2012年6月29日金曜日

過ちて改めざる 是を過ちと謂う

ならば、改めたので過ちではないのかもしれない、

本を買うことが相変わらず続いている、
図書館でも借りるので、読む本の数といったら普通の人(どんな人だよ?)以上かもしれない、
多いときには、日に3冊ほど買うことがある、

ナイフの本、文房具の本、花の本、パソコンソフトの本、化石、星、数学、酒、俳句、童話、小説、、
最近では、ハングル(韓国語)に興味も湧き、買ったり借りたりしている、

近くに大手の古本チェーン店があるのだが、古本よりもコミック、CD、DVDの数の方が多いのは、どこの地方でも街道沿いで見かけるあの光景、、
ぼくの決めつけで申し訳ないと思うのだが、この手の本屋を古本屋と呼びたくはないなあ、、

古本屋というのは、饒舌でないおじいさん(少なくとも65歳以上、髪の毛が後退し、どこまでが額なのか頭なのか境界に迷う年代の)が店の奥に座り、いらっしゃいでもなく、一心に難しそうな本を読みながら(ホントはフランス書院のムフフ本かもしれないのだが)、ずり下がった眼鏡の奥から、たまにやってくる数人の、客らしい立ち読みを常とし滅多には買わない人物を眺めている、、
そんな本屋をいうのだろう、

いらっしゃいませぇ、いらっしゃいませーー、いらっしゃいませえええ、
煩いっちゅうの、


ネットショップ・アマゾンを利用して本を購入することが多くなった、
新刊、中古、いろいろ買うのだが、最近、こういうことがあった、

「酒場歳時記」生活人新書をネット注文したのだが、届いたのは「蕎麦屋酒」光文社新書、
本のタイトルも出版社も間違えている、
長年、ネットで購入しているのだが、違った品が届いたのは今回が初めて、、
入っていた納品書には求めた本が記入されていたので、梱包送付時の単純なミスなのだろう、
さっそく相手に電話した、、

「あのう、注文とは違った本が届いたのですけど・・・、」
「あら、それは大変申し訳ありませんでした、在庫を調べ今日中に速達にてお求めの本をお送りいたします」
「ありがとうございます、で、間違えて届いた本はどのように・・?」
「お手数かけて申し訳ないのですが、ご処分いただければそれでかまわないのですが・・」
「わかりました、こちらで処分しますね」

応対に出た女性とのやり取り、
気持ちが良かった、

求めた本を読み終わり、いただいた(?!)蕎麦屋酒を読んでいるのだが、こちらの方が良かったりして・・・、
求めた本は東京の主だった居酒屋名店数十店を紹介し、さらに足を延ばして京都大阪方面の居酒屋にまで言及しているせいか、一つの店に対する記述が薄まった印象が否めない、
足早に店先を通り過ぎた感がする、

いただいた本は、いくつかの蕎麦屋店内にじっくり腰を下ろし酒を楽しみ蕎麦を楽しみ思索し邂逅し、、
どちらの本も、こんな佳い店がありますよと、日本ならではのお酒の甘美な世界に招待することを眼目としたのだろうが、紹介している店の数が少ない分だけ、蕎麦屋酒の方が、内容が濃いと思えた、、

もちろん、内容の善し悪しをうんぬんするほどの酒場の経験も、蕎麦や酒の味をわかる舌も持ち合わせてはいない、、
だから、気にしないで、、 最近、このシメが多い・・・、



この歌手、その生き方政治的発言に違和感を覚え、好きな歌手ではない、、
でもこの歌をたまにカラオケで歌うことがあり、載せてみた。。
気にしないで・・、






2012年6月24日日曜日

これもなにかの縁なのか




行きつけの居酒屋の女将から鋏を貰った、
理髪店で使われているプロ用の髪切り鋏なのだとか、

たまたまお客はぼく一人、
なので、女将にも一杯すすめながら、ナイフや庖丁が好きでバイクも好き、鉄製品が好きだから工具も大好き、ちなみに髪の毛はいつもうちのが調髪してくれる、それ専用の鋏も通販で買った・・、と、酒を飲みながらのいつものうだうだ話、


