2015年6月25日木曜日

収穫の時期

ベランダで野菜を育てている、

菜園ともよべない小さなそれらは、ホームセンターの園芸コーナーで買ってきた野菜の苗と鉢、肥料、土などなど、からできあがっている、

一昨年、去年、今年と作り始めて3年、
何度か失敗を繰り返しながら、なんとなくコツのようなものが身についたのか、今年は収穫にありつけた、

ミニトマト、ゴーヤ、胡瓜、大葉、明日葉、ジャガイモ、みな育っている、

完熟したミニトマトの濃厚な味わいに感激し、旺盛なゴーヤの育ち具合に感嘆し可憐な黄色い花を愛でている、

育ててみると皆可愛い、

かけた手間と時間、費用を考えれば、この30分の1の値段でもっと美味しい胡瓜やミニトマトがスーパーで買えることはわかっているのだが、野菜と、自然と共生できる喜びは金銭に代えがたいものがある、

ベランダ側の窓は、全面、ガラスになっていて日当たりもよくカーテンを開ければ表がよくみえる、
朝、カーテンを開けると真っ先に目に飛び込んでくるのは、育っている野菜や花々の数々、
それが目に心地よい、

なんだか穏やかな気持ちになるのだ、

買った土は消毒さえすれば何度も使い回せるし、鉢やプランターもそのまま使える、
苗は数百円のものばかり、大葉150円、ミニトマト180円、胡瓜200円、そんなものなのだ、
おそらく、毎年、春になれば苗を買ってきて植え付ける生活が続いていくのだろう、

小さな、小さな、本当に小さな喜び、
日々の暮らしが、そのような小さな喜びに満たされているのならば、人はそれを幸せとよぶ、のかもしれない、

青い鳥はどこか遠くにいるのではなく、身近な、すぐそばにいるのだなあ、などと、ヨッパライ頭で考えているのだ、


今日は午後からでかけ、明日始まる実験のために泊まりにいく、
車輌で朝でかけると、思わぬ渋滞や事故のために遅刻してしまうおそれがあるとかで、お客からの依頼もあって、前日から乗り込むことになった、

安全靴やら作業服、お泊まりセットなど、荷物は多くなるのだが、ボストンバッグ一つに詰め込み、電車とバス使用で現地、千葉県佐原市まで、

帰りは明日、今日は宿泊だけ、楽な仕事なのだ(笑)

土曜日は将棋の会、日曜日は俳句の会、なんだか忙しい、


夏休み子らは顔伏せスマホ指

昔日の染みは涙か汗手拭

友笑ふしばしの頭痛かき氷

あぢさゐの色それぞれに池之端

なかなか進歩しないのだ 苦笑











2015年6月22日月曜日

空中庭園

池袋、西武デパートの屋上に空中庭園なるものができた、と聞いたので連れ合いと二人行ってみた、

西武デパートは、縦にもそこその高さがあるのだが、横に長く広がっているデパートで、どこに何があるのか、わかりづらいこと甚だしいデパートとしても有名(個人評)、
今、自分がどこに居るのかさえ、建物内部の地図を確認しながら歩かないと迷うほど、

おそらく、建て増し建て増しの連続で、どのようなデパートを造ろうとしたのか造っているうちにわからなくなってしまって、それでもとにかく造ったモンが勝ち、売り場面積日本一を目指してみました、のような発想で、生み出されたのだろう、

その、建て増しの真ん中の部分の9階に、それはできたのだという、

入り口を背にして右側に食事ができるオープンテラスがあり、左側に空中庭園なるものがある、

6月にしては日射しが強い訪れた日は、テラスで食べている人々の頭や体を、当然、注文した食事にも太陽光線がじりじりと照りつけ、遠くから見ていても、お気の毒としか、言いようがない光景だった、

一部には屋根もあるのだが、全体の20%くらいしか覆っていない、
ほとんどの訪問者は、陽の下で食べることになってしまう、

昼よりも、デパートの営業時間中の夜間に行った方がお薦め、だと思われた、
夕から夜にかけて、涼しい風に吹かれながら、生ビールで喉をうるおす、それが一番良いのでは、
お節介ながら、そう忠告申し上げておく、 誰に言ってる。、、

