2011年10月29日土曜日

神田古本まつり

昭和35年に初めて開催された『東京名物・神田古本まつり』も、今年で52回目を数えます。
 この間、古書店街のもっとも大きな行事として、年々規模を拡大しながら今日にいたっております。
 読書週間(10月27日~11月9日)にあわせたこの催事の目的は、書物に関する様々なイベントを通じて、多くの読書人の期待にこたえることにあります。現在では、東京の風物詩の一つに数えられるようになり、全国、さらには海外からも多くの方々が、神田神保町を訪ねて来られるようになりました。
 まさしく東京の名物行事にふさわしい催しと、自負しております。

神田古本まつり

ということ、らしい、、

今日は午後からここに出かけてみる、
お目当ては二つ、井上靖氏の作品が載った文庫を10冊くらいと、向田邦子さんの対談集を見つけようと思っている、
参加店舗100店以上、展示数100万冊以上という古本まつり、
毎年のように参加しているのだが、なかなかお目当てに行き当たることができない、
その時には、なんでもいいから好みの本を買って、カレー屋か喫茶店にこもる、
神田は古本街でも有名なのだが、別の顔として都内でも屈指のカレー激戦区なのだ、
カーマ、マンダラ、共栄堂、エチオピア、ボンディ、まんてん、などなど、
と書いても、ボンディしか入ったことはないのだけど、、
詳しくはカレーまで、

カレーが好きで、神田に立ち寄る機会があったときなど気が向いたら行ってみてください、
食べたことがない店が多いので、味の保証はできませんけど、たぶん美味しいのでしょう、

では、行ってきま~す、




2011年10月27日木曜日

ばかめが

井上靖氏の作品「氷壁」中で、こう言って、登山家でありおのれの部下でもあった主人公の男性を激しくなじった上司の常磐、
作品を離れ、この言葉がことばだけで流れだしたとき、どのように世に迎えられるのだろう、

これからこの作品を読まれる方々のために、多くには触れられないもどかしさを覚えながら今これを書いている、

決して他人には投げつけられるべき言葉ではないはずである「ばかめが」、
もしも上司から他人から友人と互いに認め合った人物から、こう言われて精神に波風の一つも起たない人がいるとしたら、相当の大物か精神の一部に欠落したものがあるのだと、ぼくには思えてしまう、

ばかめが、、
耳障りの良い言葉だけが横行し、踏み込んで人とのふれ合いを求めようとは決してしない時代には、あってはならない言葉の一つなのかもしれない、

「そうです。本当に、山を生命がけで・・・・・・」
常磐を、急に激情が襲ってきた。
常磐は言葉を続けられなかった。獣でも低く吠えるような低い嗚咽が、常磐の口からもれ出した。
周囲の人たちがいっせいに常磐の方を見た。

周囲の目などまったく目に入らない、吠えるような嗚咽、
それだからこその”ばかめが”なのか、、

体裁の良い言葉だけが、人との関係をつなぎ止めると誤解されたまま、人は柔らかな心の襞を、作り笑顔の固い殻で包み込みけっしてその殻を解こうとはしない、

傷つくことを恐れるあまり、うわべだけの人間関係に終始する、
傷つくほどの清冽な精神も魂さえもありはしないのに、防御だけはタイトル保持者なのだ、
なじってなじられて壊れる関係ならば、初めからそんな関係などクソ食らえなのだ、
千人の差し障りのない通り文句よりも、一人の本音の叱咤が好きだ、
顔を撫でただけの生ぬるい激励よりも、激しく迫る叱咤にぼくは意味を見いだす、
本音で生きていた時代、肌と肌が血が流れるほどぶつかり合った時代、そんな時代、、

出会いから長い時を経て、ようやっとお互いの存在の意味を知り結婚を約束しあった男女が軽くくちづけを交わすだけで、その夜は別れる、
昭和30年代、今から50年ほど前の昭和の御代にはそのような男女関係があった、のだとか、
残念ながらなのか、出血の痛みを知らないだけ幸せなのか、ぼくはその時代まだこどもだった、

「しろばんば」しか読んだことがなかったぼくにとって「氷壁」は、これから追求する作家の一人である井上靖氏と新しい出会いの場を作ってくれた作品になった、

お勧めの一冊です!

