1クール最後の施薬、リツキサンの点滴に日大まで、
今日で1クールが終了し、おおよそ一カ月後に、2クール目が始まる、
まったく現代医学の進歩は大したもので、あれだけ目立っていた腫瘍が、たった一回の施薬によって、みるみるうちに消えてしまった、
鼠蹊部の腫瘍、下腹部にびらんと下がっていた腫瘍、右首回りに固くしこっていた腫瘍、そのどれも今はないか、小さく目立たなくなっている、
前回の抗癌剤治療からおおよそ6年、医師が予見していたとおりに再発し、今回また新たに治療が始まったわけなのだが、今回は前回と違い、新薬という味方がある、
それもかなり強力な味方っぽいのだ、
HP15くらいが今のぼくだとして、HP77くらいはありそうな強力の持ち主みたいだ、
こうしてまたあと5年くらいは生きて、また再発し、その時にも新薬ができていて、なんだかんだと75歳くらいまでは生きていくのだろうか、
あと10年かあ・・・、、
2015年8月24日月曜日
2015年8月19日水曜日
秋の蝉
俳句の世界では、蝉は夏の季語となっていて、秋の句会の席題に用いられることはない、
太陰暦を採用していた明治時代以前の季節感と、現代のそれとでは約一ヶ月ほどのズレがある、
おおざっぱにわかりやすくいえば、太陰暦の五月は、太陽暦の六月、
昔の五月雨と、今の梅雨とは、じつは同じ雨のこと、
台風襲来にともなう集中的な雨降りのことなのだ、
ズレているのにもかかわらず、俳句の世界では相も変わらず太陰暦を元にして当季の季語を決めているので、8月はまだまだ暑く夏の盛り、汗が噴き出してくるというのに、もう秋だなあ、の俳句を作らなければならない
というのが現代の俳句なのだ、
※有季定型俳句ばかりでなく、無季無形を認めている会もあるので、一概にはいえないのだが・・・、
現代の月(month)と、俳句の世界での季節区分は、
2月3月4月 春
5月6月7月 夏
8月9月10月 秋
11月12月1月 冬
1月のみ特別に(別格という意味で) 新年 としている
と、なる
2月といえば感覚的には冬まっただ中、それなのに、俳句の世界では春だという、
俳句を始めたばかりの誰もが経験する、なんだか納得できないことの一つである、
ちなみに、「蝉」は夏の季語、
今月8月、蝉を見かけたとしても、そのままを詠んだのでは、叱られる、
今日のタイトルをわざわざ「秋の蝉」と名付けたのには、そのような背景が脳裏にあったから、
で、油蝉、
バス停の裏にある桜の樹にとまっていた、
鳴き疲れたのか、ただじっととまっているだけ、まもなく訪れるであろうお迎えの時を静かに過ごさせてあげたくて、邪魔をしないように、そおっと写してみた、
写した機材は、iPhone6
今年7月にアップルのスマホに替えたばかり、いろいろ機能を試している最中なのだ、
iPhone6で撮った写真は、メールで自分のPCに送り、そこでサイズやら明度を変えてアップしている、
太陰暦を採用していた明治時代以前の季節感と、現代のそれとでは約一ヶ月ほどのズレがある、
おおざっぱにわかりやすくいえば、太陰暦の五月は、太陽暦の六月、
昔の五月雨と、今の梅雨とは、じつは同じ雨のこと、
台風襲来にともなう集中的な雨降りのことなのだ、
ズレているのにもかかわらず、俳句の世界では相も変わらず太陰暦を元にして当季の季語を決めているので、8月はまだまだ暑く夏の盛り、汗が噴き出してくるというのに、もう秋だなあ、の俳句を作らなければならない
というのが現代の俳句なのだ、
※有季定型俳句ばかりでなく、無季無形を認めている会もあるので、一概にはいえないのだが・・・、
現代の月(month)と、俳句の世界での季節区分は、
2月3月4月 春
5月6月7月 夏
8月9月10月 秋
11月12月1月 冬
1月のみ特別に(別格という意味で) 新年 としている
と、なる
2月といえば感覚的には冬まっただ中、それなのに、俳句の世界では春だという、
俳句を始めたばかりの誰もが経験する、なんだか納得できないことの一つである、
ちなみに、「蝉」は夏の季語、
