2011年12月31日土曜日

基地街

気が狂うという意味で、キチガイと打ち込み変換させたところ、基地街としか変換できなかった、
気狂い、と変換するものだと思っていたのですこし違和感を覚えた(実はこれはウソ、以前にも同じことをやっていて変換できなかったのは既に確認済みなのだ)。

このような漢字変換に伴う差別用語の撤廃というのか、漢字変換をできなくさせた例は他にも幾つもある、
小人もそうだった、
さまざまな肉体的ハンディキャップを負った人々の一般的な呼称だと思われていて、以前には普通に使われていた言葉が、まずテレビやラジオ、新聞から消えた、

当然テレビ中継された演芸の世界からも追放された、
テレビ中継されていない場面では、そのものずばりの呼称で演じられていたのだが、

少し脳がヨワイ好青年を与太郎という、、、
 八っつあん、熊さん、大家さん、知ったかぶりのご隠居、大工の棟梁(頭領)、とおなじみの落語の世界、
お袋に世話ばかりかけていっこうに働こうとしない与太郎を、大家さんがみかねて説教する、
「おまえね、いくつになったい」
「あたい、あたいはね24歳」
「24にもなって家でぶらぶらしてるって、どういう了見だい。ええっ、お袋が泣いていたぞ」
「あたいも悪い男だ」
「なんでだ」
「年増を泣かせる・・」

「だからお前はバカだってぇんだ」 (え~ただいま演目最中に不謹慎な用例がが用いられました、謹んでお詫び申し上げます)
こうなったら、それはもう芸ではない

そうした世間の風潮に抗議し筆を折った作家もいた(これを書いている時点ですでに復帰している)、

言葉だけを陽のあたる場所から隠してみても、そのハンディキャップを抱えている人々が置かれている差別的な状況から掬わない限り(救わない、でなくて)、差別的構造の改革にまるで意味をもたないのは当然だろう、

言葉の差別的な用法を無くしたから差別がなくなりました、私たちは差別はしていません、
これって、どこかおかしい、じゃない?


小人プロレスという興行が以前存在した、
なぜか女子プロレスと同時に興行されていたのだが、その可笑しさといったらなかった、
審判の股ぐらをかいくぐり、相手の足を蹴る殴る、全く効いてもいないパンチ(だと思えるのに)にすぐ倒れる、
スポーツとは真逆のその演芸の世界を見て腹から笑ったものだった、
このプロレスが中止になったのは、身体的なハンディキャップを見世物にしているから悪だとのご意見からだった、

ご意見はご意見でけっこうなのだが、興行が中止になり(会場は公共の場である市立体育館だとか、区立スポーツセンターなどが多かったのだが、そこでの会場使用を断られたのだ)、そしていつしか無くなり、それで実際に困ったのは、ケッコウなご意見を宣(のたま)ったごリッパな人々ではむろん無く、そのプロレスで実際に芸を演じ、そこから収入を得て妻子を養い生活をしていた、多くの小人とよばれたハンディをもった人々だった、
ということに、どうして気がつかないのだろう 、、


「プロレスの仕事が無くなってからどのような生活をしていましたか?」
「えっ、結局さあ、生活保護しかなかったよ・・・」

自立の道を閉ざしておいて、生活のスタートラインを健常者の遙か後ろに引いておいて 、言葉での差別はなくしておいたのでこれで公平です、さあ、ドンと鳴ったら同時に走りましょうだ?

ふざけるな、その思想こそが差別の根源だろう!!



2011年12月26日月曜日

年末忙々

明日、明後日、あと二日仕事をすると年末休みとなる、
今年はなぜか、年末に近づくにしたがって仕事が増え、12月28日の最後の最後まで仕事が出てきた、
こんな年も珍しい、
世間では仕事がなくて困っている人も大勢いるときいている、
仕事をやる気がなくて仕事がないのならそれもいいのだろうが、やる気はあるのに仕事がない、労働者にとってこれほど辛いこともないだろう、

仕事に恵まれた後半を思えば、ぼくにとって今年は良い年だった、

これほど仕事をしてもしても、まだ会社を維持する経費が足りないという意見も身内から上がっているのだが、はっきりいってクソクラエ、
仕事があって仕事をもらえ、三度三度のおまんまに困らない、暖かい布団に寝られて暖房の効いた部屋でテレビを見ながらアハハオホホ、これほど結構なことはないじゃないか、
というのがぼくの言い分、
少なくとも、この厳寒の季節に草を枕に身を横たえる ホームレスの人のことを思え、なのだ

上をみたらきりがない、
身の丈に合った生き方暮らし方をし、世間の義理を欠かさず恥の心を忘れずに過ごしていくのなら大過はない、

1月の5日から仕事を手伝ってほしいと頼まれた、
今年やり残した仕事の追加注文も1月半ばに一件あるし、2月にはつくば市での一ヶ月にわたる長期の実験も決まっている、

ますます忙しくなりそうな2012年なのだよ 小林少年くん!

