2012年2月26日日曜日

100円の価値

たまに寄るリサイクルショップがある、
元々はそこに行こうとしたわけでなかったのだが、自称「おいしい」ラーメン屋さんを探していたときに、見つけたのだ、
ラーメンはあまりおいしくはなかったけれど、リサイクルショップが目に留まった、
それ以来、たまにバイクを飛ばして見に行くことにしている、

あまりこの店で買うことはしないのだけど、幾つか買ったことがある、
たとえば、、

梅酒用の大瓶とか、柚子胡椒を盛るための蓋付きの小鉢とか、韓国製の金箸とか、ラーメンを作るときのお湯切り用ザルとか、 蓋付きの綺麗な瓶があれば、2,3皿買ったかもしれない、、
なんだよ、けっこう買ってるじゃないか、、、

で、店の奥に足を運んで、隅々まで探してみると、本のコーナーが目についた、
入り口近くには置いていないのに、なかなか見つけられない場所に何冊かの本がある、
昔の雑誌の付録のようなものに混じって、少し厚手の本があった、

それがこれ・・、





ぼくが集めている福音館書店のあの本だった、
しかも好きな作家、フランス人作家のジュールヴェルヌ作じゃないか、
ジュールヴェルヌは、海底二万哩を読んで以来の、子どもの頃からの大好きな作家、
海底二万哩は今でも胸をときめかせて目を通している、
孤高の反逆者、ネモ船長、すべてのものは海に在るというその主張、塩ばかりでなく砂糖でさえも海から調達できると宣言しかつ実行する、
仲間の船員が大蛸との戦闘に傷つき死亡してしまうその葬儀の模様、ジュールヴェルヌが描いた時には、たぶん実在しなかった潜水服を着て弔うその厳粛な光景、何度読んでも飽きることがない・・、

そして見つけた「二年間の休日」
最初の何ページか読んですぐわかった、これって15少年漂流記の原作だっ
そうなんだ、15少年漂流記の原題は 「二年間の休日」なんだなあ・・・、
なんだか嬉しいぞ(笑)

こんなに見つけて嬉しい本なのに、値段を訊いたら、本はなんでも100円ですよ、だって・・、
1000円は出せないけれど、900円なら即買うこの本、
(1000円出すなら新品を手に入れたい、本も新品というのか・・)
それが100円だなんてさ、たぶん、売った人は10円か20円しか貰ってないと思う、
僅かな金額を手に入れて、この本を手放すその気持ちが理解できないけれど、ぼく的にはとてもありがたい・・、

またぼくの福音館書店シリーズが一つ集まったことにとても感謝している今日なのだ。。




2012年2月22日水曜日

読めない

図書館で本を借りている、借りてもいるし図書館の椅子に座り読んでもいる、

週刊誌、月刊誌、各種読めるから楽しい、
ビジュアルに凝った月刊誌は、写真誌をはじめとして1000円を超えるものも多い、
1000円出して買う価値があるのならば買うのだけど、読んでみないとわからないから、そんな勝負はできない・・・、

なので、読みながら借りるのだが、いつも5冊借りて、結局のところ3冊しか読めない、

貸出期間が2週間と、練馬区に比べて板橋区は短い、、
2週間で5冊は読めないなあ、、SFマガジンの11月号、出久根さんの「乙女のシジミ味」は一度も読まずに返却してしまった、、

んーーーー、、いかん、いかん


公開しなくてもよいはずの自分史の一コマ

長いタイトルのわりには、中身は大したことはない、

出張中の朝、夜の食事を、外食しないでスーパーで買ってきたものにしていると、以前にも書いたような記憶がある、

実際にどんなものを買ってきて食しているのか、今回の出張中からひとつ拾い上げてデジカメで撮ったものだ、






食パンがみえる、他のパン屋さんで買ったウインナ巻きのような棒状のパンもみえる、
コロッケ、ポテトサラダ、ハム、おやつ用のグレープフルーツもみえる、
これで、夜、朝の食事となる、
映ってはいないが、小さなパックの牛乳、お茶(500ml)も買ってある、

左側に立っている小瓶の各種は、七味、醤油、岩塩、胡椒などなどだ、すべて100円ショップで買ったもの、4つで420円だった、スーパーで買うよりも安いと思った、

今回泊まったホテルは、フロント近くにコーヒーサーバーが設置されていて、指定された時間内ならいつでも飲むことが可能、一人前用のコーヒーを持参して沸かして飲むこともなくなった、
なので、ガスバーナーや、コンロ、ヤカンの類は撮していない、
持っていったことは持っていったのだけどね・・・、

100円ショップに行き、火付け用の口の長いライターも買わなくてはなあ・・、
ボンと火が点き、毎回手を火傷しそうになる、コーヒーを飲むのにも危険が伴うのだな。。

しかしあれだ、このホテルには朝食が500円で食べられるレストランも併設されていて、和食、洋食から選ぶことができる、、
スーパーをあちこちと歩き回って、いろいろ選ぶ時間や手間、結局は自分の好きなものを掴む偏食のことを考えるならば、味付けにさえこだわりを持たなければ、用意された朝食を食べた方が、金銭的にも健康にも良いのかもしれないね、