今月8月、蝉を見かけたとしても、そのままを詠んだのでは、叱られる、
今日のタイトルをわざわざ「秋の蝉」と名付けたのには、そのような背景が脳裏にあったから、
訪れる時を静かに秋の蝉 山河
で、油蝉、
バス停の裏にある桜の樹にとまっていた、
鳴き疲れたのか、ただじっととまっているだけ、まもなく訪れるであろうお迎えの時を静かに過ごさせてあげたくて、邪魔をしないように、そおっと写してみた、
写した機材は、iPhone6
今年7月にアップルのスマホに替えたばかり、いろいろ機能を試している最中なのだ、
iPhone6で撮った写真は、メールで自分のPCに送り、そこでサイズやら明度を変えてアップしている、
2015年8月16日日曜日
病状日記 笑
他人の病状を誰が面白くて読むのか、という話にもなるのだが、他人だけでなく、肉親や、肉親同様の何人の方々が読んでおられるというので、ある程度、状態が定まったら報告しておくことも意味は、小さいけれど、あるだろう、
ぼくの病気の正式名称は、
低悪性度B細胞性非ホジキンリンパ腫、というものらしい
同じ病気で、低悪性度、中悪性度、高悪性度と3種類あるのだが、
低悪性度というのは年単位での病気の進行、中悪性度は月単位、高になると週単位と、大幅に進行の速度が速まる、ようなのだ、
おおよそ一万人に一人の割合で発症する血液の癌で、他の癌、胃癌や肺癌、大腸癌、乳癌、子宮癌などと比べて症例は少ない、
低悪性度で始まった病気が、途中、悪い方に転化し、中ないし高になることもたまにあるのだとか、
それぞれの程度で、使われる薬剤や治療法が違うので、どの病気なのか、癌の性質を見極めることがとても大きな意味をもつ、といわれた、
なので、先月、血液検査、PET検査、生体検査(5泊の入院をともなった)などなど、徹底的な病状の解明を目的とした検査をおこなって、6年前に発症した病気、つまり低悪性度のまま、だということがわかったのだ、
中になっていたら、また高悪性度だったらどうしよう、さすがにぼくも少し悩んだ、
検査の結果、運良く? まあ、不幸中の幸いというのか、悪い方に転化していないと確認されたので、ようやく治療方法が確立し、明日、17日の月曜日から治療が始まることになった、
2010年に承認されたトレアキシンという抗癌剤で点滴治療をおこなう、
余談なのだが、トレアキシンは、東西ドイツの合併時に、西ドイツの医師団が東ドイツの医療資料を調べたときに発見されたもので、「東ドイツ、良いもの持ってるじゃないか」と、言ったとか言わなかったとか・・、
副作用も少なく治癒率91%と高い効果をしめす、
2010年でっせ!今からたった5年前のはなし、、
存在はしていても日本での治療には使われていなかったのだ、
ということは、それ以前に発症した多くの患者は、この薬の恩恵に浴することなく・・・、
この薬は低悪性度の患者だけに効く薬、もし、中や高に転化していたら、と思うと、ほっと胸をなでおろしてみたくなる気持ちもわかってもらえるはず、
施薬を実施し、その後一ヶ月休み、これを予定では4回くりかえす、
8月9月10月11月、年内には治療を終えるはず、
副作用も少ないので、入院でなく通院での治療、点滴に要する時間も1時間~5時間、
まあ、じっとしていればいいので、楽なのだ、
ぼくにとっては、ただじっとベッドで寝ているだけの状態がとても苦痛ではあるのだが、この際、仕方ないだろう、
で、また、余談なのだが(今日は余談が多い)、
一回の治療にかかる費用が100万円なのだとか・・、まじ?!
でも、社会保険適用の3割負担で30万円、高額医療費補助制度を利用して、なんとか8万円を超えるぐらいで収まりそうなのだ、
欠陥があるあるといわれてきた我が国の社会保険制度なのだが、今回は保険制度に助けられたようなのだ、
まだ実際に治療費を支払っていないので、はっきりしたことは言えないのだが、
1回の治療で100万円、4回で400万円、出せない、
たとえ出せても治ってから生活できないし、、
病気が治っても貧しさが原因で死んだりしてね 苦笑、
まあ、明日からの治療、行ってくる!