2011年12月23日金曜日

書くほどのことはないのだが

昨日は忘年会、我孫子駅前の「八ちゃん」という店
魚介類も豊富で、なぜか焼肉もできるメニュー豊かな店だった
二時間ほど楽しんだあと、帰宅した

ただ飲んでいるだけではつまらないので、昭和の忘年会を模擬して遊ぶことにした

昭和の忘年会というのは、
まず若い社員の口から会社への不満が出る、それが散々出尽くしたあと、それを黙って聴いていた上司から説教が始まる
その説教にさらに不満を募らせた社員が、なぜぼくらのことをわかってくれないのですか、と泣き出す、怒り出す、いきなり立ち上がり上司に詰め寄ろうとする者があり、テーブルの酒やつまみが飛び散る・・・

というものなのだが、素人のにわか演技なので迫力もなく 、普段通りの和気藹々とした仲良し飲み会になってしまった
イカンなあ

2011年12月19日月曜日

将軍の死

北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の指導者で、最高権力者といわれてきたキムジョンイル氏の死が報道された。
指導者なのか、救国の英雄なのか、よくわからない、
ただ、ぼくの目に偉大な人物だと映ったことは一回もなかった。

拉致問題、国内における飢餓問題、国際社会から隔絶したかのような国策と、核施設問題に見られた強引とも思える政策などなどからではない。

父親から移譲された国家のトップという安楽な椅子に座り続けた、少なくとも指導者などでなく、部族の長がふさわしい人物、まるで小者、肥満の身体をもてあまし気味に朝鮮民族の犠牲の上にあぐらをかき続けた人物、

そんな印象しか持ってはいない。

友人には、日本で生まれた韓国籍の人、朝鮮籍の人がいる、韓国からの留学生も何人か知っている。
その中で交わされるキムジョンイル氏への評価は、どのようなものか。
実は全くといっていいほど、話題に上らない。

朝鮮籍の人の場合、太平洋戦争に敗戦するまでの日本の天皇と同じように神格化されたその像を、臣下たる一般市民が口にするのも畏れ多いということもあるのかもしれない。
それのせいか、キムジョンイル氏についてあれこれと言うことをきいたことはない。
北朝鮮と国境を接する大韓民国の場合、事情はいくらかは深刻かもしれない。
第二の朝鮮戦争の可能性が全くないとは言い切れない、きな臭い関係に常にあるからだ。

世界に一つの朝鮮民族が、あの戦争を契機に二つの国に分断されている、それは悲劇の種類に分けるべきことがらであり、少なくとも喜劇ではないだろう。
悲劇はいつか必ず終わるのだと、朝鮮民族は必ず民族の英知と我慢強い辛抱の上に一つになるだろうと、ぼくはそんな夢を持っているのだが、資本主義と独裁主義(決して共産主義などというものではない、世襲制度にあぐらをかき、国家の指導部の中枢を息子に譲り渡す共産主義者などあり得ない)、この二つの体制が一つになることなく、この地球上に対等に平等に存在し続ける、その平和的な可能性の道を、いつか彼らは必ず導き出すだろう。

朝鮮民族のこれ以上の分断と、混乱からの流血を望まない立場から、ぼくは今後の朝鮮の動向を注視している。


2011年12月14日水曜日

ネイマール

 



























今後の10年間、世界のサッカー界で最も注目される男、ネイマール
 18歳でブラジル代表になり、今現在、19歳、

あのキング・ペレが「ネイマールは、メッシ(スペイン・バルセロナ)より上だ」と、、、
その才能、そのセンス、教わってできるものではないのだろう、
 それが当たり前だといえばそうなのだけど、努力が才能を上回ることはないのか、という古くからの命題に、才能が答えを出したかのようで、ある意味、哀しい、、

ネイマール、ブラジルの宝、
否、ブラジルの宝ではないだろう、スポーツとかサッカーとかのジャンルを超えて、世界の宝物なのだろう、

相手チームは怪我をさせるなよ、
自身は、おかしな女とできてしまうなよ、
心からそう願う。。

あー、すでに結婚しているんだもね、なら安心だ、
ほんとにそうか?




