2015年9月26日土曜日

なんとか危機脱出

と書くと、なんだか危機が訪れたみたいじゃないか、と思われるのだが、副作用による発熱があり、
それも40℃を超えてしまって・・・、ね、危機的状況でしょ?

詳しくは、だったの過去形であり、今はなんとか治まったので安堵安堵、

発熱やらめまいやら吐き気やら、治療にともなう副作用についての説明が医師から手渡された小冊子には書かれていたのだが、これまでそれに関しては目立った経験がなかったので、あまり注目することもなく過ごしてきた、
食欲も落ちず、めまいもなく、吐き気もなく、まったく通常のまま、のほほんと抗ガン剤治療をおこなってきた、なんとも説明のしにくい、身体強健なのだが弱体なのだかわからない肉体の持ち主である自分、

それが、今回は、熱を出し、8.9℃、9.4℃とわずか2時間の間にみるみる上昇し、40℃を超えるころには、死ぬかと思った次第、
振り返ってみるに、発熱の経験がこれまでの長い人生の中でほとんどなく、風邪をひいたときでも8℃を超えることはなかった、それが40℃を超えるとは、、
この歳で(どの歳だよ)、40℃を超えるのはつらいでしょう~~、

何かあったらすぐ連絡を、と言われてはいたのだが、連休最後の日でもあり、(駆けつけるのは)大げさなのかなあ、などと遠慮する気持ちも多分にありためらっていたのだが、熱が下がりそうもないので、タクシーを飛ばしかかりつけの大学病院まで、

感染症か合併症か、そちらの方をまず疑われ、胸のレントゲン写真を三枚、採血による血液検査、
あとはその結果待ちの、おおよそ2時間、、

肺は綺麗で血液検査の結果も、今の状態では正常な値を示しているとか、
熱冷ましの薬をもらって帰宅の途についた、

その後、大量の発汗があり(下着からシーツまで濡らすほどの)、なんだかツキモノが落ちたようで、見守っている家人はともかく、本人はスッキリとした気分に、熱い珈琲が飲みたい気分に (笑)

まあ癌と闘っている体内闘争の象徴なのでしょう、
発熱くらいは仕方がないか、と思える今日この頃、なのだ、

タレント夫婦の片方が乳癌になったとか、無事手術に成功しただとか、これからは手術を終えた相方を家族で支えていくつもりであるとかの与太ニュースがテレビ欄の大部を占めていた、

それとぼくの記事と似たようなものなので恐縮なのだが・・・、



うちのかあちゃんが乳癌になりましてー、
手術しましてー、成功しましたー、これからみんなで励ましあっていこうかと・・・・、、

そんなのはそっちの家の中で好きにやってくれよ、なのだがなあ・・、
興味の無いよそのおうちの娘のお遊戯会のDVDを見せられるくらい時間の無駄遣いなのだ、

どっかの家庭のかあちゃんのおっぱいの右か左かわからないが、なくなろうがなんだろうが、日本国民にとって主要な問題ではないと思うのだ、
いや乳癌一般の問題は、大問題ではあるのだよ、

よその家庭の問題をそこまで大げさすぎる記事にするマスコミの姿勢、アホらしいやら、バカらしいやら、この国で生まれたことが情けなくなってくる、

今でも国会周辺で声を挙げている戦争法案反対の市民の声を届けてくれたほうが、なんぼか良いものを、真剣にそう願う、

取り上げていた家族には、縁もなければ何の利害関係もないので、ここでこうしたコメントを書くことも、彼らを責めているようで申し訳なく思う気持ちもある、
家族にとっては大変な問題、どうか、一家力を合わせて乗り切ってくださいとエールをおくりつつも、

そんなことを何時間も使って放映するのかよ、このアフォマスコミがと、我が国のマスコミの在り方に、たまにヒットを飛ばすものの、時の政権者に対する批判の視線欠如という点で、マスコミの精神を捨てたのか、金で売ったのか、そのどちらもなのだろうと、常日頃感じているので、そのまま書いてみた、