ぼくの病気の正式名称は、
低悪性度B細胞性非ホジキンリンパ腫、というものらしい
同じ病気で、低悪性度、中悪性度、高悪性度と3種類あるのだが、
低悪性度というのは年単位での病気の進行、中悪性度は月単位、高になると週単位と、大幅に進行の速度が速まる、ようなのだ、
おおよそ一万人に一人の割合で発症する血液の癌で、他の癌、胃癌や肺癌、大腸癌、乳癌、子宮癌などと比べて症例は少ない、
低悪性度で始まった病気が、途中、悪い方に転化し、中ないし高になることもたまにあるのだとか、
それぞれの程度で、使われる薬剤や治療法が違うので、どの病気なのか、癌の性質を見極めることがとても大きな意味をもつ、といわれた、
なので、先月、血液検査、PET検査、生体検査(5泊の入院をともなった)などなど、徹底的な病状の解明を目的とした検査をおこなって、6年前に発症した病気、つまり低悪性度のまま、だということがわかったのだ、
中になっていたら、また高悪性度だったらどうしよう、さすがにぼくも少し悩んだ、
検査の結果、運良く? まあ、不幸中の幸いというのか、悪い方に転化していないと確認されたので、ようやく治療方法が確立し、明日、17日の月曜日から治療が始まることになった、
2010年に承認されたトレアキシンという抗癌剤で点滴治療をおこなう、
余談なのだが、トレアキシンは、東西ドイツの合併時に、西ドイツの医師団が東ドイツの医療資料を調べたときに発見されたもので、「東ドイツ、良いもの持ってるじゃないか」と、言ったとか言わなかったとか・・、
副作用も少なく治癒率91%と高い効果をしめす、
2010年でっせ!今からたった5年前のはなし、、
存在はしていても日本での治療には使われていなかったのだ、
ということは、それ以前に発症した多くの患者は、この薬の恩恵に浴することなく・・・、
この薬は低悪性度の患者だけに効く薬、もし、中や高に転化していたら、と思うと、ほっと胸をなでおろしてみたくなる気持ちもわかってもらえるはず、
施薬を実施し、その後一ヶ月休み、これを予定では4回くりかえす、
8月9月10月11月、年内には治療を終えるはず、
副作用も少ないので、入院でなく通院での治療、点滴に要する時間も1時間~5時間、
まあ、じっとしていればいいので、楽なのだ、
ぼくにとっては、ただじっとベッドで寝ているだけの状態がとても苦痛ではあるのだが、この際、仕方ないだろう、
で、また、余談なのだが(今日は余談が多い)、
一回の治療にかかる費用が100万円なのだとか・・、まじ?!
でも、社会保険適用の3割負担で30万円、高額医療費補助制度を利用して、なんとか8万円を超えるぐらいで収まりそうなのだ、
欠陥があるあるといわれてきた我が国の社会保険制度なのだが、今回は保険制度に助けられたようなのだ、
まだ実際に治療費を支払っていないので、はっきりしたことは言えないのだが、
1回の治療で100万円、4回で400万円、出せない、
たとえ出せても治ってから生活できないし、、
病気が治っても貧しさが原因で死んだりしてね 苦笑、
まあ、明日からの治療、行ってくる!
