2012年8月31日金曜日

帰宅

なので・・、
また今日も飲んだ、、

んーーーー、、、



今日はこの歌だな、詞が詩になっている、
我が国日本の、若い才能のTOPの一角を占めていると、ぼくは彼の歌を評価する立場に立っている、

じつは、彼も、ぼくにとって、ひばりと同様に、亡くなってから注目したアーティストなのだ。。

それまでは、一顧だにしなかったのに、亡くなって、メディアの露出が増えてから知ったのだ、
本当に、失礼した・・、

そんなことがいつもなのだなあ・・、


決して、保守的ではないと、まして音楽の世界ではと思っているのだけど、
R&B、オーティス・レディングの、あの世界から脱却できない自分を今でもここに発見する、、

彼、尾崎が切り取った断面は、ぼくが好きだとかキライだとかいう前に、日本のある現状を切り取っていたのだろう、
それに、ついていけなかった、気がつかなかった、興味を示さなかったぼくは、先鋭であるとの評価を受ける資格がなかったのかもしれない、

先鋭=前衛、であるかのような錯覚を含めて・・・、








2012年8月27日月曜日

今日から出張

今、朝の6時ちょっと過ぎ、今日から出張なのだ、
帰りは金曜日の夜の予定、

作業の進行状況によっては木曜日に帰宅できる可能性もあるのだが、どちらにしても帰ってくるまでここの更新はできない、
ビジネスホテルに、ノートPCを持ち込んだこともあったのだが、上手く電波をつかまえることができなくて、ネットにつながらなかった、

ネットにつながらないとソフトのバージョンアップも、ニュースの検索も、調べものもできない、
自宅なら本があるし、近くに図書館もあるから、ネットがなくてもなんとかなるのだけれど、出かけ先ではそうもいかない、

スマートフォンに、少し気持ちが動く一つの理由ではある、
パケットし放題が月々6000円近いのでは、それも無理なのだけどさ・・、

なんといってもケイタイの使用代金が最近では毎月2000円を下回っているのだから、
なんとかここまで使わないようにしてきているのだから、いきなり三倍近い金額を払えといわれても、金銭的にではなくても、心情として拒否に傾く、

とまあ、ここに書けない鬱憤をスマートフォンに晴らしているのだが・・、

つことで、行ってくる、

2012年8月26日日曜日

相変わらずの通院生活

金曜日は通院の日だった、

おおよそ二ヶ月に一回の通院で、採血がありその結果を待って診察、
白血球が少ないことと血小板が少ないことが医師から指摘があるのだが、
いつものことなので気にもしていられない、

免疫力が少ないので人混みやホコリなどには注意してください、との毎回の医師のことばも
聞き慣れた注意なので、はいとだけ応え、それ以上の進展も変化も望めない、

免疫力が少ないとはいえ、日常の業務、つまりお仕事はあり、そちらは普通にこなしている、
現場作業が主なのでホコリはダメとか人混みはダメとかは言ってられない、
働かなければ病気で死ぬ前に食えなくなって死んでしまう・・、

通院の日はそれが終わったら酒を飲むことにしている、
この日までは生きたなあと実感を味わう意味と、病気だからとくよくよしていては
ますます免疫力が下がるのではと、酒飲みならではの勝手な理屈から、、

無事に生き延びた祝いとでもいうのか、かなり酒を飲む、
通院の日は痛飲するのだ・・、ぐふっ

これを書きたくてさっきからいろいろ書いていた、

死ぬ時には、一回死んだと見せかけて、わっと取りすがる親族やら子どもたちを尻目に
しっかり目を開けて、まだまだ~とか、なあんてね、とか言ってみたい、
泣かせるのではなく笑わせて死にたいなあ、

