2012年5月30日水曜日

抜糸

口の中でひらひらしていた、縫合用の糸を抜いてもらった、
二針縫ったので、抜糸時にちくっとした痛みが二回、
一分もかからないでで終わってしまった、

球状の結晶は繊維質が硬化したもので、悪性のものではなかったとか、
よかった、

病院までバイクで30分弱、往復一時間、待ち時間約二時間、
なんだか疲れた、、



2012年5月28日月曜日

口唇粘液嚢胞

半年も前から下唇の右、内側にできものができ(この表現は変だなあ、できたからできものなのに、できものができた、という表現は二重表現のよう、年取ったおばあさんとか、頭痛が痛いとかさ、変だけどまあいいや)、舐めるように舌で触れるところころとした触感があり、気になっていた、

ずっと放置しておいたのだが、この頃だいぶん気になったので、日大病院へ行き診てもらうことにしたのが先週の火曜日、
いや、その前に家の近くの内科の医院へ行き、症状を説明して「何科へ行けばよいのでしょう」と、訊いたのだった、
唇の内側だから皮膚科のような気もするし、内科でも診てもらえそうな気がしたし、、

訊いたら「あー、これは耳鼻科ですよ」と医師がいう、
よくよく考えてみたら、耳鼻科というのは耳鼻咽喉科の略だった、
咽喉と唇とは部位が違う気もしたけれど、まあ、口の奥に喉があるので、区分けとしては同じような場所にある患部だからというので一まとめにしたものなのだろう、
このあたり、日本医学界の手抜きのような感じもするのだがどうだろう、、(大げさではあるが)

さて日大病院での話、
数時間待たされて診察が始まったのが午前11時頃、若い女医さんだった、
「今日、時間があるのなら取ってしまいますか?手術できますよ」
一通りの診察を終えて彼女が病名を教えてくれた、それが今日のタイトルにもなっている口唇粘液嚢胞だった、
初めから手術を希望するつもりで来ていたので即答でお願いする、

もちろん麻酔をかけてもらうのだが、この麻酔がまた痛いのだ、
「ちくっとしますよ」と、女医さんは言うのだが、ちくっどころではない、いきなり皮膚の奥深くに針を差し込むものだから、ずーんとした深い痛みが襲ってきて目眩がしそう、
麻酔のための麻酔で、少量ずつ皮膚の表面から近い場所に針をうちこみ、麻酔液を注入してくれればいいのに、いきなり一気に刺すもなあ、

おおよそ10分で手術が終わり、二針縫って無事帰宅、
こうして書いている今もその縫った糸が口の中でひらひらしている、
抜糸は明後日の水曜日、それまでは、異物感に少しとまどいながら、ご飯を食べたりお茶を飲んだりしなくてはならない、


口唇粘液嚢胞は、こうしんねんえきのうほう、と読む、
歯で唇を噛んでしまったときなどに、噛んだ場所の細胞が組織変化をおこし固くなる、
本来、体内から粘液が湧出する場所なのに固くなった細胞のために出ようとしても出られなくなり、その場所で溜まってしまう、それが膨らんでくる理由なのだとか、
ぼくの場合は、嚢胞の根元から、直径6mmくらいの白い球状の結晶が摘出された、

女医さんが「こういうのが取れましたよ」と、ピンセットの先で摘んでみせてくれた、
摘出されたものが癌系の悪性のものでないか、検査科にまわして調べてくれるらしい、
悪性の心配は99%ない、はず、、

歳のせいなのか、いろいろでてくるなあ、、、





写真は、抜糸もまだしていないのだが、我慢できなくて居酒屋で呑んだ酒、
お通しは、山菜と油揚げの煮浸し、なぜかこの頃、どこの店も山菜付いてる、
毎年春になると、菜の花だ芥子菜だ芹だと騒ぐものだから、その影響かもしれない、

季節に敏感になる、四季がある日本に生まれたのだもの、その季節を十二分に謳歌しようよ、
良いことだ、、





2012年5月24日木曜日

この歌は良い





What - Concert for George
Which Year - 2002 (First anniversary after his death)
Where - Royal Albert Hall in London
Young Guy - Dhani Harrison ( His son)

