【危険】 危ないこと。危害または損失の生ずるおそれがあること。 広辞苑第五版
生ずるおそれがあること、というのなら、必ず、絶対に100%危険だというわけではなさそうだ、
本当に危ないモノには、危険という言葉より、もっと強力な他の言葉をあてはめる方が適切なのかもしれない、
脱法ドラッグという名称が、モノの実体を伝えていないので、新たな、実体に見合った名称を募集した、その結果、脱法ドラッグ改め危険ドラッグという名称になったのだとか、
それをうけて各マスコミ一斉に、危険ドラッグという用語を用いだした、
しかし、危険ドラッグでは少し甘いのではないか、
危険なことならあえてやってみたいという性向は若い時によくみられること、
アブナイからやめておこうというのは分別ある老成した大人の思考、
アブナイからやってみたい、それはこれまでの自分を思い返しても何度もあった、
危険という単語をつけて、注意をうながす、関心を逸らすというのは、見当違いなのではないか、
そんなことを考えた、
それなら、どんな名称がいいのか、ヘボ頭からはなかなかうまい言葉が出てこないのだが、危険よりさらに危険度を増した言葉がいくつかある、
狂、廃、棄、堕、などなどの漢字が思いつく、
12、3分、相談した結果、廃人ドラッグという名称が我が家で採用された、
危険ドラッグより、そのモノの様相を的確に表しているのではと自画自賛、、、
危険ドラッグ改め、廃人ドラッグ、これを強く勧めたい、、
2014年7月30日水曜日
2014年7月25日金曜日
パスポート取得
今日、パスポートを取るための手続きをしてきた、
今すぐどこかに出かけるというわけではないのだが、行ってみたい国が何カ国かある、
その一番はベトナム、、
数十年前にもなる青春時代の一時期、ベトナム戦争反対の運動に参加していた、
その中での色々は、今ここで書いても仕方がないことだし、ぼくが書くよりも1000倍も雄弁に物語ってくれる本なりドラマなり音楽、映画が多数ある、
ぼくが訪れてみたいのは、ベトナムの中でも、ディエンビエンフー、トンキン湾、
ベトナムという国は、古くは中国の侵略と戦い、日本の侵略とも戦い、フランスと戦い、アメリカと戦って祖国統一を果たした国、、
何冊かのベトナム戦争に関しての著作を読み映画も観たので、まだ一回も行ったことがないベトナムのあちらこちらを、まるで九州か関西のように頭に描くことができる、
対仏戦争において、ベトナムが決定的に優位に立つきっかけとなったディエンビエンフーでの戦い、
南ベトナムでの戦況の悪化に困惑したアメリカが北爆の理由としたトンキン湾事件(いまでは、この事件そのものがアメリカの仕組んだ捏造事件だったとばれているのだが)、
そのどちらをも、この眼で見てみたい、
サイゴン陥落、その直前のアメリカ大使館からのヘリコプターによるアメリカ大使の逃亡、
それらのニュースをリアルタイムで見聞きしたぼくは、そのたびに歓喜の喜びを素直に表現したものだ、
撃墜したアメリカ軍のジェット機から作られたというジュラルミン製の文鎮、英雄(HERO)と名付けられたベトナム製の数百円の万年筆、それらのモノの感触とともに、ぼくは反ベトナム戦争の運動に身を漬け込んだ記憶を今でも噛みしめることができる、
次女のFaceBookをたまに見ているのだが、彼女の関心は、パレスチナ問題に集中しているようだ、
イスラエルによるGAZAに対する空爆を止めるための集会に彼女が積極的に参加したことがわかった、
彼女にとっては、そう言われることはもしかしたらイヤなことなのかもしれないのだが、ぼくと彼女との間に流れる血の濃さを感じ取れるできごとだと、ぼくには思える、
理由はなんであれ、人間が人間を殺す、強大な国家がより小さな国家の尊厳を侵す、それは決してあってはならないこと、複雑な政治的背景やイデオロギーの相違、宗教上の問題、それらすべてを俎上に載せ、だから仕方がないのだとの正当性を主張しようとも、殺していいという理由にはならない、侵す理由にはならない、
ものごとの本質はつねに単純なもの、だめなものはダメだと、きっぱり言えるかどうかだということに、人間性の本質が、根っこの部分が現れるのだろう、
★戦争のどちらにも加担はしない、アメリカからもベトナムからも等距離中立論だとして、アメリカも悪いが戦争をしているベトナムにも責任があると、今日と変わらずアホな議論を展開していたのが、当時から日本の公党であった創価学会を支持母体にもつ公明党だった、
