2011年9月30日金曜日

日日是好日

仕事が始まった、連続の仕事をもらった、
工期と人数からおおよその見積り金額を出すのだが、30日で請求をしてくれと客先から言われた、
カレンダーを拡げ日数を確認したら、指定された工期では何度数えても30日にならない、
身体はひとつしかないのだから、同じ日に二人は存在できない、
26日の日数しかないのに30日分の請求、
おかしいなあ、と思いながら、日数まちがえてない?と客に言うと、いつも迷惑を掛けているから、、だって、

早い話が、4日分を余計に付けてくれたわけだ、
それほど安い単価でもないのに、この4日分はありがたい、
滅多にないことなので少し驚いたのだが、気持ちを受け止めて貰っておくことにした、

みんなで飲む缶コーヒーや3時のおやつ、キックオフ(業務開始)の恒例飲み会で会費を多めに出す、そんなことで幾らかは返すつもり、、
そういうところは義理堅いのだなあ、、

10月も毎日、続けて11月も毎日、仕事がある、2月にも仕事を貰った、
なにかと忙しい、この忙しさで痩せてお腹が引っ込めばいいのだが、、

2011年9月21日水曜日

颱風

台風よりも、こっちの漢字の方がそれっぽくて好き、
今は少し風もおさまったけど、6時から7時にかけてはすごかった、、
自宅マンションの東面は一面ほとんどガラス面なのだが、その大きなガラスが治まっている枠ごと、どさどさと揺れていたようにも感じられた、
風のためにガラスが湾曲し室内のカーテンまで、まるで風が通り抜けているかのように揺れていたからだ、

仕事で千葉県我孫子市まで出かけたのだけれど、颱風だというので午後1時には帰宅の途についた、それが良かった、
帰り道の高速道を走っていたら、風で何度もハンドルを取られた、かなりの強風だった、
速度規定は50km/hだったけど、そんな速度で走っている車は一台もいやしない、ほとんどの車輌が80km/h走行だった、
ある意味、それもすごい、、

☆ジャンケンによって公正に歌う位置を決めたのだとか、
被災地支援のために売り上げから数億のお金を送ったのだとか、
免罪符というなつかし言葉が浮かんだわ、、
お気に入りの女子と握手するためだけに同じCDを千枚も購入した若者もいたというその商売、えぐいよなあ・・・、
7万も払えば美女とそれ以上の、、あっ、この話はいいや、、

ジャンケンでなく、野球拳で決めてくれ。。

2011年9月20日火曜日

海鞘 (ほや)




脊索動物門 尾索動物亜門 ホヤ綱 に属する海産動物

ほやの属する脊索動物門にはヒトを含む脊椎動物亜門が含まれていて、ほやの発生を研究し脊椎動物と比較することで、脊椎動物の発生と進化を知る手がかりが得られると期待されているという、エライ生物でもあるのだ、、
どうだまいったか(笑)

難しいことはよくわからないのだけど、進化の過程の中である種とある種をつなぐ橋のような役割をもつ貴重な生物であるらしい、とは聞いたことがある、
東海大学海洋学部出身の加藤くんが言っていたのだから、間違いはないだろう、

行きつけの店の品書きに海鞘を目にすると必ず頼む、
酒は日本酒が佳い、ハイボールに海鞘は合わないだろう、
生牡蠣にボウモアを振りかけて食うと美味くていくらでも食える、と作家の椎名誠氏が書いていた、
まだ試したことはないのだが、彼が言うのだからそういうものなのかもしれない、

洋酒系に海鞘、意外と合うのかな、、いつも通り、ぼくの話しはいい加減な話しなのだなあ、、

お気に入りの酒器を選び(その店ではいくつかの酒器を大笊に入れて客自ら選ぶようになっている)、冷たく冷えた酒、今なら浦霞が口に合うのだが、を注いで、海鞘を一切れ口に運ぶ、
独特の香りと食感が口中に拡がり、その香りと味を愉しみながらさらに酒を酌む、