ビートルズのメンバーも、ポールとリンゴ、二人だけになってしまった、
ぼくは、レノンに最も近しい気持ちを感じながら、解散後のビートルズをずっと見てきたわけだけれど、
ジョージ・ハリスン亡きあと、残ったメンバー二人が多くのミュージシャンたちと共にこうして集まり、
ビートルズの偉大な功績を讃え、この世を去っていったメンバーを今でも愛し偲ぶコンサートを開く、

いいもんだなあ、、

10年も前に開かれたコンサート、
たまにゆっくりと、この豪華なメンバーに支えられた芳醇な味わいのある音楽に身を埋める、、
このメンバーならではの確かな演奏技術と表現力に支えられた現代最高峰のコンサートの一つだろう、

家で聴いてるのが勿体ないくらいなのだが、これほどの音楽を家でイヤホンを耳にあてながらPCの前で聴くことができる、
幸せと同時に、お前は一体何をしているんだと、責められているような気にもなるよ (悲

クラプトンの後ろでギターを弾いている若者、ジョージの息子さんなんだね、
顔もよく似てる、
若い時の忌野清志郎くんのように、はっとする魅力、オーラというのだろうか、を感じさせてくれた、
そのせいか、また清志郎くんを思いだした、、

きっと、彼も、 Dhani Harrisonくんも、音楽の道を進むのだろう、




2012年5月23日水曜日

シルクロード

 バスは赤い平原を走り続ける。ときおり、土で固めた塀の中に、何戸かが身を寄せ合うようにして建っている集落を見ることがあった。壁も、屋根も、すべてのものが、この赤茶けた平原の中で、目立つのを恐れるかのように土と同じ色をしていた。
 二時間後にシルクロードの難所のひとつとして知られるカイバル峠を越える。やがてパキスタン側の国境事務所に着き、出国の手続きを済ませ、そのすぐ向こうにあるアフガニスタンの事務所で、今度は入国の手続きをする。


沢木耕太郎著「深夜特急4 シルクロード」新潮文庫50頁より




この文章が書かれたのは、作品の他の部分で現地の人から「お前は何歳だ」と問われ、もうすぐ27歳になると作者が応えているので、1947年11月生まれの作者だから、1973年(昭和48年)に書かれた文章だと思われる、
氏の著作、深夜特急シリーズはこれ以外にも幾つかあるのだが、シルクロードという名前に関心があり、これだけを読んでみた、

まだ行ったことはないのだが、アジアと中東、ヨーロッパを結ぶ長い長い道のこと、道々にある国々のこと、民族や部族、言語、風俗、習慣、少女の顔、食物、ホテル、同行することになったヨーロッパ各国から来たヒッピーたちのこと、
パキスタンからアフガニスタン、イランを経てヨーロッパに抜ける個人バスがあるのだとか、バスとは名ばかりの老朽化したいつ停まるかもしれないおんぼろバスに13カ国から集まった若者ばかり20数名が乗り込み、一時の旅を同行する、

詳しいことは本編を読んでいただくことにして、ぼくが注目したのは、文中の「カイバル峠」という地名、、

地元から一つ隣の駅「下赤塚駅」に、たまに寄るカレー屋があった、
店主は、インド系の顔立ちをしていて、と書きながら、実際のところぼくにはインド人なのかバングラデシュ人なのかアフガニスタン人なのか認知はできないのだが、本場風のカレーを食べさせてくれる店だった、
チキンカレー、グリーンカレー、挽肉のカレー、3品を全部付けて貰うとサラダ、飲み物、ナン食べ放題で1480円、一種類だけのカレーなら680円と値段も手が届く範囲の値段、
なんといってもナンが(洒落になっているけど、そんなつもりじゃないから)食べ放題というのが魅力的で月に一回は行きたくなる店だった、

しかも、ナンの大きさが尋常の大きさではない、ふざけるなっと叫びたくなるような大きさだった、
二人掛けのテーブルを挟み込むようにして家人と二人で差し向かいになると、その二人の間に埋め尽くす大きさで焼きたてナンが配膳されてくる、
余りにも巨大なそのナンに、二人顔を見合わせて大笑いした、