それに対し、ベトナムの英雄、ホー・チミンは明確に応えた、
ベトナム兵のただの一兵もワシントンに上陸したことはない、誰一人ニューヨークを襲ったことはない、遠く太平洋を越えて55万人もの兵隊を送り込み、ベトナムを侵略してきたのはアメリカなんだ、と、、、
この戦争の本質は、アメリカによるベトナムに対する侵略戦争なんだと、、
ベトナム戦争反対の本質は、侵略戦争反対という、非人間的な行為に対しての人間的な立場からの反対運動なんだと、
平和平和と唱えるだけで、憲法の曲解に手を貸し戦争参加への道を開き、消費税の値上げに賛同し、大臣の椅子欲しさに現政権にしがみつく公明党の、卑しい性向はこの数十年なんら変わることはなかった、
ある意味一貫していてキモチイイ、
ライオンのおこぼれをあさるハイエナ政党、確固とした古い歴史をもたない新興宗教団体にふさわしい態度だとそれはいえる。。。
今すぐどこかに出かけるというわけではないのだが、行ってみたい国が何カ国かある、
その一番はベトナム、、
数十年前にもなる青春時代の一時期、ベトナム戦争反対の運動に参加していた、
その中での色々は、今ここで書いても仕方がないことだし、ぼくが書くよりも1000倍も雄弁に物語ってくれる本なりドラマなり音楽、映画が多数ある、
ぼくが訪れてみたいのは、ベトナムの中でも、ディエンビエンフー、トンキン湾、
ベトナムという国は、古くは中国の侵略と戦い、日本の侵略とも戦い、フランスと戦い、アメリカと戦って祖国統一を果たした国、、
何冊かのベトナム戦争に関しての著作を読み映画も観たので、まだ一回も行ったことがないベトナムのあちらこちらを、まるで九州か関西のように頭に描くことができる、
対仏戦争において、ベトナムが決定的に優位に立つきっかけとなったディエンビエンフーでの戦い、
南ベトナムでの戦況の悪化に困惑したアメリカが北爆の理由としたトンキン湾事件(いまでは、この事件そのものがアメリカの仕組んだ捏造事件だったとばれているのだが)、
そのどちらをも、この眼で見てみたい、
サイゴン陥落、その直前のアメリカ大使館からのヘリコプターによるアメリカ大使の逃亡、
それらのニュースをリアルタイムで見聞きしたぼくは、そのたびに歓喜の喜びを素直に表現したものだ、
撃墜したアメリカ軍のジェット機から作られたというジュラルミン製の文鎮、英雄(HERO)と名付けられたベトナム製の数百円の万年筆、それらのモノの感触とともに、ぼくは反ベトナム戦争の運動に身を漬け込んだ記憶を今でも噛みしめることができる、
次女のFaceBookをたまに見ているのだが、彼女の関心は、パレスチナ問題に集中しているようだ、
イスラエルによるGAZAに対する空爆を止めるための集会に彼女が積極的に参加したことがわかった、
彼女にとっては、そう言われることはもしかしたらイヤなことなのかもしれないのだが、ぼくと彼女との間に流れる血の濃さを感じ取れるできごとだと、ぼくには思える、
理由はなんであれ、人間が人間を殺す、強大な国家がより小さな国家の尊厳を侵す、それは決してあってはならないこと、複雑な政治的背景やイデオロギーの相違、宗教上の問題、それらすべてを俎上に載せ、だから仕方がないのだとの正当性を主張しようとも、殺していいという理由にはならない、侵す理由にはならない、
ものごとの本質はつねに単純なもの、だめなものはダメだと、きっぱり言えるかどうかだということに、人間性の本質が、根っこの部分が現れるのだろう、
★戦争のどちらにも加担はしない、アメリカからもベトナムからも等距離中立論だとして、アメリカも悪いが戦争をしているベトナムにも責任があると、今日と変わらずアホな議論を展開していたのが、当時から日本の公党であった創価学会を支持母体にもつ公明党だった、
それに対し、ベトナムの英雄、ホー・チミンは明確に応えた、
ベトナム兵のただの一兵もワシントンに上陸したことはない、誰一人ニューヨークを襲ったことはない、遠く太平洋を越えて55万人もの兵隊を送り込み、ベトナムを侵略してきたのはアメリカなんだ、と、、、
この戦争の本質は、アメリカによるベトナムに対する侵略戦争なんだと、、
ベトナム戦争反対の本質は、侵略戦争反対という、非人間的な行為に対しての人間的な立場からの反対運動なんだと、
平和平和と唱えるだけで、憲法の曲解に手を貸し戦争参加への道を開き、消費税の値上げに賛同し、大臣の椅子欲しさに現政権にしがみつく公明党の、卑しい性向はこの数十年なんら変わることはなかった、
