40歳になった時には、ノーベル文学賞の受賞者として世界的な名声を博しているはずだった、
なっていなかったので、40歳の誕生日その日に愕然としたことを覚えている、
それ以降、文学の才能はないと気づき、平和活動なるものに精を出して、ノーベル平和賞をいただこうとした、
それなのに、別の精を出してばかりで、平和活動に熱心に取り組むこともなく、たまに国境の無い医師団とかに寄付をしただけで、この歳になってもいまだにノーベル賞には縁が無い、
3度の死にそうな交通事故、2度の死にそうな水難事故、何度も死ぬ目に遭いながら、こうして生き永らえている、
どうして今のこの位置に自分が居るのだろう、なんでこういう人生をおくっているのだろう、
考えるとわからなくなる、、
平穏な人生ではなかったと思うのだが、それは誰しも同じこと、
自分だけ特別な、他人とは違った波乱ある人生を送ってきたはずはないじゃないか、
みなそれぞれ、大なり小なりいろいろあったのだ、、
(いろいろあった、という書きかたは描こうとする内容を薄める凡庸な記述様式、そのいろいろが具体的に何だったのかを書かないと、ここの意味や意義が半減してしまう、わかってはいるのだけれど・・)
6月5日、通いの病院で番号で呼ばれたことに腹を立て
「ここは刑務所か!」「会計をすっぽかして帰ったものの、腹の虫が治まらない」と、自身のブログに書き込み炎上状態になった、岩手県の一期目県議=小泉光男氏(56)が、同17日には記者会見を開き「不適切な表現で、著しく思慮に欠けていた」と謝罪した、
同25日午前5時ごろ、一戸町平糠の大志田橋の上流約50メートルの川岸で、男性が倒れているのを通行人が発見110番し、小泉光男県議の死亡が確認された、
県議になり自分がエラクなったような勘違いをしたのか、病院での番号読み上げが個人情報漏洩防止のための方策だったことの認識がなかったのか、どちらにしても居丈高に病院関係者を怒鳴り飛ばしたと同じ人物とは思えない、あっけない幕切れとなった、
遺書らしきものがないことから他殺自殺両面からの捜査が実施されているのだろうが、自ら命を絶ったのだとしたら、亡くなった人を責める気は毛頭無いが、小泉氏、弱うぇよー
そんなことで命まで絶たなくてもいいのに・・、
5日にブログ、17日に謝罪、25日に自死、一ヶ月も経たない短い期間の間に、彼の人生は急展開し、最期を迎えてしまった、
なんでこうなってしまったのだろう、いつからこうなったのだろう、なんで・・、そう彼は自問し自責したのか、、
死の直前、どのような想念が彼の脳裏をよぎったのか、もちろんわからないのだが、56歳の県議が選んだ死への旅路は、つい最近までの彼にとって思いもかけない選択肢だったことには間違いないだろう、、
※画像は、地元のモスバーガーの店内に設置してあった植栽、
うまく撮れたかのような気になっている、自画自賛は相変わらずなのだ、、