元気です、
というか、いつも通りの症状が毎日続いていて、横になれば楽、起きていると息苦しい、
そんな毎日、、
明日は通院、
精神科、呼吸器内科、放射線科、以上!
3科受診で疲れるのは仕方ない、往復のタクシー代金が一回で済むので助かる、
先月は1週間に一回の通院、週に2回の時もあったし、、
熱も下がり、その後なんの症状も出ていない、
あの熱はなんだったのだろう、
たまに出るのだなあ、、、
2019年3月25日月曜日
2019年3月10日日曜日
高熱
夕方になると熱が出ることがある、
水曜日の深夜がそうだった、
9.3℃! 平熱が6.5℃前後なので、何が起きたのかと連れ合いも自分も慌てた、
2月の初めに肺炎で入院したばかり、ぶり返したのか、また入院かと、、
それが朝になると平熱に下がってしまう、
昨日もそうだった、
夜7時に8.3℃ 決して平熱ではない
靴下をはき湯湯婆を足下に入れてもらっている、
そのせいかとも考えたのだが、
連れ合いいわく「そんなことはないでしょう、湯湯婆のせいで熱がでたなんて聞いたことがない」と、
そして今朝、平熱6.6℃にもどっている、
身体のどこかに炎症が起きているとすれば、呼吸器系のどこか、肺か気管支か、
もっとも慢性気管支炎だから、いつも炎症は起きている?
気になっているのだが、次の受診は2週間後、それまではこのまま、
それが、2週間放っておいたことが命取りにならないことを願うばかりの今日この頃、、
水曜日の深夜がそうだった、
9.3℃! 平熱が6.5℃前後なので、何が起きたのかと連れ合いも自分も慌てた、
2月の初めに肺炎で入院したばかり、ぶり返したのか、また入院かと、、
それが朝になると平熱に下がってしまう、
昨日もそうだった、
夜7時に8.3℃ 決して平熱ではない
靴下をはき湯湯婆を足下に入れてもらっている、
そのせいかとも考えたのだが、
連れ合いいわく「そんなことはないでしょう、湯湯婆のせいで熱がでたなんて聞いたことがない」と、
そして今朝、平熱6.6℃にもどっている、
身体のどこかに炎症が起きているとすれば、呼吸器系のどこか、肺か気管支か、
もっとも慢性気管支炎だから、いつも炎症は起きている?
気になっているのだが、次の受診は2週間後、それまではこのまま、
それが、2週間放っておいたことが命取りにならないことを願うばかりの今日この頃、、
2019年3月8日金曜日
友人たち
友人たちが、それぞれの手土産を持参し来宅、
今度の日曜日が句会当日なので、それに合わせて勉強会?のようなおしゃべり会を毎回開く格好になって数ヶ月が経つ、
珈琲とちょっとしたお茶菓子は我が家で提供する、
一ヶ月に一回の集まり、お久しぶりの顔ぶれが嬉しい、
毎回のことなのだが、今回も友人たちからたくさんのものを頂戴した
(この場合のものは、決して物と漢字で書かないように、その物でなく、心のこもったもの、だから、結婚し築き上げた二人のもの、と書いても、二人の物とは表記しない)
タンスや冷蔵庫なら、ふたりの物だけどさ、、
摘み立ての綺麗に洗われた野生の田芹、ジャム2缶、いちご1パック、なぜか数の子、、
はっきり言ってもらい過ぎなのだ、嬉しい♪
まだまだわからないことがたくさんある俳句の世界、
友人たちより作句年数だけは自然と経ってしまったので、アニキとかニイサンとかと呼ばれているけれど、中身は経験だけでお茶を濁している、、
と、書きながら「お茶を濁す」という言葉の語源を知らなくて何気なく使ってしまっている、調べればわかるのだろうけど、今はその気が無いので、そのままにしておく、
こういう言い方、放っておくやり方が、ぼくの場合、けっこう多い、
まあ、気にしないで、、
俳句って、575の17文字の世界?
