2011年11月27日日曜日

日曜の朝だから




東京おとぼけキャッツという、コミックバンドのような、本格的な音楽も聴かせるバンドが昔あった、
リードボーカル&MCをしていたダディ竹千代さんが、新橋にライブバーZZ(ジージー)を開いたと、どこかで耳にした、
新橋といえば足繁く通ったこともある街、何軒かのなじみの飲み屋、ショットバー、カウンターバー、割烹もある、

駅前ビルの地下にあった「ガス灯」、白髪のマスターがカウンターの中でひとり、黙々と仕事をしていたっけ、
オトナの街だもね、新橋は。

で、いつか行ってみようと思っているZZなんだけど、その前に、東京おとぼけキャッツのライブから、、

この人もオーティスが好きなんだろうなあ、、好きでなければここまでコピーはしない、
DADADADADADA,GAGAGAGAGA どっちなんだかわからないけど、リズムと曲のノリでどっちでもいいのだろう、

清志郎くんがステージから叫んでいた「愛し合ってるか~い」、
実はオーティスが本家だということ、それを知った清志郎が、かっこいいなあと真似を始めた、
その元になった本家オーティスの「愛し合ってるかい」も生で聴ける(笑)、


2011年11月25日金曜日

ある光景


テレビをみていた、
警察ものと呼ばれる(呼ばれていないか)、警察官の勤務に密着しドキュメンタリー風に仕上げた夕方の番組だった、、

自動販売機の前に不審な人物がいる、との通報を受け現場に急行した○○巡査、
○○が目にしたものは、この寒さだというのに肩と腰の周り一部に布を巻いただけのほとんど全裸の男性の姿、
モザイクで本人の顔は隠されているものの、画面には髪の毛は伸び放題のホームレスと思われる男性が映し出されている、

婦人警官の声で「この人、耳が聞こえないみたい」と、
筆談での職務質問が始まり、半裸の男性は耳が聞こえないこと、自動販売機の下に転がっている(はずの)小銭を探していたことなどが、事情説明される、

猥褻物陳列罪にあたるなあ、とは、○○の独り言、

ホームレスだもの、服を誰かが呉れないかぎり服なんか買えないじゃないか、
服を買う金があったらなにか温かいものでも腹に入れるのに決まっているじゃないか、

厳重注意だけしておくか、これも○○の言葉、

半裸の男性はそこから立ち去るように求められ、半裸のままわずかな荷をもってそこから離れていった、
テレビ画面にはモザイクを掛けられた立ち去る男性の姿が大写しになり、そこで終わった、

厳重注意って、なんだよ!
猥褻物陳列罪って、なんだよ!

聾唖のホームレスが元の半裸の姿のまま、立ち去っていくのに黙ってみているのかよ、
警察の任務って、違反者を捕まえるだけで、困っている人を助けることはしないのかよ、

「砂の器」の、あの巡査を見習え、彼の爪の垢でも煎じて飲め、、

見ているだけで何もできない、悲しくなった、、、


日比谷公園



どこへ行こうとなって、何度か行ったことはあるけれど、じっくり見たことはなかった日比谷公園を今日の訪問場所に選んだ、
野外音楽堂、10円カレーで有名な料理店松本楼、そして近くにはもちろん天皇のお住まいであらせられる皇居が、、

天気は晴れでもなく曇りでもなく散策には、散策なのか、散歩の方があたっているのか、ちょうどよい気候だった、
噂の、皇居一周ランナーたちの華やかなマラソンウェアを横目に見ながら、新橋から有楽町までの一駅を歩いてまわった、

※写真は、中国語が飛び交っていた今日の二重橋、奥にぼくの住まいが見えます、ウソですから。。

若い中国人カップルから記念写真の撮影を頼まれ撮ってあげた、
英語で「私たちを撮して貰えますか」と頼まれたので、オーイエースと応えた、
ピントを合わせ、スマイル~と呼びかけたら笑ってくれた、

