2013年11月29日金曜日

60% or 100%

昔、今から8年くらい前、将棋をしながら知り合った女性の友達がいた、
名前を、ひろみさんといい、とてもクレバーな人だった、
ここで英語みたいな日本語みたいな、身についていない単語を使うもどかしさ、

頭がいいとか、仕事ができるとか、そんな常用の日本語では伝わらない彼女だったので、つまりCoolな人だった、
お互いに世帯があり、向こうには夫もいて子どももいて、こちらだって似たような状況、
そんな二人が居酒屋にこもり、夕方6時から夜中の12時まで、話し笑い身をのけぞらし涙を流し世の中に憤慨しバカなやつどもを嗤いののしり、日本の未来を憂い、地球の将来を楽観視していた、

男女間で友情は成立するのか、
女性解放運動で男性がその役割の一端を担えるのか、
注文したものは残さないで食べましょう、とか、いろいろな話を、、

イギリスの野原に寝転び青空を見上げながらぼくらは革命のことについて語り合っていた、という
レノンの歌のとおり、時間を忘れて、時には顔を30cmにも近づけながら飽きもしないで語り合っていた、、

自分の亭主よりもステキな男性は世の中にいくらでもいるのよ、
でもいちいち、そのたびに心を動かしていたら家庭なんか成立しないわ、
結婚するということは、自ら選んだことに責任をもつということ、
責任をもった結果、たとえ理不尽な、はたまた不幸な世界を覗き見たとしてもそれは自分のせい、
それがわかれば結婚できるわよね

子どもを可愛すぎるということはない、可愛がって困ることはない、いくらでも可愛がっていい

信じることに際限はない、
信じて信じていくらでも信じればいい、もし途中で信じられなくなったのなら、それは最初から信じてはいないということ、

そんなことを言ったり聞かされたりしたことを、今でも思い出すのだ、、、

100%合う異性をもし見つけられたら、居るかもしれないもね、それは幸運、
でもたいがいの男女の普通は、見つけることはできないで一生を終わる、
だから、自らの責任において60%合いそうな相手を選ぶのだ、
もし違っていたら、おめがねに適わないのだったら、自分の眼を呪え、、


Well Well Well





2013年11月27日水曜日

今日は休日

水曜日の今日、現場仕事が一段落し、休日となった、
今週は、明日と明後日、木曜日と金曜日に仕事があり、来週は月曜日に行けば木曜日までは仕事がない、

つまり、週のうち、3日か4日働いて、あとはお休みというわけだ、
若い人は毎日仕事をしているのだが、ぼくができる仕事がその日にはない、ということ
現場にでれば請求金額が発生するので、休めるのなら休んだ方が経費がかからない、

老年を迎えたぼくがお金を持っていくよりも、若い人に少しでもお金がまわるよう、
そんな気持ちもどこかにある、
体力的にももちろん、楽だということもある、

明日が休みだと思えば、前の晩には少し遅くなっても本を読むことができる、
朝はゆっくり起きることもできる、

年金生活にはまだ少し時間があるのだが、こうして過ごしながら毎日が休日になるという年金生活の予行演習をしているかのようだ、

二人合わせて月に27万円ほどの年金支給額、2ヶ月に一回55万円に幾らか不足する額の年金が振り込まれるのだという、
多いのか少ないのかわからないのだが、どちらにしても、その金額の内で暮らしていくのだろう、

本は図書館で借りて読み、外食を控え自宅で食べる、
そんなことくらいしか思いつかない、

今までもけっこう美味しいものを食べ、酒も飲んできた、
いまになって、あれが食べたいとか、これが欲しいとか、そんなこともない、
高価な装飾品に興味も趣味もない二人なので、そちらへの欲もない、

人はなぜ生まれどこへ行くのだろう、生きている間にそのこたえが見つかるのだろうか、
そのこたえが見つかるのか見つからないのか、いずれはっきりする時期がすぐそこまで来ている、
そんな気がしながら、今朝はキーボードを叩いている、、



