2013年7月22日月曜日

選挙

選挙がありましたね、
大姉大兄におかれましては、きっと投票なされたことと推察いたします、

我が家は4人家族、夫婦、長男次男の家庭です、
夫婦と次男は投票に行き、長男は寝てしまっていて結局投票せず、、
我が家の投票率は75%でした、100%でなくて残念・・、
長男も投票に行く気持ち満々だっただけに、、

何党の誰それに入れたのかとか、何党支持なのかとか、それは二の次三の次、
子どもの判断にまかせてきたこれまでの選挙です、
当然、今回も今まで通りの選挙でした、

当選を願った人は落選してしまいました、
しかしそれでもいいんです、
投票、義務でなく権利としての自己主張を、これからも、生きている限りずっと、
していこうと思っています、






2013年7月20日土曜日

お宿

うちの猫は(たぶん猫はみんな)、身体だけがすっぽりと入り込める狭い場所が好き、
箪笥の引き出し、冬に使う鍋、化粧箱、机の下、送られてきた段ボールなどなど、、

以前、カメラをオークションで競り落としたときに、出品者のご厚意でカメラバッグも一緒に送っていただいた、カメラとバッグが同梱されてきたので、リンゴ箱様の大きな荷物が届いた、

届いたその時からその段ボールの箱に、うちの猫たち、がっちゃん(白)とjo太郎(黒)が興味津々、
入りたくて入りたくて、入るまで気持ちが治まらない、

で、その段ボールで「宿」を作ってあげた、
作るという言葉を使うのも恥ずかしいほどの工作、
段ボールを箱に組んで、前後二カ所に猫が通れるくらいの穴を空けただけのもの、

前後空けないとエアコンの冷気が中まで入らずに、この夏場、大変なことになると思ったのだ、
こういうところの気の回し方は、一流なのだなあ
というか、今風にいえば、つーか、猫には優しいのだ、、、
わたしには冷たいよね (家人談)

入り口にはネットからダウンロードした猫の画像をA4サイズにして貼り付け、暖簾状にすだれにしてみた、
猫がお気に入りでなく、人間がお気に入り、だけなのかもしれない、




2013年7月17日水曜日

ほとんどはどうでもいいこと

自宅マンションのベランダで、野菜作りをはじめた、
何十年も前から都会のあちこちでよく聞く話で、関係ない人にとっては、野菜を作ろうが米を作ろうがどうでもいいこと、
どうでもいいことなのか、どうでもよいことなのか、日本語としてそれがよくわからない、

たぶんではあるけど、よいというのが先にあり、後からいいができたのだろう、
よいが本語で、いいはなんとか弁なのかもしれない、
あてにはならないのだが、、

ベランダに、トマトと茄子、ごーやを植えた、
初めてのことで経験もなく、トマトと茄子と同じ鉢に植えてみた、
少し大きめの鉢を買い、そこからトマトと茄子とが同時に成ったら面白いと思ったのだ、
結果は、しっぱい、みたいだ
トマトの実は小さく、茄子の葉は白くカビが生えている、
茄子は実が一つ、かびてしまった葉の裏に皮を固そうにして己の躰を隠している、

で、ごーや、、、
うちは4階なのだけど、うちと5階の間にネットを張り、ゴーヤの葉が伸びる方向を邪魔しないように手当してある、
そのごーやが調子よく実ってきた、
だけど、一個だけ、、





土にも4種類、いかにもプロっぽく細工をしたのでこれは自慢なのだけど、20近い花が咲き実がなったのに大きく育ったのはこれ一つ、
他のごーやくん、ごーやさんには申し訳ないことをした、かのような気になっている、、
もう少し育ったら食べてみる、
水を遣り肥料を与え声をかけとっても可愛がって育て、結局は腹の中、、、
人間というのは、因果を背負って生まれてきた生きものなのだな、っと、これが今日の〆、、