それを聞いていた女将が突然奥へ行き、
「亡くなった亭主が趣味で始めた包丁研ぎ、鋏も頼まれて研いでいたのよ、良かったら貰って」と、髪切り専用鋏を出してきた、

見ればかなり良いもの、貰っていいのかどうか躊躇したのだが、置いていても腐るだけ使うのなら是非もらって欲しい、と強く言われ有難くいただいた、

最近、あちこちの店で、いろいろ、ものをいただくことが何故か多い、
いろいろなものというのは、地物の野菜であったり故郷から送られてきた山菜であったり漬け物であったり、主に食べ物が多かったのだが、鋏というモノを貰ったのは生まれて初めて・・、

お客としてはただ酒を飲むだけで、勘定はきちんと払うもののそれ以上のことは何もしていない、
気をつけていることは、他の飲み客と争わないこと、酒場のカウンターだけの薄い交際(つきあい)、深いお付き合いは誰も望んでいないし(たぶん?)、
どうせ飲むのだから楽しく飲みたい、ぼくがそう思っているから他の人もそう思っているはず、、



たまたまテレビで、値段あてクイズ形式の、どっちが高いのかクイズというのを目にした、
出された品物の片方がプロが使う髪切り鋏で、もう一方との値段を比べるというものだった、
プロ用鋏は15万円!!で、もう一品は3千円だった・・、

15万円!! うわっ


んーー、いただくには高価過ぎる、、返そうかな、、
いやいや、せっかくのお心遣い、やっぱり貰っておこうっと・・、 ラッキー(笑)


これを縁というのか、ぼくにはわからない、
ものを介して縁ができたとは思わないし、思いたくもない、


でもさあ、何も思っていない人に何かしてあげたいとは思わないでしょう、
少なくとも何か感じるものがあるから、なにか有ったらこれをあげたいとか、これを食べて貰いたいとか着て欲しいとか使って欲しいと、、
そう思っていただけるだけで幸せ、、









追伸
”絆”ということばが大流行(おおはやり)、流行らせてはいけない言葉だろう・・、
被害地で最近多く行われている演歌歌手の「チャリティー復興支援コンサート」に似てウソ臭い、、
流行れば流行るほどウソ臭い、

絆、絆、絆って、朝から連呼するな、そこの営業涙上手なタレント、鬱陶しいんだよ・・、
さらっと流す親戚のミッツ・マングローブを見習え、、









2012年6月20日水曜日

真竹採り




真竹を採りに行ってきた、
さすがに地元近くにはなく、関越高速道を新潟に向かって20分ほど車を走らせた、とある公園、
ここは埼玉県東松山市が管理している公園なのだとか、サッカーコートが一面あり、サッカーコートの前と後ろに竹藪がある、
そこに真竹が生えている、

孟宗筍は時期になればスーパーなどにも並ぶのだが、真竹筍は並ばない、
孟宗竹に比べてアクもなく小ぶりなので掘るのも樂、採ったあとの処理も比較的簡単、
声をかけたら3人が手を挙げた、

午後一時に待ち合わせ、二時には現地着、真竹は芹や芥子菜と違って重量もありかさばる、
竹藪に入り込み10分もすれば20~30本は採れ、手に持ちきれない、
さっさと採り即退去、もどってきた、

昨日の雨で竹藪が水に浸かり、水の中から筍が生えているような場所もあった、
藪の近くには「マムシに注意」の看板もあったりで、少しおびえながらの竹の子採り、

菜の花摘みに始まった春のイベント、山菜採りは、菜の花、芥子菜、芹、クレソン、野ビル、、
今日の真竹採りをもっていちおう最後となった、
あとは、また来年の二月からだね、

豊かな四季と自然の恵みを生み出す日本の国土に感謝、感謝、

炊き込みご飯、煮付け、豚肉と筍の味噌汁、刺身と、旬の味、筍を存分に食らうのだ、、






2012年6月18日月曜日

痛い

梅雨の間のひとときの晴れ間、ベランダ側の窓を開け放し、心地よい風を身体に受けながら寝転び、本を読んだり新聞に目を通したり、あれこれをするのが習慣になっている、

手を伸ばせば届く位置に、ちょっとした戸棚が置いてあり、本やら文具、便箋や葉書、あれこれ詰まっている、
なんとなくその戸棚の扉を開けてみると、以前買った工具ツールに目がいった、

携帯用の、小さくたためるペンチには、ナイフ、のこぎり、マイナス・プラスドライバー、缶切り、などが織り込まれている、
登山やアウトドアでなじみの深いたくさんのツールが入ったナイフ、あれを想ってもらえれば正解に近いはず、そのナイフをペンチに主役を替えたもの、それがあった