2013年11月24日日曜日

ターナー展

秋晴れ?季節としては冬の今日、上野までお出かけ、

「英国最高の巨匠、待望の大回顧展」と称したターナーの作品を見に東京都美術館まで行ってきた、
日曜日の上野は親子連れを中心に人出も多く大混雑、
動物園目当ての親子たちを追い抜いて、少し奥まったところにある東京都美術館へ、

ターナー氏の、青年時代の習作をふくめ、大作秀作を鑑賞しながらおおよそ2時間、久しぶりの絵画鑑賞を楽しめた、

絵画の知識はないので、なるほど、ふんふんと言いながら回ってはみたものの、たぶん作品の良さの十分の一も理解できてはいないはず、
まあしかし、たとえ理解できなくても、実際に足を運んで実物を見ることが大切だと思っている、

緻密なデッサン力に目を見張る青年時代の習作から、評価も固まりスポンサーも付き脂の乗りきった壮年時代の大作、描きたいものを自由に、一見抽象画にも見受けられる柔らかに省略した筆使いと色の選択に至った老年時代まで、
nattyさんがここに居たら、教えてもらうことも多々あったなあとの感想を胸中に収めながら、、

誰が保存したのか、下絵のような、練習のようななぐり描きまで展示されていた、
生涯に残した作品数はおよそ2万点にのぼるのだとか、画家という職業は、その人生は、一生絵を描くことに費やされるのかと、その数の多さに驚いてしまった、
しろうとのぼくには、途中で飽きないのだろうかと、そんな疑念さえ湧いてきてしまう作品数なのだ、

好きでなった画家の道、絵を描くことが好きで好きで仕方がないターナー氏だったのだろう、
まともな仕事を少しすると、すぐに酒を飲むことに気がいってしまうぼくには無縁の世界がそこにある、
あらためて、そんなところにも感心してしまった、

帰りはアメ横まで行き、いつもの韓国料理店「古家」で遅い昼食、
ぼくはユッケジャンクッパ定食、連れ合いは石焼きビビンパ定食と、これもまたいつもと同じ食事となった、


画は「ヴァチカンから見たローマ」と題された大作、、
青空と明るい光が中心から溢れ出ている、
何号なのかわからないのだが、実物はかなり大きな絵だった、


2013年11月21日木曜日

訃報

今日、訃報が二通届いた、

亡くなった妻の実家の本家にあたる、通称「本家のおとうさん」の死を知らせるもの、
血はつながっていないのだが遠縁にあたるおばさんのもの、

本家のおとうさんは82歳、おばさんは89歳
どちらも男女の平均年齢を超えている、その意味で大往生といってもいいだろう、

本家のおとうさんには、私もだが、子どもたちも大変お世話になった、
子ども達がまだ年少の頃、顔を見せにいくたびに、小遣いだ、お年玉だといってお金を呉れた、
帰るときには「みやげだ、持っていけ」と、米を渡された、

新潟のその地域では、先祖を同じにする親戚遠戚の集団を巻(まき)といい、冠婚葬祭などの集まりには巻で動くのだが、本家のおとうさんは巻の長でもあり、また長に相応しい財と人格を備えていた、
「だからよく借金の保証人に頼まれるのよねえ、イヤになっちゃう」
次女からそう聞かされたことがあった、

人の好い彼は、一切ことわることもなく大様に引き受けたのだとか、


おばさんは、義理の祖母が、戦災孤児だったおじさんを「拾って」きて育てた、その連れ合い、
この義理の祖母というのは、育てた子どもたちを幼いうちから学校にも通わせず奉公に出し、その給金を奪い取ることで自らの生計を立てていた、あまり性質の良くないおばあさん、
子どもが親の面倒を見るのは当たり前だ、そういってはばからない義理の祖母だった、

「働いても働いても、おっかさんが給料日前に持っていっちまう、あれには本当にまいった」
お酒をのんだおじさんが、涙ながらにそう話したことが何度もあった、
そのおじさんも、もう何年も前に亡くなっている、