西日本ではほとんど食されない、らしい、
誰かが好きなその香りは、誰かにとっては苦手、というわけだ、
納豆といいクサヤといい糠漬けのおしんこといい、香りのあるものは好き嫌いがはっきりわかれるようだ、
女性の、、いや、この話はどうでもよい。。


ぼくは香りの強いもの、ちょっと変わった珍味といわれるものをことさらに好む性向の持ち主なので、大概のものは食することができる、
鮫のくさやのような強烈なアンモニア臭があるものでも、他が口を曲げ鼻をそっぽに向かせて嫌がるようなものでも、平気で食べることができた、

記憶の中で、唯一、苦手なのは海老の塩焼き、
あの匂いだけは我慢がならない、焼くのをやめてくれと真剣に懇願したことがある、、
海老は刺身なら大好物なのに、不思議といえば不思議、、


海鞘の身や良句も悪句も殻の中


2011年9月19日月曜日

小景、あ、大景か







日帰り出張で静岡県島田まで、
ここは始めて足を運んで以来、お気に入りの土地、
仕事ででかけるのだから、少しは緊張感もあるのだが、静岡県人の人柄というのか、温和で優しい人ばかりに恵まれて、仕事もはかどるし、海が近いせいか魚も美味しくて、終わったあとの一杯も楽しみなのだ、

泊まりで行ければなお良かったのだが、小一時間で済む仕事なので、泊まるわけにはさすがにいかない、
早朝6時に家を出て現場着が9時過ぎ、往きも帰りも3時間かかるから、ほとんどが車中、楽しみは、由比サービスエリアから望む景色、
どんなに急ぐ出張であっても、ここを通れば必ず立ち寄ることにしている、

ふだん海には縁のない暮らしをしているので、海が好きなぼくにはたまらない場所、
車の窓を大きく開けると押し寄せる潮の香りと波の音、
海はいいなあ~~~、なんといっても大きいもの、とても一人では飲みきれない(笑)

生命の故郷、すべての生命の源はここから誕生したとされる海、
父なる大地、母なる海、魚類をはじめ動物たち、海草、貝類、無数の微生物、いまだ知られることのない深海に生きるものたち、、
想像しただけで胸が躍るのだ、、

2011年9月17日土曜日

まとめ、まとめなのか

 
 

 
紹介してきた3名のミュージシャンたち、
中学生時代に中原中也に出会い詩を書き始め、二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を聴いてフォークシンガーを志した秋田県出身の友川かずき氏、
大分県日田市出身の山崎ハコさん、
1950年沖縄県コザ市で生まれ、琉球大学農学部で農芸科学を専攻した異色シンガー佐渡山豊氏、

大分の方言だったり沖縄弁だったり秋田弁だったりと、使われているそれはさまざまなのだが、どの言葉にもありきたりの歌謡曲にはない迫力と真実があると読み取るのは、推している目からの過大な評価なのだろうか、

3人が3人とも自分が生まれ育った故郷の言葉を大切に、ある意味それを武器にして自分の思いの丈を歌に込めてきた、
系譜としてフォークソングの流れを汲み、自分で曲を書き歌手として歌うシンガーソングライターと、共通点も多い、

それぞれの歌手が多数の自作の歌をもち、年代によって曲相も変わることから、この歌手はこうだと決めつけることはできない、
また一人の歌手を取り上げて詳細な解説を施す頁ももってはいない、

それぞれ多くのファンが居てたくさんの言葉で紹介されているので、興味がある方にはそちらを参考にしていただくことにして、ぼくが何よりも強調したいのは、どれもが人を歌った歌、人間を歌った歌なのだなあということ、
人の情感もいろいろ、喜怒哀楽もあれば、恨みや妬みや恋愛、死への憬れ生きる希望などもあるだろう、
母性本能、ファザーコンプレックス、欝なども含まれるかもしれない、
大袈裟にいえば魂の叫び、小さくいえば心の呟き、
いずれにしても、
人の情感を鋭く切り取った歌ならば、情感を深く鋭く切り取るためにはスルドイことばが必要なのだ、