とん福でモツ焼き、ゆり子でウイスキー、雅で将棋を指しながら水割り、、
飲み過ぎて土曜日は一日寝ていた、それじゃあダメじゃんなあ

2012年8月23日木曜日

帰宅


一泊二日の出張より帰宅、
いつもの茨城県つくば市への出張、試験体5体のうち来週の火曜日に3体目の実験、
その次が9月4日、最終試験が9月24日、それをもって今年3月から始まった一連の実験がすべて終了する、

来週から連続3週間出張となり、月火水木は泊まり、金曜日の夜に帰宅という生活が待っている、
夜はヒマなのでお近くにお出かけの節は、最寄りホテルまで是非お立ち寄りください(笑)


短か世の夜の長さを持て余し   季語は夜長 
短か世の夜の長きを持て余し

夜長といえば秋のことなので、俳句の世界では秋の夜長とはいわない、のだとか・・、
そうなんだ、意味がわかれば納得できる、かな・・、

9月の兼題が「夜長」なので、一句詠んでみたのだ、

2012年8月18日土曜日

スローバラード

キヨシローに捧げた、布袋寅泰氏のギター、、

例えようもない悲しい気持ちを、彼のギターが例えてくれる、、

まあ聴け!! あまり命令はしないぼくだけれど、今晩だけは命令してこのギターを、
この歌を、聴いて欲しい気分なのだ、、
まず第一にぼく自身が聴いているのだけどさ・・、

なんで点・・が二つなのと質問を貰った、ミッツだと誰かと同じになるから、
で、三つだと点が多い気がするし、
二つと(、)で、小さな自己表現・・、




2012年8月15日水曜日

訃報

今日、見舞いに行った彼女が亡くなったと連絡があった、、

8月11日に見舞いに行き、あれからまだ4日・・、
男性のぼくが女性の病室へ入ってよいものか、癌患者特有のやつれを目撃してよいものだろうか、美しいままの姿を思い出として残すことを彼女自身は望んでいるのではないだろうか、
遠慮しようかどうしようかと最後まで悩んだ見舞いだったのだが、母は来てくれるのを待っていましたよと、彼女の娘に言われ、誘われるように病室へと入った、、

彼女の死が現実となった今、生前の彼女に会っていてよかったと思う、
彼女が拒めば誰が来ても面会はしなかったという事情の中で、本当に会いたかったぼくらに会えて彼女も嬉しかったのだと思う、

先に逝った夫の同級生たち、ぼくらと彼女との親交は彼亡き後もずっと変わらず続いていた、
とくにぼくは彼女の夫とは親友といってもよい仲だったし、彼女一人で切り盛りする店に何度も級友たちを誘って通った、

11日のこと、
「母は、一昨日からずっと、必ず来てくれるからと気にしていて、髪の毛は乱れてないか肌の色は普通かと何度も言うので、お母さん大丈夫よ、いつも通りよ、綺麗よと言ってきたんです、
本当に今日来てくれてありがとうございます、もし来て貰えなかったら・・、
その時の母の気持ちを思うと・・、本当に本当にありがとうございます」

大粒の涙をこらえようもなく流しながら顔をくずして泣く長女を前にして言葉もなくただただぼくも泣くだけだった、


今日は通夜、明日が葬儀なのだとか、
通夜にも葬儀にも行けないのだが、級友たちは必ず顔を出すだろう、
そこでたくさんの涙が流れることだろう、
58歳の早すぎる死を悼み、多くの涙がいつまでも流れることだろう、、



2012年8月14日火曜日

帰郷



数日間の帰郷を終え昨日帰宅しました、
4年ぶりの級友たち、歳を取ったと感じさせた人、あまり変わらなかった人、それぞれさまざま、

いまだに中学のクラス会を開いているクラスは我がクラスだけ、
恩師は数年前に亡くなり、級友の何人かも早い旅立ちをし、残った人数も少なくなるなか、8人の級友たちが集まりました、

宴会をし、その後、場所を移動してのカラオケと、いつものようにいつもと同じ流れ、
それを嫌って不参加の意志を表明する級友も何人かいるなかで、まあ4年に一回だからそれもいいのかなと、少し宗旨替え、

