、今回の福島での事故などなど・・、


津波という天災によるものだとはいえ、万が一のための非常電源が水に浸かり使用不能になるなどは、事故ではなくて人災なのではないかと、ぼくは思っています、


サイアクを予想し、最高の安全を望むのが人命に係わるエンジニアの最低限のマナーなのでは・・、


原子力発電所は何基でも、金さえ出せば建設できますけど(一基2000億円という莫大な金額ですけど)、失われた人命は二度と還ってきませんから・・、


って、まともなことを書いてしまったぜっ 
明日も暑くなりそう・・・、、、





2012年7月28日土曜日

The Lady



正式な?タイトルは、「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」というもの、

今日はその映画を観に有楽町駅前ビルの8階まで出かけていった、
たぶん、後半の”ひき裂かれた愛”という、まんま、センスの無いネーミングは、監督の期待を裏切って現地日本の配給元関係者のおやじが付けた名前のはず、

リュック・ベッソン監督が、こんな陳腐な映画タイトルを付けるハズがないと、映画の内容には無関係なところにまず噛みついてと・・・、

ビルマ≪地名変更でミャンマー≫の民主化運動のシンボルとなり、軍政府によるのべ15年間にも及ぶ軟禁生活の中、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー女史の波乱に満ちた人生を映画化したもの、

面白かったよ、
お笑いでもないのに面白いと評価するのは筋違いだ不謹慎だと咎められるかもしれないが、面白かったのだから仕方がない、
内容のある面白さを二時間あまりも堪能できた佳い土曜日だったわ、

ビルマ民主化運動を描くというよりも、彼女と彼女の夫、彼女と二人の息子たち、そうした家族の中での一主婦、母としてのアウンサンスーチー女史の日常に映像の主な視点が向けられていて、自由とか平和だとかを聲高に叫ぶかのような、安直なイデオロギー宣伝映画になっていなくて助かった、

夫と二人の息子たちをイギリスに残したまま、ビルマでの軟禁された生活をおくる女史、父親が残した広大な屋敷には軍政府の命令の下、兵隊たちが24時間駐留、
死んでビルマ民主化・解放のシンボルとなるのを恐れた軍政府は、彼女を殺さず自宅に幽閉しビルマ国民から彼女の影響力を無くす手段を選んだのだ、

主演を演じたMichelle-yeoh ミシェル・ヨーさんが、抑えた演技でアウンサンスーチ女史を好演していた、

映画は7/21(土)~8/17(金)までの上映
お時間の都合がつけば、観にいかれることをお勧めします、



なお9月1日からは、レゲエの、というよりも今や伝説のミュージシャンとなったボブ・マーリーの自伝的映画が始まる、作中、20曲以上の彼の演奏が上映されるのだとか、
これは絶対観よう、と家人と・・、




2012年7月27日金曜日

帰宅

出張より帰宅、
二泊三日、茨城県つくば市までの出張だった、

来週は月曜から金曜まで出張、
その次の週は一泊だけ、そしてお盆休みに入る、

お盆休みが終われば、本格的な実験が始まり毎週の出張が待っている、
いよいよ真夏の仕事のシーズン、、

午前中に下着までびしょ濡れになる暑い日のなか、おじさんは働くのだ、
あっ、孫ができたから、働くおじいちゃんだね、、

見かけ若いから孫がいるとは思われない、
それが損なのか得なのか、
若い女性(55歳以下くらいの?)との出会いもなく、同年代の男性から若くみられても得はしない、


どこかでときめかないと、枯れてしまうよーー
実弾二発入りの短銃持って、狩りに行くか・・、





2012年7月23日月曜日

しょうにん などのこと

たしか、日蓮のことを、お上人さまと呼んだ人々がいたはず、
時の権力者たる北条氏に対し、猛烈な抗議行動を行った日蓮は、その当時の反政府勢力の代表のような人物、その意味では革命的であったのだ、

ヴェニスの商人というシェークスピアの名作もあった、
頭脳明晰かつ勇気ある女性が主人公だった、

それでは証文に書いてある通り1ポンドの肉を切り取るがよい、
ただしここには肉1ポンドと書いてある、一滴の血とも書いてはいない、
一滴でも血を流したらお前を死刑にする、、
肉1ポンド、以下でも以上でもない、きっちりと1ポンド、ささ、早く1ポンドを切り取るがよい、

