初めてお会いした若手の神経精神科の医師だった、
今何を不安に思っていますか?と聴かれ、将来への不安を思ったまま口にした、
黙って聴いていた医師は、話が一段落すると、おもむろに、
発症した今回の病、そのなかで、今まで普通にできていたことが、できなくなったことで、自分の人間としての価値を否定しなくてもいいでしょう、
あなたが特別なのではなくて誰しもそうなったら普通に思うこと、未来に対する不安、心配、それらすべてそう思うことは人として当たり前のこと、私でも貴方と同じ立場になったらきっとそう思うでしょう、
それを聞いた瞬間、なぜか涙が、、突然、あふれて、、止まらなくなって、、
横を見れば連れ合いまで一緒になって泣いている、、
なぜなんだろう、なんで泣けてきたのだろう、
自分は病に負けるヨワイ人間、なんでも後ろ向きに考えてしまう消極的な人間、だと自問自答し叱っていた自分が、そうでないのだ、それが普通の当たり前の人間なんだと認められた安堵感、決してヨワイのではない、どこにでもいる、これまでと変わらない自分の姿をなんとか探り出せた喜び、そうなのか、そうだったのか、、、
それは決して強迫観念とか、パニックとかではなく、人間として当たり前に思うことであって、その感情は治療の対象にならないし、なってはいけないと思います、
貴方を苦しめている苦しさを取り除く必要はありますけれど、人としての当たり前の感情を強い薬で消し去るような治療はしてはいけないと思っています、
不安から逃れるために、それを強い薬で忘れるとか消し去るとかではなく、人間として当たり前の思いと向き合って少しずつ不安を取り除いていく、
そうした経験を得た精神は、今後、同じようなことがあったときにも強さを発揮するでしょうし、乗り越えたことは自信となって、これからの人生にきっと役立つでしょう、
薬は処方しますけれど、のむことによっていろんな不安を、10ある不安を7とか6に減らせれば、楽しいと思えることが少しでも長くなるように、少しずつ不安が減っていくような治療薬を処方したいと思う、
また、もしこの薬が合わなければ、いろいろな薬がたくさんあるので、貴方に合う薬を確かめながら処方していくつもりです、
神経精神科、受診してよかったと思う、
こういう医師もいるのだなあと、感激した、
患者の話をよく聴く、相手が何を思っているのか十分に時間を取り話をさせる、心の中をできるだけ読み取るようにする、
診察予定時間を大幅に超えて待たされた怒りが、なるほどこういう診察なら時間も超えるのだなあと納得してしまった、
「この病気COPDの患者さんは、手足が不自由になったわけでは決してありません。毎日の運動、あなたに合った運動療法を続けることによって、以前と同じような生活を維持できる、そのことが十分可能なのです。
大切なことは、無理をしないこと、毎日続けること!」
この医学者の言葉を胸に、運動療法を続けていくのだ!
次の受診は今月22日、気がついたら週に一回大学病院での診察があるではないか、、、
んーーー、、、
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