2019年5月6日月曜日

髪洗いに入浴

加療がずっと続いている、おおよそ月2回の通院、毎食後三度三度の薬の服用、などなど、
筋肉はがっつりと落ち、ガリガリに痩せ細ってしまった、
24時間の酸素吸入はもちろん、そのままだし、パニックになったことからの入浴拒否反応も和らいだとはいえ、まだ若干残っている、

髪洗いは洗面台にて4日に1回くらいのペースで、入浴は2週間に1回のペースで連れ合いにしてもらっている、
髪の毛も、身体も、ふけだらけ垢だらけになってしまうので、下着は毎日替え、交換時に身体を拭いてもらっている、
しかし、拭くのと洗うのではどこか根本的に違うようで、洗ったときの汚れ落ちがハンパない、
湯につかりしばらくじっとしていると汚れが浮いてくるのだろう、
手でこすっても、垢が落ちる、
垢=汚れでなく、古い皮脂なので、白いものがぽろぽろはげ落ちてくる感触、これが結構気持ちいい、

風呂からあがり、下着、パジャマを着替え、呼吸を整えに布団に潜り込む、
この時間が至福の時、呼吸は安定し脈拍も100を下回っている、
ずっとこのまま布団の中に居たいくらいだが、そうもいかない、それはわかっている、

一昨日は髪洗い、昨日は身体洗いの日だった、
当分、洗い関係は何もない、
おだやかな日々が続くのだ、、

これが闘病生活という生活なのだろうか、病と闘っているという気はない、
日々、淡々と時間が過ぎていく、心も平静状態が続いている、
闘っているというより、共存している、それもないか、まるで病人らしくもない、その自覚もない日々が流れていく、そんな感じではある、

最大10連休と大騒ぎの連休が、今日で終わる、

あまりテレビも見なくなったし、新聞もめったに読まなくなったので、連休中のニュースにヨワイのだが、事故もなく無事に終わればそれが一番いいさ、、


2019年4月20日土曜日

キャッチ

キャッチコピーの略らしい

ちょっとしたきっかけで、ラインLINEを始めてかなり経つ、と思う
いつ始めたのかもう覚えていない、

メールよりもアップテンポで、届いたかどうか、相手が目を通したかどうか、
わかるところが便利でいい、
既読というマークが付くと読んだことになる、
あまり詳しいことはわからないので、あまり長くしゃべっているとボロがでる 笑

既読マークが付いているのに返事をしないともめることもあるのだとか、、
それほど緊急の用件もないので、読んでくれたことだけで満足、
返事はいつでもかまわない当方からすれば、なんでもめるのか訳がわからない、
読んだらすぐに返事をしろ、ということなのか?
そんなに忙しい用件ってこの世にあるのか?
んーー、何があるだろう、考えてしまう、、、

冠婚葬祭関係の連絡かなあ、特に葬の分野、
親が亡くなって通夜をいつにするかとかは、返事欲しいよね、

とまあ、こんなことを書いているのだが、LINEで済んでしまって、書くことがあまり無くて、ここにはご無沙汰なのだ、

そうそう、なんで書く気になったかというと、そのLINEの自己紹介みたいな短いキャッチに、

まだくたばるわけにはいかん と書いている人が居て、彼とはLINEで交わしたことは一回もないのだけど、LINEのどこかを開く度にずらずらっと、みんなが出てきて彼もでてきて、それで、そのキャッチというか、言葉が目に入り、気になっていた、

誰かどこかで、のようなお上品な、どこかで目にした安っぽい標語よりも、

まだくたばるわけにはいかん いいじゃないですか!

根性座ってる感じがする、武士がいいかどうか別にして、サムライっぽいし、
責任は腹を切るのだよ、小林君!
うっ 痛そうでサムライはいいや、

って、どこでまとめる、、、


2019年4月1日月曜日

令和

新元号だそうだ、

空間だけでなく時間さえも天皇が占有するという意味から、天皇が代わる度に元号(という名の一代天皇占有時間)を定める、
象徴天皇制の範囲を逸脱しているのでは、と少し匂う、、
なので元号制度には基本反対なのだが、決まったんだな、、

