台風よりも、こちらの颱風のほうが颱風らしいと思うのだがどうだろう、、
たぶん、昔は颱風と書いたのだろう、
第二次世界大戦後何年かに始まった漢字の簡略化とともに、颱風が台風となった、
こうして書いてみると、台ではまるで、颱風の意味がつたわらない、
學校が学校になると、ありがたみが薄れるようで・・、
英語のABCや、ハングルと違って、漢字には漢字の意味がある、
東という字にも西という字にも意味がある、
それを無視しての漢字の簡略化は、漢字への冒涜、いわば文化の破壊ではないかと、
おおげさに思うのだが、どうだろう、
それにしても今年は、こんな季節まで颱風が来る、
颱風が来ても来なくても、ぼくの酔眼朦朧人生は、なんら変わらないのだけどね、、
2013年10月26日土曜日
2013年10月19日土曜日
文壇ブランドとしてのハルキ$
タイトルに付けた$には、意味は無い
プログラミングをしていた頃、コンパイル前のファイルと後のファイルとで名前を変えるために、
前には$、後には#を付けていた、その名残り、、
この前のタイトルがハルキなので、それと区別するためにつけたもの、
1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など。 Wikipediaより
ベストセラー作家、なのだとか、
正直いって、彼の作品を読んだことはあまりない、
あまりの中身は、以前、辺境もののエッセーを読んだことがあったことくらい、
彼が若い時に経験したバスを使っての小旅行について書かれていた、かどうか、そんな文章だったような記憶が少うし、ある、、
作家として人気がある彼の作品は、新作が発売される前の予約分だけで20万部を超えるのだとか、
増刷につぐ増刷で30万、40万、50万、、300万部を超え、となり、発売当日には売り出される本屋の前に求める人々で長い列ができたと、その列の様子とともに報道されていた、
彼の小説を格別に好む人々を、彼の名前からハルキストというらしい、
男女の性の別なく、愛読者層は文字通りの老若男女、すべての年齢層に受けているのだとか、特に、25歳以上40歳未満の独身女性にファンが多いらしい(知らないけど)、
昔、マルクス主義(マルキシズム)が流行ったころ、その信奉者、活動家を称して、マルキストといったことがあった、
学生時代の友人の一人は、マルキストでもあったのだが、当時のアイドル、天地真理嬢のファンだったこともあって、ぼくはマルキストでなくマリキストだ、と言っていた、、
その後の変貌甚だしい、かつての美人アイドル?を、今彼はどのような眼で眺めているのか、
音信不通の彼なので、心情を聞くことはできないのだが、おそらくかなりの割合で落胆していることだろう、、
さて、ハルキスト、ハルキスト達、、
1Q84という彼の作品を、ぼくは、IQ84と読み間違え、知能指数の低い人を描いた皮肉たっぷりの本だと曲解していた、実際には、そうではなかったのだが、、
その本が売り出された当日の午後、原宿にあるオープンカフェ(小洒落たというのか、小生意気だというのか、見かけ倒しのハッタリコーヒー店)の椅子に座り、その本を拡げて読んでいる、頭の悪そうな、84どころか、IQ69くらいの知能指数の持ち主らしき人物に、テレビ局で用意したレポーターが質問していた、
なんで、その本を買われたのですか?
