今月8日にサッカーのJ1リーグ、浦和レッズ―サガン鳥栖戦が行われた埼玉スタジアム(さいたま市)で人種差別とも受け取れる垂れ幕が掲げられた問題で、Jリーグから無観客試合開催などの処分を受けた浦和は13日、浦和サポーターが横断幕や旗などを掲げることを全試合で当面禁止すると発表した。
さらに垂れ幕を作成した3人が所属する応援グループの約20人を、浦和の全試合で無期限の入場禁止とし、淵田敬三社長は、役員報酬の20%を3か月間自主返納する。
垂れ幕は「JAPANESE ONLY」(日本人のみ入場可)と書かれ、熱心な浦和サポーターが陣取るゴール裏観客席の入場口に、グラウンドとは反対向きに掲げられた。作成した3人は浦和の調査に対し、「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち、特に外国人が入って来るのは困る」などと説明したという。
net情報 より
「一糸乱れぬ応援をしたいのに、外国人達はそれに呼応できない。応援が乱れる・・・」
この勘違いサポーターの一人の、こういう意見もどこかで見た、
ここで応援歌を歌う、ここで応援旗を揚げる、特定の選手への応援コールをここで行う、
などなど、誰かによって定められた形式的な応援を、それができないからといって、ある人々を排除するというのなら、外国人ばかりでなく、日本語をうまく話せない日本人、日本語をうまく聞きとれない日本人、手を揚げられない日本人、口に出すことが困難な日本人、歩行困難な日本人をも排除することにならないか、
Japanese Only は人種差別ではない、人間差別なのだ、
人間排除ともいえるこの言葉の冷酷な本質に、アホサポーターたちは気が付かなかったようだ、
Jリーグの発足当時の日本サッカーの実力は、世界的レベルには程遠かった、
南米やヨーロッパの強豪チームとは、体力、個人技、戦術眼、戦略、支えるサポーターの層の厚さ、何よりもサッカーの歴史、そのすべてにおいて劣っていた、
Jリーグの発足当時、どのチームも、力のある外国人選手獲得を目指したし、その状況は今でも変わっていない、
鹿島アントラーズにはブラジルの至宝といわれたジーコ選手が、選手としてコーチとして監督として参加してくれた、
彼の直接ゴールを狙う華麗なフリーキックによる得点を、まぐれじゃないの?と、その国際レベルの技術の高さがわからずにほざいていた観客や選手もいた、
何度もゴール決めるのを目撃し、やっと、まぐれではなく、驚異的な身体能力とそれを支えるものすごい練習量の賜だと気が付いたのは、Jリーグ発足の数年後、、
そんなお気楽な日本サッカーだったと記憶している、
Japanese only というのなら、これまでにどれだけ外国人選手たちが、日本サッカーに多大な貢献をしてくれたのか、何人かを列挙してみよう、、
以下、(貫井康徳@dcp)より、抜粋
●ドラガン・ストイコビッチ
名古屋グランパスエイトで過ごし、その後同クラブで監督としても活躍したストイコビッチ。「ピクシー」の愛称でもおなじみですね。グランパスに来る前は、フランスの名門・マルセイユ所属時にUEFAチャンピオンズカップで優勝するなど、輝かしい実績を挙げています。
●ピエール・リトバルスキー
華麗なドリブルテクニックと高いシュートテクニックを武器に、ドイツの名門・FCケルンや西ドイツ代表で活躍したサッカー選手。Jリーグ開幕の1993年にジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に移籍し活躍しました。
●ドゥンガ
ブラジル代表として3度のワールドカップに出場した大物選手。1994年大会では見事優勝し、ベストイレブンにも選ばれています。1995年にジュビロ磐田に入団し、強烈なキャプテンシーを発揮しクラブをけん引しました。
●ラモン・ディアス
アルゼンチン代表としてワールドカップのスペイン大会に出場、またクラブレベルではナポリやインテルといったセリエAの名門で活躍した名ストライカー。Jリーグの創成期に横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)に移籍し、初代得点王になるなど日本でも活躍しました。
●ミカエル・ラウドルップ
セリエAのユベントスやリーガ・エスパニョーラのバルセロナ、レアル・マドリードといった世界トップの名門チームで活躍した元デンマーク代表のサッカー選手。キャリア晩年の1996年に当時2部に所属していたヴィッセル神戸に移籍し、1部昇格に貢献しました。
●カレカ
イタリアの名門ナポリで、あのディエゴ・マラドーナとのコンビで得点を量産した、元ブラジル代表のストライカー。ワールドカップでも活躍しました。1993年にナポリから2部所属だった柏レイソルに移籍し、1部昇格に貢献。
●ベベット
高いスピードや抜群の得点力を武器に、ブラジルの国内リーグやスペインのリーガ・エスパニョーラで活躍した元ブラジル代表選手。1994年のワールドカップアメリカ大会では7試合に出場し、優勝に貢献しました。2000年に、ブラジル代表経験者を多く迎え入れてきた鹿島アントラーズに移籍。
●レオナルド
ジーコをはじめとする、ブラジルの名選手が多く在籍した鹿島アントラーズですが、サポーターに非常に愛された存在としてレオナルドは外せません。1994年にアントラーズに移籍する前は、ブラジルの名門サンパウロやスペインのバレンシアに所属、またワールドカップでも活躍していました。
●ゲーリー・リネカー
1986年のワールドカップメキシコ大会で得点王のタイトルを獲得した、代表通算48ゴール(イングランド歴代2位)の記録を持つ元イングランド代表のストライカーです。名門バルセロナや、イングランドのトッテナムで活躍した後、1993年に名古屋グランパスエイトに移籍。
まだまだ大勢の有力選手たちがJリーグに在籍していた、
ここで揚げた選手はほんの一部の選手たちなのだ、
JAPANESE ONLY ?? 笑わせるな!!!
0 件のコメント:
コメントを投稿