空中庭園とはいっても、デパートの屋上にしっかりと据え付けてあり、決して空中に浮いているわけではない、
当たり前か、、

広さもそれほどでもなく、おおよそ250平方メートルの広さしかないとみた、
幅10メートル、奥行き25メートル ね

それは、食事客を呼び込むために話題を造ってみました感がアリアリな狭小な庭、
10分も歩けば、すべて見物できてしまう、

園のまわりと中央には花が植えられ、池があり、池には蓮が植え付けられていた、
季節なのか蓮には花が咲き、それは目を和ませてもくれた、

天国よりも地獄に興味と関心があるのだが、蓮は天国(極楽)のイメージにふさわしい花なのだろうと、毎回見るたびに納得させられる、
古代インドの思想的宗教的影響を受けていると思われる蓮の花信仰が、日本に定着したのはたぶん仏教伝来以降のことだろう

地上界で正しいことを行った、悪いことをしなかった善男善女たちが永遠の生命を得て、極楽に咲く蓮の花の上で静かな生涯を、永遠に!!過ごせるのだという、

苦からも病からも死からものがれ得た永遠の穏やかな時間の流れ、

たぶん、3日で飽きそうなんだけどなあ・・、


図書館も映画館も野球場もサッカー場もコンビニもないんだぜ、
居酒屋もスナックも〇ープランドも、ないんだぜ、、、
酒もビールもワインも焼酎すらない、

そんな世界が、天国?!





2015年6月16日火曜日

焼きそば

巷に流行るてふ〇ヤン〇ソース焼きそばなるものを食す

さほどのものにはあらず

我、ミーハーなれど、決して迎合せず







一部修正。。

2015年6月2日火曜日

遺憾

の意味?

岩波国語辞典 第六版
思い通りでなく残念なこと。残り惜しく思うこと。

三省堂国語辞典 第四版
十分にできなくて、心残りがする様子。残念。不満である様子。こまったことだと思う様子。

角川書店新国語辞典
思いどおりでなく、残念なこと。残り惜しいこと。残念。

三省堂新明解国語辞典 第六版
十分な結果が得られず、心残りがする様子。

岩波書店広辞苑 第五版
思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。


不正アクセスを受け、年金個人情報が125万件流出したと、日本年金機構が1日発表した。
個人情報には、加入者の住所氏名や年金番号などが含まれ、年金番号の不正利用などにより、本人になりすまし受給が予想される、らしい、

遺憾、とは、それを受けた厚労省担当大臣が、コメントの締めで使ったことば、
「こうした事態は・・・・・・、誠に遺憾に存じます」

指導担当部署の責任者として、自らの責任を痛感し謝罪したものでなく、ただ残念に思う、ということなのだろう、

「残念」ですまないだろう、きちんと謝罪しろよ!

年金はいうまでもなく、老齢によって働けなくなった個人事業者や、会社を定年退職した人と、その家族の生活を支えるための大切なお金、
そのシステムが、不正アクセスを受けたからといって、125万件もの個人情報を漏洩するのでは、システムそのものの脆弱性が問われ、安心できない、ということだ、

サイバーテロともいう極めて現代的なネット社会ならではのこの犯罪、軍事面で優位に立つことを目指し、また経済を混乱させる目的から、政治的に対立する相手国家の中枢を破壊する目的で、北朝鮮、中国はもとより、ロシア、アメリカ、中東の各国によって、国家的規模で、研究実施されていることが常識となっている、

オレオレ振り込み詐欺集団のような、窃盗目的の(小さな)犯罪者集団のしわざだと、一概にはいえない背景があるのだ、

年金個人情報をはじめ、今年10月から番号通知を開始する国民共通番号(マイナンバー)制度では、国民の預貯金や健康診断情報、カルテ、診療報酬明細(レセプト)、戸籍や旅券、自動車登録情報など、あらゆる分野での、個人情報の統合、一括管理を実施する狙いを、今の政府は目論んでいる、

今回の、個人年金情報漏洩が示すものは、システムが不正アクセスには弱いということ、
その弱いシステムに、年金に限らないあらゆる個人情報を託すことがいかに危ういものであるかと、いうこと、

システムのことなんかまるでわかってはいなさそうな一大臣が、遺憾に思う、などと聞き飽きた常套句を並べてすませるような問題では決してないのだ、、

結論
マイナンバー制度は、国家による国民管理を容易に効率よくするためだけのものであり、国民にとってはなんらメリットはない、
マイナンバー制度は、税金や社会保険料などの徴収強化、社会保障制度などの給付抑制をねらったものであり、漏洩流出すれば致命的な被害を招く欠陥制度だ、

盗まれたことが現実となった今日、決して導入させてはならない、

今日は、いつもとは違って、思わず熱く書いたぜ。。





2015年5月28日木曜日

この人は誰?