今日買ったことで注目が集まるし、この本を拡げていると利口そうに見えるので、、
利口なのではなく、利口そうにみえる、というところに眼目がある、
そういう手合いばかりではないのはもちろんだと思うが、この手の読者?買い手が、この作者に多いのも事実なのだろう、
読まれることを期待した作者の意図とは違い、持つことに価値を見いだす、読むことよりも拡げていることに意味がある、
それを知った作者の苦笑いが目に浮かぶ、、
最近では使ったこともない、先端にマッターホルンの雪山の紋章を頂く万年筆を3本も持っているぼくが、大きなことは言えないのだけどさ・・・、
プログラミングをしていた頃、コンパイル前のファイルと後のファイルとで名前を変えるために、
前には$、後には#を付けていた、その名残り、、
この前のタイトルがハルキなので、それと区別するためにつけたもの、
1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など。 Wikipediaより
ベストセラー作家、なのだとか、
正直いって、彼の作品を読んだことはあまりない、
あまりの中身は、以前、辺境もののエッセーを読んだことがあったことくらい、
彼が若い時に経験したバスを使っての小旅行について書かれていた、かどうか、そんな文章だったような記憶が少うし、ある、、
作家として人気がある彼の作品は、新作が発売される前の予約分だけで20万部を超えるのだとか、
増刷につぐ増刷で30万、40万、50万、、300万部を超え、となり、発売当日には売り出される本屋の前に求める人々で長い列ができたと、その列の様子とともに報道されていた、
彼の小説を格別に好む人々を、彼の名前からハルキストというらしい、
男女の性の別なく、愛読者層は文字通りの老若男女、すべての年齢層に受けているのだとか、特に、25歳以上40歳未満の独身女性にファンが多いらしい(知らないけど)、
昔、マルクス主義(マルキシズム)が流行ったころ、その信奉者、活動家を称して、マルキストといったことがあった、
学生時代の友人の一人は、マルキストでもあったのだが、当時のアイドル、天地真理嬢のファンだったこともあって、ぼくはマルキストでなくマリキストだ、と言っていた、、
その後の変貌甚だしい、かつての美人アイドル?を、今彼はどのような眼で眺めているのか、
音信不通の彼なので、心情を聞くことはできないのだが、おそらくかなりの割合で落胆していることだろう、、
さて、ハルキスト、ハルキスト達、、
1Q84という彼の作品を、ぼくは、IQ84と読み間違え、知能指数の低い人を描いた皮肉たっぷりの本だと曲解していた、実際には、そうではなかったのだが、、
その本が売り出された当日の午後、原宿にあるオープンカフェ(小洒落たというのか、小生意気だというのか、見かけ倒しのハッタリコーヒー店)の椅子に座り、その本を拡げて読んでいる、頭の悪そうな、84どころか、IQ69くらいの知能指数の持ち主らしき人物に、テレビ局で用意したレポーターが質問していた、
なんで、その本を買われたのですか?
今日買ったことで注目が集まるし、この本を拡げていると利口そうに見えるので、、
利口なのではなく、利口そうにみえる、というところに眼目がある、
そういう手合いばかりではないのはもちろんだと思うが、この手の読者?買い手が、この作者に多いのも事実なのだろう、
読まれることを期待した作者の意図とは違い、持つことに価値を見いだす、読むことよりも拡げていることに意味がある、
それを知った作者の苦笑いが目に浮かぶ、、
最近では使ったこともない、先端にマッターホルンの雪山の紋章を頂く万年筆を3本も持っているぼくが、大きなことは言えないのだけどさ・・・、
2013年10月17日木曜日
2013年10月12日土曜日
緑茶割り
焼酎の緑茶割り、緑茶ハイは、静岡県のお茶生産組合の青年部の発案だったと、いつかここで書いた、書いた?