一般的でない”標準”でない方言や訛りこそ、状況を切り裂く強烈な武器の一つに十分なり得る、
異なるものへの礼賛でなくて浅い夢のような郷愁でなくて、ぼくはこころの底からそう思っている、、

人はなぜ生まれどこへ行くのだろう、
哲学の永遠的な命題に応えるべく生み出される歌や曲は、決して”標準的”なものからは生まれてこないだろう、との予感をもって、、、

※ビートルズ解散以降のJOHN LENNON氏の作品
ビートルズという重しを外し、やっと彼自身の自由な言葉を紡ぎ出すことが可能となった多くの作品に
ぼくは共鳴することが多い、、

Mother

Mother, you had me but I never had you,
I wanted you but you didn’t want me,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.
Farther, you left me but I never left you,
I needed you but you didn’t need me,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.
Children, don’t do what I have done,
I couldn’t walk and I tried to run,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home.
Mama don’t go,
Daddy come home...

2011年9月14日水曜日

これも





方言でしか表現できないこと、伝えられないことがある、

その地方地方の気候や風習、地理や食べ物、顔や体型がさまざまなように、言葉もさまざまなのだ、
北から南へと細長く延びた日本は地形的にも同一の文化が育ちにくかったのだろう、
それと、さまざまな方言が生まれてきた大きな理由の一つに、300年近く続いた鎖国政策、その中での幕藩体制があったのだと考えている、

移動の自由を制限され勝手に住居を替えることを禁じられた昔、特別な許可がなければ旅行さえも気ままにできなかった時代、外部との接触があまりなかった時代、閉ざされた囲いの中での生活だからこそ、そこで独特の文化が育ったのだろう、

だから自分が浸っている習俗や使っている言語と比べ、どんなに奇であっても妙であっても、その奇異さには長い歴史が込められている、
ある歴史が他の歴史を嗤ってはならないと、真剣に思っている、

ぼくが育った、東京の下町では、冷たいということを、冷やっこい、といっていた
それがもう少し訛って、しゃっこい、ともいう
冬、田んぼに張った氷りを割って手に持ちながら、しゃっけー、と歓声を挙げたことを思い出した、
標準語ではない東京の下町言葉、、

今、ぼくの子どもは、冷たいとはいっても、しゃっこい、とは言わなくなった、、、



2011年9月13日火曜日

訛りと方言に関する一考察


 
言いたいことはたくさんある、
昔みたアメリカのホームドラマ、アイラブルーシーショーだったり、三馬鹿大将だったり、パパはなんでも知っている、だったり、ララミー牧場だったり、、
そのときに登場人物はいろいろでてきたのだが、アメリカの田舎者、たとえばユタ州、たとえばテキサス州、たとえばアリゾナの出身者たち、、
そうしたアメリカの中心地からしたら地方の田舎者がでてくると、しゃべる言葉は、翻訳された日本語の言葉は、なぜか東北弁のズーズー弁だった、、

ところで、
北から南へと細長く拡がる我が国日本は、中心を江戸、今の東京として、地理的に真ん中にあった最後の統治者、徳川一族が首都と定めた地域の江戸言葉を元に標準語として国定した、
それは、10歩下がってわかる、
でも、でも、
あのアメリカの、米国のテキサスの田舎者を表現するのに、なんで東北訛りなんだよっっっっ!!

ルイジアナ、テキサス、アリゾナ、ユタ、、、
アメリカ北部出身の連中が南部をバカにして南部訛りを表現するのに、なんで東北訛りなんだよっ、
東北をバカにするなの怒りの前に、その映像を輸入し、翻訳した日本人の番組製作者のセンスと能力と、表現者としての資質を疑うのだ、、

田舎のモデルとしてなら奈良を使え、和歌山をつかえ、佐賀をつかえ、茨城をつかえ、
そもそも、どこも使うなっ!

