ラーメンの原型は中国から伝わったのだろうが今や完全に日本食化し、日本中のあらゆる町や村でラーメン店を見かける、
日本蕎麦屋がなくてもラーメン店はある、ことに違和感も覚えない、
味噌味、醤油、塩、豚骨とスープの味もさまざま、
麺も太いの細いの中くらいのもの、縮れた麺、棒のように真っ直ぐな麺、さらに具や薬味の種類で分ければ千や二千を軽く超える種類があるかと思われる、
トマト味のスープ、チーズ味のスープ、コカコーラ味のスープなんていうのも昔、あった、
北海道札幌でみかけた、タラバガニラーメン、毛ガニラーメンには、それぞれ丼の上にタラバガニが、毛ガニがどんと載っていた、、
ラーメン好きとはいえ、おたくでも評論家でもないので、詳しくは専門誌にまかせるとして、東京東池袋に大勝軒というラーメン屋があった、
山岸さんという主人が営んでいたもので、弟子に店をゆずり以前とは少し離れた場所で現在も営業を続けているラーメン界の伝説とでも呼ぶべきお店、
山岸さんは長年のラーメン作りで腰を痛め、今はたまに店に顔を出す程度なのだとか、
ぼくも引っ越す前の店に三回ほど食べに行ったことがあり、その穏やかでにこやかな顔つきから生み出される、人柄そのままの味わい深いラーメンを美味しくいただいた、
彼のエッセーを図書館から借りて読み、肯くことが多かったので、その中から少しを紹介しようかと、、
ラーメンはスープの味で決まるといわれ、それはそうなのだがと、前置きのあと、
できあがったスープが気に入らないといって、その全部を捨ててしまうラーメン店がたまに雑誌などで紹介される、
プロなら捨てることが当たり前であるかのように持ち上げる論調、風潮の中、はたしてそれは(捨てる行為は)、店として、ラーメン作りの職人としてどうなのだろう?というのが、山岸さんの意見、
できたスープを何度も捨てるようでは、そもそも味が定まっていない、
味ができあがっていないようでは、店を開く技術がまだできていない、
きちんと修行し直し、自信がもて納得いく味ができあがってから店を開くべきだろうとの、まさしく卓見、
気に入らないものをなんとか直し、お客に出せるようにするのがプロの職人の技、、
食べるのを楽しみにして来てくれたお客さんに対し、スープができなかったので店は閉めますと追い返してしまうことは、お客さんに申し訳ないことだ思う、
スープに溢れている生命の問題でもあるのです、、、
豚、鶏、魚、多くの野菜、海草などなどたくさんの生命をいただくことでスープはできる、
スープを捨てるということは、それらのたくさんの生命を無駄にすること、
それは私にはできません
佳い話でしょう、
美味しいものを安くたくさん食べて欲しい、
氏のラーメン作りの原点はまさにそれだったと、どこかで述べられていた、
並盛りでも麺の量が多いのはそのせいだとか、
修行させて欲しいという弟子のほとんど全員を快く迎え入れ、惜しげもなくラーメンの作り方を教え、北海道から沖縄まで、山岸さんから教わった弟子たちが営むラーメン店が今日も店を開けている、
「美味しいものが、世の中にあることはいいことですから」
そんなに簡単に秘伝を教えてお店にとってマイナスではないですか、とのインタビューアーの質問に応え、淡々とそう話す山岸さん、
結局、最後の味の決め手は、ラーメンに対する愛情なのだと、愛情に関しては弟子の誰にも負けないはずだとの自信の表れなのだろうか、
にこやかなその笑顔は、今までもこれから続く毎日も修行の毎日、自信だなんてとんでもないと、言っているかのよう、、
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