「世の中には、ウーロンハイがあって中国のお茶は酒としてもよく飲まれているのに、日本でありながら緑茶ハイがない、おかしいじゃないか、みんなにもっとお茶を飲んでもらうために、焼酎を緑茶で割った緑茶ハイを飲食店に勧めたらどうだろう」
そんな話から始まったのよと聞かされたのが、今から15年前の、出張でたまたまふらっと立ち寄った居酒屋「ばく」のカウンター、
それ以来、静岡県島田市に行くと必ず「ばく」に立ち寄り、店主のあきこさんの顔を見ることにしている、
最近、島田への出張が減り、顔見せの回数も年に一度か二度、
顔を忘れたんじゃない?と聞いたら、忘れてないわよ、だって、嬉しいじゃないか・・、
緑茶ハイを二杯、たこの刺身を肴に飲み、そのあと角のロックで二杯、
心地よく酔って店を出た、
(お酒は)強いのよねと、あきこさんからは言われるのだが、店を出るときにはヘロヘロ状態、
失態を見せられないので、がんばってしゃきんとしているように見せているだけなのだ、
写真はその時のもの、綺麗な緑色の、本当の緑茶ハイ、おそらく抹茶を入れているのだろう、
地元で飲む緑茶ハイなるものはなぜか色が茶色、番茶かほうじ茶のような色をしていて、色だけみれば美味しそうでない、
だから、緑茶ハイは静岡に限るのだ、そう思う、、、
「世の中には、ウーロンハイがあって中国のお茶は酒としてもよく飲まれているのに、日本でありながら緑茶ハイがない、おかしいじゃないか、みんなにもっとお茶を飲んでもらうために、焼酎を緑茶で割った緑茶ハイを飲食店に勧めたらどうだろう」
そんな話から始まったのよと聞かされたのが、今から15年前の、出張でたまたまふらっと立ち寄った居酒屋「ばく」のカウンター、
それ以来、静岡県島田市に行くと必ず「ばく」に立ち寄り、店主のあきこさんの顔を見ることにしている、
最近、島田への出張が減り、顔見せの回数も年に一度か二度、
顔を忘れたんじゃない?と聞いたら、忘れてないわよ、だって、嬉しいじゃないか・・、
緑茶ハイを二杯、たこの刺身を肴に飲み、そのあと角のロックで二杯、
心地よく酔って店を出た、
(お酒は)強いのよねと、あきこさんからは言われるのだが、店を出るときにはヘロヘロ状態、
失態を見せられないので、がんばってしゃきんとしているように見せているだけなのだ、
写真はその時のもの、綺麗な緑色の、本当の緑茶ハイ、おそらく抹茶を入れているのだろう、
地元で飲む緑茶ハイなるものはなぜか色が茶色、番茶かほうじ茶のような色をしていて、色だけみれば美味しそうでない、
だから、緑茶ハイは静岡に限るのだ、そう思う、、、
2013年10月9日水曜日
値上げ とは・・・、(フォークの力を見よ)
あべのみくす って、日本語
英語よりもこっちのほうが、ぼくの性にあってる
明治以来、欧米のそれまでは日本になかった感性とか、制度とか、仕組みとかを
翻訳した、しようとした苦労は、十分理解できる、
傑作は、FREEDOM が 自由
自らに由る(だれの束縛もうけない、移動も婚姻も職業の選択も、それがFREEDOMの訳 拍手~)
たぶん、福沢諭吉か正岡子規か、あのへんの苦心の表れなのだろう、
哲学だとか、野球だとか、(あー、こんなことで、教養のなさがばれる・・・、)
コンプライアンス なにそれ?
法令順守 法令遵守 ということばが日本語にあるし・・、
「アーバンなミッドナイトにコンテンポラリーなふたりが、エキセントリックなシティーを離れ・・、」
おまえらは、何人なんだ バカっ
グローバル、アンジュレーション、地球的、不陸、それぞれの英語に合った日本語があるのに、
それを使わない日本人を、ぼくは認めたくないなあ、
2013年10月6日日曜日
器量
ぼくがまだ20歳代の若い時に、当時の会社の責任者から聞かされた話がある、
自分の尻も満足に拭けない人が多い中、まわりの人間の何人の尻を拭けるかで男の器量が決まる、自分は何人の尻を拭けるのか、そこで人間の大きさがわかる気がする、それを知る楽しみのために仕事をしているような気もしている、と、、
自分の尻はこの歳になるまでずっと自分で拭いてきたので、ぼくは一人前なのかもしれない、
社長をしている以上は何人かの社員の尻を拭く覚悟をこれまで持ってきた、
でも、尻は拭けるかもしれないが、自分と血族でもない人のために死ぬことはたぶんできない、
踏切の中で人が倒れていたのを発見し、列車が近づいてくるのを知りながら、助けようとした女性がいた、
助けようとした相手は助かり、自らは命をなくしてしまった、
一緒にいた彼女の父親が制止したのにもかかわらず、それを振り切って助けに行ってしまったのだとか、
