2014年1月26日日曜日

セクシーアイドル

というのか、グラビアアイドルというのか、細かな話はわからないのだが、最近、評判になっている壇蜜さん、
純和風な顔立ちと、それを裏切るかのようなグラマラスな姿態で、中年以上の男性方に特に人気があるのだとか、、

どこが好いのか、平凡な顔立ちにぼくは思えるのだけど、色っぽい艶っぽいということらしい、

で、うちの相方・・、

あなたもさあ、ここらへんではダンミツだよね
そう?ありがとう(嬉)

いや、お腹が段三つだからさ・・、

お後がよろしいようで(笑)。。


2014年1月23日木曜日

HONZI

本地陽子さん、乳がんのため5年前に40歳にて他界、
あれからもう5年も経ったのだなあ・・・、

なぜかとても気になっていた人、
会ったことも、もちろん話したことも、手紙を交換したこともなかったけれど、会って話をして手に触って声に耳を傾けたかった数多くの中の一人の人だった、

バイオリン、アコーディオン、ピアノ、彼女が演奏した楽器はさまざまだったけれど、彼女が残したもの、声を通して伝わってきたもの、奏でたものの一つ、
それは、
誠実さや優しさ、人間がもっている多くの美しいもの、、

音楽のすばらしさ、限りある人の世にそれでも命を永らえることの価値をあらためて伝えてくれたHONZIさんの冥福を心から祈ります。



歌は、佐渡山豊さんのドゥチュイムニー(独り言) ヴァイオリンはもちろんHONZI

歌からは沖縄が伝わってくる、
意味がわかるヤマト言葉よりも、半分も意味がわからないウチナー言葉から、より熱いものが伝わってくると感じるのは、なぜだろう、、

沖縄に浅くない縁があるぼくにとって、立脚する位置を思い起こさせ、常に原点に立ち返ることを可能とさせるこの歌、
HONZIの好演とともに大切にしていきたい歌、、




2014年1月19日日曜日

明日から仕事

一週間休んでしまった、

連れ合いの具合が悪くなって(血圧が最大で80・・!)寝込んでしまい、その付き添いということでこちらも休んでいた、

はじめ、耳鼻科に行き、急性蓄膿症だといわれ(頬のあたりが痛み鼻がピリピリと乾くような気になったかららしい)、薬をもらってきたのだが、その薬をいくらのんでも治らない、
病院を変え、近所の内科専門医にいったところ、ウイルス性腸炎だとの診断だった、
急性蓄膿種症の薬をのんでも治らないわけだ、、

病気の治療において初期の診立てがいかに大切か、この一事をもってしてもわかる、

先週の月曜日から金曜まで、現場ではあれやこれやと、忙しい作業があったのだが、すべてキャンセルして若い人に頼り任せた、
電話連絡したところ、うまくいっているので心配しないで、ということだった、
言葉をかえていえば、ぼくが一週間いなくても現場は滞りなく進行するということ、
負け惜しみでなく、それでいいのだ、、

いつまでも老体がでしゃばることはない、
60歳を過ぎたら、若い人に道を譲るのが、譲れる若い人をつくるのが努めでもあるのだ、



2010年2月から始めた句作、この前整理し、全句を列挙しプリントアウトしてみた、
俳号は、主宰からいただいた山河をそのまま踏襲しているので、山河全句集と名付けてみた、
柔らかい書体を選び、A4サイズの用紙一枚に15句あまり打ち出したら、なかなか佳いものがあった、

初期の句には、キャーっと悲鳴を挙げたくなるような句もあるのだが、それはそれなりに句作の時代をしのばせるものでおもしろい、

4年間で、12×5×4=240句もできたわけだ、
選び、推敲し、50句ばかりで句集でも作ろうかと、、
春夏秋冬新年、5季で10句、50句でどうだろう、

パソコンとプリンターがあり、作本ソフトがあれば、句集くらいは難しくなくできそうだ、
町の印刷屋が倒産するわけは、こんなところにあるのだろう、

句の背景に見合った写真も入れたかったのだが、この前、ハードディスクが壊れて、数年分撮りためた写真が消えてしまった、
ディスクのゴミ化していた画像だったけれど、季節ごと自然やら町の風景やら人物など、いろいろあった画像、、
全て無くしてみると、句集を作ろうと思っている今だから、惜しい気持ちが湧いてきた、

勝手なものだ、、






2014年1月13日月曜日

お褒めのことば

句会で、、

初旅は火の国父祖の立ちし土地

主宰から天賞をいただきました、
過分なお褒めのことばで、

「んー佳いね、とても佳い、わたしの句会からこのような句が生まれるとは、正直おどろきました」
火の国も、父祖ということばも、立ちしという文言もすべて無駄もなく類想もない、季語の「初旅」を生かしていますと、いわれました、、

自信があった句だけれど、褒められると素直にうれしい、
じつは自分も、褒められて伸びる子なのかもしれない、、

ちなみに、主宰の天賞は「焼海苔」でした、

※いま、通っている現場には、現場の持ち主がお金持ちなので、庭には、サッカー場やゴルフ場テニスコートやバレーボールのコートもある、
その片隅に、柑橘類が3種類、金柑や名前のわからない蜜柑や、冬なのに夏蜜柑も生えている、
だれも採らないので、昼休みを利用して採ってきた、
重量にして4kgばかり、、

