たまに行く中華食堂があった、
昭和の香り漂ういかにも町場のその店は、とうちゃんかあちゃん、その長男と三人で切り盛りしていた店だった、
だったと、過去形で書いたのには訳がある、
とうちゃんが糖尿病に罹り、かあちゃんも脳に腫瘍ができたとかで店を閉めてしまったのだ、
病院に入院したと聞いていたので、もしかしたら退院し、いつか開くのではと機会がある度にバイクを飛ばし店の前を通り過ぎているのだが、過去二ヶ月にわたり調査?の結果、やはり店のシャッターは閉まったまま、
シャッターにA4サイズの白紙が留められ、そこに何やら文言が書いてあるようなのだが、バイクを降りてまで見ようとまでは思わない、
しばらく休みます、とかの内容なのだろう、、
ラーメン湯麺もやしそば五目そば味噌ラーメン餃子炒飯カレー、、、
この店のもやしそばと餃子が好きだった、
安っぽい折りたたみ椅子が添えられている四人掛けのテーブルが二つ、カウンターの席が四つ、
あまり綺麗でも上等ともいえないビニールクロスで覆われたテーブルの上に、醤油胡椒ラー油酢となぜかソースも置いてあったっけ、、
中華屋にソースは置かないものなんだけど、カレーにソースをかける人がたまにいるからそのせいで置いてあるのか、、
カウンター席の隅の下に長ネギを入れた段ボールの箱があり、その上をその日の新聞二紙が日射しを避けるようにかぶせてあった、
新聞は、読売新聞と中日スポーツ、店に入るとまず読売新聞を取り上げそれを持って席に座り将棋欄を見る、それがいつものことだった、
何人か知り合いを連れて行ったのだが、店と味の評判はあまり芳しくなかった、
いわく餃子のニンニクがきつい、いわく店が汚い、あぶらでぎとぎとしている、、
店の名は来来軒(らいらいけん)、とうちゃんが配達の時にかぶるヘルメットの中央目立つところに、マジックインクで下手くそな字で来来軒と大書していた、
額に来来軒と張り紙をして走っていくようで、それが可笑しくて可笑しくて、、
来来軒と書かれた店の宣伝用のライターを幾つか貰い、大事に使っていた、
白地に黒く来来軒と印刷されたそれは、ぼくの美的な感性にひどく合っていた、
ダンヒルやカルチェのライターよりも、そのライターで喫ったたばこは美味かったし、そのライターを見せびらかすように、何度も喫いたくもないたばこに火を付けたりもした、、
日高屋、ふくしん、家系などのチェーン店系中華屋に押され、昔ながらのラーメン屋がどんどん店をたたんでいる、
それほど不味くはなく味が普通ならば、小店の中華屋を応援していこうと思っている、
少々油や脂で汚れていても、それも味のうち、だと自分には言い聞かせている、
大手チェーン店系には味にも衛生面にも厳しいのだが、小店にはすこぶる寛大なのだ、
いつかここで書いた、下赤塚のカレー屋「ハイバル」も、今日見に行ったら店をたたんでいた、
うまいでかいナンが地元の近場では食えなくなってしまった、
寂しい、、
今日の昼飯に、夫婦もの二人で営んでいる中華屋に行き、レバニラ炒めを注文した、
味はよいのだが、目当てのレバは少し、皿のほとんどをもやしとニラで盛っていた、
レバがそんなに高いのだろうか、きちんと血抜きをしレバに片栗粉をまぶして炒めている誠実な料理の技をもっているのに直径2cm一口サイズのレバが5切れほどしか入っていない、、
もっとドカンと切らんかい、口の中からこぼれるくらいにでかいレバの切り身を食わせんかいっ、
それはもうレバニラ炒めでなくて、もやしニラレバ炒め、この店に行くことはたぶんない、、
思えば、ここで書いていること、ぼくが自分で見聞きした身の回りの私的なことばかり、
芸能人ネタや、政治的ネタ、スポーツのことなど、あまり書いてはこなかった、
誰が誰と結婚したとか離婚しただとか、ガキが生まれた借金でつぶれた、巨人が勝とうが負けようがあまりぼくには関係ない、
関係ないし興味もない、
ぼくにしか書けないこと、ぼくが書かなければこの世に残らないこと、そのようなものにぼくの興味の大半は注がれる、
名前の知られた英雄譚でなく、町場の庶民の生活や息遣い、汗臭く泥臭い生き様(よう)のようなものを伝えられれば、伝えることができたのなら、とても嬉しいことなのだが、、
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