ぼくの英語もまずまずなのだなあ、中国人に通じるくらいはあったのだ、


2011年11月22日火曜日

いわば未来の象徴でしょうか






小石川植物園で見掛けた若いカップル、
恋人同士なのか、若いご夫婦なのか、それともただの友人なのか、
親しげな態度からただの友人には見えない二人だった、

もしも結婚していなかったら多分これから結婚するのでしょう、
結婚したらたくさんセックスをして多分子ども何人か生まれることでしょう、
その子どもは二人の未来へと続く道を照らす灯り、日本の未来の象徴、

かつてのぼくがそうであったように、かつてのあなたがそうであったように、愛を語り未来を夢見て、
幸せな一生をおくってください、
心からそう願います、、

2011年11月20日日曜日


小石川植物園







3連休最後の日、この時期の毎年恒例行事、小石川植物園へ散歩に出かけた、
東京のど真ん中、でもないのか、文京区にこれほど広大な公園というか、植物園があってありがたい、
園内は禁煙なのだが、飲食物の持ち込みは自由、
手入れされた庭園もあり池には鯉が放され、お弁当や飲み物をもって出かけて行った、
若い男女のカップルや子どもを連れた夫婦、老年の男女たちで賑わっていた、

花梨の大きな樹があり、その下には熟して落ちた花梨の実ががごろごろと転がっていた、
落ちたものだから拾ってきてもかまわないのだろうと、勝手に判断し、5、6個いただいた、
熟しても固くて渋く生食はできないようなのだが蜂蜜に漬けておくと、喉に良い花梨水ができあがる、
ネットで検索すると、1、2ヶ月でできあがると書いてある、
さっそく我が家でも作ることにした、
お正月には甘い花梨水が飲めるはずだ、

※写真は、落ちている花梨、ねっ、たくさん落ちているでしょ
 花はコダチダリアという花らしい、名札が付いていたので確かめた、
 東京大学だもの、間違いはないでしょう(笑)

2011年11月18日金曜日

久しぶりの3連休






何日も深夜までの作業が続き、体力的にへとへと、、
土曜日も出勤、祭日も出勤だった、
自分らの仕事の分担を早く終え、今日から3連休とした、
実験の準備としてはまだまだ作業があるのだが、本来するべきチームにまかせ(そこにも手助けしていた)、休ませてもらった、
昨日は3連休をあてこんで、久しぶりのはしご酒、
ひらまさの刺身で日本酒一合、そのあと、河岸を変えてウイスキーの水割り、さらにもう一軒、、

肴を出す小料理屋には客の数もそこそこ入っていたけれど、カラオケ主体のスナックでは、どこの店も客はぼく一人だけ、
飲み助の常識で次の客が来るまで場をつなごうとしたのだけれど、いつまでたっても誰も来ない、
酒を飲みながらだから、あんまり待っていても身が保たない、
ママを一人残して帰宅した、

どこの店も客数が減り不景気だとの話をきいた、
日本全体が不景気だからスナックで飲む客が減る、客が減れば酒屋への注文が減る、めいめいの収入が減るから買い物もしなくなる、
小難しい経済用語を用いるなら、消費者による購買意欲の減少、とでも表現するのだろうか、

負の循環はこうして止まることなく回り続けるのだろう、
ぼく一人が三軒はしご酒をするくらいでは止めようもない、、

※ 写真は草むらに身を休めるこおろぎ、古名では”ちちろ”という

ちちろ鳴く帰らぬ人の靴の中   友人の句

2011年11月14日月曜日

ダンマパダ 3






ブッダによれば、真理には4つの局面があります、

苦諦(くたい)  この世はひたすら苦しみであるという真理
集諦(じったい) その苦しみを生み出す原因は心の中の煩悩だと知ること
滅諦(めったい) その煩悩を消し去ることで苦が消えるという真理
道諦(どうたい) 煩悩を消滅させるための具体的な8つの道を実践すること

人間は誰もが老い衰え、病気になり死んでいく、
それは避けようがない事実、
その事実を正しく受け入れることができるように自分の心を変えていく、
それが苦しみを消す唯一の道だ、と教えます

道諦でいわれた8つの具体的な道を紹介します、

正見(しょうけん)     正しいものの見方
正思惟(しょうしい)    正見にもとづいた正しい考えをもつ
正語(しょうご)      正見にもとづいた正しい言葉を語る
正業(しょうごう)     正見にもとづいた正しい行いをする
正命(しょうみょう)    正見にもとづいた正しい生活を送る
正精進(しょうしょうじん) 正見にもとづいた正しい努力をする
正念(しょうねん)     正見にもとづいた正しい自覚をする
正定(しょうじょう)    正見にもとづいた正しい瞑想をする
以上です、