夫の危機を救った、胸のすく名台詞だった、

で、ここは、エホバの証人の話

以前、何回か、幼い子どもを連れたご婦人が我が会社を訪れたことがあったのだが、話すこともなくお引き取りを願った、
退屈そうに窮屈そうに母親に手をひかれたまま会社の玄関に立つ少女の顔を、強い日射しが撃ち、心から同情した、

今回は自宅への訪問、キリストについて、エホバの証人という団体について話したいという、

エホバの証人「(エホバのしょうにん、英語Jehovah's Witnesses)とは、1884年にチャールズ・テイズ・ラッセルにより創始された国際的なキリスト教の団体の成員の名称で、聖書を教典とし世界政府の確立及び全世界が神権政治により統治された社会の実現を支持する組織である」らしい Wikipediaより


背の高い痩せ形の真面目そうな青年が、ドアを開けたら立っていた、
キリストについて関心がありますかというので、ありますと応えた、


敬虔なクリスチャンを知っている、
ぼくの子どもがまだ幼かった時に、彼女の物心両面での援助は本当に有難かった、
長女や次女にどのような衣服を着せたらいいのか、父親には見当も付かない、
島には服屋もない、
女性らしい細やかな心遣いで、子どもたちに似合った素敵な服や靴下を買い求め送ってくれた、代金はおろか代償を何も求めないで・・、


彼女に結婚を申し込んだのだが、私は神の御前で愛を誓いたいのです、貴方はそれができますか、と訊かれ、神の前でなく人の前で愛を誓うことがなぜ不服なのかと、青い学生のような会話を交わして、それっきりになってしまった、


千葉の海岸にある「月の沙漠」の像を見ようと、彼女の運転する軽自動車で子どもを連れて遊びに行った、彼女が誘ってくれたのだ、
フラミンゴショー、プール際でびしょ濡れになったイルカショー、昼食にみんなで摂ったカレーライス、遠い遠い昔の話・・、、


さてさて、エホバの証人のこと、
血に対して独特なこだわりがあり、自分以外の血液を体内に入れることを拒むという教義を持つことで、ぼくはこの宗教団体を知っている、
昔昔に、我が子に対する医師からの輸血の必要性を宗教上の理由から拒否し、結局、子を亡くしてしまったエホバの証人を信仰していた両親は、後悔の念に苛まされるどころか、自ら信ずる宗教に殉じた快感からか晴れ晴れとした顔をしていたと記憶している、


未来がある子どもの人生を宗教上の教義から死なせておいて、いわば生命を奪っておきながら、そのことを悔い改めようともしないエホバの証人、、
我が子ひとり救えない宗教に、キリストの愛を語る資格があるとはぼくにはとても思えない、と・・、
玄関口にたたずむ青年M氏に向かい、ぼくは思っていることを口にした、


ただ、旧約、新約を問わず、聖書を持っていないので、無料であるならできれば聖書はいただきたい、と図々しい話まで・・した、
翌日、約束とおりに聖書をいただいた・・、


彼とは、パレスチナ紛争のこと、イスラエルユダヤとパレスチナイスラムの問題、
第二次世界大戦中、ナチスドイツの教会も連合国の教会も、そこに所属する牧師たちは、どちらも同じキリスト教徒でありながら、この戦争が聖なる闘いだとして、敵を殺せと兵士を送り出したその問題、
などなどを立場の違いを超えて話してみたいと提案、彼も同意した、



ぼくは多分、無神論者だと思う、
若い頃にマルクスやエンゲルス、レーニンなど社会主義者、共産主義者の思想に触れ、彼らこそがキリストが天上に夢見た愛の国を地上に創出させた人々だと、思っていた、
今でも、、、



毎年クリスマスイブには、ケンタッキーフライドチキンとコーラを予約し、元日には初詣と称し、神社仏閣に参拝する、そんな無神論者なのだけどね、













2012年7月20日金曜日

病を受け入れる





友人の奥さんが自ら癌におかされていると知ったのは、町が実施した婦人検診の結果だった、

子宮癌だったのか卵巣癌だったのか、詳しいことは聞いていないのだが、その治療中に肝臓への転移が見つかった、

その時のメールのやり取りで、
「(癌の治療中に転移が見つかるという)先の見えないつらい癌治療を続けるのなら、もう止めてゆっくりしたい、痛い苦しいだけの治療だったら止めて死んでもいいと思う」とあり、