彼女の死を知った多くの人々が、その事故のあった現場に花束を手向けていた、と報道していた、
ぼくもその現場が近くにあったら行って手を合わせたい、と思った、
彼女が亡くなり、それを目の前で目撃した父親の心情を思うと言葉にならない、、
ぼくは無神論者で、正直いって神も仏も信仰してはいないけれど、今度ばかりは、仏の慈悲によって彼女の死を止められないものかと、踏切がなければ死ななくてすんだのだから、全国から踏切がなくなればいいのにと、子どもじみた考えに至ってしまった、
たぶんこれからも、彼女を偲んで多くの人たちが現場で手を合わせ花を捧げることだろう、
彼女の名前は忘れても彼女の行為はいつまでも記憶に残ることだろう、
警察協力賞だとか、なんとか勲章よりも、その捧げられた花々にぼくの心は傾いている、、、
☆昨日も、友人の店でライブがあった、
これから店をささえていくバンド、DEVILZさんの出演だった、
店は大勢で賑わい、ぼくも終演まで参加し踊った、何人かの新しい友だちができた、
音楽で世の中は変わらないかもしれないが、そこで友情が芽生えることもあるのだと、ぼくは実感した、
自分の尻も満足に拭けない人が多い中、まわりの人間の何人の尻を拭けるかで男の器量が決まる、自分は何人の尻を拭けるのか、そこで人間の大きさがわかる気がする、それを知る楽しみのために仕事をしているような気もしている、と、、
自分の尻はこの歳になるまでずっと自分で拭いてきたので、ぼくは一人前なのかもしれない、
社長をしている以上は何人かの社員の尻を拭く覚悟をこれまで持ってきた、
でも、尻は拭けるかもしれないが、自分と血族でもない人のために死ぬことはたぶんできない、
踏切の中で人が倒れていたのを発見し、列車が近づいてくるのを知りながら、助けようとした女性がいた、
助けようとした相手は助かり、自らは命をなくしてしまった、
一緒にいた彼女の父親が制止したのにもかかわらず、それを振り切って助けに行ってしまったのだとか、
彼女の死を知った多くの人々が、その事故のあった現場に花束を手向けていた、と報道していた、
ぼくもその現場が近くにあったら行って手を合わせたい、と思った、
彼女が亡くなり、それを目の前で目撃した父親の心情を思うと言葉にならない、、
ぼくは無神論者で、正直いって神も仏も信仰してはいないけれど、今度ばかりは、仏の慈悲によって彼女の死を止められないものかと、踏切がなければ死ななくてすんだのだから、全国から踏切がなくなればいいのにと、子どもじみた考えに至ってしまった、
たぶんこれからも、彼女を偲んで多くの人たちが現場で手を合わせ花を捧げることだろう、
彼女の名前は忘れても彼女の行為はいつまでも記憶に残ることだろう、
警察協力賞だとか、なんとか勲章よりも、その捧げられた花々にぼくの心は傾いている、、、
☆昨日も、友人の店でライブがあった、
これから店をささえていくバンド、DEVILZさんの出演だった、
店は大勢で賑わい、ぼくも終演まで参加し踊った、何人かの新しい友だちができた、
音楽で世の中は変わらないかもしれないが、そこで友情が芽生えることもあるのだと、ぼくは実感した、
2013年10月1日火曜日
友人
25年以上も前に知り合った彼から、仕事のことで話がある、会いたいと連絡をもらったのは今月半ばのことだった、
彼とは豊洲にあった、ということは今はもうないのだが、現場で知り合った、
所属する会社は違っていたのだが、働く現場が一緒だったので話すことも多く、普段会わない会社の連中よりも接触する機会の多い別会社の人間と仲良くなる、
よくある話なのだ、
彼とは馬が合った、というのか、彼の生き方に惹かれるものがあった、
例えば、
物を買うときに、現金で買う、ローンで買うより安くなるというのがその理由、
趣味のカメラ撮影に使用する車を買うときにも、彼は370万円という金を貯め、現金で買った、
現金で買うために、何年も、おそらく5年は貯金を続けたのだ、
35万円のカメラも、27万円のレンズも、彼はすべて現金で買った、
買うための我慢なら、欲しいものを手に入れるための辛抱ならば、それが楽しくてたまらないという風な顔をみせて、彼は貯蓄する、
「500円玉貯金で60万円貯めたこともあったよ」 笑いながら、そう語ったこともあった、
缶切りで開け瞬間、その貯まった500円玉がジャラジャラとテーブルの上に広がったのを見て感動し、山盛りにしてカメラに収めたのだとか、、
そう彼の趣味の一つにカメラがある、、
いま何を使っているの?