じつは酔っている、だから大したことは書けないと思いつつ、どうしても書きたくて書いている、
訛りはどこにでもある、方言もどこにでもある、それなのに東北だけがその訛りを方言をバカにされることが許せない、のだ

ある地方特有の訛り方言を下にみる風潮がはびこるのなら、ある民族が特別に使う言葉が優で、その他は劣ということになるだろう、

人より上の人を求める社会は、人より下の人の存在を求めることになるのだから、

英語がスワヒリ語よりも優れているとか、ハングルがポルトギッシュよりも劣っているとか、そんなことにつながっていく、そのことに怒りと反対の意をのべる、、

どこの国の言葉でも自分の言葉、その民族の言葉、おじいとおばあが使っていた言葉、それを大事にしようぜ、
言いたいことはそれだけなんだけどさ、、、、

どんなことばにも伝えたいことがある、つたえられないことはない

方言訛り特集なのだ、
我慢して聴け!!!!!

まだまだ続くぞ、続かせる、、

※書きたいこと たくさん・・
 ソウカの女、HONZI、、、今は訛りを嗤う、そのことを嗤う





2011年9月12日月曜日

鹿の角



タイトルのまんま、鹿の角
採取地は伊豆山中だというから日本鹿の角だろう、

友だちというか、得意先のソフト屋さんと今、共同で仕事を進めているのだけど、打ち合わせの途中でお互いの趣味の話しになり、趣味が合ったのか気が合ったのか、友だちになってしまったその人から戴いたもの、

彼は鉄砲打ちで、毎年11月15日~2月15日までの解禁日には4駆に乗って伊豆山中にもぐるのだとか、
鹿の角はある時期になると自然と抜け(抜ける際、痛みもないのだろう、たぶん)、獣道などに落ちているらしい、

本来なら拾得物として警察に届け、本人が名乗りでない半年後に拾った人のものになるという法律に則っり粛々とすすめられるべき性質のものなのだが、いまだ かつて落とした鹿本人から「それはワシのだ」と名乗り出た試しがないらしく、拾った人はすぐに自分のものにしてしまうのだとか、

こんなところにも自然界における人間の傍若無人、無知傲慢、慇懃無礼、海砂利水魚な態度が現出している、

この角が届いた宅急便を開くと、すぐ頭の中に灯りが点いた、
灯りといっても便所の灯りのよう20wもあればよいのだが、いきなり話しはそれるが、便所の灯りを以前100w相当の電球にし明るくしたことがあったのだ が、それは中で本を読むという習性から目を痛めないようにとの配慮からだったのだが、結論的にいえば、明るくしない方がいいね、理由はここでつまびらかに はしないのだが、落ち着かないというのが一つの大きな理由、便所寝所産所、所と付く場所はみな薄暗いくらいがちょうどいいのだ、、

で、頭の中は20wという話しにもどるのだが、これでナイフの柄ができる、点った中身はそれだった、
地元に日本のナイフメーカーとして有名な会社というか人がいて、彼が、会田さんというのだが、自ら作ったナイフを売っていたり、自分で作ろうとする人のために作り方を教えたり、工具、砥石、紙やすり、油などなどの消耗品を扱っていたりするのだ、
そこに行き相談し一からナイフ作りを教えてもらおうか、などと20w頭で考えている、
ナイフに使う鋼材、いろいろあるのだがネットで調べるとCRMO-7 クロモ-セブンというのが良いらしい、
「クロモ・セブン」は、世界一を誇る安全カミソリのブレードのために開発された鋼材の改良版で「錆びない」と言いたいほど錆びにくく、靭性は440Cの1.8倍、ATS34の1.4倍と丈夫、らしいのだ、、

これこれ、これでイイノダ、

同じサイトで柄に使う材質を調べたら、あったあった、鹿の角、4千円とか6千円で売られていた、
ぼくが貰ったものは4千円クラス同等のものらしい、んむー、4千円もらったわけだなあ、

