2014年8月30日土曜日

なじみ

昨日も飲み過ぎ、その勢い(?)を借りて、今日も昼から呑み、、

何十年もお付き合いがある、飲み屋さん勤めの彼女が引退したのは今年二月のこと、
今度は駅前の中華屋で働き出したときいたので、顔をみたくなって行って、だからまた飲んだ・・・、

友だちのまあちゃんも呼び(彼女とは共通の友だちなのだ)、家人も呼んでまた飲んだ、

一七歳から水商売しかしていない彼女は、たぶんぼくと同じ歳、
女性に年齢を尋ねるのは失礼なことなのだと、そんな最低限の常識はもっている男だと自負しているので、彼女に、女性に年齢をきいたことはない、

彼女の夫は二年前に亡くなっているのだが、広域指定暴力団関係者、わかりやすくいえばヤクザ屋さんだった、
その彼と最初に知り合い、そのあと、妻である彼女とも知り合った、

「公園に行くと、みんなが鳩に餌をあげてるじゃない、なぜかカラスが来ると追い払うのよね、
鳩もカラスも同じ鳥じゃない、なんで鳩ばかりあげてカラスにあげないのか、私はそれがわからない、だから、娘と一緒に公園に行くときに、私はカラスに餌をあげるの、鳩が来たら追い払うのよ」
その感性、とっても好きです!!!

「今日は呑みすぎだから、もう帰んなよ」
スナック勤めの女性にあるまじきことば、、
飲ませてナンボの水商売、早くボトルを空けさせて次ぎのボトルで儲けようとするのが常道なのに、そんな定式は彼女にはない、、

「みんなと海に行って、おしっこをしたくなって、車からずっと離れて道路の上に行ってしたら、私のおしっこが下に流れてみんなに見られたのよ、あのときは恥ずかしかったわ」

嫌いな客がくると、そっぽを向いて話しもしない彼女、
それは客商売でしてはいけないことなのだろう、しかし、自分に、相手にも嘘をつけない女性、

ヤクザな亭主をもって、苦労したといいながら二人の子どもを成し、
「病院に行くからって、長男からお金をもらえないじゃない、だから今でも稼ぐのよ」
と、わらう彼女、

考えたら、知り合って三十年も経っているのだなあ・・、
こういうぼくを、あちらの業界ではなじみというのだろう、、、



2014年8月25日月曜日

ドジ

ドジの意味を調べようと思ったのだけれど、調べる体力が今はなくて・・、、

PETの結果を8月21日に教えてくれるというので、今日、病院に行ったら、
最新式診察券(病院に行ったらすぐに診察券を挿入する装置があって、それに入れると患者が来診したのか、来なかったのか、わかるシステムになっている)が、入らない、

そのシステムは、
これまでの内科診察受付に出向き、口頭で来院の旨を告げるシステムに比べ、患者が多いため一人一人には時間をかけてはいられない事務方の労力を軽減するために設けた制度のようだ、

で、
診察券を入れたら受け付けてくれないし、
「直接内科診療窓口まで来て下さい」 とのコメントまでモニターに表示された、

あれこれ説明するのも面倒なので、何があったかというと、

8月21日が診察日だと思って行ったら、今日は25日、しかも診察日は28日だった、、、


間違いが三つも重なってる、、、


ドジというのか、ボケてきたのか、おそらくそのどちらもなのだろうけど、一緒に行ってくれた家人も呆れていた、

今日が何日か、わからなかったの?
んーー、、わからなかった、
平成何年?西暦何年?
んーーー、、西暦はわかるけど平成はわからない、おれは天皇制を認めてないから、
そういう問題じゃないでしょっ バシっ
うううう(泣)

ということで、正規の診察日、8月28日にまた再訪することになった、、
ちゃんちゃん、、



聴きたい歌、耳に心地よい歌、何度きいても飽きない歌、そんな歌がおれにもある、
日本語訳がでていたので、やっとその意味を理解しながら聴くことができた、
名訳のせいなのか、元々の原詩がいいのか、なぜここで、ミュージシャンと聴衆が一体となって盛り上がるのか、その理由がわかった、歌なのだ、







2014年8月18日月曜日

地球の子

最近、やたら死を想起する、

右鼠径部の腫瘍がますます肥大化し、ズボンを穿いているときなど当たって痛いときがある、
大きいもので長さ6cm幅3cm程度か、、、
その周りにリンパ腺に添って丸い球状の腫瘍も確かめられ、触ってみると3個はある、

右側だけに集中し、左にはない、ようだ、
首の周り、脇の下などにもない、ようだ、

右鼠径部は、悪性か良性かを調べる際に、一部患部を切除した場所、
そこに肥大が集中しているというのは、そんなこともからんでいるのではないかと(切ってしまったのでリンパの流れが途絶えてしまったとか)、これは素人判断、実際にはよくわからない、