手に取り、仕込んである各種のツールを引っ張り出し、また仕舞い、また取り出してみていたら手が滑った、
真上から金属製の重量のあるそれが落ちてきて、口に直撃、
この前、切開手術をしたばかりの唇の右側に当たった、

痛いよう~~~~
しばらくして痛みは取れたものの、まだ幾分腫れている、


ナイフを出して刃先に手をあてたりして遊んでいて、それを仕舞った後に落下させたからまだ良かった、これがナイフの刃が出た状態だったらシャレにならない事故になったかも・・、


寝転んで本を読んでもいい、寝転んで新聞を見るのもよい、
しかし、重量のある工具を、寝転んで触るのは良くないよね、


これが今日の教訓。。


んーーーー、、何をしているのやら、、















2012年6月16日土曜日

今月の句会

毎回第二日曜日開催の句会だったのだが、会場確保ができず今回は第三日曜日になった、
明後日のこと、

兼題は「羽抜鳥(鶏) はぬけどり」 
羽が抜けてみすぼらしい哀れでもの悲しい、芋粥の主人公を思い出すかのような兼題なのだが、春から夏にかけて、冬の羽毛から夏向きの羽毛に生えかわる自然の摂理、
夜間でも煌々と明かりを付けて狭い場所に閉じ込め、一生、卵を産み続けさせられる毛の抜けたブロイラーを想うと、それは間違いなのだ、

と、偉そうに「なのだ」と断定しているのだが、なあに、書いている本人もよくはわかっていない、
本で読んだことを、さも前から知っていたかのように書いているだけのこと、気にしないで、


さて、今回出す俳句は下記


また生えてくるからいいね羽抜鳥

二人して蕗の皮剥く夕餉前

職失くし梅雨の昼飯二九八

蘭おけば王の寝所に早変わり  様変わり

人妻の白足袋濡らし走り梅雨  若妻 新妻 見たのは小母様だったので人妻にしたのだが・・、


以上、五句をもっていき、そのうち四句を会場で選ぼうかと思っている、
一番のお気に入りは、羽抜鳥の句

また生えてくるからいいね羽抜鳥

同級生や友人たちには、髪の毛がどこかへ逃げてしまった人も多い、
気にしないと口では言うものの、やはり気になるのだろう、そういう人に限ってハットやらキャップやらを被っている姿を目にすることが多い、

毛が薄い、あるいは無い、というのは、我が国日本では男性の魅力を半減させる大きな理由の一つであるらしい、

恋愛時、結婚時に、その手の男性を好んで選ぶ女性をぼくはあまり知らない、
お付き合いしてから、結婚してから、そうなったのなら仕方がないし諦めもつくのだが、初めからそれでは、対象外!ということらしい、
男は、人間は、中身が大事、外見には迷わされないわ、という建前と、親兄弟友人知人に紹介するときのことを思えば、少しでも押し出しの効く外見も好さそうな男性を求めたいという本音、

幸い、というか、子どもの時からおでんなら昆布、湯豆腐も豆腐そのものより鍋底に沈んでいる出汁も出きった昆布をこよなく好み愛で、自らの頭髪の育成、養生、保護につとめてきたその結果なのか、髪の毛がむしろ多くて困っているぼくは、同年代の男性たちから頭髪だけ羨望のまなざしで見つめられることも多い、

頭だけは若いのだなあ、、頭だけ、と書くと、まあいろいろ邪念余念も働くのだが・・、


そうした男性たちの哀感と諦観をこめた、羽抜鳥の句、

俳諧の俳句らしく、どこか面白みもあるしね、と自画自賛



2012年6月14日木曜日

スイトピー

東名の花、と書いたあれ、図書館から借りてきた「俳句の花」という本を読んでいたら、
全く同じものが載っていた、

スイトピーという花だった、
名前はよく知っていたのだけれど、実物を注視したことはなかったから気づかなかった

あれがスイトピーかあ・・・、苦笑



2012年6月11日月曜日

東名の花

しばらく仕事が途切れのんびりと過ごしていたのに、最近また仕事が出始め、慌ただしい毎日を送っている、
自宅前から朝6時38分発のバスに乗り、新宿7時30分発の小田急箱根高速バスに乗る、
その繰り返しの毎日、、
現場へ出れば一人工、一人の作業員として働いている、