「何を言っている、今の医学の進歩は日進月歩どころか、分刻み秒刻みで新薬の開発、治療の改善が進んでいる、先週直らなかった病が今週には治るかもしれない、だから諦めないで治療を続けるべき、だいたい、そんな泣き言をいう女を君の亭主が選んだわけがないじゃないか」と、、

熊本の中学時代の同級生の妻となった彼女は長崎県の出身、まだ60歳にもならない、
夫とふたり、町で初めてのスナックを開店し、その店が久しぶりに帰郷した同級生たちの連絡場所、良い意味での溜まり場になっていた、

4年に一回開かれるクラス会、その一次会の会場はどこであれ二次会は彼女の店、スナックへ全員で出向くのがいつものこと、
10人ほどが座れるカウンターの奥には小さな座敷があり、カラオケ、米焼酎ビールウイスキー、ちょっとしたつまみがあるだけの、どこにでもあるような小さなスナック、

とこにでもあるスナックの、でも、どこにもないそこにしかない理由は、友人の人懐っこい笑顔と、彼女が居るというただ一つの理由から、、

その友人も数年前に旅立ち、今は一人で彼女が店を切り盛りしていたのにさ、、


どぎゃん?(どう具合は?)と、メールを打ったら「はい、まだ生きています(笑)」 と返事が届いた、
このやり取りが、彼女らしさの真骨頂、、

今は、町からバスで20分の所にある市立総合病院に入院中、
「緩和ルームで過ごしています、エアコン付き、テレビ見放題、一泊2000円、快適に過ごしていますよ」


「緩和ルーム」かよっっっ、、、緩和ルームって、治療を断念した結果の先にある場所じゃないの、


なんだかなあ・・、


今年の8月にまたクラス会がある、
幹事のひとりは、彼女の店がなくなるのなら今年で最後のクラス会になるのかも、と、、
中学を卒業して30年、45歳の時から始まったクラス会、
そのクラス会が、今でもこうして継続しているのは、ひとえに亡くなった友人と、彼の妻である彼女のおかげ、だったのかもしれないな、

来月、熊本へ行く、彼女に会えればなあ・・、


って、まだ死んでいないわよ(笑)、彼女のそんな声が聞こえてきたような気がした、、、





2012年7月16日月曜日

猫の家計




お金の話を口にすると、なぜか人品がイヤラシくなるというのは、見栄の世界を大事にする江戸文化のなごりなのだろうけれど、大学にも経済学部経済学科という専門の学科が設置されているように、学問としても、もちろん一般的な生活の問題としても、お金は大切な問題であることには間違いない、

江戸文化と書いたのだが、大阪をはじめ関西の文化圏では、お金のことを話題にすることにあまり躊躇はしないようなのだが、どうだろう、、

例えば、日常よく起きる冠婚葬祭で祝儀、不祝儀に幾ら包むのか、これなども悩ましい問題ではある、

悩ましい問題を、自分一人の判断で乗り切っていくのか、まわり近所の知人と相談できるのかで、人との関わり合い方の濃度が変わってくる、
相談できる関係はできない関係よりも密であるだろうし、密である関係を地域の文化が支えているのだとも思える、

ネットなどで、「祝儀の額」とかの言葉で検索すれば、すぐにヒットするだろうと思われるのだが、ネットが無かった時代には、

アパートの大家さんの92歳の母親が亡くなった場合など、
「なあ、あんたんとこなあ、幾ら包む、うちとこはあんまり付き合いも深う無かったし、片手でどうやろうなあ」
「あんたんとこが片手なら、うちとこだって片手にさせてもらいまひょ、見栄張ることもないやろうしなあ」

そんな率直な会話が、関西でなら交わされていそうな気がする、


ぼくが子どもの時には、東京の下町葛飾区などでは、祭礼の際に、回覧板が回ってきて寄付を求められていた、
金額は幾らと決められていたわけでなく、あくまでも”お気持ち”次第ということなので、そのお気持ちが悩ましい、、

10円でいいのか、100円なのか、まさか1000円ということはないだろう、
毎日の買い物をする中、1円2円の額を判断材料に、その店で買うか買わないかを決めていた義母にとって、お気持ちというのならば、5円くらいが相場というものだったはず、

自分が5円しか出さなくて、もしご近所が100円も出していたら、それは義母の恥になる、
そんな懼れが彼女の頭を横切っていたはず、
だとしたら、隣近所は文字通り近い目の前なのだから、さっさと訊きに行けばいいようなものなのに、たぶん行かなかったと思う、