2011年12月7日水曜日

ノロ

朝日新聞の投稿欄から

野呂さんという読者の方から、ノロウイルスのノロという読み方が姓と同じなので、いじめの対象になっている、ノロウイルスという名前を変えて欲しい、との投稿だった、

大人の世界のことではないだろう、きっと子どものことなのだと思う、
大人が野呂さんのことを、
「ワーイ野呂ってノロウイルスの野呂なんだー 」と、からかわないと信ずる、
日本人の幼児化がそこまで進行しているとは思いたくもないからだ、

子どもの世界は(自分の子ども時代を思い返してみても)、大人が信じているほど、大人が思い込みたいほど、美しくも純粋でもない、

相手の立場とか心情とかを汲み取る余裕も知識もないので、言いたい放題したい放題、
触れて欲しくはない心の傷にまで、どかどか入り込んでいく、
それが子ども、それが子どもの特権、
子どもだから、と許される範囲の中で、大人の守備範囲の中で子どもは人とのつきあい方を学んでいく、
人間との関わり合い方を学んでいく、

お釈迦様の手の平で暴れたあの猿のように、

それが、姓によっていじめ(いじめ?なのか)られるから、世間の通称である病原菌の名前を変えてくれだなんて、そこまでヨワイのかなあ
そこまで、抵抗力がないのかなあ、

世間にはいろいろな人がいる、そのことを十分承知しながらも、その主張は変でしょう、
と、絶対的な自信をもって断言したい自分がいる、

ぼくがおかしいのか、、、

2011年12月6日火曜日

病院通い

 














今朝は、6時起き、飼い猫のがっちゃんが起こしにきた、
いつものことだから、どんと勢いをつけて乗ってきても驚かない、というのはウソ、
寝ているところをいきなり上に乗ってくるので、いつまでも慣れない、

起きるまで、起きてご飯をあげるまで何度も何度も乗ってくるので、仕舞いには根負けして起きる、
毎朝の光景なのだ、
だからこうして書いても大して驚きはないなあ、

今日は病院へ、
11月に診察の予定だったのだが、仕事が忙しく行けなかった、
仕事をしている以上、仕事が中心になる、

仕事が大好きだ、というわけでもないのに、そんなところに責任感が顔を出す、

2011年12月3日土曜日

増える本


 
西荻窪の通称「骨董通り」を散策しながら、目に留まるものといえば、骨董店はもちろんのこと、やはり古本屋さん、
あれば入店してしまう、

家人に骨董眺めをまかせ、ある古書店に入り立ち読みすること、数十分、
この時間は気にならないのだなあ、、


中年の男性が店番をつとめる店内にはおだやかなゆったりとした時間が流れているかのようで、棚を散見すると、レコードの解説書、ポスター類、などに力を注いでいると見受けられた、

それらにはあまり興味がないので、他の棚と店前に並べられた均一本の背中を眺める、
店先にあった、日本むかしばなし集一、二、三を3冊まとめて手にした、
3冊まとまっているので、買う気になった、
昔から、童話とか民話とか好きだ、
ほろっと泣いてしまいそうになる民話も数多い、

レコード関係のコーナーで見掛けた「フルトヴェングラー 音楽と政治」クルト・リース著も購入、
カラヤンの前のベルリンフィルの常任指揮者だった彼、
ナチスに利用されたことが原因で、戦後一時期音楽界から隠遁をよぎなくされた彼、
魔王的だとも表された彼の指揮に、ぼくは強く賛意をおぼえたものだ

他に、小沢昭一さんの「裏みちの花」文春文庫も購入、
表でなく裏と名付け、そこに関心と興味を寄せるいつもの彼がいる、

ネットの通販で、深沢七郎氏の「生きているのはひまつぶし」「言わなければよかった日記」中公文庫を購入、
やっと買うことができたKAWADE夢ムック「武田百合子」天衣無縫の文章家、も購入、
愛読書の一つになりそうな予感が大なのだ、


彼女の文章はあとでまとめて紹介することになる、
多くの文章家たちがみとめ、愛した彼女の文章のどんなところが好かれたのか、
自分なりにまとめて思いを強くしたい、