2011年10月24日月曜日

落とし物



歳のせいなのか、生来のおっちょこちょいのせいなのか落とし物をよくする、
まだ携帯電話が普及する前のこと、公衆電話で仕事の打ち合わせをした、
当時の、今でもかもしれないが、公衆電話には二段になった物置き場が備え付けられていて、その一番下の段に持っていた鞄を(サザエさんのお父さんが提げていたようなあの鞄)置いて、話し始めた、
話し終わると鞄を置いたことを忘れ、そのまま出てしまった、、
15分後気がつき、慌てて戻った時にはその鞄は既になかった、
大した書類は入っていなかったので、財布とカードだけの損害で済んだ、
たしか3万円くらいが入っていたはず、
金で済めばそれで良し、
書類とかデータが金よりも大事な人生で助かったと安堵したことを覚えている、
他人に迷惑を掛けることになるからだ、、


金魚すくいをした、
肩に掛けていたポーチが邪魔になり、金魚すくいの、あれはなんというのか、
小さなプールみたいな、赤色、黒色、出目金いろいろ泳いでいるその池の近くにあった木にポーチを掛けた、
金魚をすくっているうちにポーチを忘れた、
気がついて戻った時にはそのポーチは消えていた、、

携帯電話を忘れたこともある、
忘れたというよりもポケットから落としたのだろう、
無くしたことは無くしたのだけれど、自分の携帯電話番号を覚えていなくて届けようにも届けられない、
たまに電話していた友人に連絡を取り、
「おれの携帯電話番号わかる?」と言ってみた、
「あー、わかるよ」と即答、
「何番だっけ・・・、」
彼はその場で応えた、その応答があまりにも早いので”なんでそんなに早くわかるのか”少し違和感を覚え、
「なんで知ってる?」と訊いてみたら「だって覚えやすいから」と、、

先頭の3桁は090で、そのあとの番号がABCD-ABCEだったのだ、
つまりABCの部分だけ3つ覚えておけば電話できるということだった、

あああーーー、、、やっと自分の電話番号を記憶することができた、、

わかった自分の携帯電話番号に電話してみた、
もしかしたら誰かが出るかもしれない、もね、、

電話電話電話電話電話電話・・・、

「もしもし~」、
「はいはい」、
「あのー、そちらはどちらですか?」、
「こちらは日暮里駅ですけど」

写真は地元近くの寺 松月院の一齣
いかにも写真らしい写真であまり好きではないっっ (じゃあ出すなよ)

2011年10月23日日曜日

句会





土曜日は板橋区俳句連盟の秋季俳句大会、
うちの句会からも何名か参加し、そのうちの一人がぼくだった、
前もって2句を投稿しておいて、その2句に対し数名の選者が点をいれる、
点が多い順から表彰されるというわけだ、

竜胆の一叢立つやけもの道   に3点
原爆忌ムンクの口も開きしまま に2点はいり

計5点で15位だった、
参加人数107名中15位だから、かなりの好成績なのかもしれない、
去年は17位だったので、少し上にあがった、まあ喜ぶところなのだろう、

そのあとの慰労会でうちの句会からの参加者だけで会場近くの居酒屋で飲んだ、
名が知れたチェーン店なのだが、なんと昼の2時から開いていて酒が飲める、
その店に2時間くらいいて、ハイボールばかり4杯飲んだ、
よく飲むなあ・・、、

写真は名前のわからない花、
お気に入りのデジカメ、NikonD200で撮った、
ペンタックス、オリンパスといろいろあったのだがメインのカメラは結局Nikonになった、
もっとも、オリンパスのコンパクトデジカメとキャノンのも持っているのだけど、

リビアで元の政治的指導者カダフィなる人物が逮捕され銃殺されたと報道が、、
逮捕直後の血まみれの彼の身体が何度も映像で流された、
何度も殴られ血に染まった彼を裁判にもかけずにその場で撃ち殺す、
野蛮といって済む問題ではないだろう、