さて、死がコワイかどうかということになるのだが、まだ一度も死んだ経験がないのでなんとも言えない(笑)
苦しんで死ぬのか、ぽっくり逝くのか、あっさりと此岸にお別れを告げるのか、死にたくない死にたくないと、じたばたするのか、それもよくわからない、

発症後6年と5ヶ月、10年で半数が、15年でほとんどが亡くなるのだと医師から告げられた、
そうすると、長くて9年、短ければ残り4、5年でこの世を去ることになる、

心残りはあるのか、ないのか、あるとしたら何なのか、
たくさんあり過ぎて一つ一つを挙げられないような気もするし、結局、大したこともしていないのだから、これだけはしてみたかった、という強い思い入れは、なんらないのかもしれない、
しいていえば、幼い孫たちの将来がどうなるのか、そこが気になるといえば気になるくらい、

死に関連していえば、肉体と精神、カラダとタマシイの問題が思い浮かぶ、
季節柄、幽霊の話題も多いのだが、遭遇したこともないし、霊的な経験というものが自分にはない、
ぼくは、神が人を作ったのではなく、(自らの理想とおりに)人が神を作ったと考える人間なので、そんなところには神どころか、幽霊も出てこないのだろう、
死ぬ前に一回くらい会ってみたいのだが、、


この肉体の7割は水、H2O、酸素と水素の化合物、タンパク質を考えれば、他に炭素や窒素などの原子が考えつく、骨には多くのカルシウム、そして、わずかなリンやマグネシウム、アルミニウムなどの原子もあるだろう、

思えば、ぼくの身体のすべては、この地球からいただいたもの、
母親の卵子と父親の精子が根源だとしても、その大元は宇宙誕生以来の原子の存在に由来するのだと思う、

この身が無くなっても、ぼくを構成していた原子そのものがなくなるわけではない、
ぼくの身体を離れ、地に潜り、空に飛び出し、海を漂い、また無機物有機物へと取り込まれていく、

ぼくは、父母の子であり、人間の子であり、地球の子なのだ
地球から生まれまた地球へ還っていく、
ぼくにとっての死のイメージは、それに近い、

こんなに良いことを言ったのだから楽に死なせてね(笑)


さて、今日は午後からPET(いわゆるガン検査)がある、
身体中に蔓延したと思われる悪性腫瘍が画像となって発現されるわけだ、
幽霊よりもこちらに対面するほうが数段コワイのだが・・・あは、は、はは(苦笑)

まあ、行ってくる
結果は今月25日、医師から告げられる、、、







2014年8月13日水曜日

糠味噌の漬けもの

タイトル、そのまんまのもの、

ベランダ菜園から始まり、そこで採れたものを食べているうちに、そうだ糠味噌も美味しいのではないか、とひらめいた、
ネットでいろいろ調べていると、冷蔵庫で作る糠床というのに当たった、
冷蔵庫の中に保存する糠床なので、かきまわす手間も、5日おきくらいでかまわないのだとか、
(常温だと毎朝毎夕、毎日のことになると面倒だものね)

アマゾンで注文し、使い始めてかれこれ一ヶ月、
結論を先にいおう、
かなり良いよ!

届いた糠床は(糠床セットなのだ)、その日から使えるように、プラスチック容器に入った熟成した糠床と一緒に、追加用の鷹の爪、塩昆布、塩、などなどがパックされていて、一から始める糠床のように、捨て用の野菜とかも必要ではなく、すぐに野菜を漬け込むことができる、

常温糠床と違い、発酵時間もゆっくりなので、通常の漬け込み時間×1.5倍の時間が必要となる、
12時間で漬かるキュウリならば18時間、24時間かかる茄子ならば36時間かかると、説明書には書いてあったのだが、塩加減を少しきつくして、うちでは、なんでも24時間で取り出し、食べるようにしている、

谷中生姜も5、6本入れ、茄子、胡瓜、蕪、人参、試しにゴーヤも漬けてみた、

もし塩が甘ければ、できあがった漬け物に醤油少々をたらしてもいいしね、

添加物もなく、着色料も使わない野菜そのものの旨みと、それが発酵した味を安心安全に楽しんでいる、
スーパーで売られている総菜のほとんど全てに、合成うま味調味料が使われ、その原材料の多くを中国に頼っている現在、安心安全な食べ物というだけで、価値はあるのだと思っている、
まして、味も良いので、これはかなりのお薦め、、、

5日おきくらいにかき回せばよい、と書いてあったのだが、毎日、取り出し食べるので、結局、毎日かきまわすことになってしまった手間だけは、予想外だったけれど、

写真は、できあがった糠味噌漬け

全体がよくわかるように、上から撮影したので、美味しそうには写っていない、

蕪の葉(実際には葉を落とした茎だけなのだが)ほか、いろいろ野菜が並べてある、
お茶を飲む時、これらを食べると、思わず笑いたくなるほど美味しくてステキな時間が流れていくよ♪