仕事が無くてこの先どうなるのだろうと悩んだり考えたり、って、実はあまり悩んではこなかった、
今ある姿は何十年も前に自ら選んだ道の果て、それは前からわかっていたこと、今悩むならあの時別の選択をすれば良かったのだ、
そうしなかったのだから、今こうなっている、
会社員としても公務員としても、その道を歩まなかったのだからの今日(こんにち)様、
そんな様があるのかどうか、それは知らない、明治時代の誰かが書いていたような気がしたので書いてみた、

なるようになるだろうと、諦念を抱いているわけでもない、
ここにいるこんな立派な男であるこの俺を誰もが見殺しにはしないだろうとの、変な自信があるだけ、、
仕事は無いよりも有った方がよい、
毎年こうしてなんとか生きてきたのだから、これからもなんとか生きていくのだろう、、

東名高速のバス停で下車すると、季節によって花が咲いていることが多い、
そこには道路公団が植えたと思われる観賞用の鉢植えもあるのだが、落下防止ネットや土砂崩れ避けの生け垣に咲いた名前もわからない野草が好き、
栽培された花々と違って、生きるも死ぬもみな自分のせい、厳しい自然の中で生きていく力強さに満ちあふれている、

一粒の麦 というイエスキリストの言葉もあるじゃないか、
生きるならば一粒、死ねば多くの実を結ぶのだ、そういう中身だったと記憶している、

死も生も生命にとっては同じこと、同じ時系列の後先(あとさき)にあるだけのこと、生のあとに死があり、死のあとに生がある、そして生のあとに死がありまた死のあとに生がある、、、

生と死の無限のスパイラル、、、
今この瞬間なら断言できる、死は怖くないと。。




ネットに巻き付いた名前の知らないマメ科の植物の茎の先を見つめながら、生と死について少し浮かんだことを書いてみた、、



2012年6月9日土曜日

平塚市美術館 2





美術館では、地元の絵画愛好家たちによる作品の出品会も催されていた、

棟方志功氏や木下晋氏の絵画や版画が展示されている二階の室とは別の、一階のフロアーに面した部屋にそれらの作品は飾られていた、

部屋の入り口に机が一つ、椅子が一脚、その椅子に中年の男性が座り、受付のような役、
「観ていきませんか、無料ですよ」、前を通るとそう声をかけられた、

無料という言葉に釣られ、入ってしまった、

アマチュア?の絵画愛好家集団の作品は、思っていた以上に大作が(大きな絵という意味)多く、まずそのことに驚いた、

縦1.5m、横4mもの横長の作品を描く、それを載せるための台を、置く場所を我が家では持ち得ない、
家のどこか一隅に、それだけの作品を描きうる場所がある、そのことに思いが至り驚いたのだ、

これほど大きな作品を描ける、描きながら生活し、そして困らない・・・、
お金持ちーーっ、大向こうから声が飛びそう、

16人会というらしいその絵画集団、その中の一群の作品に目を惹かれた、

景色であったり、少女であったり、対象はいろいろなのだが、色遣いがパステル調で眼に優しい、
人物像は少女一人であったり少女数人であったり、いろいろあるのだが、そこに描かれた少女の眼がどれも皆同じで同じ顔で笑っているように見える、
眉毛と同じに垂れ下がった眼ばかり、そこに工夫がないというのか、逆にわかりやすくて面白いというのか、ぼくには心地よく思えたのだけれど、プロの画家からみたらたぶん不評なのだろうなあ、そんな絵だった、

その絵を見ていると、後ろから声をかけられた、




「その絵、私が描いたんですの」、見ると一人の女性が、、、
「私、今年、75歳になるんですけど、家の者からは絵が大きいからって邪魔扱いにされて・・、」
「これは、ドイツへ行ったときのライン川を描いたもの、ほら絵の後方に建物があるでしょ?あれ、お城なの、名前は・・、なんて言ったかしら、息子から教わったのだけれど・・、あらイヤだ度忘れしちゃって」





「これはオーストリアで出会った少女、可愛い?そうですか、そう言っていただけると嬉しいわ、目が笑っている?私、こういう目しか描けないのよ、皆同じ顔だねって先生(絵の)からいつも笑われてしまうの、気をつけないといけないわって思っていても、いざ筆を握ると・・」



「家にはこの何倍も絵がありますわ、とても好きな絵?あら、そうかしら、嬉しいわあ、まさかこんなおばあちゃんが描いているなんて思わなかったでしょ、えっ女子大生が描いているかと思ったですって?まあいやだ、恥ずかしいわ、何年練習してもこんな絵しか描けないんですもの、、、」