そうだとも言えるし、そうでないともいえる、字余りは普通のことだし、字足らずは、滅多にみないけど、大昔の、前衛俳句時代には、み とか、そ とかの一文字の俳句?もあったという、、
さすがに、削って削って削った故の字足らずとはいえ、一文字で俳句とはいえない、と
すぐに飽きられ姿を消してしまったとか、それはそうだろう、、
季語がない俳句も一部ではまだ作られているようだし、575で体裁を整え季語を入れる、という世界を縛りととらえるのか、その中での自由な世界を楽しむとするのかで、世界はずいぶんと違ってみえるはず、、
たとえば絵画の世界、前衛か古典かでいうと、キャンバスに収まっている限りは少なくとも伝統的絵画の世界だと思う、
キャンバスをはみ出し抜け出すその世界は、知っている限り前衛絵画の世界でしかない、
バケツの中にさまざまな色のペンキを入れ、そこにボクシングのグローブを漬け込んで壁にむかい殴りつける、一回一回色合いが違うことはもちろん、気合い、迫力、それぞれ違うものができるとはいえ、決して欲しいとは思わない、
それが芸術かどうか、その点からの回避ではなく、誰かがやってしまったことだから、それの二番煎じはつまらないと、思うからだ、、
グローブでなく身体に塗りたくって紙に向かってぶつかっていくゲイジュツもどこかでみたことがある、
まあ、精神は同じようなものだろう、
その意味で、575の世界はキャンバスの中の世界、その中で気に入った作品や、名作佳作ができるはずだと思っている、
といいながら、最近の自分は、575の文字数や季語にもあまりこだわっていない、
類想句ではないか、詩心があるか、こだわるのはそんなところか、、
月に10句も作るわけではないので(それでも年間に100句、んーー)、一つ思い浮かべると、溶けるまでなめ尽くす飴玉のように、その句をひねくり回している、
そのうちに溶けてなくなってしまうこともしばしば、
美味しいからなくなるのか、元々大した実体がないからなのか、それはわからない、、、
今度の日曜日が句会当日なので、それに合わせて勉強会?のようなおしゃべり会を毎回開く格好になって数ヶ月が経つ、
珈琲とちょっとしたお茶菓子は我が家で提供する、
一ヶ月に一回の集まり、お久しぶりの顔ぶれが嬉しい、
毎回のことなのだが、今回も友人たちからたくさんのものを頂戴した
(この場合のものは、決して物と漢字で書かないように、その物でなく、心のこもったもの、だから、結婚し築き上げた二人のもの、と書いても、二人の物とは表記しない)
タンスや冷蔵庫なら、ふたりの物だけどさ、、
摘み立ての綺麗に洗われた野生の田芹、ジャム2缶、いちご1パック、なぜか数の子、、
はっきり言ってもらい過ぎなのだ、嬉しい♪
まだまだわからないことがたくさんある俳句の世界、
友人たちより作句年数だけは自然と経ってしまったので、アニキとかニイサンとかと呼ばれているけれど、中身は経験だけでお茶を濁している、、
と、書きながら「お茶を濁す」という言葉の語源を知らなくて何気なく使ってしまっている、調べればわかるのだろうけど、今はその気が無いので、そのままにしておく、
こういう言い方、放っておくやり方が、ぼくの場合、けっこう多い、
まあ、気にしないで、、
俳句って、575の17文字の世界?