2014年8月10日日曜日

なじまないもの

好き嫌いにかかわらず、自然界、特に動物界において白い体色は排除されるべき運命にあると聞いたことがある、

白い狼、白い虎、白い猿、白い馬、などなど、
突然変異的にある日いきなり誕生するその生命は、目立つという理由から、草食動物ならば肉食動物の格好の餌食となりやすく、肉食動物であるならば草食動物から発見され逃げられることも多く、餌にありつけないことから餓死につながる、

他の色とは極端に異なる白色は、目立つがゆえに、集団そのものの存亡をも左右しかねない、
白色個体が成長しその寿命を全うすることは稀で、その多くは幼少時に命を絶つ、

異なるもの、平均値をはるかに超えた存在、種における異分子、それが生きていく途は自然界では険しい、

種は個々の生命の存続よりも種全体の存続を最優先させる、
集団が生き残るのならば、ワズカな生命の犠牲はやむを得ないという現実を、餌となる草を求めてアフリカ大陸を横断するヌーの大群から今日でも学ぶことができる、

天敵である鰐が生息する川を承知で横断するヌーの大群、多いときには数百万頭ともなる大群の中には、鰐によって捕らえられ命を落とす何頭かが必ず発生する、
弱いもの、病弱なもの、足をくじいたもの、体力のない幼いヌーなどなどが、鰐の犠牲となる、

卵で生まれる鰐と違い、親の形となって産み落とされる草食動物は数時間後には歩き出し、その生存率は高い、
生まれた子のほとんどが成長し大人になるといっても過言ではない、
増えすぎた草食動物が草原を食い尽くし、やがてその集団の全ての食糧危機につながる、
そんなことも珍しいことではないようだ、

アメリカの自然国立公園において、オオカミを駆逐したところ、草食動物(この場合、鹿なのだが)が増えすぎて、結果、餌場となる草原が不足し、群れ全体の死滅にまで発展しそうになった、
その対策として、駆逐したはずのオオカミのつがい二対をアラスカから運び入れ、適度(!?)な間引きを行わせた結果、自然界のバランスが保たれ、今日も維持できている、
つがい二対は今では十数頭の集団となり、年間数十頭の草食動物を減らしているのだとか、、、

自然公園(国側)と、オオカミの被害を訴える牛や馬を飼う近辺の牧場主側との対立という混乱が二次的に引き起こされたことは想定外だとして、、、

以上は自然界のこと、


誰でもいいから人を殺したかった、父親も母親も殺そうとした、中学時代から猫の解剖をした、
猫だけでなく人も解剖してみたかった、

仲の良かった同級生の少女を殺害し、首と手首を切り落とし、胴体の一部にまで損傷を与えたという少女が逮捕された、
父親は弁護士であり地元の名士でもあったらしい、
父親の再婚をめぐっての少女の揺れ動く内心を省察したコメントも一部みうけられたが、ぼくは違うと思う、

誰でもいいから人を殺したいと、ぼくはこれまで思ったこともなかった、
父親も母親も殺そうとはしなかった、
猫の解剖にいたっては想像すらできそうにない、
生きたまま解剖することはできないはずだから、殺してからのことになるのだろうが、猫を殺すという行為が、ぼくの精神世界のどこを見渡してもでてこない、

そうした発想がぼくにはない、、

結論をいおう、
この少女の存在は人類にとってなじまない、
この世界にあってはならない存在なのだ、
人を殺す自由を認めたら(もしそれが自由という行為に該当するものとして)、殺されないための自由もあっていいはずなのだ、

貧困、飢えからの自由が、今日でさえも基本的人権の中核をなしているように、殺されない自由というものは、殺す自由より上段に据え置かれるべきなのだと、殺す側よりも殺される側に位置しているぼくは考える、

今後、この少女がどのような処遇を受けるのか、関心度は高いのだが、ぼくのなかで答えは既に出ている、

高校時代に読んだアメリカのミステリー作家、エラリー・クイーンの小説「Yの悲劇」の中に、その答えはある、、



2014年8月2日土曜日

けが

放置自転車を片付けていて、思い切り足をぶつけ生爪を剥いでしまい出血、
痛い痛い痛い、、
さっそく病院に行って治療をしてもらったのだが、

「麻酔注射もかなり痛いので、このまま処置をしますか?」

(左足親指の生爪が大部分剥離してしまっているのだが、まだ根元に着いている、それをすべて剥がした方が治りが早いというので)

「お願いします」

ピンセットで剥離した爪を持ち上げ、手術用ハサミで根元を切りとばす作業、
たまにハサミの金属部分が爪の取れた生肌にあたり、それがかなり痛い・・、
思わず、声が出たわ、、、あうっ

明日は日曜日だけれど、当直の医師が居るとかで、包帯を換えにいらっしゃいと言われた、

今月7日に仕事を頼まれている、
頼まれるくらいだから、かなりハードな作業が予想される、
この足で安全靴を履いてできるだろうか、それが心配、、