その話を結婚してからきかされたおばさんは、義理の祖母にも、その娘である義理の母にも敵対心をもっていた、
良い印象をもつわけがない、

おじさんおばさんには、二人の娘がいて、長女がぼくと同年だった、
背がすらりと高く、目元が涼しげなこの長女とぼくは気が合い、小学校時代に何度か互いの家を行き来し、一緒に寝泊まりしたこともあった、
蚊帳をつった布団の中で、いつまでも語り合っていた二人を次女がねたみ、枕を投げつけられたことがあった、
次女は気が強く、長女はしっかり者だというのがぼくの初対面からの感想なのだが、後年、これがほぼ当たっていると知った、

久しぶりに長女に電話し、来年3月の再会を約束した、
姉妹の間のぎくしゃくは両親の死を前に、財産のことでまた再燃しているのだとか、
「いろいろ聞いてほしいの」、電話の向こうから話しかける長女の声は、子どもの頃と少しも変わっていなかった、

あれから50年も経っているのに、、、



2013年11月14日木曜日

ななみちゃん

以前、同じマンションに住んでいて知り合い、引っ越ししていった松本(仮名)さん夫婦と、たまたまバスの中で出会った、
うちは4階の401号室、彼らは同じ棟の5階501号室に住んでいた、

エレベーターが設置されていないうちのマンションでは、若い夫婦しか5階では暮らせないのかもしれない、
そんなご夫婦に女の子が授かり、それが原因となったのか別のマンション(たぶんエレベーター付きの)に、移り住んでいったのだと思う、
毎日の買い物に赤ちゃんの世話、いくら若いお母さんだとはいっても、片手に荷物、もう一つの手に赤ちゃんでは、お母さんの体力的疲労や精神的苦労も大変だっただろう、

その時生まれた赤ちゃんも、きけば5歳になったのだとか、
生まれた時も可愛い赤ちゃんだったのだが、久しぶりに会ったななみちゃんは、少しだけ大人になって、ますます可愛くなっていた、

で、何年かぶりに会った、ななみちゃん、との会話

「今日はどこへ行ってきたの?」
「二つも三つも行ったから、どこへ行ったのって訊かれても、わからないよ」

と、5歳のななみちゃんの返事、
「そ、そうだねえ・・、」

おんなの子は、いつまでも甘えっ子の男子よりも成長するのが早いようで、すっかり大人の会話になっていました、、

以上。。








2013年11月8日金曜日

文学フシギ帖

「文学フシギ帖」―日本の文学百年を読む 池内 紀 著 岩波新書1261


学生時代の級友、中村君は毎日一冊の岩波新書を読破することを日課としていた、

承知のように、岩波新書といえば、政治経済文学音楽絵画ドキュメンタリーなどなど、さまざまなジャンルを網羅した我が国の出版文化の一部を代表するかのような有名な新書群、、
中には意に染まらない記述もあるだろうし、まるで興味のない内容もあっただろうけれど、とにかく、なんでもかまわないので一日一冊を読了するために、彼は毎日数時間を費やしたはず、、

読もうと思った動機は、教養を増やすとかなんとか、そんな軽いことからだったと彼から直接きいた覚えがある、
奈良県出身で、同地の県議を父親にもつ比較的裕福だと思われた彼、
他の学生のように家庭教師やら日雇いやらのアルバイトをしなくても済み、毎日数時間を岩波新書を読むためだけに費やせる彼の生活を羨ましく思ったことを記憶している、

そのことが頭にあって、最近の図書館通いでは、行くたびに2冊か3冊の岩波新書を借りることにしている、
手元に置きたいほどのお気に入りが見つかれば、amazonの中古本で買う、

ぼくの本の読み方をあえて説明するなら、理科系の本と文化系の本とを必ず混ぜて読むこと、そのことを常に意識して借りたり買ったりしている、
俳句の本と星座の本、流行りのエッセーと化石採掘の本、ロシア文学と化学の実験の本、とまあ、そんな具合に、、