その人の名前は、

ガントルガ・ガンエルデネ さん

興味がある人は知っているかも、
ない人も、あるかないかどっちでもいいぼくのような普通の人はたぶん知らないだろうなあ

答えは・・・、


このたび大関に昇進した相撲界期待の星 照ノ富士 さんの本名だってさ


角界に外国籍相撲取りが大勢いるようになって久しい、
古くは力道山など朝鮮半島出身者が、ついこのあいだまでは曙、小錦などのハワイ勢が、最近ではモンゴル出身の相撲志望者が特に目立つ、

横綱は白鵬、日馬富士とどちらもモンゴル人、少し前には朝青龍というモンゴル人横綱もいったけ、
詳しく調べたことはないのだけど、今の角界には、50人を超えるモンゴル人力士が明日の横綱を目指し汗を流しているのだという

モンゴル人ばかりが活躍していてつまらないよ、だから俺は見ない、という人を知っている、

ぼくは全然そうは思わないのだけれどね、

特別、相撲に興味がないせいなのかもしれないが、国籍や出身の違い、目の色や肌の違い、話す言葉や習慣の違いなどは、本来、スポーツの世界には無縁な区別の在りようだと思っている、

まあ、相撲がスポーツかどうか、議論が分かれる課題ではあるのだが、ここではそういうことでもう少し話しを進める、

何人であれ、どこの出身であれ、その世界で活躍する、名をはせる人がやはりトップの座を占めるのは当たり前のこと、

モンゴル人が、モンゴル相撲という土壌を背景に、日本の相撲界に進出し、活躍するのなら、大いに結構ではないか、

そうでなければ、野球界のイチロー選手がアメリカメジャーの野球界で活躍することにも否定的な態度を取らなくてはならなくなる、

自分の国の選手が他国で活躍し賞賛を浴びることに賛意を覚えるのなら、まったく同じ理由で、異国からはるばる日本に渡ってきて、知らない言葉、食べたことのない食事に苦労しながら、土俵で汗を流す外国人力士にも、暖かい目をと、そう思うのだ、

強ければそれでいいじゃないか、というのは極論にしても、スポーツの世界、体力と気力、技を魅せる世界では国籍などあまり問題ではない、そのように思っている、

まあしかし、それでもさ、そろそろ日本人の横綱が欲しいよねと、横綱審議会を代弁し語ろうかな(笑)




2015年5月24日日曜日

塵も積もれば山と・・・

これが実は<ならない>のだなあ、

昔、高校で習った数学の等比級数という分野での話で、
(ここから記述が難しくなるのだが、その理由は、内容の難しさよりも、数式を視覚的にここで表現しようとしたとき、この手のブログでは数式を描くツールをもっていないので)

10のn乗分の1 このnに、1からはじまる整数を無限に与えたときのΣ(総和)は?

0.1+0.01+0.001+0.0001+・・・+0.0000000000001+・・・・・・・・・・+無限に続く

と無限に足し算をおこなっても、その総和は無限に(山に)ならないというものだ、

では、その総和はどんな数値になるのか、0.1以上になるのは間違いないのだが、0.2以下なのか、それとも0.3以下なのか、あるいは、1.0になるのか・・、
すでに答えは出ていて、その明解な説明もたしかあったはずなのだが・・・、
思い出せない・・・、うーーーん・・・・、

まあ、答えは

0.111111111111111111111111111111111111111・・・
となって、0.12さえ超えない、となるのだが 笑

どう見ても、いくら塵を足しても山にはならない、よね

そんなことを今朝考えていたら、いきなり数学をもう一回勉強したくなり、アマゾンの力を借りて
「新体系 高校の数学 上(ブルーバックス)」「新体系 高校の数学 下」の2冊を注文した、

このブルーバックスシリーズは、ぼくのように大学には行ったものの、ほとんど授業に出ないで、遊んでばかり?いた者が、もう一回、勉強がしたくなったときに、読み直す際、とても有効な本で、同じシリーズの「高校の化学」「高校の物理」はすでに入手し、たま~に再読している

これで、化学物理数学と理系の3部門がすべてそろったわけだ、
なんとなく嬉しいのだ、

理系学問には、文系のそれにはない良さがある、

人間の感情の外にある真理に近づこうとする学問なので、歴史や文学と違って、民族主義や一部イデオロギーに依存するような国家主義が入り込む隙間が無い、
徹底的にインターナショナルなのだ、

フランスで証明された理論は、ブラジルでもベトナムでも有効だということをそれは意味する、
香港のビル街でもアマゾンのジャングルでもエジプトの砂漠でも万有引力は常に有効だということ、

