2011年11月12日土曜日

ダンマパダ 2



ダンマパダとは、バーリ語という古代インド語で書かれた、ブッダの言葉を集めたものの一つ、
ダンマパダの「ダンマ」とはバーリ語で法、真理を意味し「パダ」は言葉という意味なので、
ダンマ+パダで”真理の言葉”となる、
内容は、仏教にしたがって生きる者の基本的な心構えを示したもので、キリスト教の聖書にも例えられる・・、

そのことを説明した小冊子(NHKのテレビテキスト)が、何枚かの便箋とともに、封書には入っていた、

「最近、私は、仏教の、特にお釈迦さまの言葉そのものを最も忠実に再現されたとされるダンマパダに関心があり、京都のお寺に行き一日だけ修行をしてこようと思っています」と、
万年筆の青いインクで、近況と、仏教の教えに感ずるものをみとめそれに近づこうとしている心境とが、丁寧に書かれていた、

テキストを読みながら、ぼくも釈迦の教えに肯くところが多いので、とても参考になった、

ブッダは、紀元前5,6世紀頃、ヒマラヤ山脈の南麓にあった国の王子として生まれています、
本名はゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダルタという呼び方もある)といいます、

ブッダとは「目覚めた人」「悟った人」という意味で、最高の宗教者として皆から尊敬されるようになった後の敬称です、

日本にはインド、中国、朝鮮を経て、大乗仏教が伝わってきたのですが、それはブッダの教えとはかなり変形した内容となっています、
変容した仏教とブッダが説いた原初の教えには、大きな隔たりがあるのです

ブッダの教えそのものは、至極簡明で、
人間にとって、老、病、死はさけられないもの、
生まれたその瞬間から、老、病、死に向かって歩き出すのだ、
つまり、生きることは苦なのだ、と、

これがブッダの教える教義の根幹です、

しかもさらに、そのような苦しい世界であっても、どこかに心優しい神様がいて、救いの手をさしのべることなど絶対ない、「そういう救済者はどこにもいない」「不思議な力をもった救済者など、どこにもいない」と、ブッダは言います、

ただ一つのよりどころは、自分、
自分を変えることが唯一の救われる道だと、説くのです、

われわれの苦しみは単に「老、病、死と離れることのできない苦しみ」なのではなく、
「老、病、死と離れることができず、そのうえ誰にも救ってもらうことのできない苦しみ」だというのです、

拝めば病気が治るだとか、お金をたくさん出せば極楽に行くことができるとか、特定の政党に投票すれば幸せになるといって脅す、凡百の新興宗教と比して、なんという苛烈な教えでしょう、

神秘的な事例や荒唐無稽な作り話で固められた、他の宗教と比べ、その科学性は一段も二段も高い位置にあります、
また、真理の前には素直に頭を下げる真の意味での謙譲心、
なるほどと、砂地が水を吸うように心に沁みてきます、

小冊子を数頁読んだだけの、にわか仏教徒とも呼べない、いまだ煩悩の塊のような我が身と心、
それでも、ブッダの教えの整合性と科学性に心から賛意を表明します、

彼女がなぜこのテキストを同封したのか、その真意はまた会ったときにでも訊ねるとして、このテキストを読んでいこうと思っています、
岩波文庫にも、同様の内容の書籍があるのだとか、
中村元訳「真理のことば 感興のことば」が、それ、

※写真は、赤唐辛子、鷹の爪とも呼ばれる、
道の駅などに行くと安価で大量に手に入るので、ついつい買ってしまうことになる、
買ってきた後、しばらく干してカリカリにして使うのが我が家の習わし、
保存も効くし、味も一段と勝るような気になる、、ホントかな?!

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