2014年3月29日土曜日

今日も句会

今日は板橋区俳句連盟主催による春季俳句大会の日、
例年、70人くらいの参加者がある、

俳句の世界でも高齢化が進み、椅子に座っていると気が付かないのだが、会が終わり、外に出てみると、足をひきずっていたり杖にすがって歩行している参加者の数が多い、

あと20年もすれば、現句会の全参加者が他界してしまうかのようだ、
他人事ではなく心配である・・、

春の陽のプリズム幸せ色放ち

逝く春や父の動かぬ腕時計

以上、二句をもって参加、
会場にて席題が発表されるのだとか、計三句選によって、上位10名くらいが表彰される、、

梅祭の句会で高評価を得たので、少し鼻が高くなってしまった、
ピノキオみたいに嘘をついたわけではないので、低評価をくらえば、すぐにシュンとなりと元の鼻の高さにもどるはず、
伸び縮み自由の便利な鼻なのだ、、

このまえいただいた商品券3千円分で、パスタを食べた、
二人で、2200円を払った、

パスタにドリンクセット(サラダ付き)を頼んでこの値段、まあ相当なのだろうと納得していたら、
この前、バスで吉祥寺に出向いたときに見つけたピザ専門店「ナポリ」では、ピザ単品で500円、
サラダ、スープ、ドリンクが付いても800円だった、

二人で1600円、吉祥寺という場所柄、競争が激しく、価格にもその影響が現れているのだろうが、それにしても、いつもいく成増の店は高い!!

なんとかならないか・・、



2014年3月22日土曜日

梅祭

第30回板橋区梅祭が、3月15日に催された、

梅に関した俳句も募集されると聞き、家人と二人、他の俳句仲間も誘って参加してきた、
例年と同じように、3パック500円の紫蘇の実の塩漬けを買ったり、昼食の代わりにおでんを食べたりした、

俳句には、旧友に無沙汰を詫びて梅祭という句他、計3句で参加、
表記の句が、天地人3賞のうち、地賞に選句された、
副賞は板橋区内で使える商品券3千円分だった、
選ばれたことを素直に喜んだ、

写真は、梅祭会場から少し離れた高台にある赤塚城址で行われた演舞のもの、
逮捕術というのだろうか、それは大人のチャンバラに見えなくもなかった、、

鷹匠による鷹を使った狩りの様子も行われた、
鷹も数羽(数頭?)参加し、その中の一羽をアップ、
眼の鋭さはさすが、狩猟をする肉食の鳥らしく凄みがある、

梅祭に来ていた若い女性のカップルも撮影、最近の若い女子は総じて体格が良くなったようだ、
結婚し丈夫な赤ちゃんを産んでほしい、そんなお節介が心に浮かんだ、








2014年3月19日水曜日

Japanese Only

今月8日にサッカーのJ1リーグ、浦和レッズ―サガン鳥栖戦が行われた埼玉スタジアム(さいたま市)で人種差別とも受け取れる垂れ幕が掲げられた問題で、Jリーグから無観客試合開催などの処分を受けた浦和は13日、浦和サポーターが横断幕や旗などを掲げることを全試合で当面禁止すると発表した。 

さらに垂れ幕を作成した3人が所属する応援グループの約20人を、浦和の全試合で無期限の入場禁止とし、淵田敬三社長は、役員報酬の20%を3か月間自主返納する。 

垂れ幕は「JAPANESE ONLY」(日本人のみ入場可)と書かれ、熱心な浦和サポーターが陣取るゴール裏観客席の入場口に、グラウンドとは反対向きに掲げられた。作成した3人は浦和の調査に対し、「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち、特に外国人が入って来るのは困る」などと説明したという。 
                                                 net情報 より


「一糸乱れぬ応援をしたいのに、外国人達はそれに呼応できない。応援が乱れる・・・」
この勘違いサポーターの一人の、こういう意見もどこかで見た、

ここで応援歌を歌う、ここで応援旗を揚げる、特定の選手への応援コールをここで行う、

などなど、誰かによって定められた形式的な応援を、それができないからといって、ある人々を排除するというのなら、外国人ばかりでなく、日本語をうまく話せない日本人、日本語をうまく聞きとれない日本人、手を揚げられない日本人、口に出すことが困難な日本人、歩行困難な日本人をも排除することにならないか、