今年で最後にしよう、これで最後だねと前もって話し合ったことも忘れ、終わってみれば、また次の4年後にも元気で会おうと約束してきました、

祖母と暮らした実家も今では他家のものになり、熊本とのつながりがだんだん薄くなってきました、
叔母、父の従兄弟が住み暮らしているとはいえ、そこを頼って訪れるのには少なくない気苦労があります、
なので、行けばホテルに泊まり、一日だけの級友たちとの懇談を楽しむ、
特に親しい友だちとは、クラス会に参加しない級友も含めて、前夜祭と称して前の晩から集まり焼酎を酌み交わし、球磨郡の郷土料理に舌鼓を打つ、

変わらんなあ、ぼくの顔をしみじみ見ながら言われました、
少しは変わっているはずなのに、話し方とか声とか表情があの時のままなのだとか、、

会場や進行形態などで問題点もいくつか指摘されているクラス会、声をあげてその問題を指摘し改善を求めることをしないで、

Everything is all right.

とするのも大人の対応なのかもしれないなと、そんな感想を抱いて戻ってきました、
参加したい人はすればいい、したくない人はそれでもいい、どちらにしても、みなかつてのクラスメート、なのでしょう。。




写真は郷土を流れる球磨川、そして観光の目玉の一つにもなっている球磨川下り、
何度か事故もあり中止かと危ぶまれたこともあったのですけど、今はこうして復活しています、
写真を撮っていたら、乗船客から手を振られました、





2012年8月9日木曜日

ユーモアなのかギャグなのか

好きなアメリカ映画「ダーティハリー」、興行的に成功しシリーズ化されて五本作られた刑事もの映画

主人公ハリー・キャラハン刑事の使用する銃は S&W M29装填される弾丸は.44マグナム弾(直径11.2mm)、持ち歩くのには不向きな大きさ、その銃で犯人を次々と撃ち殺していく、汚れた(ダーティな)刑事ハリー、
法の下で裁くのではなく、悪いやつはぶっ殺せばいいのだ、と言わんばかりのハリーのアクションに、好き嫌い良い悪いではなく、ある意味、胸がすかっとしたものだ

職務遂行のためには暴力的な手段も辞さないアイルランド系のキャラハン刑事が活躍するこの映画は、70年代以後のアクション映画に大きな影響を与えたといわれる映画シリーズだった、

さて、その何作目かの中のワンシーン、
被害者の司法解剖を警察病院の医師に頼んだハリー刑事は、翌日になるという結果の報告を待ちきれずに、解剖しているすぐそばで、医師から直接聞き取るべく待機している、

突然、大声をあげる医師の一人、
驚いて立ち上がるハリー刑事、

「うわお~、こいつは驚いた」「どうした・・・?」被害者の体内から取り出した肝臓をハリーに見せながら、
「”食えません”って、書いてある 」、言いながら激笑する医師、

こんな時に何を言ってやがると、手で払う真似をするハリー刑事、このシーンでかなり笑ったなあ


明日から熊本へ、
クラス会なのだ、4年に一回、オリンピックの時に会おうと決めたクラス会、だんだん参加者も少なくなり、今年は11人だとか、
中学時代に同級だったということだけで何回も会い、談笑することにはもう無理があるということなのだろうか、、
酒を飲む相手も選びたいし、ついていけない話題もあるし、たとえ二時間強の宴会とはいえ、つまらない話題でつまらない相手と同席することには我慢と忍耐が要求される、
それに耐えられそうもないと、そこでは己の欲求が満たされないと判断すれば、不参加もやむを得ない意志表示となるのだろう、

今年で最後のクラス会となるような予感もする・・、なによりも二次会でいつも使っていたスナック「桔梗」の閉鎖が、痛い、、
石原が逝き、続いて奥さんが病に倒れ・・、

帰宅は13日月曜日 では行ってくる


2012年8月6日月曜日

味なセリフ

西部開拓時代の話、
話がこじれて争っている最中に、銃弾を身体に受けたカウボイの一人が仲間の助けを借りて診療所に運び込まれる、
弾丸が身体に残ったままなので、それを取り出さなくてはならない、