彼を信奉する人もなかにはいるはず、
憎悪からの報復は更なる憎悪を生み出すだけ、、

2011年10月11日火曜日

事故

 



実験をめぐって事故が起きた、

試験する物を通称=試験体というのだが、それを持ち帰り実験のために加工する業者が、それを加工途中で作業台から落としてしまい携わっていた作業員が足をつぶしたというのだ、
朝礼の第一報で報告されたため、みな仰天し、怪我はどの程度、生命はどうか、試験体はどうなったと、ちょっとした騒ぎになった、
骨折ではなく生命の危険はもちろんないと報告されたため、大事に至らなくて良かったと安堵していたのだが、、

作業終了時の夕方、加工業者の社長が突然現れて、事故のことは内密にして欲しいと懇願してきた、
試験体を台から落としたのは事実なのだが、足を打ったのは今回のこのことが原因でなく工場での他の仕事の中で起きたものに是非ともして欲しい、と、そういう内容だった、

事故で足首を怪我したということで、朝礼後に各所に連絡を回してしまったので、いまさらそれを変えるのは無理があるのだが、そこをなんとかと、何度も頭を下げる、
事故を起こしてしまうと軽くても始末書、悪くすると出入り禁止になってしまうことを恐れることからの必死の願いなのだろうけど、まいったなあ、、

社長は、落としたことは事実として認めるけれど、足の怪我は今回の落下事故とは一切関係ないと言い切る、もしそれがウソだとばれたとしても、皆さんが私にだまされたことになるから皆さんには迷惑を掛けない、と言う、

そんなに甘くはないよと言ったものの、とにかく怪我は今回のこととは無関係だとの社長の言葉を信じたフリをすることになった、、
どこでどうなるのか、この先わからないのだが、事故はなかったと言い切るからには労災扱いでなく作業員本人の健康保険扱いで処理するのだろう、

そのことで怪我をした本人が不利益を被らないのだろうか、
怪我による後遺症の問題、休業補償の問題などなど、なんら問題は解決しないで今後に持ち越される、、

次の実験は今週金曜日、実験そのものは粛々と進んでいく。。

写真は、吟行の際に見つけた白い彼岸花、
ちょっと珍しいでしょう、そうでもないのかなあ、、

2011年10月6日木曜日

その金は誰の手に






通勤途中の車の中で聞いた話、

1998年をピークに日本での給料支給額の総額は下がり続け、1998年時と比べ総額にして220兆円を超える給料が、これまでに払われてこなかった計算になるとの解説だった、
220億円ではない、220兆円・・・、もの金が勤労者から奪われた、

リストラという名の首切りが横行し、当たり前のように正社員を解雇し契約社員や派遣社員で置き換える、
チェーン店系の飲食店などでは責任者であるべき店長までもがアルバイトだったとの笑えない実態も報告されている、

経費削減のコツは人件費削減であるかとばかりに、厚生年金健康保険などのいわゆる会社負担の大きい社会保険料を計算するなら、正社員よりも安価に済む非正社員の方が会社にとってメリットがある、だから正社員には辞めて貰おう、そういう判断なのだろう、

退職を勧めるいわゆる肩たたきも、50歳代サラリーマンから既に40歳代へと移行しているとの話もきいた、
年収400万円以下の勤労者が全勤労者の58%を占めていると雑誌で読んだ、
税込み年収であるのなら手取りはさらに減るだろう、

この国で若い二人が出会い恋をし結ばれ子どもを産み育てるとして、どのようなバラ色の未来を二人の間で交わすことができるだろう、
少子化少子化と問題になり騒がれているこの国でなにかひとつでも少子化を防ぐ具体的な施策を眼にしたことがあるだろうか、

大人二人が満足に食えないのに(食うというのはただ腹を膨らますことだけではなく、本を読み映画を観、たまには旅行ができ休日がきちんと取得でき将来に不安なく暮らせることを意味する)、結婚できるわけはない、
家賃を払えば半分になってしまう給料で子どもを産めるわけがないじゃないか、

