2012年6月11日月曜日

東名の花

しばらく仕事が途切れのんびりと過ごしていたのに、最近また仕事が出始め、慌ただしい毎日を送っている、
自宅前から朝6時38分発のバスに乗り、新宿7時30分発の小田急箱根高速バスに乗る、
その繰り返しの毎日、、
現場へ出れば一人工、一人の作業員として働いている、

仕事が無くてこの先どうなるのだろうと悩んだり考えたり、って、実はあまり悩んではこなかった、
今ある姿は何十年も前に自ら選んだ道の果て、それは前からわかっていたこと、今悩むならあの時別の選択をすれば良かったのだ、
そうしなかったのだから、今こうなっている、
会社員としても公務員としても、その道を歩まなかったのだからの今日(こんにち)様、
そんな様があるのかどうか、それは知らない、明治時代の誰かが書いていたような気がしたので書いてみた、

なるようになるだろうと、諦念を抱いているわけでもない、
ここにいるこんな立派な男であるこの俺を誰もが見殺しにはしないだろうとの、変な自信があるだけ、、
仕事は無いよりも有った方がよい、
毎年こうしてなんとか生きてきたのだから、これからもなんとか生きていくのだろう、、

東名高速のバス停で下車すると、季節によって花が咲いていることが多い、
そこには道路公団が植えたと思われる観賞用の鉢植えもあるのだが、落下防止ネットや土砂崩れ避けの生け垣に咲いた名前もわからない野草が好き、
栽培された花々と違って、生きるも死ぬもみな自分のせい、厳しい自然の中で生きていく力強さに満ちあふれている、

一粒の麦 というイエスキリストの言葉もあるじゃないか、
生きるならば一粒、死ねば多くの実を結ぶのだ、そういう中身だったと記憶している、

死も生も生命にとっては同じこと、同じ時系列の後先(あとさき)にあるだけのこと、生のあとに死があり、死のあとに生がある、そして生のあとに死がありまた死のあとに生がある、、、

生と死の無限のスパイラル、、、
今この瞬間なら断言できる、死は怖くないと。。




ネットに巻き付いた名前の知らないマメ科の植物の茎の先を見つめながら、生と死について少し浮かんだことを書いてみた、、



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