正しいものの見方も、正しい生活も、もちろん正しい努力もしていないぼくが、披瀝しても少しの意味ももたないことを百も承知で、紹介してみました、

どこにも、信者を増やせとか、寄付を募れとか、同じ新聞を何部も購読しろなどとは書いていません、
まして病気が治るだとか金持ちになれるだとか書いていません、
むしろ病気も貧しさも死さえも受け入れなさい、と、そう読むことができます、

これを読み実践するのならば、さあ、あなたも今日からブッディストです、
ぼくには、ちょっと無理かもです、ははは、

いくつかの別の感想があります、
ひとつは、飢えた子どもにとって、ブッダの教えは有効なのかということです、
正見よりも、正思惟よりも、一杯だけでいい飯をくれ、正しい教えよりもまずは食事でしょう、
もうひとつは、食欲、性欲、睡眠欲、これら人間の本能をも煩悩だとしてブッダは拒否するのでしょうか、

飢えた腹を抱えた子どもを前にして、ブッダはどのようなことばを、教えを、態度をとるのでしょうか、
そこが気になるところなのです、

立派な芸術も立派な哲学も、もちろん宗教にも、それらに差し出すぼくの踏み絵とでもいうべきテーゼは、
飢えた子どもにとってそれは有効なのかどうか、ということ、

さらに踏み込んでブッダの本を読んでみようと思います、、、

※写真は道の駅「はなぞの」の園芸園で撮ったもの、
自然にこんなに綺麗な赤紫色が存在している、それに感動しました、
花キャベツっていうの?

2011年11月12日土曜日

ダンマパダ 2



ダンマパダとは、バーリ語という古代インド語で書かれた、ブッダの言葉を集めたものの一つ、
ダンマパダの「ダンマ」とはバーリ語で法、真理を意味し「パダ」は言葉という意味なので、
ダンマ+パダで”真理の言葉”となる、
内容は、仏教にしたがって生きる者の基本的な心構えを示したもので、キリスト教の聖書にも例えられる・・、

そのことを説明した小冊子(NHKのテレビテキスト)が、何枚かの便箋とともに、封書には入っていた、

「最近、私は、仏教の、特にお釈迦さまの言葉そのものを最も忠実に再現されたとされるダンマパダに関心があり、京都のお寺に行き一日だけ修行をしてこようと思っています」と、
万年筆の青いインクで、近況と、仏教の教えに感ずるものをみとめそれに近づこうとしている心境とが、丁寧に書かれていた、

テキストを読みながら、ぼくも釈迦の教えに肯くところが多いので、とても参考になった、

ブッダは、紀元前5,6世紀頃、ヒマラヤ山脈の南麓にあった国の王子として生まれています、
本名はゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダルタという呼び方もある)といいます、

ブッダとは「目覚めた人」「悟った人」という意味で、最高の宗教者として皆から尊敬されるようになった後の敬称です、

日本にはインド、中国、朝鮮を経て、大乗仏教が伝わってきたのですが、それはブッダの教えとはかなり変形した内容となっています、
変容した仏教とブッダが説いた原初の教えには、大きな隔たりがあるのです

ブッダの教えそのものは、至極簡明で、
人間にとって、老、病、死はさけられないもの、
生まれたその瞬間から、老、病、死に向かって歩き出すのだ、
つまり、生きることは苦なのだ、と、

これがブッダの教える教義の根幹です、

しかもさらに、そのような苦しい世界であっても、どこかに心優しい神様がいて、救いの手をさしのべることなど絶対ない、「そういう救済者はどこにもいない」「不思議な力をもった救済者など、どこにもいない」と、ブッダは言います、

ただ一つのよりどころは、自分、
自分を変えることが唯一の救われる道だと、説くのです、

われわれの苦しみは単に「老、病、死と離れることのできない苦しみ」なのではなく、
「老、病、死と離れることができず、そのうえ誰にも救ってもらうことのできない苦しみ」だというのです、