ある意味一貫していてキモチイイ、
ライオンのおこぼれをあさるハイエナ政党、確固とした古い歴史をもたない新興宗教団体にふさわしい態度だとそれはいえる。。。
2014年7月24日木曜日
気になった言葉
人は二回死にます、
一回目は生物学的に死んだとき、
二回目は、あなたが忘れたとき、
あなたが忘れない限り人は生きています、、、
妙にこの言葉が心に沁みた、
人というところに、あなたが思いつく特定の人の名前を入れれば、この言葉の意味がよくわかります、
と、思います、
覚えている、記憶している、懐かしむ、偲ぶ、
その限りではあの人はいつまでも生きていると、あえていえば心の中に生きている、、と、
人が生物学的に亡くなって、覚えている人の心の中からも消え去る歳月は何年なのだろう、
十年、十五年、二十年、、
きっと、次の世代の生物学的死亡まで、それは続いていく、
人類が織りなすたくさんの記憶の交錯の中で、人は生きてきたし死んでいったのかもしれない、
子が生まれ孫が生まれるということは、血のつながりが永らえたことと同時に、記憶のつながりが永らえたということ、
血は肉体的なもの、記憶は知、知のつながりこそは自らの意志で選び取るもの、
血のつながりのある次世代が、ぼくを記憶することを選ぶのか選ばないのか、
最近、そのことが少し気になるのだ、、
一回目は生物学的に死んだとき、
二回目は、あなたが忘れたとき、
あなたが忘れない限り人は生きています、、、
妙にこの言葉が心に沁みた、
人というところに、あなたが思いつく特定の人の名前を入れれば、この言葉の意味がよくわかります、
と、思います、
覚えている、記憶している、懐かしむ、偲ぶ、
その限りではあの人はいつまでも生きていると、あえていえば心の中に生きている、、と、
人が生物学的に亡くなって、覚えている人の心の中からも消え去る歳月は何年なのだろう、
十年、十五年、二十年、、
きっと、次の世代の生物学的死亡まで、それは続いていく、
人類が織りなすたくさんの記憶の交錯の中で、人は生きてきたし死んでいったのかもしれない、
子が生まれ孫が生まれるということは、血のつながりが永らえたことと同時に、記憶のつながりが永らえたということ、
血は肉体的なもの、記憶は知、知のつながりこそは自らの意志で選び取るもの、
血のつながりのある次世代が、ぼくを記憶することを選ぶのか選ばないのか、
最近、そのことが少し気になるのだ、、
2014年7月14日月曜日
ワールドカップ
アルゼンチン対ドイツの試合は、おおかたの予想通りにドイツの勝利となり、今回のワールドカップが終了した、
ぼくは、もう何十年もオランダサッカーを応援してきたので、オランダが準決勝をPK戦で敗退したときにはとても残念だったけれど、良い試合が見られたということで、結果には満足している、
コロンビアのロドリゲスという4年後に期待できる有力な若手も発見できたし、ネイマールやメッシの華麗なドリブル、そしてゴールも目の当たりにできた、
オリンピックを上回る規模と熱気と予算でおこなわれるワールドカップ、
以前、バレーボールの世界大会をワールドカップと呼んだこともあったのだが、ワールドカップといえばサッカー、サッカー以外のワールドカップはありえない、
なので、いつしかバレーボールからワールドカップという呼称は消えていった、
ドイツの組織的なプレイに、メッシを中心とする南米サッカーがついていけなかった、
メッシに対するブロックが徹底しその力を発揮させなかった、
個人技重視といわれるサッカーでも、これからは個人技だけでの優勝は難しいということなのだろう、
南米からはブラジルのペレ、アルゼンチンのマラドーナ、コロンビアのバルデラマと、その時代時代を象徴する何人ものスーパースターが生まれてきた経緯がある、
その伝統のとおりに、今回も、4人5人と相手守備陣をドリブルで抜き去り、ゴールを決める、そうした華麗な個人技が随所で見られた、
しかし優勝はできなかった、、
世界的にみても、南米やヨーロッパだけが格段に強かった時代は過去となってしまった感がある、
アフリカも強くなったし、アジアも力をつけてきた、
4年後はどこの国が8強になり、4強に残るのか、予想はつくものの、たぶんそれは外れるのだろう、
前回の覇者スペインが、予選リーグで敗退することを予想できなかったように・・、、
ぼくはそれでも、これからもオランダの優勝を願うのだ、、
☆昨日は7月の俳句の会
宮殿は周囲三尺金魚の王