ここまでするかと思える極端に甘い煮付けや、胡麻油に岩塩を塗りつけた韓国海苔の類が出されなければ、塩鮭と味噌汁と生卵、納豆の朝食で十分なんですけど・・・、






2012年2月19日日曜日

伴侶




最良の伴侶とは、、
ぼくは男なので、夫からみた妻の有り様の話になるのだろうけど、

推敲して書いているわけではないので、思いつくまま列挙、

清潔な人がいいな、
天気の佳い日には洗濯をし布団を干し、どいてどいてといいながら寝転がっている夫をどかし隅々まで掃除機をかけないでは気が済まない、、

友人の奥さんのさとみさんは、彼女が軽い欝にかかっていたせいもあるけど、一切家事をしなくなり、二歳の娘が畳に落としたウンチを拾おうともしなかった、
友人宅を訪れたときに、気をつけてくれよな、と言われたので、意味がわからず??な気持ちになったのだが、畳の上に落ちているウンチを踏むな、ということだった、
友人が帰宅後、洗濯をし夕飯をつくり娘の世話をしていた、
あちこちに転がっている娘のウンチを拾い集めては、彼が捨てていた、、

茶碗を洗わなくてもかまわない、洗濯もいいだろう、でも、、畳に落ちているウンチは拾えよ、そのくらいはせめてしろよ、不潔とかなんとかの問題以前の問題、
幼いとはいえ娘のプライバシーに関する問題でもあるだろう、友人にかわって彼の奥さんに怒りをおぼえた、
いくら欝だってそのくらいはできるだろう、と、、

ぼくだったら我慢できない、、、
そんなことをしなくてもすむ我が家をかえりみて、フツウに思っていたことがフツウではなく、実はとても幸せなことなのかもしれない、と気がついた、、


健康なおくさんがいいな、
奥さんが病気がちでは家の中が暗くなるだろう、と思う、
交際ならば、髪の毛の長い透き通るような白い肌をし潤んだ瞳の手に詩集を持ったサナトリウムの住人でも成立するのかもしれないが、それは小説の中の世界のできごと、
日常の茶飯事をこなす毎日の生活では、それ相当の体力と決意が求められる、
それができないのならば、できる前にできるための体力作りや意思固めが求められ、結局余分な仕事が多くなる、ますます仕事が増えて負担が多くなる、悪循環、負のスパイラル、破局・・、


料理が得意な奥さんがいいな、
チョー得意でなくてもいいから、イタリアンもフレンチも得意でなくていいから、毎日のいつもの総菜が、和食が、中程度に美味ければいい、
味噌汁が美味くて、ご飯が美味しく炊けて、野菜の鮮度を見分ける目をもち、活きのいい魚を選ぶことができる人がいい、
揚げものも煮物も手間と後片付けの煩わしさを気にしないで作る人がいい、
ぼくはどんどん食べるから、それを嬉しく思ってくれる人がいい、
できれば、塩加減が同じ好みの人がいい、味噌は減塩でも醤油は濃い口の方がいいな、


生まれた場所も違えば、両親も違う、もちろん性別も違うのだから、相手に”同じもの”を求めたりはしない、
でも、できることなら、ぼくと同じに動物が好きで読書が好きで、ボブマーレーが好きでジョプリンが好きで、美しいものをみたら胸をときめかし、魂を歌いあげた歌を聴いたときには心をふるわせる感性の持ち主がいい、
悪政に立ち向かい反抗ののろしを上げる民衆の抵抗勢力に声援を送る政治的な一体感が欲しい、

あと、お洒落に気を遣う人もいい、靴と靴下の色に気を注ぐ人がいい、高価なものでなく、自分に合ったものを見つけ、少しの細工や小物で世界に一つのオリジナルな世界を築ける人もステキ、

まだまだありそうだけれど、今日はこんなところで・・、

ところで、


相手に求めたことはそのまま自分に還ってくる、ということに気がついていないぼくではないから・・・。。







2012年2月17日金曜日

nmu

んむー 帰ってきた・・、
そんなに偉そうにいうことでもないけれど、とにかく帰ってきたから、これはお祝いなのだ、

昔、島で暮らしていた、
島の、とくに船乗りの(それがエビ網船でも、ただのサザエ獲りでも)、海に出るということは即ち危険なことだと、本人も家族も、とくに船乗りの奥さんは自覚していた、

だから・・・、明日は海に出ると決まっていた、それがわかっていたその晩には、特別なルールがあった、

夫婦なのだから合体もあったかもしれない、それが長年の今はもう心ときめかない合体であっても、明日この夫は死ぬかもしれないと思った熱烈な合体であっても、とにかく、特別な夜を過ごしたのだ、そのはずだ、、、


そのどちらにでも、酒がつきものだった、

舟が出れば出舟祝い、無事に帰ってくれば入り舟祝い、、
なんだかんだと祝ってばっかりなのだけど、それだけの決めごとというか、死ぬかもしれないという覚悟があった、

だから・・、無事に帰ってこれたということを、もっと喜ばなくてはいけないと、ぼくは思うのだ、

今は、一般的な交通手段としては、稼ぎの糧としては、舟のかわりに車だろう、
車ででかけ車で帰ってくる、それが当たり前のことではなく、覚悟が伴うものだと、誰しもが自覚すべきだという論は、まだ成熟してないのだろうか、いまだに未熟なのだろうか、