拝めば病気が治るだとか、お金をたくさん出せば極楽に行くことができるとか、特定の政党に投票すれば幸せになるといって脅す、凡百の新興宗教と比して、なんという苛烈な教えでしょう、

神秘的な事例や荒唐無稽な作り話で固められた、他の宗教と比べ、その科学性は一段も二段も高い位置にあります、
また、真理の前には素直に頭を下げる真の意味での謙譲心、
なるほどと、砂地が水を吸うように心に沁みてきます、

小冊子を数頁読んだだけの、にわか仏教徒とも呼べない、いまだ煩悩の塊のような我が身と心、
それでも、ブッダの教えの整合性と科学性に心から賛意を表明します、

彼女がなぜこのテキストを同封したのか、その真意はまた会ったときにでも訊ねるとして、このテキストを読んでいこうと思っています、
岩波文庫にも、同様の内容の書籍があるのだとか、
中村元訳「真理のことば 感興のことば」が、それ、

※写真は、赤唐辛子、鷹の爪とも呼ばれる、
道の駅などに行くと安価で大量に手に入るので、ついつい買ってしまうことになる、
買ってきた後、しばらく干してカリカリにして使うのが我が家の習わし、
保存も効くし、味も一段と勝るような気になる、、ホントかな?!

2011年11月10日木曜日

TPP

環太平洋戦略的経済連携協定 
Trans-Pacific Partnership
Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement

加盟国の間で工業品、農業品を含む全品目の関税を撤廃し、知的財産権、労働規制、金融、医療サービスなどにおけるすべての非関税障壁を撤廃し自由化する協定

ということらしい、、


実現すれば、新潟県産コシヒカリを模倣したカリフォルニア州米が10kg700円から800円で手に入ることになる、
安くてまずいのではなく、チョー安くて美味い米が、現行関税率780%を取り除かれて激安(!)で日本に出回ることだろう、

その結果、安ければ(どこの国のものでも)良いという多数の庶民がそれに飛びつき、日本の米農家はさらに、減反や青田刈りを強いられている今以上に打撃を被り農民たちの生活が立ち行かなくなり、離農、離散、農地放棄が相次ぎ、日本の農業はつぶれてしまうだろう、

それから3年後、あなたとは意見が合わないのでもうお米は送りません、という一通のメールが届き、
カリフォルニア州米、10kg700円の米が送られてこなくなった、、

そうなってはじめて、国産の米のありがたみがわかるのだろうか、
ばかめが!

主食は、米は、食料でなく
武器 なのだよ、小林少年(誰だよ)、

そのことがわかっていない日本の代表がいるかぎり、未来はないわなあ、

アメリカ合州(衆)国にとって、すべての食料は、世界制圧に向けての非常に有効な武器なのだ、
その認識をもって、あらゆる植物性食料の種の保存、特にDNAレベルでの遺伝子情報の解明を国家政策として実施しているのだ、

安ければ良い、というものでは決してないだろう、、

ダンマパダ

もう随分と長い間、お付き合いをさせていただいている妻以外の女性がいる、
こんな書き出しで書くと、いかにも何かありそうな関係であるかのような印象を与えるのだが、
そして少しはそうした印象を読者がもたれることを期待しているのだが、ネタをばらせば、その女性とは中学時代の同級生のこと、

年賀状を遣り取りしたり、たまに旅行をしたりしたときに目に触れた絵はがきなどで気に入ったものがあれば年に数回送ったり貰ったりしている、
彼女は、ぼくからみても、たぶん他人から見ても可愛く美しい人なのだが、魅力はそこにあるだけでなく、その独特の感性と発想にある、と思っている、

熊本の片田舎に在る、今、彼女が居住している場所には決して同化しない、染まらない、収まりきれない彼女独特の発想がぼくにはとても魅力的なのだ、

古代エジプトの若き王ツタンカーメンをこよなく愛し、世界の名だたる美術館の特に絵画の収蔵品に詳しく、訪日したロシアバレーの公演を観るためならば時間とお金を惜しまない彼女、