売られているナイフは安いもので3万円前後、高いもので20万円前後、ブランド物になると50万円を超えるものも珍しくはない、
どう安く見積もっても、ナイフ一本にかかる値段は3万になるのだろう、
そうすっと今欲しいNikonのデジカメD300かD5100 どちらも中古で3万円前後、

ナイフかカメラか、カメラかナイフか、、20wのスカスカ頭は今日もまた激しく悩むのだ、、、

2011年9月10日土曜日

今日は地を



昼食をとる白鷺と、稲を刈り取ったあと刈り取るまえの田園風景、
普段持ち歩いているコンパクトデジカメでは遠景もここまでしか撮れない、
気持ちだけ酌んで、
場所はいつもの千葉県我孫子市、利根川流域、
春夏秋冬それぞれ違った顔を見せる広大な平野、ぼくのお気に入りの場所なのだ、

ここに水田と畑を持つ友人が「もう百姓はやめだ、友だちに貸そうと思っている」と、
彼が心筋梗塞で倒れてから丸二年になる、心臓に負担がかかる激しい農作業はもうできないと、、


東京のデパートで「大東北展」が開かれているとテレビで、、

今日行ってみよう、青森秋田岩手山形宮城福島、いわゆる東北六県の各県からどのような名産が届けられるのか、今の東北を知る良い機会になりそう、
東北人が無口だといわれる理由の一つに厳しい寒さもあるのだが、もっと大きな理由に訛りが、方言があると思っている、
東北訛り、ズーズー弁といわれるその訛りを他県から嗤われる、都会に出てくると嗤われる、そのことからだんだん口が重くなるのだと、そんなことを書いていた文章を読んだことがある、
しかし、寺山修司は最後まで訛りが抜けなかった、抜かなかったのだと思いたい、
太宰はどうだったのだろう、、

同じ訛りなのに関西弁、京都や大阪、兵庫広島、和歌山あたりまで、自らの訛りを隠すどころか、今はブームだとばかりにばりばり口にしている、あのシンスケがそうだった、関西弁を利用して小銭を稼いだ(数十億という大金なのだが)、
実際、テレビをつけて関西の訛りを耳にしない日はまったくない、

地下鉄副都心線の中で、今日大阪から来たのだと聲高に大阪訛りで話す二人連れの青年を見たことがある、彼らはその訛りを東京のヤツらに聞かせたるねん?! (合ってるのか)と、耳をふさぎたくなる大声でしゃべくりまわしていた、同乗する若い女性の反応をちらちら覗いながら、、
まあまあ気持ちはわかるけどお静かにね、世界地図を拡げてみれば、どこが東京でどこが大阪などは話しにもならない小さな地域、どうでもよろしいのでは、、
そんな気持ちでぼくは本を読んでいた、、

明治元年は1868年、今から140年前のこと、
維新前後のその時代、鹿児島の西郷、山口の木戸、土佐の竜馬、東京の勝と、それぞれのお国訛りで会話していたのに違いない、あの西郷が東京弁を使うわけがない、、
言葉に優劣、訛りに貴賤の差などあるわけがない、のだ

東北出身のいわゆる元勲と呼ばれた維新の功労者を思いつかないのだが、京都所司代の役に就いた会津藩のサムライたちは会津弁で京都見回りの仕事をしたのだろう、三条の河原を会津訛りが闊歩したのだろう、

東北よ、訛ってもいいじゃないか、もっともっと訛れ、
それを嗤うやつらを嗤ってやれ、


今日はぼくの誕生日、それのせいなのかどうなのか、静かでおだやかな朝なのだ、
あっ、どうぞお気遣いなく(笑)

2011年9月9日金曜日

鰯雲



すっかり秋めいてきた、
地には稲穂、天には鰯雲、

この雲を見ていたら鰯よりも、鮫肌というのに思い当たった、
幸い、幸いなのか?、いまだかつて鮫肌の女性に巡り会ったことはないのだが、いったいどんな肌をしているのだろう、
本わさびのすり下ろしには鮫皮を張ったおろし金を使うのだが、あのような肌なのだろうか、
もし本当にあのようだったら、痛くて痛くてとても抱いていられない、

