2012年6月4日月曜日

平塚市美術館

時間ができたので、神奈川県平塚市美術館まで出かけた、

池袋から平塚までは、湘南新宿ラインという便利な鉄道があり最近では直行できるのだ、
池袋が始発というわけではないのだが、多くの乗客が次の停車駅の新宿で降りるため、ほとんどの行程を座っていける、
一時間少々の小旅行?なので、座っていけるのはありがたい、という年齢になってしまった、、

成増~池袋 240円 池袋~東海道本線平塚駅 1280円、往復で3000円ほどかかった、

平塚は、今飼っている猫のjo太郎が住んでいた町、jo太郎を貰いに行ったときと、その後、平塚の祭り「七夕祭り」を観に出かけたことがあって、今回で3度めの平塚市訪問だった、

平塚市美術館には、期間限定で、日本が生んだ天才版画家・棟方志功氏の作品と、友人から紹介された木下晋(きのしたすすむ)氏の作品が展示されていた、
一回の訪問でどちらの作品も観ることができ、お得なのだ、


棟方志功氏の人物や作品については、これまでも多くの映像で紹介されているし、評論、ドラマ、漫画にもなっているのであらためてここで書き記すこともない、でしょう?




木下晋氏は、先週だったか、NHKの教育テレビで朝の45分番組で紹介されていた、


1981年渡米後、かねてから意識していた色彩の問題を解決すべく、鉛筆によるモノクロームの新たな表現方法に取り掛りました。従来、習作として扱われる鉛筆画の可能性を拡げ、本画(タブロー)に匹敵する表現力を追求したのです。こうして、10Hから10Bの鉛筆を駆使することにより、他に類例をみない独自のリアリズム絵画がうまれました。最後の瞽女と言われた小林ハルや、谷崎潤一郎『痴人の愛』のモデル和嶋せい、元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫、また自身の母などをモデルとして作品を発表し、モノクロームの光と影による圧倒的な表現で現代絵画に新たな領域を確立 (平塚市美術館HPより転載)




美術館に展示された木下氏の多くの作品群の中でも、特に元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫氏を描いた作品に多数の眼が集まっていたようだ、


題材として、絵を描くその対象として、木下氏がなぜ桜井哲夫氏を選んだのか、その深い理由はぼくにはわからない、
ハンセン病患者特有の末期的な症状、指が溶け顔が溶け眼までも失った桜井氏のどこに、何に、画家としての創作意欲を掻きたてられたのか、ぼくには理解できなかった、


もしかしたらそれは、桜井氏と初めて出会った時に感じた、深い闇の中で暮らす絶望的な孤独感、だったのか、、
その深い孤独の中でさえも、人間桜井氏が放つ生きている証、一筋の光明のようなもの、それを表現したかったのだろうか、、


日本政府が明治大正、昭和のつい先頃まで、ハンセン病患者に実施した強制的な隔離政策、それは、生まれ育った故郷から生きている限り引き離されることを意味し、また親兄弟肉親との縁をも絶つことを意味する、


大正13年青森県に生まれ、昭和16年群馬県草津の国立療養所栗生楽泉園に入園して以来、数十年をそこで過ごした桜井氏、昭和28年には病状の悪化により失明し、昭和58年より詩を作り始める
機会があれば、桜井氏の詩のいくつかをここで紹介していこうと考えている、
その詩の中に、指も眼も声までも失った桜井氏の心が感情が思想が哲学が叫びが、在る、
はずだから、
そしてそれこそが、画家木下晋氏に鉛筆を手に取らせた「なにもの」か、なのだから、、


ぼくは、木下氏の描く鉛筆画の前で立ちながら、松本清張氏の作品「砂の器」を思いだしていた、
「砂の器」の話になると、文章がまたどこかへ漂流しそうなので、やめておくのだが、関心がある方なら是非、原作でなく映画化された映像をみてほしい、


原作を越えた映像がある、その論の確かな証拠がそこにあると考えるものです、、















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