2011年9月10日土曜日
今日は地を
昼食をとる白鷺と、稲を刈り取ったあと刈り取るまえの田園風景、
普段持ち歩いているコンパクトデジカメでは遠景もここまでしか撮れない、
気持ちだけ酌んで、
場所はいつもの千葉県我孫子市、利根川流域、
春夏秋冬それぞれ違った顔を見せる広大な平野、ぼくのお気に入りの場所なのだ、
ここに水田と畑を持つ友人が「もう百姓はやめだ、友だちに貸そうと思っている」と、
彼が心筋梗塞で倒れてから丸二年になる、心臓に負担がかかる激しい農作業はもうできないと、、
東京のデパートで「大東北展」が開かれているとテレビで、、
今日行ってみよう、青森秋田岩手山形宮城福島、いわゆる東北六県の各県からどのような名産が届けられるのか、今の東北を知る良い機会になりそう、
東北人が無口だといわれる理由の一つに厳しい寒さもあるのだが、もっと大きな理由に訛りが、方言があると思っている、
東北訛り、ズーズー弁といわれるその訛りを他県から嗤われる、都会に出てくると嗤われる、そのことからだんだん口が重くなるのだと、そんなことを書いていた文章を読んだことがある、
しかし、寺山修司は最後まで訛りが抜けなかった、抜かなかったのだと思いたい、
太宰はどうだったのだろう、、
同じ訛りなのに関西弁、京都や大阪、兵庫広島、和歌山あたりまで、自らの訛りを隠すどころか、今はブームだとばかりにばりばり口にしている、あのシンスケがそうだった、関西弁を利用して小銭を稼いだ(数十億という大金なのだが)、
実際、テレビをつけて関西の訛りを耳にしない日はまったくない、
地下鉄副都心線の中で、今日大阪から来たのだと聲高に大阪訛りで話す二人連れの青年を見たことがある、彼らはその訛りを東京のヤツらに聞かせたるねん?! (合ってるのか)と、耳をふさぎたくなる大声でしゃべくりまわしていた、同乗する若い女性の反応をちらちら覗いながら、、
まあまあ気持ちはわかるけどお静かにね、世界地図を拡げてみれば、どこが東京でどこが大阪などは話しにもならない小さな地域、どうでもよろしいのでは、、
そんな気持ちでぼくは本を読んでいた、、
明治元年は1868年、今から140年前のこと、
維新前後のその時代、鹿児島の西郷、山口の木戸、土佐の竜馬、東京の勝と、それぞれのお国訛りで会話していたのに違いない、あの西郷が東京弁を使うわけがない、、
言葉に優劣、訛りに貴賤の差などあるわけがない、のだ
東北出身のいわゆる元勲と呼ばれた維新の功労者を思いつかないのだが、京都所司代の役に就いた会津藩のサムライたちは会津弁で京都見回りの仕事をしたのだろう、三条の河原を会津訛りが闊歩したのだろう、
東北よ、訛ってもいいじゃないか、もっともっと訛れ、
それを嗤うやつらを嗤ってやれ、
今日はぼくの誕生日、それのせいなのかどうなのか、静かでおだやかな朝なのだ、
あっ、どうぞお気遣いなく(笑)
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