もっとも、元号以外には西暦はキリスト由来の年号だし、まさかイスラム暦というわけにもいかないだろうし、元号に西暦をプラスした併用案がずっと行われてきたのだから、利便性を考えてもこのままいくのだろう、、

令和と書いて、れいわ、 
Rに○なのかLに○なのか、早速各役所の公文書には、書類作成年月日から、使い始める期日などなど、令和と書き込む欄を、今、懸命に作っていることだろう、
実際の運用は、来月からになるのだとか、今日からといわれても、慌てふためく窓口の混雑が予想されるので、まず一ヶ月もあれば、準備できるとふんだのか、、

令和元年五月一日、(敬意を表してすべて漢字で)、
さて、この日に生まれた赤ちゃんのうち、何人が令和ちゃんと名付けられ、令をもらい和の字をもらって、命名されるのか、

今後数十年は、令和の時代が続くはず、平成の時代と同じく、戦火にまみえず、戦禍に襲われず、そこは強く願う!
もちろん、自衛隊の海外出兵にも、自衛隊員の生命保護の観点から、反対する、
自分の父親が、兄が、恋人が遠く異国の戦場に赴く、
米軍の協力部隊と認識され、言語も宗教も違う異民族と武器をもって対峙する、それを考えただけで、出兵することにどんな平和的理屈、理由が付くというのか、、、





2019年3月25日月曜日

しばらく放っておいた

元気です、
というか、いつも通りの症状が毎日続いていて、横になれば楽、起きていると息苦しい、
そんな毎日、、

明日は通院、
精神科、呼吸器内科、放射線科、以上!
3科受診で疲れるのは仕方ない、往復のタクシー代金が一回で済むので助かる、
先月は1週間に一回の通院、週に2回の時もあったし、、

熱も下がり、その後なんの症状も出ていない、
あの熱はなんだったのだろう、
たまに出るのだなあ、、、

2019年3月10日日曜日

高熱

夕方になると熱が出ることがある、

水曜日の深夜がそうだった、
9.3℃! 平熱が6.5℃前後なので、何が起きたのかと連れ合いも自分も慌てた、
2月の初めに肺炎で入院したばかり、ぶり返したのか、また入院かと、、

それが朝になると平熱に下がってしまう、

昨日もそうだった、
夜7時に8.3℃ 決して平熱ではない

靴下をはき湯湯婆を足下に入れてもらっている、
そのせいかとも考えたのだが、
連れ合いいわく「そんなことはないでしょう、湯湯婆のせいで熱がでたなんて聞いたことがない」と、

そして今朝、平熱6.6℃にもどっている、
身体のどこかに炎症が起きているとすれば、呼吸器系のどこか、肺か気管支か、
もっとも慢性気管支炎だから、いつも炎症は起きている?

気になっているのだが、次の受診は2週間後、それまではこのまま、
それが、2週間放っておいたことが命取りにならないことを願うばかりの今日この頃、、



2019年3月8日金曜日

友人たち

友人たちが、それぞれの手土産を持参し来宅、
今度の日曜日が句会当日なので、それに合わせて勉強会?のようなおしゃべり会を毎回開く格好になって数ヶ月が経つ、
珈琲とちょっとしたお茶菓子は我が家で提供する、
一ヶ月に一回の集まり、お久しぶりの顔ぶれが嬉しい、

毎回のことなのだが、今回も友人たちからたくさんのものを頂戴した
(この場合のものは、決して物と漢字で書かないように、その物でなく、心のこもったもの、だから、結婚し築き上げた二人のもの、と書いても、二人の物とは表記しない)
タンスや冷蔵庫なら、ふたりの物だけどさ、、


摘み立ての綺麗に洗われた野生の田芹、ジャム2缶、いちご1パック、なぜか数の子、、
はっきり言ってもらい過ぎなのだ、嬉しい♪


まだまだわからないことがたくさんある俳句の世界、
友人たちより作句年数だけは自然と経ってしまったので、アニキとかニイサンとかと呼ばれているけれど、中身は経験だけでお茶を濁している、、

と、書きながら「お茶を濁す」という言葉の語源を知らなくて何気なく使ってしまっている、調べればわかるのだろうけど、今はその気が無いので、そのままにしておく、
こういう言い方、放っておくやり方が、ぼくの場合、けっこう多い、
まあ、気にしないで、、