なんだか鮫肌の女性に会いたくなってきた、、

2011年9月8日木曜日

夢は夜開く

 
 

忙しい

忙しい、なんだか妙に忙しい

忙しいということが、机に向かって文章を書かない理由にはならないのだが、机に向かいパソコンの電源をオンしても、キーボードを叩きある種の自分の思いを綴る作業、作業か?には、なかなか至らない、

文章をものにすることは、プロの作家、アマチュアの文章家、中学生の読書感想文レヴェルと、さまざまあっても、時間のゆとりと心の落ち着きのようなものがないと、できないようだ、
幾つも(3つなのだが)仕事が重なり、脳の働きがそちらの方に傾くと、書くことも浮かばない、

まとまった筋のできたものは書けないので、今脳内に浮かんだこと、周りに見えることをばらばらと書いていくことにする、

俳句という愉しみ 小林恭二著 岩波新書 (図書館で借りたら明らかに水没の跡あり、気が削がれる)
を読んでいたら、

荒星や毛布にくるむサキソフォン という句に出会った、

プロの俳人、歌人たちが句作し、互いに選句したなかで最高点の4点を戴いた句なのだが、、

摂津「歳時記によると、『荒星』も『毛布』も冬の季語ですね。こういうのは季重なりにならないんですか」
藤田「僕はねえ、荒星というのは季語として認めていないんだ」

摂津幸彦、藤田湘子両氏のやりとりがとても面白かった、認めていないと言い切る藤田氏、、
実力者というのはこういう人のことをいうのだろう、いいなあ、自分勝手で(笑)

これだけ忙しいと、正直、猫なんかにかまっているヒマもない、
そんなときに限って、遊んでくれよと猫じゃらしを口にくわえ寄ってくるがっちゃん、涼しくなって温もりが欲しくなったのか膝に乗ってこようとするjo太郎、
あっちへ行けよ、こんちきちんと思いながら、ついつい一緒になって遊んだり頭を撫でている、
ダメなヤツ~~~

2011年9月6日火曜日

仕事が始まった

9月に入ってから本格的に仕事が始まり、なにかと忙しい、

M氏から依頼のあった杭の性能試験の予備試験を2回行い、その2回の間に別件の手順書(コンクリートの透気性能を調べる試験の手作業部分をプログラム化し、自動的に電磁弁の開閉を行うと同時に気圧データを採取する、そのシステムのための)と、実務化プログラムのためのフローチャートを作る仕事がある、

それが終わるとさらに二件、実験が待っている、9月の後半から11月の末まで、忙しくなるようだ、

その後は?
さあ、わかりません(笑)

2011年9月4日日曜日

生きているって言ってみろ




 
懐かしい歌手といったら失礼なのだろう、
友川 かずき(カズキと書く場合もある)さん、岡林信康氏に影響を受けフォークシンガーを志した一人、

その際立って端正なルックスから、大島渚氏によって『戦場のメリークリスマス』のヨノイ大尉役を演じるオファーを受けたのだが、秋田訛りを直すことを求められたために固辞、坂本龍一氏が演じることになったという逸話も残されている、

訛りを直せないのではなく、直さないのだっ、、

この歌を聴いていると、東北のスゴサが伝わってくる、、
フォークソングなのだろうけど、ロックしている、

当然のことながら、好き嫌いはある、ぼくはこの歌は好き。。


2011年9月3日土曜日

古代ローマの貴族にも似て


今日、2011/09/03の土曜日は子どもたちに将棋を教える会のはずだった、
生憎の(あいにくを漢字でこう書くとまるで大正12年頃の江戸川乱歩になった様、気分は探偵小説家なのだ)颱風で、その会が中止になってしまった、
宛てにしていた数時間がすっぽりと抜け落ちてしまい、がっかりしたような、力が抜けたような、でも嬉しいような変な心持ちなのだ、
その変な心持ちをその儘にしておけば何やらもっとおかしなものに成長しそうなので、何か有意義に使う方途はないものかと考え、やはり慣れた途、酒を飲むことにした、