蜜柑のようなものを、地元の友達に「これは、おたふくっていう、とても甘いから」と勧められ、、
帰宅して食べたら、顔が45度曲がりました、、
酸っぱいのと苦いのと、香りはステキなのに、その味は、、

とても食べられるものではない蜜柑だったけれど、ぼくは食べ物を粗末にすることはできない、
すべての作物は生命で、人間の業は他のいきものの命をいただいて生きているのだから、採った以上はなんとかこれを食べようと、また焼酎に漬けてみました、

おたふく蜜柑2kg、角砂糖400g、瓶の容量5リットル、あまった隙間に35度の焼酎をどばどばと、
半身に切って漬けたので、たぶん2週間くらいで漬かるはず、
いつか漬けた梅酒も10リットルまだ残っている、今回また蜜柑酒5リットル、
自宅ではいっさい飲まないので、ただただ作るだけ、

長女が来たらまた持っていかせよう。。







2014年1月12日日曜日

明日は句会


兼題は「初旅」 新年初めての旅のこと、だろうと思う、、

昔は・・、40年も50年も前、さらに何百年もの昔は、旅というのは限られたお金持ちの道楽だったのだろうと思う、

明治37年生まれのぼくの祖母は、熊本の地元、球磨郡西ノ村久保から一切足を伸ばすことはなかった、と思う
彼女は、熊本県熊本市はおろか、鹿児島にも宮崎にも行ったことはなかった、、と思う、

「眞ちゃん(ぼくの本名)、どぎゃんこつがあっても鹿児島には行きなんなよ(どんなことがあっても鹿児島には行くなよ)」
「ばあちゃん、なしゅうかにゃあ?(なぜかなあ?)」
「鹿児島には鬼が住んどっとよ(住んでいるのよ)・・」
そう言ってはばからない祖母だった、、

鹿児島には鬼が住んでいるから行くなと、可愛い孫(ぼくのことです)に言って聞かせる、それは1964年、前の東京オリンピックの年だった、だからそんなに昔の話ではない、のだ、

今は、新婚カップルや高校大学の卒業生らが、平気で、なんのためらいもなく、ハワイとかアメリカ西海岸とか、エジプト、トルコに行く時代、
「初旅」の、旅にかける悲壮な?決意、生きて帰れるだろうかとか、野蛮な人食い人種に食われるんではなかろうかとか、そんな心配はしなくて、どんどん旅立っている時代、、

その時代に、初旅という俳句の季語の存在価値も、理由もないのではないかと、ぼくはそんなことを考えている、
どこの句会に参加しても、杖をついて参加してくる、じいさんばあさんばっかりで、10年後20年後の句会の存続が危ぶまれる今・・、
いまさら、初旅でもないのだと思う、のだがどうだろう??!!

初旅は火の國父祖が立ちし土地

土地を邦とか、地所とか国とか場所とか地府とかいろいろ考えたのだけれど、どれも大げさだったりしっくりこないから、あたりさわりのない土地に落ち着かせたのだ・・、

もちろん、火の國というのは熊本のこと、
初旅として行ったことはないけれど、俳句を作るのだったら、まして、初旅ならば、熊本でしょう、
そんな気持ちから、この句がうまれた、、

我ながら名句だと思う てへっ









2014年1月5日日曜日

人生いろいろ ?

いろいろあっても、やはりこのひとにはかなわない・・、

寝正月 だよっ



正月のお節にも飽きて、チェーン店の珈琲、
自宅のそれとそんなに変わらないけど、気分は外で飲みたい気分だったから・・、
そんな気持ちのときってあるでしょ?





2014年1月3日金曜日

初詣

新年がきました、
世間一般の”おめでとう”ということばは、ここでは云わないと、いつかも書きました、
祖父母を失い、その葬儀のさなかに財布を落とし、帰宅したら家が焼けていたという、おめでたくない人も多分いるからね、

大晦日深夜に初詣に行ったこともあったのだけれど、寒いときには身体が心配なので遠慮して、昼間の元旦、暖かくなってから詣でることも多かった、
今年もその通りで一日の初詣となった、

何時(なんじ)に行っても、同じような混み方をしている地元の熊野神社、いつも小一時間並ばされる、
初詣のマナーとして、必ず一番最初には地元の神社仏閣を詣でること、それから、あちこちの明治神宮やら浅草寺にいくことと教わり、それ以来ずっと教えてもらったとおりに地元に参っている、

破魔矢、守り札を求め、そのまま歩いて地元駅まで出向き、カルディという店でチョコレート菓子、チーズを買って帰宅した、
この店ができる前は、この同じ場所に長男と同級生だった子どもの父母が料亭を営んでいた、
店先には生け簀があり鯵が泳ぎ鮑がへばりついていた、
二階には50人が入る宴会場があり、一時は盛大に栄えていた、

なんでも女将の祖父が株で失敗し、それが原因で経営がうまくいかなくなったのだとか、
嗚呼、栄枯盛衰、

今年もよろしくお願いいたします。