2019年3月4日月曜日

同級生

小学校を6回転校し中学校を3回転校した、

中学校の2回目の転校先は、熊本の中学校だった、
その時の級友たちとは今でも親交があり、4年に一回のクラス会も開かれている、
クラス回はオリンピックの年の8月13日夕刻から開催する、、
そう決めたのは何回目かのクラス会の時、
人数の確認やら会場の手配などの幹事の手間を減らすことと、決めておけば予定を立てやすいということ、お盆でもあり嫁に行った女子たちも実家に帰ってきているのでは、とそんな理由からだったと思う、

この内容はいつかも書いた記憶がある、

男子の幹事役一名、女子の幹事役一名がそれぞれ居て、開催日近くなると案内の葉書が届く、
体調が良ければもちろん喜んで参加するのだが、来年のクラス会には参加できそうもない、それが残念で仕方がない、

昨日、幹事役の男子から電話をもらった、
ぼくの病状を聞きつけての見舞いの電話だった、
久しぶりの懐かしい声に励まされいろいろ話をした、

彼のお父さんもCOPDに晩年罹ったのだが、それでも80歳を超える年まで農作業をし、車の助手席に酸素ボンベを転がし吸入しながら運転していたと聞いた、
「都会と違って田舎は車がないと生活できないから」というのが一つの理由だったが、それだけではないだろう、
なによりその元気ぶりに驚かされ、感心してしまった
運動といえば家の中を歩いている自分とはスケールが違う、
酸素吸入をしながら普通に生活を営んでいるその姿に勇気づけられる、

同級生の近況の話の中で、去年、奥さんを亡くされた級友Mの話になった時には、
「彼が・・・」一瞬、絶句してしまった、
なんでも職場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだとか、
なんと言っていいのか言葉が見つからない、
もし自分が同じ立場になり妻に先立たれたら、、、

「M君とは、来週、飲むことになっている」そう告げる幹事役の彼、、

案内状を出しても戻ってきてしまう同級生、連帯保証人になり借金を背負って行方不明になってしまった同級生、そして、、

来年はクラス会の年、何歳になっても、何があっても同級生は同級生、
会えば昔の中学生にすぐに戻ってしまう、



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