そうだとも言えるし、そうでないともいえる、字余りは普通のことだし、字足らずは、滅多にみないけど、大昔の、前衛俳句時代には、み とか、そ とかの一文字の俳句?もあったという、、
さすがに、削って削って削った故の字足らずとはいえ、一文字で俳句とはいえない、と
すぐに飽きられ姿を消してしまったとか、それはそうだろう、、
季語がない俳句も一部ではまだ作られているようだし、575で体裁を整え季語を入れる、という世界を縛りととらえるのか、その中での自由な世界を楽しむとするのかで、世界はずいぶんと違ってみえるはず、、
たとえば絵画の世界、前衛か古典かでいうと、キャンバスに収まっている限りは少なくとも伝統的絵画の世界だと思う、
キャンバスをはみ出し抜け出すその世界は、知っている限り前衛絵画の世界でしかない、
バケツの中にさまざまな色のペンキを入れ、そこにボクシングのグローブを漬け込んで壁にむかい殴りつける、一回一回色合いが違うことはもちろん、気合い、迫力、それぞれ違うものができるとはいえ、決して欲しいとは思わない、
それが芸術かどうか、その点からの回避ではなく、誰かがやってしまったことだから、それの二番煎じはつまらないと、思うからだ、、
グローブでなく身体に塗りたくって紙に向かってぶつかっていくゲイジュツもどこかでみたことがある、
まあ、精神は同じようなものだろう、
その意味で、575の世界はキャンバスの中の世界、その中で気に入った作品や、名作佳作ができるはずだと思っている、
といいながら、最近の自分は、575の文字数や季語にもあまりこだわっていない、
類想句ではないか、詩心があるか、こだわるのはそんなところか、、
月に10句も作るわけではないので(それでも年間に100句、んーー)、一つ思い浮かべると、溶けるまでなめ尽くす飴玉のように、その句をひねくり回している、
そのうちに溶けてなくなってしまうこともしばしば、
美味しいからなくなるのか、元々大した実体がないからなのか、それはわからない、、、
2019年3月4日月曜日
同級生
小学校を6回転校し中学校を3回転校した、
中学校の2回目の転校先は、熊本の中学校だった、
その時の級友たちとは今でも親交があり、4年に一回のクラス会も開かれている、
クラス回はオリンピックの年の8月13日夕刻から開催する、、
そう決めたのは何回目かのクラス会の時、
人数の確認やら会場の手配などの幹事の手間を減らすことと、決めておけば予定を立てやすいということ、お盆でもあり嫁に行った女子たちも実家に帰ってきているのでは、とそんな理由からだったと思う、
この内容はいつかも書いた記憶がある、
男子の幹事役一名、女子の幹事役一名がそれぞれ居て、開催日近くなると案内の葉書が届く、
体調が良ければもちろん喜んで参加するのだが、来年のクラス会には参加できそうもない、それが残念で仕方がない、
昨日、幹事役の男子から電話をもらった、
ぼくの病状を聞きつけての見舞いの電話だった、
久しぶりの懐かしい声に励まされいろいろ話をした、
彼のお父さんもCOPDに晩年罹ったのだが、それでも80歳を超える年まで農作業をし、車の助手席に酸素ボンベを転がし吸入しながら運転していたと聞いた、
「都会と違って田舎は車がないと生活できないから」というのが一つの理由だったが、それだけではないだろう、
なによりその元気ぶりに驚かされ、感心してしまった
運動といえば家の中を歩いている自分とはスケールが違う、
酸素吸入をしながら普通に生活を営んでいるその姿に勇気づけられる、
同級生の近況の話の中で、去年、奥さんを亡くされた級友Mの話になった時には、
「彼が・・・」一瞬、絶句してしまった、
なんでも職場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだとか、
なんと言っていいのか言葉が見つからない、
もし自分が同じ立場になり妻に先立たれたら、、、
「M君とは、来週、飲むことになっている」そう告げる幹事役の彼、、
案内状を出しても戻ってきてしまう同級生、連帯保証人になり借金を背負って行方不明になってしまった同級生、そして、、
来年はクラス会の年、何歳になっても、何があっても同級生は同級生、
会えば昔の中学生にすぐに戻ってしまう、
中学校の2回目の転校先は、熊本の中学校だった、
その時の級友たちとは今でも親交があり、4年に一回のクラス会も開かれている、
クラス回はオリンピックの年の8月13日夕刻から開催する、、