「わたしって美しいものが好きなの」

50歳代を半ばこえた頃に、いわゆる熟年離婚をしたのだが、その時の彼女の感想は、
「結局、尊敬できない人とは一緒に居られなかったわ」

30年近く連れ添い、男児をひとりもうけ育てあげた末での離婚の感想にしては、涙もなく未練もなく、乾いたもの言いだと、そこに感心した、

「彼のお弁当も一生懸命作ってあげたし、料理もお掃除も丁寧にしたのだけど、彼が今でも肉体を求めてくるのよね、それさえなければ離婚はしなかったと思うわ、でも男の人には我慢できないことなのでしょう」
離婚時のもう一つの彼女の回想がそれ。。

携帯電話は所持しているものの、外部との接触を一切断ちメールもしない、もちろんインターネットもしない彼女、
「(メールは)鬱陶しいし、外の世界にある美しいものはネットをしなくても手に入るから」

そんな彼女から分厚い封書が届いた、

2011年11月3日木曜日

文化

湯豆腐の底に愁ひを仕舞ひけり
湯豆腐の底に嘆きを収めけり
湯豆腐の底に嘆きを埋めけり

湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 久保田万太郎

季語「湯豆腐」季節は冬
湯豆腐を織り込んだ句といえば、第一に上記した万太郎の作品があげられる、
幾多の女性と浮き名を流した万太郎の最晩年の絶唱といわれている句
これを意識しなかったといえば嘘になる、
かなわぬまでも近づければ、、

文化とは、


その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創り出されたもの。
・・なんだとか、新明解国語辞典 第六版 三省堂
さすが文化、エライものだ、一回読んだくらいではナンダカわからない、

世の中が開けて生活水準が高まっている状態
・・というのもある、岩波国語辞典 第四版 岩波書店
さすが岩波、わかりやすい、文化が少しわかってきた、

①世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。
②人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容を含む。
文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活に関わるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。

広辞苑 第五版 岩波書店

どうやら文化と文明は違うらしい、
文化=culture 文明=civilization このことを知っただけでも、今朝は知識が一歩進んだといっても言い過ぎではないだろう(笑)

文化ときいて思い起こされるのは、
まず文化住宅、それから文化鍋、えーと文化庖丁、、、

今朝得た知識をもとにこれらを眺むれば文化に非ずして文明であったのだなあ、
今からでも遅くはない、文明住宅、文明鍋、文明庖丁と改名してみては、

とまあ、相変わらずの締まりのなさ、こんな結論でいいのかっ、、

2011年11月1日火曜日

氷壁

いつもここを見ているよ、という方からメールをいただいた、
ここで紹介していた井上靖氏の作品「氷壁」を読んでいる、読み始めたばかりだけど本当に面白い、という内容だった、
いつもここを読んでもらっていることにまず大感謝(歳末大売り出しみたいな表現で大げさにきこえるけどさ)、
紹介した本を読んでくれたことにさらに感謝、

そのかたも読書が大好きだというので、同じく本が好きなぼくとしては、同じ本を読み同じ愉しさを共有できたことで嬉しさが一層増すような気になっている、、

飼い猫のがっちゃんが膀胱炎のために3泊4日の入院生活をおくった、
昨日帰ってきたのだけれど、注射や薬などの治療費をふくめ宿泊代込みで3万3千円かかったと、、
毎月2匹の飼い猫のために2万円くらいはかかっている、今回のように病気になるとさらに出費が重なるから家計にとっては痛いのだ、英語でいえばアウチ!なのだなあ、教養があるからすぐ英語がこぼれてしまうのだ、、、

払えるお金だからそれはそれで仕方がないのだけど、払えない状態だったとしたら、猫を飼う資格が失われてしまうのかと少し考えてしまった、

ペットを飼うということは彼らの食事にもトイレにもお金がかかること、そのお金を捻出できない人はペットを飼うことを諦めてしまうのだろうか、
現に、年金生活に入ったからもう猫は飼えないわ(飼いたいのだけど)という人を何人か知っている、

法の下では何人といえども平等というのが、近代民主主義の大原則、
いくら法の下では平等といっても、お金持ちと貧乏人との差は、ペットを飼える飼えないという一面をみても埋まりそうにもない、

平等とはその収入を保証するものではないと頭では理解していても、やはりここでも金の世の中なのだなあと、諦念にも似た気持ちが湧いてくる、