頭を一つのことに狎(な)れさせない、ふりがなを振ることもないのだが、そんなことを意識している、

で、ここまでが前振りの部分、ここからが本題、これも一々ことわらなくてもよいのだが、いちおう、、

前述したように、借りて読んで手元に置きたくなれば買うのだが、借りて読めばそれで済んでしまい、後からわざわざお金を出して買って再度読むこともない本ばかり、、

標題の本は、初めて買うことに決めた本、
文学好きだったり、興味がある人ならお薦めの本なのだ、、

日本の文学百年を読む、と傍題にもあるとおり、
鴎外、漱石、露伴、子規、啄木からはじまり、宮沢賢治、佐藤春夫、内田百閒、久保田万太郎、永井荷風、坂口安吾、太宰、井伏鱒二、江戸川乱歩、三島、川端、深沢七郎、開高健、手塚治虫、池波正太郎、寺山修司、村上春樹と、

数え間違いがなければ、上述以外にも計51名の作家、著述業者たちの、あまり知られていない話が取り上げられている、

図書館で借りたり買ったりして手に入れたならば、本題に入る前の「はじめに」の部分から精読されることを勧めます、

「読み方を変えてみると、ガラリと表情を変えないか。それまで見落としていた登場人物に気が付いて、目からウロコが落ちたように思った・・」著者が綴った、日本文学のさまざまな顔、顔、、

鴎外と高利貸し、漱石と狸、啄木の臨終、晶子と「世界の標準」、藤村と道化役、宮沢賢治の広告チラシ、内田百閒と借金、林芙美子23歳、江戸川乱歩の犯罪、三島由紀夫の「宴」、開高健と飢え、池波正太郎の「御馳走」、寺山修司のパロディ-、村上春樹の自由、

取り上げられているいくつかのタイトルを記してみた、
ねっ、興味が湧いてきたでしょう?えっ、こない?あら、そう、文学に興味がないなら仕方がないよね(苦笑)、、

2013年11月5日火曜日

ホンジ

本地陽子さん、、逢いたかったあー、

今日、やっと逢えて嬉しい、、



からっぽの世界、この歌のオリジナルな世界が好きでした、
iPodTouchに入れて聴いている曲に、同じ作者の「ラブ・ゼネレーション」が、、
詩と曲と、彼にしか描けない世界が広がり、何十年も前の曲だとは思えないほど
新鮮さにあふれています、

アコーディオン奏者としての彼女の動画はみたことがあったけど、本業?の
バイオリン奏者としての彼女の画を初めてちゃんと見た、
情感こめた本地さんの生の声も聴くことができて、感激している、
38歳、乳がんのためにこの世を去ったホンジ、
もっともっと生きていてほしかった人の一人なのだ、、


2013年11月1日金曜日

今日は病院

採血のあと、CT、、

採血を右腕でしたので、CT用の造影剤注入を左腕にしてもらった、
それがあまりうまく刺さっていなかったようで、再度右腕でやり直し、
「今日は3度注射されましたね」と、医者が・・、
あのー、失敗したのはあなたなんですけど、、

帰り際、若い女性看護師さんが「いろいろすみませんでした」と、頭を下げた、
可愛い子だったから、まあいいか、、

明日は板橋区俳句連盟主催の秋季俳句大会の日、
参加者各人が前もって二句投句してあり、せんせい方がその中から佳かれと思うものを選句、
明日の大会というのは、その発表の場、
得点の多い順に、区長賞やら区議会議長賞やら、俳句連盟会長賞の天地人賞などが授与される、
賞品の中身は、区内で使える商品券で、500円から3000円ほどの額が入っているらしい、、
(参加費が二句千円なのだ)

去年から区内の小学生中学生にも投句のお願いを始め、たくさんの応募があった、
今年はそれら子ども部門だけで2000句以上もの作品が寄せられ、その選句に四苦八苦(俳句だけに・・、ぶっ)しているのだとか、、

大会が終わると、大山駅周辺の居酒屋で一杯やるのが恒例、
それが楽しみで参加する方もいる、
俳句と酒は、山頭火、久保田万太郎氏の例をもちだすまでもなく、切っても切れない縁がある、
ほろ酔い気分で即興で作った句がすべて佳いということもないのだが、たまに佳いのができる、
酒はいいよね

湯豆腐や いのちのはての うすあかり  万太郎

どんな酒の味がしたのだろう・・、、、