「味」にて、女将と俳句談義のあれこれ、、
彼岸花を表す数詞としては、一輪がいいのか一本がいいのか一束がいいのかと、そんな話で小一時間、
墓参り無縁仏に彼岸花とか、そんな句が浮かんだらしい、
女将が言い出した元の句は”名もない墓”というものだったのだが、名もない墓という墓は無いのではと、ぼくがしゃしゃりでたと云う訳だ、
名はあるのだが長い年月の間に読めなくなる程、劣化した、苔生した、たぶんそうなのだろう、
実際のところ、余程暇人でもない限り名もない墓なぞ造る訳など有りはしないと思うのだ、

場所を替えて「ちか」にてカラオケ、
ボトルが入っていないというので入れておいた、二時間ほどいて、水割りを何杯か飲み勘定と云ったら6,300円ですといわれた、
ニッカのひげのおじさんを一本入れて、それでこの値段が安いのか高いのかわからないのだが、まあこんなものなのだろう、一万円を出して釣り銭の3,700円を貰って帰宅した、

暫く前に上野アメ横で、ランチにキムチ鍋に似た豆腐がやけに沢山入っているナントカ鍋を食べた時に、口に入れた大きな一塊の豆腐が余りにも熱々で、口に置いておけなくて、ならば吐き出せばよいものを、出すのは勿体ないとばかりに飲み込んでしまった、
熱せられた豆腐の塊が口から顎の下、顎の下から食道を通って胃に落ちていくのがはっきりとわかった、

それ以来、飯を食っても味噌汁を飲んでも胸が苦しく痛いことが続いた、冷たい水を飲んでも痛みがつつーと続きながら落ちていく、痛みは食道のある地点を通り越すとすっと治まってしまうのだが、、
声も掠れてしまって別人の声のよう、家人もえらく心配し、ぼくだってもしかして肺癌の虞多いにあると心配になり、病院通いをしてみたのだ、
喉と食道が火傷をしたのでしょう、とは医者の弁、
二種類の薬、液状の飲み薬と錠剤を貰い、実は今でも飲んでいる、

それなのに今朝起きたら酒の飲み過ぎで気持ちが悪い、
飲み過ぎと飽食の故に健やかな朝を迎えられないとは、我が行いにその根源があるにしても、なんという情けないことだろう、
鯨飲馬食というわけでは決してないのだが、そんなに飲むわけでもないし食事の量は至極少ないし、体力以上のアルコールを摂取し、耐久力を超えて熱いものを取り入れた報いなのだろう、

大いに反省し後悔もし今日一日静かに黙って寝ていることにする、、

この本を読んでみて感動するからと友人から云われ、読もうと思って買った「日本人の誇り」藤原正彦著文春新書、未だ64頁しか読んでいない、しかも二ヶ月前の7月何日かに目を通したきりなのだなあ、
只の友人ではない、中学校時代の同級生でしかも美人の同級生なのだから、一刻も早く読んで感想文をしたため分厚い封書にして送ったとしたら、また新たな関係が生まれるはずだったのだ、
なんとも勿体ないことをした、

酒池肉林という四文字がこの糠味噌頭の中を飛び跳ね回っている今朝なのだ、、


2011年9月1日木曜日

お知らせ コメントできるようになりました

コメントできるように基本設定を変更しました、
今までは使い方の理解の浅さから、コメントできない設定になっていました、
 匿名であれ署名入りであれ、誰でもコメントが可能です、

