北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の指導者で、最高権力者といわれてきたキムジョンイル氏の死が報道された。
指導者なのか、救国の英雄なのか、よくわからない、
ただ、ぼくの目に偉大な人物だと映ったことは一回もなかった。
拉致問題、国内における飢餓問題、国際社会から隔絶したかのような国策と、核施設問題に見られた強引とも思える政策などなどからではない。
父親から移譲された国家のトップという安楽な椅子に座り続けた、少なくとも指導者などでなく、部族の長がふさわしい人物、まるで小者、肥満の身体をもてあまし気味に朝鮮民族の犠牲の上にあぐらをかき続けた人物、
そんな印象しか持ってはいない。
友人には、日本で生まれた韓国籍の人、朝鮮籍の人がいる、韓国からの留学生も何人か知っている。
その中で交わされるキムジョンイル氏への評価は、どのようなものか。
実は全くといっていいほど、話題に上らない。
朝鮮籍の人の場合、太平洋戦争に敗戦するまでの日本の天皇と同じように神格化されたその像を、臣下たる一般市民が口にするのも畏れ多いということもあるのかもしれない。
それのせいか、キムジョンイル氏についてあれこれと言うことをきいたことはない。
北朝鮮と国境を接する大韓民国の場合、事情はいくらかは深刻かもしれない。
第二の朝鮮戦争の可能性が全くないとは言い切れない、きな臭い関係に常にあるからだ。
世界に一つの朝鮮民族が、あの戦争を契機に二つの国に分断されている、それは悲劇の種類に分けるべきことがらであり、少なくとも喜劇ではないだろう。
悲劇はいつか必ず終わるのだと、朝鮮民族は必ず民族の英知と我慢強い辛抱の上に一つになるだろうと、ぼくはそんな夢を持っているのだが、資本主義と独裁主義(決して共産主義などというものではない、世襲制度にあぐらをかき、国家の指導部の中枢を息子に譲り渡す共産主義者などあり得ない)、この二つの体制が一つになることなく、この地球上に対等に平等に存在し続ける、その平和的な可能性の道を、いつか彼らは必ず導き出すだろう。
朝鮮民族のこれ以上の分断と、混乱からの流血を望まない立場から、ぼくは今後の朝鮮の動向を注視している。
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