2013年7月14日日曜日

今日は句会


夏草に赤錆匂ふ廃線路

縞馬の縞にまたがる銀の蝿

颱風が地球の顔を丸洗い

鬼灯を鳴らす口元歪みけり

海の日やここ何年も海を見ず 兼題「海の日」


今回はこれらの句 
どうだろう? 誰に問うてる・・、どうだろうと問いながら、応えを求めているわけでない、
おはようとか、ハローとかと同じくらいに軽い挨拶、、


昨日は知人の三回忌、友人と連れだって二人、行ってきた、
亡くなった人は本物のやくざだった、広域指定暴力団「住吉会」の組長だった、
詳しくは知らないのだが、何人かの組長の上に総長という人物がいて、その遙か上に親分とか若頭とかがいるのだとか、
組長まで務めたのだから、やくざ社会の中でも一番にエライのかと思ったら、俺なんか総長の足下にも及ばないよ、ときかされて驚いたことがあった、
どんな世界にも上には上があるものだ、

彼の奥さんとは、今でも親しく付き合っていて、たまに声をかけ、お茶をしたりしている、
彼女の感性がとてもユニークで、

ユニークとは、唯一の、一意の、固有の、特有の、独自の、独特の、類稀な、珍しい、変わった、などの意味を持つ英単語

たとえば、

みんなは鳩に餌をやりカラスがくると追い払うけど、私はそれがイヤ、カラスだって同じ鳥じゃない、ただ色が黒いからって嫌われるのは可哀想、だから私はカラスに餌をあげて鳩がくると鳩を追い払うの、とか、、

地下鉄の駅の上にカラスが居て、そのカラスが私を見ると「ばばあ、ばばあ」って鳴くのよ、じじいが通っても「じじい、じじい」って鳴かないから、ばばあだけに鳴くのかと思ったら、他のばばあには声も掛けないで、私だけに「ばばあ、ばばあ」って、鳴くのよ、失礼しちゃうわ、とか、、、

奥さんも亡くなった彼も、大の猫好き、
野良猫を拾ってきては面倒を見、その面倒があまりにも面倒でそれをいつも嘆いているような人物、
嘆きながらも捨てられないので、その嘆きは生きている間ずっと続くわけなのだけど・・、

遺影のそばに猫の写真も飾ってあった、
「サンボも、亡くなったのよ」
サンボというのは、彼女の家のまわりをうろついていた野良猫の中の一匹、
彼女の娘が見つけて家の中で飼い始めたのだ、
餌やりはするものの家の中で飼うことをためらっていた彼女も、飼うと可愛くなり娘と一緒になって可愛がっていたのだ、
中型の体格に白と黒だけの毛模様、太く短い尻尾は上を向き常に肛門が丸見えの猫だった、

やくざの元組長の遺影と愛猫の写真が同じに飾られている仏壇、
やくざも猫も、死んだら、大した違いはないのかもしれない、、、

写真は、奥さんの若い頃、
ね、通う意味がわかるでしょ?苦笑








2013年7月7日日曜日

句集を買う

現代俳句の世界4 山口誓子集を購入、
朝日文庫、昭和59年4月20日、古本でありながら第1刷がたまたま手に入った、

俳句に関する文献、句集はかなりの数を図書館で借り読んでいるのだが、実費を出して買い求めた句集は初めてのこと、
ただし、しばらく前に、評論としての杉田久女を購入したことがあった、
松本清張原作の短編「菊枕」に、久女のことが暗に描かれていると知って興味が湧いたのがその理由、
彼女の俳句を詠み気持ちが動いたというわけではなかった、

山口誓子の句には惹かれるものがあってこそ手に入れたのだろう、
しかし、どこに惹かれたのか上手くことばで説明できない、

何句も何句も彼の句を詠み、そこに描かれている世界、凝縮され研ぎ澄まされた世界、削って削って最後に残されたもの芯のようなもの、彼が掘り出したその芯に感情の昂ぶりを覚えたのか、
いや、昂ぶりではない、もっと冷えたもの、冴えた細い月の輝きのような熱をもたない光の真理に触れ得たときめきなのかもしれない、

ね、やはりことばで説明できないでしょ?


学問のさびしさに堪え炭をつぐ 「凍港」 大正15年以前

夏草に気缶車の車輪来て止まる 「黄旗」 昭和8年

海に出て木枯帰るところなし 「遠星」 昭和19年11月19日


80年以上前に作られた句が決して古びていないのを目撃している、、、


”俳壇が今後50年続くものとして、その先頭に位置付けられる俳人は誓子を置いて他にな”く、
”今日、名ある俳人は、常に誓子俳句を目標として成長し、或は誓子俳句に影響を受けざらん事に努めて成長した”のだ、


佳い本を手に入れた、、






2013年7月5日金曜日