歴史観における互いの民族の相違というか違和感は、アメリカネイティブインディアンと騎兵隊の関係を想起すればわかりやすい、

お互いの英雄は、相手側からみれば人殺しでありゴロツキなわけで、ネイティブアメリカン、騎兵隊双方に共通の英雄など、あり得ないわけなのだ、

白人アメリカの繁栄の歴史はネイティブアメリカンにとって悲劇の歴史であり、清教徒たちによる西部開拓史は、ネイティブアメリカンにとって土地を奪われ食料を奪われた絶望の歴史でもあるわけなのだ、

塵も積もれば、から、話が飛躍しぼくの記述能力を超えてしまった、

まあ、あれだ、言いたいことは、ことわざだとか教訓めいた話をそのまま信じ込むのではないよ、ということ、
問題はつねに多面的であり、その多面性はまして人間ならなおさら、だということ、

何人もの人間を殺害した犯人がじつは大の愛犬家であったり、謹厳実直だと思われた校長先生がじつは無類の女性好きで買春を繰り返していた、などという現実を、ついこの前も、ぼくらは見たばかりなのだから、、、







2015年5月4日月曜日

いなくなる本

本というのは、BOOKのこと、
大元とか本源とかの意味の本ではない

買ったきたのに、図書館で借りてきたのに、見えなくなることが時々ある、
これまでに3回あった、

買った本ならば、どうしたんだろう、そのうち出てくるさと諦めて気長に待てばよいのだが
借りてきた本となるとそうもいかない、
2週間という期限付きのため、2週間経てば嫌でもなんでも返却しなければならない、

以前、俳人・杉田久女の伝記を借りたときに、その「いなくなる現象」が起きた、
まだ読んで幾日もたっていないのに姿が見えなくなってしまった、
本棚はもちろん、押し入れ、トイレ(持ち込んで読むことが多々ある)、洗面所、はては風呂場の上に設置した簡便な物置まで、何カ所も幾度も探したのだが見つからなかった、
電車の中、バスの中で無くしたのなら、もう出てこない・・・、

本代と同額の金銭を支払い許してもらおうかと図書館でその旨説明したら、それはダメだという、
金銭ではなくあくまでも同じ本を提出してください、と相手も譲らない・・、

仕方なくアマゾンのお世話になり同じ本を手に入れ、期限は相当過ぎていたのだが返却したことにしてもらった、
(このときくらいアマゾンの古本力(ふるほんりょく、造語)の大きさに感じ入ったことはない)

数ヶ月後、いなくなった本が顔をのぞかせた、
それは本棚の後ろから出てきた、
滅多にしない本棚裏の掃除をしたときに、背表紙を下にしひっくり返った状態で発見された、
何かの拍子に落ちたのだろう、

今回、またいなくなってしまった本がある、

色川武大著 食いたい放題 文春文庫

色川氏といえば、ペンネームの阿佐田哲也の名前でも知られた麻雀の名人だとされた人、
惜しくも1989年に亡くなられたのだが、彼がどんなものを食べ何が好きだったのか知りたくなって、この本を買ってみた、のだが・・・、

また、いなくなってしまった、

就寝前の小一時間、布団に体を潜り込ませた状態で仰向けのまま本を持ち、眠くなるまで読むのが長年続いている習慣、
枕元には常時50冊くらいの本が置いてあり、手を伸ばせばいつでも読める状況にあるのだが、その積んである本のどこかに、たしかにあるはずなのだが、見当たらない、
いくら探しても見つからない、

積んである本を上から下へ順に手に取り全部の本を見たのだがどこにもいない、
あちらこちら探し続けたのだが出てこない、
自分で買った本なので返却する必要もなく探すことを中断し、出てくるのを待つことにした、

10日ほど経ったある日、それは突然顔を出した、
枕元ではない本棚の一番下、大型本を置いてあるそこ、その大型本の上にそれはあった、

木を隠すなら森に隠せ、というらしい
本を隠すなら本棚に隠せ、ということなのかしら、

あれだけ探したのに見つからなかった本が、ふっと視線を別に向けた時に、ちゃんとそこに在ったりする、

まあそんなことがあって、残念ながら、我が家に「床下の小人たち」は住んでいないと証明されたようなのだが、まだ見つからない本があと一冊残っている、
これだけはどうしても見つからない、

図書館で借りた、食べ物に関して書かれた馳星周著のエッセイ集、
これだけが、どこへ行ってしまったのか、見つからないまま一年を過ぎてしまった、

古本力を頼り、同じ本を買い求め図書館には納めたのだが、いまだに消えたままになっている、

どこへ行ってしまったのかなあ・・、
まだ半分も読んでいないまま・・・、