室町時代の能の代表者ともいえる世阿弥の言葉とされている習い事の基本姿勢を表したもの、
「yahoo知恵袋」ベストアンサーから
先人の教えを忠実に「修」め守りなぞらえ、次にその教えに工夫を加えて「破」り、最後に先人の教えから「離」れて独自の境地に至る というものらしい、
我が句会から辞退者が出た、
ぼくと同じ時期に入会した彼なので、句作経験は6年というところか、
佳句をたくさんものにしてきた彼なので、彼の脱会はいかにも惜しい、
酒を酌み交わし将棋を指し、たまにはカラオケ・・、という仲であり、
居酒屋のカウンターで同席すると、様々な世間話に花を咲かせた、
句会がキライなんですよー、
酒に酔ってきていくらか回ってくると、よくそう言っていた、
いよいよ本当にキライになってしまったらしい、
俳句ではなく句会がキライ、だというところに救われるのか、否、かえって厳しい現実を会の在り方に突きつけられているのか、
我が句会は、有季定型=季語を入れましょう、基本は575の17文字で、
を勧める会なので、少し慣れてくると、その型が息苦しくなってくる、
これを書いているぼくですら、季語なくたって詩があれば、いいじゃないかと思ったりする、
字余り、字足らず、どこが悪い、とうそぶいたりもする、
主宰という先生がいる以上、彼の会である以上、黙っているのだが、
会員の中には、主宰が元句を訂正、修正することをイヤがる人もいる、
二人だけで会ったりすると、句作の意欲がだんだんなくなってきた、と言われたりする、
面白くない、というのだ、
句を褒められても嬉しくはない、低評価でもどうでもいい、そんなことを口にする人もいる、
その人に対し、今日の標題 修破離 を教え、今は「破」の時期なんじゃない?
と、慰めた?のだが、
個人的趣味だもの、面白くなければ長くは続かないよね!?
ふりかえってみれば、今まで何人もいろいろな事情から辞めていった、
病気、収入減、俳句がむずかしい、俳句がつまらない、、
3人はすでに鬼籍に入られたし・・、
出会いがあれば別離もある、
それは承知なのだが、会の運営の仕方、主宰の進め方など、会として何か問題があり、そのことが脱会の原因だとしたら、少しカナシイかなあ、、
現主宰がご存命のうちは、ぼくは続けようと思っている、
彼、一生懸命だし、指導には熱心だし、ある意味、命がけで句作に励んでいる、
それが鬱陶しいときもあるけれど、
そんな彼に辞めます、とは言えない・・
ウエットなの?
どうでもいいことはどうでもいいけど、どうでもよくないことは、どうでもよくない、
こんなにわかりやすいことはない、
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