ニコンのF6
えっ、あのニコン最後の一眼レフのフィルムカメラ?
だってフィルムは、今はもうあまりないじゃん
そうなんだよ、フジに頼るしかないんだ、でもサブでデジカメも持ってるよ、
なに?
D300
あっ、それ、おれと同じ、
へえ、そうなんだ、
仕事の話はそっちのけで、カメラの話に夢中のふたり、彼は、ある意味、ぼくのカメラの師匠でもある、
彼の影響で、オーディオに興味をもち、それからカメラを趣味とするようになったからだ、
バイクの話、山の話、話題が尽きることはない、
年賀状の交換を再開することを約束して、家路についた、
彼の年賀状は、毎年、富士山、それも年賀状の季節に合わせて、雪を頂いた富士山に限定される、
今でもそれは続けているのだとか、
11月の後半から12月半ばまでの、わずかな期間の間を狙って撮影に出かけるのだとか、
いろいろまわってみたのだけど、結局、三浦半島から見た富士山が一番綺麗だということに気が付いたよ、
彼の話は、はじめから最後まで実話としての説得力をもっていた、
おれも三浦半島に行ってみるか・・、鮪を食いに、、、
んーーーー、、、
彼とは豊洲にあった、ということは今はもうないのだが、現場で知り合った、
所属する会社は違っていたのだが、働く現場が一緒だったので話すことも多く、普段会わない会社の連中よりも接触する機会の多い別会社の人間と仲良くなる、
よくある話なのだ、
彼とは馬が合った、というのか、彼の生き方に惹かれるものがあった、
例えば、
物を買うときに、現金で買う、ローンで買うより安くなるというのがその理由、
趣味のカメラ撮影に使用する車を買うときにも、彼は370万円という金を貯め、現金で買った、
現金で買うために、何年も、おそらく5年は貯金を続けたのだ、
35万円のカメラも、27万円のレンズも、彼はすべて現金で買った、
買うための我慢なら、欲しいものを手に入れるための辛抱ならば、それが楽しくてたまらないという風な顔をみせて、彼は貯蓄する、
「500円玉貯金で60万円貯めたこともあったよ」 笑いながら、そう語ったこともあった、
缶切りで開け瞬間、その貯まった500円玉がジャラジャラとテーブルの上に広がったのを見て感動し、山盛りにしてカメラに収めたのだとか、、
そう彼の趣味の一つにカメラがある、、
いま何を使っているの?
ニコンのF6
えっ、あのニコン最後の一眼レフのフィルムカメラ?
だってフィルムは、今はもうあまりないじゃん
そうなんだよ、フジに頼るしかないんだ、でもサブでデジカメも持ってるよ、
なに?
D300
あっ、それ、おれと同じ、
へえ、そうなんだ、
仕事の話はそっちのけで、カメラの話に夢中のふたり、彼は、ある意味、ぼくのカメラの師匠でもある、
彼の影響で、オーディオに興味をもち、それからカメラを趣味とするようになったからだ、
バイクの話、山の話、話題が尽きることはない、
年賀状の交換を再開することを約束して、家路についた、
彼の年賀状は、毎年、富士山、それも年賀状の季節に合わせて、雪を頂いた富士山に限定される、
今でもそれは続けているのだとか、
11月の後半から12月半ばまでの、わずかな期間の間を狙って撮影に出かけるのだとか、
いろいろまわってみたのだけど、結局、三浦半島から見た富士山が一番綺麗だということに気が付いたよ、
彼の話は、はじめから最後まで実話としての説得力をもっていた、
おれも三浦半島に行ってみるか・・、鮪を食いに、、、
んーーーー、、、
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