2017年7月22日土曜日

お引っ越し

これまでの人生を振り返って、その時にどこに住んでいたのか、記して残そうと思った、
小学校を6回、中学校を3回かわっているオレが、どんな場所で暮らしていたのか、
8歳頃からの記憶をたどるので、忘れてしまって思い出せない場所もあるかと危惧していたのだが、そんなこともなかった、

はっきりと思い出せる場所ばかり、
まだボケてはいないようだ、、、

1.葛飾区小菅3丁目
  小学校3年生からつきあった三度目の義母の実母(オレにとっては義理祖母となる)の
  家だった

2.熊本県球磨郡西村久保
  1.は中学1年の一学期まで、
  父方の祖母の家、ここで中学3年生の2学期まで過ごした、

3.葛飾区小菅3丁目
  1.に同上、都立高校入学のために戻ってきたのだ、

4.足立区一ツ家
  高校2年の時に、都営団地が抽選で当たり、一家全員で引っ越す

5.葛飾区綾瀬
  19歳の時に、受験失敗を機に自立、アルバイトをしながら翌年の学費を蓄え、
  はじめて入居した4.5畳のボロアパート、
  人生初の我が家のような気だった、
  真っ暗な何もない部屋で大の字になって寝転んだ時の、あの圧倒的な開放感、
  いまでもこの四肢が覚えている、嬉しかった、とっても、、

  ここで最初の結婚相手と同棲を始めた、
  学生生活とアルバイト、サークル活動、学生運動と必死に生きていた時代

6.足立区五反野
  北千住駅の次ぎの次の駅、五反野駅近く、ここで長女が生まれた
  大家が天理教の熱心な信者で、宗教者という割には店子の面倒をあまりみない、
  金儲け第一主義者だった、南京虫の発生を訴えても相手にもされなかった、
  宗教者の実態に触れる貴重な体験を得た
  ここで長男が生まれた

7.足立区東和
  6のアパートでは虫が湧き、子どもの体調を憂いて、引っ越し、
  ここの大家は、じいさんばあさん、知恵遅れの息子3人家族だった、
  前居住者の大量な戦争関係の本を、そっくりゆずり受けた、嬉しかったなあ

8.東京都島嶼部
  7.時代に挫折、単身、島に渡る、あとから家族を呼ぶことになる
  この時代に次女が生まれる
  そしてなぜか、この島で離婚
  保母の受験のためと言い島を出て行った妻がそのまま戻らなかった、
  狭い島なので、大きな話題となった、

  人生観の大きな変換になった様々な人物と知り合えた、
  この時代がなければ、今日まで生存できなかったと思えるほどの大転換だった、

9.渋谷区千駄ヶ谷
  ここで二度目の結婚
  女性は、島の診療所の看護婦だった

10.埼玉県坂戸市
  二度目の相手との間に生まれた長男が小児ぜんそくに罹患
  医師の勧めによって転地療養
  無抽選の公団住宅は坂戸市と千葉の木更津市にしかなく、仕方なくこちらへ
  最寄り駅から徒歩一分、301号室だった

11.板橋区赤塚4丁目
  長男の喘息が治り、その時の勤務場所に近い、こちらへと引っ越し
  なぜか、ここも301号室 301に縁があるようだ、
  次男、誕生
  ここで、二度目の妻が胃癌のため死去、享年38
  あの時ほど涙を流したことはなかった、
  

12.埼玉県和光市
  現在に至る、今年で15年目になる
  3度目の女性と知り合い、実質的な婚姻生活を営む、

8歳か9歳から60代も後半を迎えた今日にいたるまで、ざっと俯瞰してみた、
思い出すこともあれば忘れていることもあるだろう、
なぜか、住んでいた場所は克明に記憶の底からたぐりよせることができる、

二度目の妻をはじめ、亡くなった人も5指では足りない、
オレ自身も、あと数年の命だと告げられている、

挫折と失敗の連続だったような、でも精一杯生きてきたような、
なんだかよくわからない人生だったような、
まあでも、思い返せば楽しいこともたくさんあったような・・・、、、

んーーーー・・・


  

  
  

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