お気持ちでという上辺の建前と、お気持ちといっても相場はある、相場くらいはいい歳をした大人だものわかっているよね、という本音に挟まれて、しかも、お金のことを口にするのは、はしたないという地域文化にも苦しめられて・・、

前段の話が長くなった、、まだ前段かよっ 

で、我が家の二匹の猫の食事代トイレ代にかかる金額はおおよそ2万円、月に2万円である、
月に2万円はそれほどでもないといえるのだが(いえるのか)、年に24万円になる、、

24万円・・、


これは大きい、家族でちょっとした海外旅行ができる金額になる、
10kg5000円のコシヒカリが480kgも買える金額になる、

これ以外に、3種混合ワクチン接種代金やら、便に虫がいるようだ、血便がでたようだと、何かとかかる医者代は別途、病気にでもなって手術ということになれば10万20万というお金が飛んで行く、

猫を飼うのも必死なのだ、
その必死さに耐えられなくなりそうな年金生活が始まったら、もう猫は飼えないね、今飼っている猫で最後にしましょうね、とは家人の弁、、

そんな家人でも、アメショーやロシアンブルーの子猫が道に落ちていたら、またすぐに拾って飼うことになるのは決まっているのだけどね・・、



2012年7月15日日曜日

夏来る




雨ばかり降っていた天候が一転して晴天の猛暑に、、

猛暑というのは、エアコンが壊れたために、涼しさを扇風機と窓を開け放して自然の風に頼っている我が家だけの気候なのかもしれないが、

この暑さで、飼い猫の二匹も日陰で寝てばかり、
サマーカットをしたがっちゃんも、例によって”ねじりん棒”スタイルで寝ている、

今日は日曜日、涼しければどこかへお出かけするのも楽しいのだが、この暑さではね、
上半身裸になり、濡らしたタオルを身体に掛けて、これを書いている、

書いているそばから汗が、、

2012年7月13日金曜日

大雨

九州北部の記録的な豪雨での犠牲者は、熊本県阿蘇市、同県南阿蘇村、大分県竹田市で20人になってしまった、
両県での行方不明者数は依然7人のまま、その安否が気遣われる、、
テレビニュースでは、土色の濁流が堤防を乗り越え、市街地に氾濫する様子を何度も映していた、


九州といえばぼくにも縁が深い場所、心配している、
熊本市内に住む友人にメールをしたのだけれど、大丈夫なので安心してと返事が来た、
まずは一安心、


「今までに経験したことのない大雨」、
今回の雨量の異常さと危険性を該当地域の市民に訴えるために、気象庁はあえてこの表現を用いたのだとか、


数値を用いた科学的な表現、たとえば「1時間に100ミリの猛烈な雨」などの表現と同時にあえて、文学的な(?!)「今までに経験したことのない大雨」という表現を採用したのか、気象庁の職員が説明していた、


一時間に100ミリの雨、たしかにものすごい雨なのだけれど、そのもの凄さを国民みんなが心から理解納得できるかというと、できる人もいれば、できない人もいる、
数字にヨワイ人もいれば、ミリという長さの単位をまだ学習していない子どももいる、

また、例えば「バケツをひっくり返したような大雨」では、人それぞれの思い描くバケツの大きさが違っているために、正確には危険度が伝わらない、
大きなバケツ、小さなバケツ、いろいろあるから、、


なんとなくわかる気がする、


それでニュースを聞いた人全員が、「これは大変なことだ」と、十分警戒をするように、前述の
「今までに経験したことのない大雨」という表現になったのだとか、、


物理化学天文の一般的にはわかりにくいと思われる事象を、中身の質を落とさないで簡明に人々に説明する、そのことは、大発明や大発見と同じように、科学者の大切な使命なのだと、あらためて確信した今回の事例だった、、


亡くなられた方々のご冥福を心から祈ります

















2012年7月10日火曜日

コンドルは飛んで行く





1970年、Simon & Garfunkelによって歌われたこの歌は、ペルーの先住民族の旋律を元に、二人が詩を付けたものだとは承知でも、作者不詳の民謡ではなく、実際に作曲した人がいたことをご存じだろうか、