Japanese Only は人種差別ではない、人間差別なのだ、
人間排除ともいえるこの言葉の冷酷な本質に、アホサポーターたちは気が付かなかったようだ、


Jリーグの発足当時の日本サッカーの実力は、世界的レベルには程遠かった、
南米やヨーロッパの強豪チームとは、体力、個人技、戦術眼、戦略、支えるサポーターの層の厚さ、何よりもサッカーの歴史、そのすべてにおいて劣っていた、

Jリーグの発足当時、どのチームも、力のある外国人選手獲得を目指したし、その状況は今でも変わっていない、
鹿島アントラーズにはブラジルの至宝といわれたジーコ選手が、選手としてコーチとして監督として参加してくれた、
彼の直接ゴールを狙う華麗なフリーキックによる得点を、まぐれじゃないの?と、その国際レベルの技術の高さがわからずにほざいていた観客や選手もいた、
何度もゴール決めるのを目撃し、やっと、まぐれではなく、驚異的な身体能力とそれを支えるものすごい練習量の賜だと気が付いたのは、Jリーグ発足の数年後、、
そんなお気楽な日本サッカーだったと記憶している、

Japanese only というのなら、これまでにどれだけ外国人選手たちが、日本サッカーに多大な貢献をしてくれたのか、何人かを列挙してみよう、、
以下、(貫井康徳@dcp)より、抜粋


●ドラガン・ストイコビッチ
名古屋グランパスエイトで過ごし、その後同クラブで監督としても活躍したストイコビッチ。「ピクシー」の愛称でもおなじみですね。グランパスに来る前は、フランスの名門・マルセイユ所属時にUEFAチャンピオンズカップで優勝するなど、輝かしい実績を挙げています。

●ピエール・リトバルスキー
華麗なドリブルテクニックと高いシュートテクニックを武器に、ドイツの名門・FCケルンや西ドイツ代表で活躍したサッカー選手。Jリーグ開幕の1993年にジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に移籍し活躍しました。

●ドゥンガ
ブラジル代表として3度のワールドカップに出場した大物選手。1994年大会では見事優勝し、ベストイレブンにも選ばれています。1995年にジュビロ磐田に入団し、強烈なキャプテンシーを発揮しクラブをけん引しました。

●ラモン・ディアス
アルゼンチン代表としてワールドカップのスペイン大会に出場、またクラブレベルではナポリやインテルといったセリエAの名門で活躍した名ストライカー。Jリーグの創成期に横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)に移籍し、初代得点王になるなど日本でも活躍しました。

●ミカエル・ラウドルップ
セリエAのユベントスやリーガ・エスパニョーラのバルセロナ、レアル・マドリードといった世界トップの名門チームで活躍した元デンマーク代表のサッカー選手。キャリア晩年の1996年に当時2部に所属していたヴィッセル神戸に移籍し、1部昇格に貢献しました。

●カレカ
イタリアの名門ナポリで、あのディエゴ・マラドーナとのコンビで得点を量産した、元ブラジル代表のストライカー。ワールドカップでも活躍しました。1993年にナポリから2部所属だった柏レイソルに移籍し、1部昇格に貢献。

●ベベット
高いスピードや抜群の得点力を武器に、ブラジルの国内リーグやスペインのリーガ・エスパニョーラで活躍した元ブラジル代表選手。1994年のワールドカップアメリカ大会では7試合に出場し、優勝に貢献しました。2000年に、ブラジル代表経験者を多く迎え入れてきた鹿島アントラーズに移籍。

●レオナルド
ジーコをはじめとする、ブラジルの名選手が多く在籍した鹿島アントラーズですが、サポーターに非常に愛された存在としてレオナルドは外せません。1994年にアントラーズに移籍する前は、ブラジルの名門サンパウロやスペインのバレンシアに所属、またワールドカップでも活躍していました。

●ゲーリー・リネカー
1986年のワールドカップメキシコ大会で得点王のタイトルを獲得した、代表通算48ゴール(イングランド歴代2位)の記録を持つ元イングランド代表のストライカーです。名門バルセロナや、イングランドのトッテナムで活躍した後、1993年に名古屋グランパスエイトに移籍。


まだまだ大勢の有力選手たちがJリーグに在籍していた、
ここで揚げた選手はほんの一部の選手たちなのだ、


JAPANESE ONLY ??    笑わせるな!!!











