もう随分と長い間、お付き合いをさせていただいている妻以外の女性がいる、
こんな書き出しで書くと、いかにも何かありそうな関係であるかのような印象を与えるのだが、
そして少しはそうした印象を読者がもたれることを期待しているのだが、ネタをばらせば、その女性とは中学時代の同級生のこと、
年賀状を遣り取りしたり、たまに旅行をしたりしたときに目に触れた絵はがきなどで気に入ったものがあれば年に数回送ったり貰ったりしている、
彼女は、ぼくからみても、たぶん他人から見ても可愛く美しい人なのだが、魅力はそこにあるだけでなく、その独特の感性と発想にある、と思っている、
熊本の片田舎に在る、今、彼女が居住している場所には決して同化しない、染まらない、収まりきれない彼女独特の発想がぼくにはとても魅力的なのだ、
古代エジプトの若き王ツタンカーメンをこよなく愛し、世界の名だたる美術館の特に絵画の収蔵品に詳しく、訪日したロシアバレーの公演を観るためならば時間とお金を惜しまない彼女、
「わたしって美しいものが好きなの」
50歳代を半ばこえた頃に、いわゆる熟年離婚をしたのだが、その時の彼女の感想は、
「結局、尊敬できない人とは一緒に居られなかったわ」
30年近く連れ添い、男児をひとりもうけ育てあげた末での離婚の感想にしては、涙もなく未練もなく、乾いたもの言いだと、そこに感心した、
「彼のお弁当も一生懸命作ってあげたし、料理もお掃除も丁寧にしたのだけど、彼が今でも肉体を求めてくるのよね、それさえなければ離婚はしなかったと思うわ、でも男の人には我慢できないことなのでしょう」
離婚時のもう一つの彼女の回想がそれ。。
携帯電話は所持しているものの、外部との接触を一切断ちメールもしない、もちろんインターネットもしない彼女、
「(メールは)鬱陶しいし、外の世界にある美しいものはネットをしなくても手に入るから」
そんな彼女から分厚い封書が届いた、
0 件のコメント:
コメントを投稿