今、アメリカでは若者らの貧富の格差への怒りがデモとなって全米に飛び火している、その合い言葉は「ウォール街を占拠せよ」
強欲資本主義の象徴とされるあのウォール街だ、

まだ日本では目立った実力行動は見られない、しかし社会に対する不安、不平不満は多くの若者の心の奥深くに潜んでいる、
底が深い川ほど水面は静かなのだ、しかし確実に水は流れている、

いつそれが激流となって「日本のウォール街」を襲うのか、その時にはぼくも流れの一滴になって「壁(ウォール)」にひとつの小さな穴を開けてやろうと狙っている、、

※写真は仲良くお食事中のお二方、
彼らが生きている間はずっとご飯を食べてもらうのだ、

今日は実験の日

 
 




今回の仕事中、初の実験が始まる、
総数として4体、No.1からNo.4までと仮の名前を付けた第1号の試験なのだ、

装置の組み立てに1週間、センサーの取り付けに2日、やっと実験ができる、
繰り返し試験なので、ただ押すだけでなく押したり引いたりを繰り返しながら、振幅を増やしていき、変位何mm、荷重何kNで破壊するのか確認実証する、
実験開始は朝9時、実験時間はおおよそ10時間、途中で休憩も入れるので終了は深夜になるだろう、
毎度のことなので慣れてもいるし、大事な実験なので時間がかかることは当然のこと、夜遅くなったからといって辛くはない、
むしろどんな結果になるのか楽しみの気持ちの方が大きい、

きけばこの試験に使われる部材も原子炉建屋の補強の一部であるのだとか、
3.11以来、原子力がらみの仕事が減るのではと予想していたけれど、関係者の予想を裏切って、仕事は減ることもなくさほど増えもせずにあの時のまま続いている、

ぼくだけの生活の安定を考えればこのままずっと原子力関係の仕事が続いていって欲しいのだが、どこかで原発とは縁を切らなくてはならないのだろう、

開発のためでなく、廃棄に向けて高濃度に汚染された原発の残滓との付き合いが、人体に害を与えない安全な処理のための研究や実験が続いていけばよいと思っている、

写真は通勤途中で見つけた野の花、名前は例によってわからない、
可愛いよね、

2011年10月2日日曜日

秋祭り-子ども御輿

 


今日は秋祭り、大祭でなくて子ども御輿の日、
町会役員を以前頼まれて(マンション住人の輪番制、人格人徳は問われない)から、町会内に顔見知りができ、行事がある度ごとに手伝ってと頼まれる、

うちの町会は約120世帯と他に比べてこぢんまりとしている、
多いところでは400世帯あり、子どもの数も父兄の数も多い、
小さな町会だと御輿を担ぐ子どもの数も少ないので、子ども御輿にオトナが手を貸すことになる、
子ども-小学生以下の、しかも圧倒的に女子の参加が多い、
高学年の男子生徒はなぜかあまり見掛けない、うちだけの問題なのか地域の特性なのか、とにかくそういう傾向が見られる、

熊野神社の祭礼に属する祭りなので、奉納は神社に対して行われる、
神棚を設け、塩、米、酒はもちろん、秋の山海の味覚を並べ神様に捧げる、
並べ方には形式が決まっていて、右左の区別もしっかり付けられているようだ、
向かって右に塩なのか、米なのか、神様にあげるのだから、どうせ食べないし、どちらでも良いだろうと思うのはいけないようで、世話役が、米はそっちじゃないよ、と大きな声で若いお父さんに教えている、
で、写真のように、、

景気の良い時代なら山の幸といえば松茸、海の幸といえば尾頭つきの鯛と相場は決まっていたのだろうが、昨今のこの不景気、そんな贅沢はいえなくなったようだ、、

それにしても海の幸が煮干しって、、、
んーーー、、、

※山の幸に栗と胡桃(くるみ)が飾られていた、
栗はともかく胡桃の生の姿を知っている人も少ないことだろう、
青い殻にくるまれたままの胡桃、珍しいのでパシャっ、