俳句って、575の17文字の世界?
そうだとも言えるし、そうでないともいえる、字余りは普通のことだし、字足らずは、滅多にみないけど、大昔の、前衛俳句時代には、み とか、そ とかの一文字の俳句?もあったという、、
さすがに、削って削って削った故の字足らずとはいえ、一文字で俳句とはいえない、と
すぐに飽きられ姿を消してしまったとか、それはそうだろう、、

季語がない俳句も一部ではまだ作られているようだし、575で体裁を整え季語を入れる、という世界を縛りととらえるのか、その中での自由な世界を楽しむとするのかで、世界はずいぶんと違ってみえるはず、、

たとえば絵画の世界、前衛か古典かでいうと、キャンバスに収まっている限りは少なくとも伝統的絵画の世界だと思う、
キャンバスをはみ出し抜け出すその世界は、知っている限り前衛絵画の世界でしかない、
バケツの中にさまざまな色のペンキを入れ、そこにボクシングのグローブを漬け込んで壁にむかい殴りつける、一回一回色合いが違うことはもちろん、気合い、迫力、それぞれ違うものができるとはいえ、決して欲しいとは思わない、

それが芸術かどうか、その点からの回避ではなく、誰かがやってしまったことだから、それの二番煎じはつまらないと、思うからだ、、
グローブでなく身体に塗りたくって紙に向かってぶつかっていくゲイジュツもどこかでみたことがある、
まあ、精神は同じようなものだろう、

その意味で、575の世界はキャンバスの中の世界、その中で気に入った作品や、名作佳作ができるはずだと思っている、

といいながら、最近の自分は、575の文字数や季語にもあまりこだわっていない、
類想句ではないか、詩心があるか、こだわるのはそんなところか、、

月に10句も作るわけではないので(それでも年間に100句、んーー)、一つ思い浮かべると、溶けるまでなめ尽くす飴玉のように、その句をひねくり回している、
そのうちに溶けてなくなってしまうこともしばしば、

美味しいからなくなるのか、元々大した実体がないからなのか、それはわからない、、、


2019年3月4日月曜日

同級生

小学校を6回転校し中学校を3回転校した、

中学校の2回目の転校先は、熊本の中学校だった、
その時の級友たちとは今でも親交があり、4年に一回のクラス会も開かれている、
クラス回はオリンピックの年の8月13日夕刻から開催する、、
そう決めたのは何回目かのクラス会の時、
人数の確認やら会場の手配などの幹事の手間を減らすことと、決めておけば予定を立てやすいということ、お盆でもあり嫁に行った女子たちも実家に帰ってきているのでは、とそんな理由からだったと思う、

この内容はいつかも書いた記憶がある、

男子の幹事役一名、女子の幹事役一名がそれぞれ居て、開催日近くなると案内の葉書が届く、
体調が良ければもちろん喜んで参加するのだが、来年のクラス会には参加できそうもない、それが残念で仕方がない、

昨日、幹事役の男子から電話をもらった、
ぼくの病状を聞きつけての見舞いの電話だった、
久しぶりの懐かしい声に励まされいろいろ話をした、

彼のお父さんもCOPDに晩年罹ったのだが、それでも80歳を超える年まで農作業をし、車の助手席に酸素ボンベを転がし吸入しながら運転していたと聞いた、
「都会と違って田舎は車がないと生活できないから」というのが一つの理由だったが、それだけではないだろう、
なによりその元気ぶりに驚かされ、感心してしまった
運動といえば家の中を歩いている自分とはスケールが違う、
酸素吸入をしながら普通に生活を営んでいるその姿に勇気づけられる、

同級生の近況の話の中で、去年、奥さんを亡くされた級友Mの話になった時には、
「彼が・・・」一瞬、絶句してしまった、
なんでも職場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだとか、
なんと言っていいのか言葉が見つからない、
もし自分が同じ立場になり妻に先立たれたら、、、

「M君とは、来週、飲むことになっている」そう告げる幹事役の彼、、

案内状を出しても戻ってきてしまう同級生、連帯保証人になり借金を背負って行方不明になってしまった同級生、そして、、

来年はクラス会の年、何歳になっても、何があっても同級生は同級生、
会えば昔の中学生にすぐに戻ってしまう、