少女の絵がとても気に入ってできれば家に飾りたいと正直に告げた、それに応えてまた会話が何度かやりとりされた、まだまだ会話が続きそうな老画家に感謝の意を告げ部屋を出た、、、


2012年6月4日月曜日

平塚市美術館

時間ができたので、神奈川県平塚市美術館まで出かけた、

池袋から平塚までは、湘南新宿ラインという便利な鉄道があり最近では直行できるのだ、
池袋が始発というわけではないのだが、多くの乗客が次の停車駅の新宿で降りるため、ほとんどの行程を座っていける、
一時間少々の小旅行?なので、座っていけるのはありがたい、という年齢になってしまった、、

成増~池袋 240円 池袋~東海道本線平塚駅 1280円、往復で3000円ほどかかった、

平塚は、今飼っている猫のjo太郎が住んでいた町、jo太郎を貰いに行ったときと、その後、平塚の祭り「七夕祭り」を観に出かけたことがあって、今回で3度めの平塚市訪問だった、

平塚市美術館には、期間限定で、日本が生んだ天才版画家・棟方志功氏の作品と、友人から紹介された木下晋(きのしたすすむ)氏の作品が展示されていた、
一回の訪問でどちらの作品も観ることができ、お得なのだ、


棟方志功氏の人物や作品については、これまでも多くの映像で紹介されているし、評論、ドラマ、漫画にもなっているのであらためてここで書き記すこともない、でしょう?




木下晋氏は、先週だったか、NHKの教育テレビで朝の45分番組で紹介されていた、


1981年渡米後、かねてから意識していた色彩の問題を解決すべく、鉛筆によるモノクロームの新たな表現方法に取り掛りました。従来、習作として扱われる鉛筆画の可能性を拡げ、本画(タブロー)に匹敵する表現力を追求したのです。こうして、10Hから10Bの鉛筆を駆使することにより、他に類例をみない独自のリアリズム絵画がうまれました。最後の瞽女と言われた小林ハルや、谷崎潤一郎『痴人の愛』のモデル和嶋せい、元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫、また自身の母などをモデルとして作品を発表し、モノクロームの光と影による圧倒的な表現で現代絵画に新たな領域を確立 (平塚市美術館HPより転載)




美術館に展示された木下氏の多くの作品群の中でも、特に元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫氏を描いた作品に多数の眼が集まっていたようだ、


題材として、絵を描くその対象として、木下氏がなぜ桜井哲夫氏を選んだのか、その深い理由はぼくにはわからない、
ハンセン病患者特有の末期的な症状、指が溶け顔が溶け眼までも失った桜井氏のどこに、何に、画家としての創作意欲を掻きたてられたのか、ぼくには理解できなかった、


もしかしたらそれは、桜井氏と初めて出会った時に感じた、深い闇の中で暮らす絶望的な孤独感、だったのか、、
その深い孤独の中でさえも、人間桜井氏が放つ生きている証、一筋の光明のようなもの、それを表現したかったのだろうか、、


日本政府が明治大正、昭和のつい先頃まで、ハンセン病患者に実施した強制的な隔離政策、それは、生まれ育った故郷から生きている限り引き離されることを意味し、また親兄弟肉親との縁をも絶つことを意味する、


大正13年青森県に生まれ、昭和16年群馬県草津の国立療養所栗生楽泉園に入園して以来、数十年をそこで過ごした桜井氏、昭和28年には病状の悪化により失明し、昭和58年より詩を作り始める
機会があれば、桜井氏の詩のいくつかをここで紹介していこうと考えている、
その詩の中に、指も眼も声までも失った桜井氏の心が感情が思想が哲学が叫びが、在る、
はずだから、
そしてそれこそが、画家木下晋氏に鉛筆を手に取らせた「なにもの」か、なのだから、、


ぼくは、木下氏の描く鉛筆画の前で立ちながら、松本清張氏の作品「砂の器」を思いだしていた、
「砂の器」の話になると、文章がまたどこかへ漂流しそうなので、やめておくのだが、関心がある方なら是非、原作でなく映画化された映像をみてほしい、


原作を越えた映像がある、その論の確かな証拠がそこにあると考えるものです、、















2012年6月1日金曜日

極私的なこと

たまに行く中華食堂があった、
昭和の香り漂ういかにも町場のその店は、とうちゃんかあちゃん、その長男と三人で切り盛りしていた店だった、
だったと、過去形で書いたのには訳がある、
とうちゃんが糖尿病に罹り、かあちゃんも脳に腫瘍ができたとかで店を閉めてしまったのだ、