人は普通でない驚きに遭遇すると驚くよりも笑ってしまうものだと、このときにもまた、確認した

何回か通ううちに、店主と話す機会があった、
店内には現地の音楽が常時流れ、店に据えてあるテレビには、ビデオなのだろうか、現地の音楽番組(ダンスが8割という音楽番組だったのだが)がいつも放映されている、そんな店の隅で、店主が自身の出身を、おれはカイバル族出身だと、語った、

カイバル族がどういう族なのか、どこにあるのか、ぼくには理解できなかったのだが、カイバルという族の名前と、それを語った時の誇らしげな顔を胸の裡に刻んだ、
戦いが強く古くにはインドとも戦ったことがあると、店主が遠い彼方を見るような目をして視線を宙に泳がせた、その時の顔を、、

今わかった、店主は、インド人でなくてパキスタン人だったということ、
常食のナンは、ヌンともいい、同じものをインドではチャパティと呼ぶことなどを、、


本をなぜ読むか?
読むことが好きだから読む、ただそれだけのこと、

ためになるからとか教養が身につくからとか、自己能力の開発に貢献するだとか、そのような高尚な理屈を付けると、愉しさが失せていくかのようだ、

楽しむために読む本だけれど、今までわからなくて胸のどこかでうじうじとしていたものが、ある時、眼にした一冊の本のおかげで、さーっと霧が晴れたように溶けていくことがある、

深夜特急4は、ぼくにとってそのような本の中の一冊だった、、、









2012年5月21日月曜日

金環日食

みなさんはご覧になりましたか?
何か見るためのツール、専用の眼鏡を(サングラス的なもの)買い求めましたか?
きけば、一個千円の専用グラスが200万個も売れ、製作会社は潤ったのだとか、
オーストラリアに社員全員連れて、日食を見に行こうと計画していますと、その社の社長が・・、
テレビでコメントしていました、

ぼくはといえば、興味はあったのですけど、まるで見ることもなく、実はまったく空を見上げることもなく一日を過ごしていました、

カメラとか写真に興味と関心がある方々は、それ相当の機材を用意されて、自分なりのここだと思われた場所、地域へと出かけた?
お金に余裕の有る方なら電車、飛行機、自慢のオフロード車を駆使して、最高の撮影場所まで赴かれたことだと思います、

地球と太陽の間にすっぽり月が入り、月の、太陽から比べたらあれだけ小さい月の陰に、太陽が覆われて太陽自身が見えなくなってしまう、

何百年かに一回の椿事であるのだとか、


それをいうのなら、ぼくの親指は太陽よりもデカイ、、

目の前に親指をかざして太陽を見ようとしても、ぼくの親指の大きさに太陽が負けて見えなくなる、、、だからナンだという話です、けど、、、

なので、自分的には椿事でも珍事でもなくて、日頃よく・・、

前にも書いたのだけど、あのイギリスが誇る名探偵のシャーロック・ホームズ氏は、
知識の得意不得意に強度のアンジュレ-ション(不陸)があり、犯罪学、毒物にはけたたましく知識がありながら、音楽や(たまに趣味で弾くバイオリンは別にして)文学、天文学の知識はゼロ、、
最高点を100として30とか55でなく、ゼロ

この中途半端でないゼロという数字にとても重さがある、と思っています、

ちなみに天文学関係の中世以来の最大命題、天動説、地動説、それさえもシャーロック・ホームズ氏は知らない、
あえていえば、知ろうとはしない、

ホームズくん、せめて月が地球の周りを回りその地球が太陽の周りを回っていることくらいは知っていてもいいのではないのかね、という友人のワトスン博士の問いに答えて曰く、

地球が月の周りを回っていようと太陽の周りを回っていようと、そのことがぼくの生活にどのような影響をもたらすと言うのだね?
(正確にはコナン・ドイル氏作「緋色の研究」参照)

今から数十年前、中学一年生の時にこの台詞を目にしたぼくは、それ以来、知っていること、知るべきことの知識を選択するようになったのだ、

自分にとって必要な知識とは、なにが必要なのか、選んで選んで選び抜いて頭脳に仕舞わないとね、
人間の頭脳はコンピュータを遙かに超えて容量も大きいし帰納演繹、どちらにも対応できる優秀な機能をもちながら、
整理されていないと使い勝手が極端に悪いから、、