そう決めたのは何回目かのクラス会の時、
人数の確認やら会場の手配などの幹事の手間を減らすことと、決めておけば予定を立てやすいということ、お盆でもあり嫁に行った女子たちも実家に帰ってきているのでは、とそんな理由からだったと思う、
この内容はいつかも書いた記憶がある、
男子の幹事役一名、女子の幹事役一名がそれぞれ居て、開催日近くなると案内の葉書が届く、
体調が良ければもちろん喜んで参加するのだが、来年のクラス会には参加できそうもない、それが残念で仕方がない、
昨日、幹事役の男子から電話をもらった、
ぼくの病状を聞きつけての見舞いの電話だった、
久しぶりの懐かしい声に励まされいろいろ話をした、
彼のお父さんもCOPDに晩年罹ったのだが、それでも80歳を超える年まで農作業をし、車の助手席に酸素ボンベを転がし吸入しながら運転していたと聞いた、
「都会と違って田舎は車がないと生活できないから」というのが一つの理由だったが、それだけではないだろう、
なによりその元気ぶりに驚かされ、感心してしまった
運動といえば家の中を歩いている自分とはスケールが違う、
酸素吸入をしながら普通に生活を営んでいるその姿に勇気づけられる、
同級生の近況の話の中で、去年、奥さんを亡くされた級友Mの話になった時には、
「彼が・・・」一瞬、絶句してしまった、
なんでも職場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだとか、
なんと言っていいのか言葉が見つからない、
もし自分が同じ立場になり妻に先立たれたら、、、
「M君とは、来週、飲むことになっている」そう告げる幹事役の彼、、
案内状を出しても戻ってきてしまう同級生、連帯保証人になり借金を背負って行方不明になってしまった同級生、そして、、
来年はクラス会の年、何歳になっても、何があっても同級生は同級生、
会えば昔の中学生にすぐに戻ってしまう、
2019年3月1日金曜日
検査の度に
病院という場所は、通院する度に、検査の度に、病気が増えていくような気がしてならない、
症状を言う、その症状に見合った検査をする、その結果、症状に正式な病名がつく、
その繰り返しのような気がしている、
肺炎で入院していた2月の初めから12日間、病室で吸引していた薬剤があった、
蓋を開けるとカチャッと音がして、数字が一つ減る仕組みになっている、
喉の炎症を抑える薬か咳止めかと思って吸引していたのだが、帰宅し調べると、喘息の薬だった、
「あのー、ぼくは喘息なんでしょうか?」
自分が喘息の患者であると自覚がないもので、医師に尋ねると、
「そうよ。COPDと喘息の合併症です」だって、、(し、知らなかった、自分は喘息なんだ)
吸入薬のせいかどうか、あまり咳もしないし、喘息の発作らしきものは一回もない、
それでも喘息と診断されて、ちょっと不思議、、
以前は大きな咳が出たことがあったけれど、最近はそれもない、
痰は一日6,7回出る、
痰を出す薬を朝昼晩2錠のんでいるので、それはわかる、
気管支に溜まった痰がでるので身体にも良いことだろうし、理屈もあっている、
しかし、喘息とはなあ・・・、、
というわけで、病名一つ増えました、、
症状を言う、その症状に見合った検査をする、その結果、症状に正式な病名がつく、
その繰り返しのような気がしている、
肺炎で入院していた2月の初めから12日間、病室で吸引していた薬剤があった、
蓋を開けるとカチャッと音がして、数字が一つ減る仕組みになっている、
喉の炎症を抑える薬か咳止めかと思って吸引していたのだが、帰宅し調べると、喘息の薬だった、
「あのー、ぼくは喘息なんでしょうか?」
自分が喘息の患者であると自覚がないもので、医師に尋ねると、
「そうよ。COPDと喘息の合併症です」だって、、(し、知らなかった、自分は喘息なんだ)
吸入薬のせいかどうか、あまり咳もしないし、喘息の発作らしきものは一回もない、
それでも喘息と診断されて、ちょっと不思議、、
以前は大きな咳が出たことがあったけれど、最近はそれもない、
痰は一日6,7回出る、
痰を出す薬を朝昼晩2錠のんでいるので、それはわかる、
気管支に溜まった痰がでるので身体にも良いことだろうし、理屈もあっている、
しかし、喘息とはなあ・・・、、
というわけで、病名一つ増えました、、
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