病院に入院したと聞いていたので、もしかしたら退院し、いつか開くのではと機会がある度にバイクを飛ばし店の前を通り過ぎているのだが、過去二ヶ月にわたり調査?の結果、やはり店のシャッターは閉まったまま、
シャッターにA4サイズの白紙が留められ、そこに何やら文言が書いてあるようなのだが、バイクを降りてまで見ようとまでは思わない、
しばらく休みます、とかの内容なのだろう、、

ラーメン湯麺もやしそば五目そば味噌ラーメン餃子炒飯カレー、、、
この店のもやしそばと餃子が好きだった、

安っぽい折りたたみ椅子が添えられている四人掛けのテーブルが二つ、カウンターの席が四つ、
あまり綺麗でも上等ともいえないビニールクロスで覆われたテーブルの上に、醤油胡椒ラー油酢となぜかソースも置いてあったっけ、、
中華屋にソースは置かないものなんだけど、カレーにソースをかける人がたまにいるからそのせいで置いてあるのか、、

カウンター席の隅の下に長ネギを入れた段ボールの箱があり、その上をその日の新聞二紙が日射しを避けるようにかぶせてあった、
新聞は、読売新聞と中日スポーツ、店に入るとまず読売新聞を取り上げそれを持って席に座り将棋欄を見る、それがいつものことだった、

何人か知り合いを連れて行ったのだが、店と味の評判はあまり芳しくなかった、
いわく餃子のニンニクがきつい、いわく店が汚い、あぶらでぎとぎとしている、、

店の名は来来軒(らいらいけん)、とうちゃんが配達の時にかぶるヘルメットの中央目立つところに、マジックインクで下手くそな字で来来軒と大書していた、
額に来来軒と張り紙をして走っていくようで、それが可笑しくて可笑しくて、、

来来軒と書かれた店の宣伝用のライターを幾つか貰い、大事に使っていた、
白地に黒く来来軒と印刷されたそれは、ぼくの美的な感性にひどく合っていた、
ダンヒルやカルチェのライターよりも、そのライターで喫ったたばこは美味かったし、そのライターを見せびらかすように、何度も喫いたくもないたばこに火を付けたりもした、、

日高屋、ふくしん、家系などのチェーン店系中華屋に押され、昔ながらのラーメン屋がどんどん店をたたんでいる、
それほど不味くはなく味が普通ならば、小店の中華屋を応援していこうと思っている、
少々油や脂で汚れていても、それも味のうち、だと自分には言い聞かせている、
大手チェーン店系には味にも衛生面にも厳しいのだが、小店にはすこぶる寛大なのだ、

いつかここで書いた、下赤塚のカレー屋「ハイバル」も、今日見に行ったら店をたたんでいた、
うまいでかいナンが地元の近場では食えなくなってしまった、
寂しい、、

今日の昼飯に、夫婦もの二人で営んでいる中華屋に行き、レバニラ炒めを注文した、
味はよいのだが、目当てのレバは少し、皿のほとんどをもやしとニラで盛っていた、
レバがそんなに高いのだろうか、きちんと血抜きをしレバに片栗粉をまぶして炒めている誠実な料理の技をもっているのに直径2cm一口サイズのレバが5切れほどしか入っていない、、
もっとドカンと切らんかい、口の中からこぼれるくらいにでかいレバの切り身を食わせんかいっ、

それはもうレバニラ炒めでなくて、もやしニラレバ炒め、この店に行くことはたぶんない、、

思えば、ここで書いていること、ぼくが自分で見聞きした身の回りの私的なことばかり、
芸能人ネタや、政治的ネタ、スポーツのことなど、あまり書いてはこなかった、

誰が誰と結婚したとか離婚しただとか、ガキが生まれた借金でつぶれた、巨人が勝とうが負けようがあまりぼくには関係ない、
関係ないし興味もない、

ぼくにしか書けないこと、ぼくが書かなければこの世に残らないこと、そのようなものにぼくの興味の大半は注がれる、

名前の知られた英雄譚でなく、町場の庶民の生活や息遣い、汗臭く泥臭い生き様(よう)のようなものを伝えられれば、伝えることができたのなら、とても嬉しいことなのだが、、