あの資本主義総本家アメリカですら、時の大統領を退陣に追い込むような痛烈な批評と、手に入れたトップシークレットの暴露すら許す社会的器量が昔はあったのに、昔も今も一貫して時の勢力優勢なる方の味方であることを社是としているかのようなNHK 文春、フジサンケイグループはともかく、朝日、お前までもかと、言いたくなる我が国の昨今、

他人のかあちゃんのなくなったおっぱいについてコメントするひまがあるなら、その10倍の時間を使って、沖縄県知事が海外で語ってきた内容を、彼が世界に向けてどんなメッセージを発信してきたのか、それを伝えろ、、

他人のかあちゃんのおっぱい(しつこいな 笑)話は、この際どうでもいいだろうーー、




2015年9月22日火曜日

シルバー連休

だと、、

5月がゴールデンウィークなので、9月はシルバーということなのだろうか、
シルバーでなくても、プラチナでも銅でもよいと思われるのだが、どちらにしても、こちらには関係ない、

いつも感じることなのだが、ファッションの流行色やスタイル、今年の秋はカーキが流行だとか、少しミニが復活だとか、茶系のタートルネックがとてもお洒落だとか、いったい、どこで誰が決めているのか、

日本ではデパート系のデザイン室、イタリアフランスなどヨーロッパでは、ファッションリーダーと目される各メーカーが決めているのだろうか、

若い時、新宿伊勢丹のデザイン担当責任者と仕事をする機会があった、
JUNやVANがまだ現役のころ、長髪にノーネクタイ、緑色のカーディガンをざくっと羽織った彼は、いかにも美術系ヤサ男、
体育会系のぼくとは、真逆の位置に在ったのだが、仕事上何回か対話することがあった、
まだ年若いと見えたのに、伊勢丹のデザイナー責任者だという彼、

その彼に、疑問を率直にぶつけたところ、秋の色は春に、来年の春の流行色は今年の秋には決めてしまい、それに合わせて各衣料メーカーが作るのだよと、きいたことがある、

結局さあ、流行なんていうものは、デパートのデザイン担当が勝手に決めているのだよ、

今年は白が流行りますとか、アース色(地球色)が、とかなんとかいっても、去年のものを着せたくなくて、
毎年同じ服を着るなよなあ、新作を買ってくれないと困るじゃないかあ、今年も新しいのを買えよなあ、
ということなのだ、、

流行に過敏なわけがないぼくにとって、世間がどうであれ、モテ男がどのようなファッションを着るのか意に介さないぼくにとって、着たいものをいつまでも着ているぼくにとって、流行というものは、永遠に交わらない平行線のようなものかもしれない、

ブランドでなくても、清潔で毎日洗濯してあれば、安い下着でもいいじゃないか、

安心してください穿いてますよ それでいいと思う今日この頃・・、



2015年9月13日日曜日

今日は句会

行く秋や枕代わりの旅鞄

やがて来たる時を静かに秋の蝉

秋寒や背中を探る聴診器

爽やかな大地引き裂く雨嵐

団栗の丈それぞれも争わず

大颱風ガリレオガリレイ嚔せり

いくつか用意し、会場でどれを投句するのか決めようと思っています、

類想を避ける意味から、またオリジナル性を強調したいがため、奇抜な言葉や言い回しをなんとか思いつき、また使ってみたくもなるのだが、なるべくそれらを避けて、平明な言葉、用句を用いて詩のようなものを作ってみたい、探してみたい、
そこに季語があればなお良し、のような心境の今です、

心のふるさと という言い回しは今でこそみんなが用い、日本語として多用されているのですが、最初に使ったのは早稲田大学文学部教授だということは、あまり知られていない事実だと、何かの本で読んだことがあります、

さて、心境はともかく、それが成功しているかどうか、、、

わからない、


2015年9月12日土曜日

茄子紺

日本人は、色々な色に(シャレではないよ)名前をつけ色そのものを愛でてきた、

極めて日本的というのか、決して東南アジアや欧米にはない習慣だと思う、
北から南へ細長く伸びた島国の日本では、四季折々、各地にさまざまな光景があり、
様々な習俗や文化が地域性と独自性を加味しながら、色を、つまり自然を愛でてきたのだと思う、