痛みに堪えながら無事に取り出してもらう、
気がついて診療所の壁を見渡すと、そこには馬の骨格の説明図やら牛の病気についての但し書きが・・、

カウボイが起き上がり「お医者さんよー、あんたは何の医者なんだい」と、

医者が応えて 「言葉を話す患者さんは、貴方が初めてですな


映画の中のワンシーン、
アメリカ人って、どんなときにでもシャレを忘れない国民性の持ち主なんだなあ・・、

葬儀や臨終の場面など、日本では絶対に厳格性深刻性、真面目な顔と態度を求められるシーンで、あえてそういう場面でのユーモアが、アメリカでは多いように思う、

もうひとつネタがあるので、次回に、、


2012年8月4日土曜日

勝てなくてすみません

いえいえ大丈夫、最初から勝てるとは思っていなかったよ・・、

最近寝不足で、、、とか、うんうんアタシも~、とかの挨拶が流行しているのだとか、
例の国際的なスポーツ競技大会を深夜になってからライブでみている、それだけ関心があるのだと、おれってスポーツ好きのさわやか男子だぜぇ(右肩あがりスギちゃん風?)、と自己アピールしきりなのだろうか、

男子サッカーの試合に参加する選手の基準として、23歳以下しか出場できないという規則が生まれて以来、この「競技大会」に興味を失ったぼくにとって、いくら4年に一回、真夏の祭典、と煽られても、決して寝不足になることはない、
毎晩、高いびきで寝ているのだなあ、、

さて、冒頭のことばは、卓球選手や男子柔道選手の口から出たことば、
今まで何度も世界を相手に闘い、そのたびに並み居る強豪たちを打ち破り常にトップ、世界一の実績を積んできた選手なら話もわかるのだが、卓球界の頂点には相変わらず中国勢がトップを独占し、ここ何十年も日本人選手が勝ったことはない、

「卓球王国日本」といわれたのは遙か昔のこと、
団体戦での男子は1969年第30回ミュンヘン大会までに7回、女子は1971年第31回名古屋大会までに7回優勝、獲得した金メダルは実に48個、
しかし、卓球王国日本の名は1979年第35回世界選手権平壌(ピョンヤン)大会を最後に今日まで、残念ながら復活をみていないのだ、

日本の牙城(がじょう)を脅かし世界に登場したのが中国、

10年計画で「打倒日本」を標榜し、1961年第26回世界選手権北京大会男子団体で日本の6連覇を阻止、日本に初めて勝って初優勝し、以後その立場が逆転したまま今日に至っている、、
すでに数十年以上、中国がトップなのだ・・、


本気で中国に勝とうと思うのなら中国選手と日頃から交わり練習し、中国の競技大会でトップの成績を収める、それが一番の近道なのだと思う、
そうしている女子選手もいるのだが・・、

男子柔道にしてもそう、体操の内村選手のように圧倒的な強さを他に見せつけ過去何度も世界一に輝いた選手がいたわけでは決してない、

気力で、気迫で、日の丸を背負って、(大和魂をもって・・、カミカゼ精神で・・、)なんとかメダルをと挑んだだけのこと、
負けて当たり前、なのだ
それにしても、銀メダル2個、銅メダル2個、と過去の大会に比しても劣らない成績なのだから、

謝る必要はないよ、、うん。。

なんだかんだ言いながら、けっこう見てるじゃないか(笑)

しかし、アンダー23って・・、
アマチュアリズムを標榜するあまりプロ選手を排除する目的で作ったアホルールのおかげで、サッカーがつまらない、
その国を代表するのなら、アマチュアでもプロ選手でも誰でもいい、10代でも40代でも強いと思ったヤツ出てこいとする、ワールドカップの大らかさに比べ、なんと尻の穴の小さいことよ、、