ある文章で、その作曲者の名前に触れていたので、目が留まった、

ダニエル・アロミア・ロブレス(1871-1942) 
名曲の作者として、この名前を覚えておくことに意味はある、

まだラジオもなかった時代のこと、庶民の娯楽の中心は芝居だった、
歌芝居(サルスエラ)の序曲として、ペルーの先住民族の旋律を元に同人によって作曲されたものだという、

芝居の筋は、ペルーの銅山で劣悪な環境と労働条件の下、銅山を牛耳るアメリカ資本に対し、鉱山労働者たちが連帯して闘い勝利するというもの、
庶民には大受けしてロングランとなるのだが、アメリカ資本の怒りに触れ上映禁止になったという、いわく付きの歌曲だったのだとか、

序曲は、歌詞がなかったことが幸いし、上映禁止になった以降も演奏し続けられ、やがてさまざまな歌詞をつけて歌われるようになった・・、

その中の一つが、冒頭で書いた、アメリカ人デュオ、サイモンとガーファンクルによる「コンドルは飛んで行く」だった、
ポール・サイモン氏による歌詞は、
「なれるならカタツムリよりも雀の方が良い、釘よりもハンマーの方が・・」となっている、

今では世界中で、おおよそ4500もの歌詞が存在する名曲になったと、目に留まった文章は結んでいた、

ぼくが人生で一番最初に買ったレコードは、日本の民謡”南部牛追い歌”だった、

中学一年生の時の音楽担当の女教師が、日本で一番美しい歌、と授業で紹介し、それに心を動かされたからだ、
そのレコードを、当時、東京で一緒に暮らしていた義祖母にプレゼントしたのだが、あまり喜ばれなかった、
口には出さなかったけれど、こんなものより饅頭一個の方が有難いね、彼女の顔はそう語っていた、
それ以来、人にものをあげることの難しさを知ったかのようだ、

ちなみに、”南部牛追い歌”は、作曲者不肖の、我が国固有のフォークソングだと思う、
誰が作ったのかわからなくても、いつできたのかわからなくても、良い歌は良いのだが、作者がわかっていれば、その作者の名前が後世の人々の口に上る、
そのことって、けっこう大切な気がする今日この頃・・、


こんなシメでいいのか、、、




※ 紹介した歌は、数ある「コンドルは飛んで行く」の中から、もっとも力強いと思われるそれを選んだ、
銅山労働者が闘いの中で勝利したという内容の歌曲、
哀愁を帯びた切ないだけの歌ではないだろう、との思いからだ、




2012年7月7日土曜日

雑感

以前、テレビで、マジックミラーの紹介をしていた、

マジックミラーとはいえ、警察の取調室の模様を目撃者に見せるためや、趣向を凝らしたラブホテルのそれらとは違い(どんな趣向なのか知らないのだが)、

顔や胴が細く見え、足が長く見えるという、マジックミラーだった、
マジックミラーと普通の鏡を二枚並べて置き、若手のタレントをその前に立たせると、明らかにマジックミラーに映ったタレントの体型は実物と違って痩せてみえた、


一瞬、買いたいと思った、、







今日は、健康診断の日、心電図、肺のレントゲン、バリウム使用の胃のレントゲンなどなど、
採尿や血液検査、検便以外にも近代的な器機を用いた各種検査がある、
検査費用は6千円強、この額でこれだけ調べてもらえればコストパフォーマンスは良いといえるだろう、


年に一回の恒例行事、
検査が終わるまで、朝から何も食してはいけないルールなのだ、
あ~、お腹が減ったなあ・・、





2012年7月4日水曜日

今日はこれ

シュールストレミング (Surströmming [sʉ̌ːʂtrœmːɪŋ]スーシュトレンミング) は、主にスウェーデンで食べられている缶入り食品。ニシンを塩漬けにして缶の中で発酵させた、漬物の一種である。シュールストローミングシュールストロミングシュルストレミングスールストロミングなどとも呼ばれる。その強烈な臭いから、「世界一臭い食べ物」と評されることもある。 ja.wikipedia.org