浅葱色、小豆色、鶯色、江戸茶、江戸紫、柿渋色、辛子色、京紫、古代紫、嵯峨鼠、錆利休、、、

あ行から順に選んでもこれだけの色があり、楽しく勉強にもなる、
それぞれの名前の色がどんな色なのかは、調べてもらうことにして、茄子紺、

茄子の紺色のこと、

それを見ていただこう



まあ、上手に漬かった糠漬けのご披露、つまり自慢話なんだけどね(笑)

ネットで買った冷蔵庫にしまっておける糠漬けの元に、同じく茄子の紺色を色よく仕上げるという、
鉄の塊(たしか、家庭用具の形になっていた)を入れてみた結果、この色が得られた、

お薦めは人参なのだけど、キャベツも美味しい、セロリも美味しいわよ、タマネギも試してみてと、糠漬けを作っているという話から、いろいろこちらでは盛り上がっている、

ほどよく発酵し、栄養も旨味も付加された糠漬け、朝晩かかせませんわ 奥様!

ちなみに使用している皿は、沖縄で暮らす子どもから送って貰ったもの、
漬け物に合うので、いつもこの皿に盛っている、感謝感謝なのだ、、




2015年9月7日月曜日

文庫本

ながら族という言葉が今日でも有効なのかどうか、知らない、

なになにしながら、何かをする、
一番身近な例で、またその愛好者も多かったのは、ぼくがまだ若かった頃、今から数十年前のことなのだが、ラジオを聴きながら受験勉強をする、という「ながら族」だろう、

音楽を聴きながら、掃除をしたり車を運転したりジョギングや一杯飲むのもある意味「ながら族」なのかもしれない、

最近、もっぱら寝ながら本を読むことが多いので、今でもながら族を自認しているのだが、その際、読む本はどうしてもサイズの小さな、手に持って軽いものに限定されてしまう、

文庫本の数倍の大きさと重量がある単行本を寝ながら読んだこともあるのだが、一時間も保たなかった、
フォントサイズが大きくて、目には優しいのだが、とにかく重い・・、

こちらはあくまでも寝ながら読むことにしているので、仰向けの姿勢が多くなる、
両手に持ち、ページをめくる時には片手でおさえ、右手の小指の外側で本を支えながらめくることも、何ページも読むとなると負担が大きい、

寝ながら読書族には、文庫本サイズが適当でありがたい、のだが、、

写真を見ていただこう、


たまたま近くにあった文庫本のいろいろを並べたものなのだが、問題はタイトルでも内容でもなくて、その大きさ、縦方向の長さ、つまり本の高さをみていただきたいのだ、

写真ではわかりづらいと思われるので、説明をすると、一番右が朝日文庫、次に、右から順に、中公文庫、文春文庫、新潮文庫、知恵の森文庫、ハヤカワ文庫となっている、

朝日文庫が一番背が低くて、右から4つめまで、中公文庫から知恵の森文庫まではほぼ同じ高さ、ハヤカワ文庫だけ突出して高くなっている、

文庫本というのは、ぼくのこれまでのイメージは、A4であるとかB5サイズのように、文庫本サイズというのが決まっていて、どの出版社もそれに準じて本を作製出版しているのだと思っていたのだが、そうではないことに今日、気づいたというわけだ、

んーーー、

ネットで”文庫本サイズ?”と検索したら
文庫本のサイズはA6(105X148)が採用されています。
文庫本以外にもライトノベル(ラノベ)も同じサイズが標準です
がヒットした、

と、決められているのに、それぞれの出版社の思惑?からバラバラまちまちだったのだなあ

ちなみにハヤカワ文庫は高さ158mm 朝日文庫は148mmだった、
朝日らしいというか、なんというのか、きちんとルールに則り、文庫本サイズの本道を守っていたのはいかにも・・、だよね

さて、これからが本論なのだが・・・、長い前振りですまん (苦笑)

サイズが違って困ることがある、

お気に入りのブックカバーに、本が入らねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