どの引き出し(フォルダー)にどんな情報、どの知識が入っているのか、そうした整理整頓の仕方をコンピュータが人間から学んだのだ、

人間の知識の形態、それを学習した人間がコンピュータにプログラミング(教え込んだ)したのだから。。。





2012年5月20日日曜日

あまり書くこともない

句会があったり、将棋を友人と指したり、いろいろあるのだが、いつもと同じことなので、書いても仕方がない、

将棋を指しに友人宅に出かける道の途中で、たまに飲みに行く中華風居酒屋(女将が元中国人で、日本人男性と結婚し、その後離婚、日本姓をそのまま名乗り、今では国籍も日本になり、中国人から日本人になった)の女将と出会った、

どこへ行くのときくので、これこれで友人と将棋を指す、どちらかといえば将棋よりも酒飲みメインなのだけど、と言えば、
「あまり飲み過ぎないでね」と、、

飲み過ぎるほどお酒を置いてある店の女将らしくもないよね、、
君がそれを言うのか、、

あはは、ははははははは、はははははははははははは
(最近読んでいる筒井康隆氏風の笑い)

ぼくの身体のことを心配くれているからこその言葉なのだとは思う、
ありがたい、

大丈夫、お酒にヨワイぼくは、日本酒を二合も飲めば酔ってしまう、
身体を悪くするほど量は飲めないのだ、
そのあとで、何軒もハシゴするから結局は飲み過ぎて翌日は寝たきりおじさんになっているのだけど、、
なんだかなあ、、



2012年5月12日土曜日

沖縄から孫ことりの写真が送られてきた、

5月の連休を利用して遊びに来たときにこちらで撮した写真、それはぼくが孫を抱いている写真、
その写真と沖縄で最近撮った写真が5枚、送られてきた、
5月8日が彼女の誕生日、覚えやすいように、5月8日(ゴーヤの日)と覚えればいいよと
子どもから教わった、
彼女、一歳になったのだなあ

自分の孫だから可愛いとは直接イコールで結ばないぼくの精神構造、
血がつながっているからと、ただそれだけの理由で、可愛いとか利口そうだなどと、
孫自慢、子ども自慢をする人を何人も知っている、

現に会ってみると、それほど可愛くもないし利口そうでもない、、
あくまでもフツウなのだなあ、
ぼくは優しいし、人としての血の通った常識者でもあるので、フツウ以下だなどとは決して言わない、

親ばか、じじばばばかなのだろうが、別に大きな罪を犯しているわけではなく、見間違い見当違い、
そそっかしいだけなので、
あーそうですね、と、口を合わせてきた経緯がある、

ところが、ことりちゃんはたしかに可愛い、もちろん聡明さもすでに備わっている、かのようだ、
健康でもあるのだろう、力強いハイハイを何度も繰り返し、うちの猫どもを追いかけ回すから、猫たちは彼女の接近をおそれ別室に逃げてしまった、

可愛くもない孫をその親の前で、可愛くはないねとは云えないから、もし可愛くなかったらどうしようと、会うまでは心配していたのだが、実際に可愛いので、変なお世辞を言う必要がなくなり、本音で可愛いと言えるので、そのことが素直に喜ばしい、

なので、その可愛さを証明するために、一歳になった孫の写真をここに載せてもよいのだけれど、
それをすると並の、じじバカになるので、やめておく、

ひとのうちの孫の写真や、運動会で走る子どものビデオを見せられても、面白くもなんともない、
身内のことは身内で楽しめばいい、そう思うのだ。。








2012年5月8日火曜日

夏へ





俳句の世界では、すでに夏、
5月6月7月、この三ヶ月を句界では夏としている、
7月の夏はまだしも、8月を秋とすることにいまだに違和感を感じている自分がいる、

今時の8月といえば真夏じゃないか!