兼題が金魚だったので、上の句を出し何点か点が入った、
披講(読み上げ)担当だったので、点数を書き込めなくて、入った点数はわからない、
主宰(75歳)が、骨肉腫のために足を切断することになったのだとか、
5月の句会を最後に闘病生活のために句会をやすんでおられた、
足を残す治療を最優先に模索されていたと思うのだが、結果は最悪となってしまった、
高齢での足切断、義足という方法もあるのだろうけれど、慣れるまでは大変、
もし車いす生活になったら、生活面で相当な支障が予想される、
俳句命、俳句が人生の全てのような主宰なので、句会に出席できないことだけでも、身を灼くじれったさにとらわれていることだろう、
これからどうなるのか、主宰抜きで句会を続けるのか、やめてしまうのか、わからない、、
ぼくは、もう何十年もオランダサッカーを応援してきたので、オランダが準決勝をPK戦で敗退したときにはとても残念だったけれど、良い試合が見られたということで、結果には満足している、
コロンビアのロドリゲスという4年後に期待できる有力な若手も発見できたし、ネイマールやメッシの華麗なドリブル、そしてゴールも目の当たりにできた、
オリンピックを上回る規模と熱気と予算でおこなわれるワールドカップ、
以前、バレーボールの世界大会をワールドカップと呼んだこともあったのだが、ワールドカップといえばサッカー、サッカー以外のワールドカップはありえない、
なので、いつしかバレーボールからワールドカップという呼称は消えていった、
ドイツの組織的なプレイに、メッシを中心とする南米サッカーがついていけなかった、
メッシに対するブロックが徹底しその力を発揮させなかった、
個人技重視といわれるサッカーでも、これからは個人技だけでの優勝は難しいということなのだろう、
南米からはブラジルのペレ、アルゼンチンのマラドーナ、コロンビアのバルデラマと、その時代時代を象徴する何人ものスーパースターが生まれてきた経緯がある、
その伝統のとおりに、今回も、4人5人と相手守備陣をドリブルで抜き去り、ゴールを決める、そうした華麗な個人技が随所で見られた、
しかし優勝はできなかった、、
世界的にみても、南米やヨーロッパだけが格段に強かった時代は過去となってしまった感がある、
アフリカも強くなったし、アジアも力をつけてきた、
4年後はどこの国が8強になり、4強に残るのか、予想はつくものの、たぶんそれは外れるのだろう、
前回の覇者スペインが、予選リーグで敗退することを予想できなかったように・・、、
ぼくはそれでも、これからもオランダの優勝を願うのだ、、
☆昨日は7月の俳句の会
宮殿は周囲三尺金魚の王
兼題が金魚だったので、上の句を出し何点か点が入った、
披講(読み上げ)担当だったので、点数を書き込めなくて、入った点数はわからない、
主宰(75歳)が、骨肉腫のために足を切断することになったのだとか、
5月の句会を最後に闘病生活のために句会をやすんでおられた、
足を残す治療を最優先に模索されていたと思うのだが、結果は最悪となってしまった、
高齢での足切断、義足という方法もあるのだろうけれど、慣れるまでは大変、
もし車いす生活になったら、生活面で相当な支障が予想される、
俳句命、俳句が人生の全てのような主宰なので、句会に出席できないことだけでも、身を灼くじれったさにとらわれていることだろう、
これからどうなるのか、主宰抜きで句会を続けるのか、やめてしまうのか、わからない、、
2014年7月8日火曜日
颱風
はっぴーえんど という日本語ロックの先駆者的バンドが昔あった、
そのバンドの歌で、颱風という歌があり、台風よりもこの颱風の方が颱風らしいと感じて以来、颱風には颱風という漢字をあててきた、
観測史上最大級の颱風が、沖縄に今日あたり接近、もしくは上陸するのだとか、
沖縄にはぼくにとって最大級の可愛い子が住んでいる、
大好きな彼女らだけに、颱風の被害に遭わないかとそれが心配なのだ、
飛ばされるなよ!
そのバンドの歌で、颱風という歌があり、台風よりもこの颱風の方が颱風らしいと感じて以来、颱風には颱風という漢字をあててきた、
観測史上最大級の颱風が、沖縄に今日あたり接近、もしくは上陸するのだとか、
沖縄にはぼくにとって最大級の可愛い子が住んでいる、
大好きな彼女らだけに、颱風の被害に遭わないかとそれが心配なのだ、
飛ばされるなよ!
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