なので、




スウェーデン食わぬは男の恥







だからどうした?
うっ、、、

2012年7月2日月曜日

サルトリイバラ

原名は、猿取り茨なのか、それは知らないけれど、蔓性の草の名前、






野山を歩いているときに、見覚えのある葉を見つけた、
熊本で暮らしていた数年間のその間の何回かのお盆、その時期になると、祖母はきまって饅頭を作ってくれた、


無神論者の祖母ではあったのだが、仏壇に飯を供え、歩いて数分の場所にあった家の墓の周りは綺麗に掃除し、盆には花も供えていた、

何人もの我が子を、結核や他の病気で失っていた祖母にとって、先祖を祀るというより、自分よりも先に旅立っていった我が子たちを弔う気持ちが強かったのだと思う、


収穫した麦を農協で粉に挽いてもらい、その粉をこねて固めの生地をつくり、その中にこれも自家製の小豆でつくった餡を入れて蒸した饅頭だった、


その饅頭の外側を、この葉、サルトリイバラで上下を包み蒸した、
墓の周りに何株も生えていて、すぐ手に入ったからなのか、肉厚の葉が饅頭の出来にうまく作用したからなのか、ぼくの家だけでなく熊本のその地方では、そのようにして作るのがいつものことであったように記憶している、


精白を完全にしていない、少し黄味がかった小麦からは小麦本来の強い香りがし、甘さをおさえた餡とうまくあって、とても美味しいものだった、

祖母は何を作るにしても、孫に食べさせるときには、腹一杯という言葉が好きだったようで、饅頭も二つとか三つとかではなく、腹一杯食べろ、というのが口癖だった、
中学生の食べ盛り、幾つ食べたのか既に記憶にはないのだが、腹が膨れて破裂するほど食べたのだろう、、

一回に蒸せる数は蒸し器の大きさで決まっていたのだが、(作れば)どしこでんあるで(いくらでもあるから)と、腹一杯の饅頭を作ってくれた、

近くに食材を売る店は一軒きり、
その一軒も、魚といえば干物か缶詰、干物のそばの棚には学習用のノートや鉛筆、農作業に必要な鎌や砥石なども置いてある店で、魚専門、肉専門などの店は近くに皆無だった、

その店から買うものは塩か醤油と限られていて、朝食から昼飯、晩ご飯にいたる三度の食事のおかずすべてを祖母は畑で取れたもので賄っていた、

小麦から作った太い手打ちのうどん、郷里名物のカボチャをはじめ季節の野菜がたくさん入っただごじる(団子汁)、大晦日には蕎麦と、なんでも祖母は手作りしてぼくにふるまってくれた、

うどんはといえば、太すぎて汁の中でぶちぶちと何本にも切れていたし、蕎麦も蕎麦粉十割のためか太すぎる径のせいなのか、椀の中で大きくとぐろを巻いているような蕎麦だった、、
その太い年越し蕎麦をたまたま訪ねてきていた友人らが、うまいうまいと何杯もお代わりしていたことを思い出す、、

元地主だったという我が家には、戦後すぐの農地改革で多数の土地を手放さなければならなかったとはいえ、祖母一人の手には余るほどの土地がまだまだ残されていた、

水田こそ作業の大変さから無かったものの、祖母はその残された畑で、思いつくさまざまなものをつくり育てていた、
かぼちゃ、胡瓜、馬鈴薯、トウモロコシ、砂糖黍、大豆、ネギ、菜っ葉、さつまいも、トマト、メロン、西瓜、小麦、蕎麦、、
母屋の前の敷地内が大きな竹林になっていて、季節には孟宗筍がいくつも(おそらく300本以上)生えてきた、

学校から帰り玄関を開けると、土間の奥には時季の野菜がごろごろところがっていた、
かぼちゃ、馬鈴薯、さつまいも、トウモロコシ、歩くのに邪魔になるほど大量にあったそれら畑の恵みは、たくさん食べさせ、ぼくの成長を楽しみにしていた祖母にとって、とても心強い光景だったに違いない、、

プロパンガスが各家庭までに行き渡ることがなく、洗濯機もクーラーも冷蔵庫も、車も無かったあの時代、大きな竃(かまど)二つと小さな竃一つを駆使し、祖母は器用になんでも作っていた、


原子力発電所がなくなると電力の供給が不安定になる、安定的な供給を可能にするために原子力発電所は不可欠だ、との論議がある、

あの時代、竃と薪の火だけで、すべての食事をまかなっていた祖母の背中を見て育ったぼくは、電力が少々減ったとしても、だから生活ができなくなるということはない、と思っている、、

水力があり火力があり、太陽光発電、地熱発電、風力発電、潮の干満を利用した発電なども研究課題の俎上に載っている現在、より安全なエネルギーを目指す人類は、きっとそれを手にするだろうとぼくは信じている、、

ぼくがそれを目撃できるかどうかは別の問題として。。