ネット<荒し>に対する防御策を一切講じていません、
そういう事態になったらその時に考えます、ということで、、

死に急ぐ悪戯

いくら悪意がないとはいっても度が過ぎた悪戯、悪ふざけはしない方がいい、

驚かそうと思っただけで、決して死なせることを望んだわけではないのだろう、
それにしては、深さ2.5メートルの落とし穴はやり過ぎた、
おふざけの度を超えている、

驚かすだけなら50センチ落とすことで十分だ、50センチの深さでも、足首を捻挫したり場合によっては骨折するかもしれない危険性が十分に見込めるのだが、、
成人した男女が何人もで計画した悪戯、それを周囲の人間誰もが止めなかったことにまず驚かされる、
日本人男女の精神年齢の後退と未成熟化への加速は、一段と進んでいるかのようで怖ろしい、

次男が、所属している会社で計画された社員旅行に参加したくない、と言ってきた、
旅行先は京都、かかる費用は6万円、一泊二日の旅行で経費は全額自己負担となるらしい、

たとえ旅行の代金とはいえ、個人から6万円を徴収する権利は会社にはない、と思ったものの、もし旅行参加を断って、今後の彼の会社での立場が皆と気まずくなるのなら次男が周囲から浮いてしまうのなら、そちらの方が問題かもしれない、

そう考え、「それもサラリーマンとして乗り越える一つの道なのかもしれないね、イヤイヤでもかまわないから、参加してみたら」と、助言した、
「お父さんがそんなことを言うとは思わなかったよ、真っ先に『そんなバカみたいな旅行なんか行かなくてもいい』と言うかと思った」と、次男、

「上司も同僚も全員参加する旅行に、お前だけ不参加、この意味がわかるよね?白眼視されることも覚悟の上ならかまわないけど、つらくないか?親としては子 どもがつらい立場になることだけは避けたいといつも願っている、おれ自身は若い時から自分の主張を通してきたつもりだけど、それだけに受けた波風の強さを 知らないわけではない、、かなりきついけど、それにお前が耐えられるかどうか、そこだな、問題は・・・、」
「大丈夫だよ、気のあった人もいないし、無視されたらそれを無視すればいいもの」
「そうか、でもなあ・・・、、」

これからの会社での立場を危惧し、なんとなく参加の方向で親子の会話がまとまりそうな時、次の言葉で旅行には絶対不参加となった、

「だってお父さん、宴会では必ずイッキが始まるんだよ」

「えっ、イッキ?あの酒をいきなり飲み干すイッキ?」
「うん、ぼくは酒が飲めないからと毎回断ってきたけど、同期の若い人はみんなしてる」
「年配の上司も傍にいるだろう、その上司はイッキを止めないか?」
「ううん、その上司が率先してやらせるんだもの」
「えええっ、その上司って何歳くらいなんだ」
「よくわからないけど50歳は超えていると思うよ」
「そうか、今回の旅行には行かなくてもいいよ、というか行くな!!今時、イッキをさせるバカ上司がいる会社の旅行なんかに参加する必要は一切ない、今後も絶対参加しなくてもよいから」

理性的に話そうとしていたネジの何個かがぶっ飛んだ、

グラスになみなみと注いだ強い酒を一気に干す、その飲み方を歌や手拍子で周囲で煽る、このバカというかクソというか人でなしというか酒飲みの条理にも礼儀にも合わない飲み方で、これまでに何人もの若い命が失われている、
子どもの命を奪われた家族の悲しみ、慟哭ともいうべき母親の叫び
「犠牲はうちの子を最後にしてください、イッキはやめてください」は、犠牲者がでるたびに何度も何度もメディアで取り上げられてきた、

ぼくの高校時代の友人もウイスキーのラッパ飲みから急性アルコール中毒症状に陥り17年という短い生涯を終えた、
サントリー角瓶を手に持ち、ぐるぐる回しながら渦状になったウイスキーを流し込むように胃袋に入れたのだ、

次男は酒が飲めない、煙草もすわないしギャンブルも一切しない、
ぼくの子どもにしては珍しいくらいの堅物なのだ、

その次男にイッキを迫るのなら、たとえ相手が何人いても、たとえ会社の上司であっても、激情的にそれを防ぐかもしれない、
防ぐためなら相手に傷を負わせるかもしれない、
命をかけて止めてやるからと、これだけは誓うからと、次男には言っておいた、、