無事に帰ってきたのだから、もっと大げさに喜べ、、
上にも下にも置かないくらいに喜んでも、、、

あまりにも、夫がでかけそして無事に帰ってくるのがフツウになったのだから、それは無理な相談なのだろうなあ・・・、

昔はよかった、などと思い出に浸る気は毛頭ない、
まあしかし、たまには、夫の帰りをおおげさに喜ぶ妻が、立場を変えれば夫がいてもいいのでは。。

ということで、今日の歌は、久しぶりに紹介するのだが、斉藤和義さんのこの歌、

彼は、反原発のあの歌以来、ぼくが注目している歌手なのだ、あんな歌を歌えば生活に支障があるのではないか、山本太郎さんのことも気にかかるし、、、



2012年2月15日水曜日

明日から出張

2月から3月にかけての仕事の乗り込み初日

学園都市の別名をもつ、茨城県つくば市まで、

今週は明日から一泊、来週は月曜から三泊の予定、実験終了日まで計19日間働くことになる、

そこそこの単価をいただくのだが、高速利用の車での移動がつらそうなので、素泊まり4500円を払って現地近くのビジネスホテルに泊まることにした、
その分は出ないので、単価から値引かれることになってしまう、
高速代金や往復にかかるガソリン代、運転にともなう肉体的疲労を考えると、たとえ4500円の出費でも泊まった方が楽だと、結論を出した、

まあ、行ってくる
明日は、パソコンを持参しないので、のんびり本でも読むことになる、

ホテル近くの書店を探し、寝しなに読む本を買うことになるのだろう、
面白い本にめぐり会えれば嬉しい・・、

2012年2月14日火曜日

体調不良

腹痛から寝込んでしまい、3日間仕事を休んだのが先月、
なんとか仕事を切り抜け、明日からまた新規の仕事がまっている、

こちらがなんとか復調したかと思っていたら、今度は家人が・・、

今日、車で病院まで連れていくことにした、
といっても寝込んでしまったわけではなく、口調もはっきりしている、
ただ、婦人科系で気になることがあるのだとか、

男子にはよくわからない分野であるし、まして医学の心得がないぼくにはまったくわからない、
さまざまな検査をしてもらい原因をつきとめて対策はそれから、

気に病むこともない結果になる、とは思っている、

しかし大学病院に限らず高度医療を行っている大きな病院はいつでも混んでいる、
待ち時間3時間、診察5分などというのもザラ、さらにそれから薬剤、支払いと、帰宅の途に着くまでに何重もの扉をくぐらなければならない、
健康な人間まで待っている間に病を背負い込みそう・・、なんとかしてくれ



2012年2月4日土曜日

天国は「おとぎ話」にすぎない

ホーキング博士が語る  (CNN) 

英物理学者、スティーブン・ホーキング博士(69)が英紙ガーディアンとのインタビューで、天国や死後の世界は実在せず、「おとぎ話」にすぎないとの主張を展開した。

15日付の同紙によると、ホーキング氏は人間の脳を「部品が故障すれば機能が止まるコンピューター」と考えていると述べた。そのうえで、「壊れたコンピューターには天国も死後の世界もない。それは暗闇を恐れる人々のためのおとぎ話だ」と主張している。

同氏はまた、21歳で筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)と診断された自身の死について「私は過去49年間、早死にすると言われながら生きてきた」「死を恐れてはいないが、急いで死ぬつもりもない。その前にやりたいことがたくさんある」と語った。

ホーキング氏は昨年9月に出版した著書「The Grand Design」(邦題:ホーキング、宇宙と人間を語る)で、宇宙は神が創造したのではなく、重力の存在によって「自然発生的」に生まれたとの見方を示していた。 

博士が語った見解には、ぼくも全面的な賛意を捧げるものだ、

同時に、科学者としては至極当然の結論であり見解であると思うのだが、イギリス人である博士の発表ということを考えるならば、 今後、博士に寄せられるであろう、キリスト教会やら頑迷な保守主義者によるさまざまな攻撃を思うと、心配になる。

天国なんかない、ただ青い空がひろがっているだけ、と歌ったジョン・レノン、ホーキング博士もレノン氏も同じことを違う観点から述べたに過ぎない、

イギリスには、産業革命以来、伝統的に科学的視野や、手法、哲学が確立されている一方、いまだに王室を堅持し、イギリス国教会の勢力も庶民の生活や慣習に大きな影響力をもっていることなどなどから、今回の博士の見解が全面的な賛同を得るとは考えにくいからだ。

至極真っ当な意見である、天国=おとぎ話説、 

神が人間を創ったのでなく、人間が理想を求め自らに似せて神を造った、ぼくも前からそう思っていた、ホーキング博士とぼくとは比べようもないのだが、一流の科学者と同じ意見をもてていることに少し喜びを感じる。。