2015年8月6日木曜日
川柳の力
まずは読んでいただこう
誰だって戦争なんか行きとない 三重県 毎熊 伊佐男
すばらしい意見と思う「行きたくない」 東京都 林 葉子
朝日川柳 西本空人選 2015・8・6 より
自民党代議士 武藤滋賀4区氏のあのツイートに対する明確な回答となっている、
ここで書くことは、できるだけ他とは違ったことを書くようにつとめてきた、
しかし、日々伝えられるニュースの中で沖縄に関係するできごとや動きに、沖縄に浅からぬ縁をもつぼくは、決して無関心ではいられなかった、
普天間基地移設から辺野古埋め立て問題へ、いろいろ取りざたされてきた、それらをニュースで知るたびに胸にざわざわと波が立つような気がした、
それほど沖縄に思いを寄せながら何も書かなかった(書けなかった)理由らしきもの、それは、書くならば正確な事実と確かな状況把握に基づいて書きたいから、というのが一つの大きな理由、
それは膨大なニュースの中から一つ一つ事実を取り上げ積み重ねていくという重く限りない時間を要する仕業となる、その作業に、今のぼくは体力がもたないことがまた別の、かといって無視できない大きな問題、
ならばぼくと同じ観点からものを書いてくれる世の識者の意見を紹介することに(たぶんコピペで済むはずの比較的楽な作業となるはず)、努めたほうが、より良い
そして、そのコピペで済むだけの話を、ここで披露することへのためらい、
それらが複合的に噛み合わさって、結局何も書かなかったわけだ、
70年代の学生運動の末端をかじったぼくは、仰々しいスローガンや、声高く反戦を訴えることに、それが時には必要なことだと熟知していながら、ただそれだけでは力にならないことをわきまえている年齢になった
それら聲高なもろもろは、大河の上を流れていく木の葉のようなもの、本流の力はもっと深いところを静かに流れていくものなのだろう
安保法制の問題をめぐり、専門家である憲法学者だけでなく、国会議員が、主婦が、女子大生が、老人が、医療従事者が、弁護士が、そしてもうすぐに選挙権をもつであろう高校生までもが反対の声を挙げている、
戦後70年の今年といわれている、
70年が節目ではなく、69年も71年もそして75年も、二度と戦争を繰り返してはいけない節目であることに間違いない、
普天間だけでなく沖縄のあらゆる場所から、日本のすべての土地から異民族であるアメリカの軍事基地の撤廃を、
夢でなくぼくはそう思っている、
誰だって戦争なんか行きとない 三重県 毎熊 伊佐男
すばらしい意見と思う「行きたくない」 東京都 林 葉子
朝日川柳 西本空人選 2015・8・6 より
自民党代議士 武藤滋賀4区氏のあのツイートに対する明確な回答となっている、
ここで書くことは、できるだけ他とは違ったことを書くようにつとめてきた、
しかし、日々伝えられるニュースの中で沖縄に関係するできごとや動きに、沖縄に浅からぬ縁をもつぼくは、決して無関心ではいられなかった、
普天間基地移設から辺野古埋め立て問題へ、いろいろ取りざたされてきた、それらをニュースで知るたびに胸にざわざわと波が立つような気がした、
それほど沖縄に思いを寄せながら何も書かなかった(書けなかった)理由らしきもの、それは、書くならば正確な事実と確かな状況把握に基づいて書きたいから、というのが一つの大きな理由、
それは膨大なニュースの中から一つ一つ事実を取り上げ積み重ねていくという重く限りない時間を要する仕業となる、その作業に、今のぼくは体力がもたないことがまた別の、かといって無視できない大きな問題、
ならばぼくと同じ観点からものを書いてくれる世の識者の意見を紹介することに(たぶんコピペで済むはずの比較的楽な作業となるはず)、努めたほうが、より良い
そして、そのコピペで済むだけの話を、ここで披露することへのためらい、
それらが複合的に噛み合わさって、結局何も書かなかったわけだ、
70年代の学生運動の末端をかじったぼくは、仰々しいスローガンや、声高く反戦を訴えることに、それが時には必要なことだと熟知していながら、ただそれだけでは力にならないことをわきまえている年齢になった
それら聲高なもろもろは、大河の上を流れていく木の葉のようなもの、本流の力はもっと深いところを静かに流れていくものなのだろう
安保法制の問題をめぐり、専門家である憲法学者だけでなく、国会議員が、主婦が、女子大生が、老人が、医療従事者が、弁護士が、そしてもうすぐに選挙権をもつであろう高校生までもが反対の声を挙げている、
戦後70年の今年といわれている、
70年が節目ではなく、69年も71年もそして75年も、二度と戦争を繰り返してはいけない節目であることに間違いない、
普天間だけでなく沖縄のあらゆる場所から、日本のすべての土地から異民族であるアメリカの軍事基地の撤廃を、
夢でなくぼくはそう思っている、
登録:
投稿 (Atom)