2014年3月15日土曜日

梅祭り

青き瞳の人も紅白梅を愛で

亡き父の朝餉梅干し梅茶漬け

んーーー、、どうなんだろう

またヨッパなんだけどさ、、、

今日から明日まで、毎年恒例の板橋区主催の梅祭り、

板橋区俳句連盟の師匠たちが、選句します
会場の雰囲気から、プロの俳人の句は採れないだろうと、そんな世迷い言を言い交わしながら
今日も呑んでいるのだなあ、、、

2014年3月9日日曜日

今日は句会

ゆく春に思ふことあり父は逝く

ひとつ花芯を喰らふ悪しき蟲

貝寄風にハングル文字の芥あり

常の店常のお客と目刺し食ぶ


蕾や異国の人も足を停め


太字が季語

2014年3月4日火曜日

ラーメン好き

ラーメンの原型は中国から伝わったのだろうが今や完全に日本食化し、日本中のあらゆる町や村でラーメン店を見かける、
日本蕎麦屋がなくてもラーメン店はある、ことに違和感も覚えない、

味噌味、醤油、塩、豚骨とスープの味もさまざま、
麺も太いの細いの中くらいのもの、縮れた麺、棒のように真っ直ぐな麺、さらに具や薬味の種類で分ければ千や二千を軽く超える種類があるかと思われる、

トマト味のスープ、チーズ味のスープ、コカコーラ味のスープなんていうのも昔、あった、
北海道札幌でみかけた、タラバガニラーメン、毛ガニラーメンには、それぞれ丼の上にタラバガニが、毛ガニがどんと載っていた、、

ラーメン好きとはいえ、おたくでも評論家でもないので、詳しくは専門誌にまかせるとして、東京東池袋に大勝軒というラーメン屋があった、
山岸さんという主人が営んでいたもので、弟子に店をゆずり以前とは少し離れた場所で現在も営業を続けているラーメン界の伝説とでも呼ぶべきお店、

山岸さんは長年のラーメン作りで腰を痛め、今はたまに店に顔を出す程度なのだとか、
ぼくも引っ越す前の店に三回ほど食べに行ったことがあり、その穏やかでにこやかな顔つきから生み出される、人柄そのままの味わい深いラーメンを美味しくいただいた、

彼のエッセーを図書館から借りて読み、肯くことが多かったので、その中から少しを紹介しようかと、、

ラーメンはスープの味で決まるといわれ、それはそうなのだがと、前置きのあと、
できあがったスープが気に入らないといって、その全部を捨ててしまうラーメン店がたまに雑誌などで紹介される、
プロなら捨てることが当たり前であるかのように持ち上げる論調、風潮の中、はたしてそれは(捨てる行為は)、店として、ラーメン作りの職人としてどうなのだろう?というのが、山岸さんの意見、

できたスープを何度も捨てるようでは、そもそも味が定まっていない、
味ができあがっていないようでは、店を開く技術がまだできていない、
きちんと修行し直し、自信がもて納得いく味ができあがってから店を開くべきだろうとの、まさしく卓見、

気に入らないものをなんとか直し、お客に出せるようにするのがプロの職人の技、、
食べるのを楽しみにして来てくれたお客さんに対し、スープができなかったので店は閉めますと追い返してしまうことは、お客さんに申し訳ないことだ思う、

スープに溢れている生命の問題でもあるのです、、、

豚、鶏、魚、多くの野菜、海草などなどたくさんの生命をいただくことでスープはできる、
スープを捨てるということは、それらのたくさんの生命を無駄にすること、
それは私にはできません

佳い話でしょう、

美味しいものを安くたくさん食べて欲しい、
氏のラーメン作りの原点はまさにそれだったと、どこかで述べられていた、
並盛りでも麺の量が多いのはそのせいだとか、

修行させて欲しいという弟子のほとんど全員を快く迎え入れ、惜しげもなくラーメンの作り方を教え、北海道から沖縄まで、山岸さんから教わった弟子たちが営むラーメン店が今日も店を開けている、




「美味しいものが、世の中にあることはいいことですから」
そんなに簡単に秘伝を教えてお店にとってマイナスではないですか、とのインタビューアーの質問に応え、淡々とそう話す山岸さん、

結局、最後の味の決め手は、ラーメンに対する愛情なのだと、愛情に関しては弟子の誰にも負けないはずだとの自信の表れなのだろうか、
にこやかなその笑顔は、今までもこれから続く毎日も修行の毎日、自信だなんてとんでもないと、言っているかのよう、、