違和感を感じながらも、俳句界独特のルール、しきたりだからといわれれば、声を大にして逆らう気持ちもさらさらなくて、、

今度の日曜日はまた句会、
また、と書くことで、何度も書いたのにまた書くのかよー、とか、あーもうまたあの句会が来ちゃったよ、とか、なんでまた次の日曜日が句会なんだよ、といった、マイナスイメージではなくて、
単純に素直に、また句会ですよという、我が心にたいしての注意書き?
なんのこっちゃ、

夏になったので、寝ていた布団とか敷き布団とか、被っていた毛布とかを替えた、
盛大な衣替えになってしまい、大仕事になった、
布団だけでなく、長袖シャツをしまい半袖を出し、Tシャツも出し、長ズボンから七分、半ズボン、サッカーパンツまで出してみたからだ、

なので、すっかり我が家は夏。。

この前書いたのだけど、野草摘みにいって、そこで俳句もできた、

それを次の句会に出そうかと思っている、
以下、、

田の水にくの字くの字と蛇泳ぐ    蛇が春の季語

兼題が「竹落葉」なので

源泉に金の小舟や竹落葉


心太過ぎし昭和を啜りけり
ところてん過ぎし昭和を啜りけり  漢字が続くので、ひらがなの「ところてん」の方が、、


竜巻や竹の子どんと座りけり


以上 4句 どうだろう・・・、




写真は久しぶりに、がっちゃん
布団を新しくしたら、さっそく一番に寝ていやがる(笑)
この子の、周りを一切かえりみない自分の好きなように、自分がしたいように、生きたいように思いのまま人生を過ごすその生きようが、けっこう好き、
我が家でも評判になっているかも、なのだなあ 
もし願いが叶えられれば、生まれ変わったらがっちゃんに生まれ変わっても幸せかもしれない、、


んーーーーっ、、、






2012年5月6日日曜日

春の野草摘み その4

昨日、5月5日は子どもの日、
だからというわけではないのだが、むしろまるで無関係なのだが、いつものメンバーで野草摘みに出かけた、総勢6人、男ばかり、




今回のことは、実はぼくが言い出したことなのだが、言ったのは4月も初めの頃、
なんとなく期日を覚えてはいても、その後、どこからも連絡が来なくて、
本当に行くのか、中止になったのか、不安になり、メンバーの一人に電話を入れた、

「どう?行くの?」
「行くも行かないも、みんな楽しみにしてるよ」
自分で決めておきながらなんだかなあ、と苦笑混じりの声が伝わってくる、

何回かここに書いたのだが、春の季節になると、野草摘みにあちこちに出かける、
菜の花を筆頭に、芥子菜、野ビル、セリ・・、

今回は芹を摘みに行こうとなったのだが、行った場所はすでに夏の景色、
天気も快晴に恵まれ気温も上昇したこともあって、川では水に浸かり遊んでいる幼児の姿もあった、
川縁では日よけ用のターフをはりめぐらし、定番のバーベキューをする大人たち、

ぼくの地元から電車に乗っておそよ15分、5つめの駅で降りれば、鮒や鯉、ナマズにオイカワと、魚にも恵まれた自然がまだ残されている、そのことに感謝と感動、

芹も摘んだし蓬(よもぎ)も摘んだ、体長1mを超す大きな縞蛇が田んぼ近くの水路を泳いでいるのも目撃したし、たくさんの野鳥、イシキリ、鴨、サギの仲間、ヒバリ、なども見ることができ鳴き声を聴くことができた、

また、そこで知り合った地元の人からクレソンの存在をきき、たくさん摘んできた、
ここら辺りでもクレソンはそこにしか生えていないとか、
「芹よりも美味しいから、天ぷらでもお浸しでも食べてみなよ」

クレソンといえばステーキの横にちょっとだけ付いているもの、くらいの印象しかなかったので、天ぷらやお浸しで食べると美味しいときいたことがとても参考になった、
またクレソンは一年中生えているもの、秋でも冬でもそこに行けば摘み取れるのだ、
そのことを知ったことが今回の野草摘みの最大の収穫かもしれない、

帰宅後、行きつけの居酒屋にもちこみ、女将に頼んで早速料理、

蓬の天ぷら、芹のお浸し天ぷら、クレソンのお浸し天ぷら、を楽しんだ、
なのでまた飲み過ぎ・・・、、









2012年5月4日金曜日

ふふん



生麦生ごみ生玉子


今朝思いついて、少しわらった・・