2017年5月22日月曜日

都立 旧古河庭園

JR駒込駅から徒歩15分、池袋側の改札を出て右へ、だらだらと坂を下り、だらだらと坂を上った突き当たりの左側にそれはあった、

まだ行ったことがなかったので、行ってみようかと、
洋風庭園と和風庭園との二つの様式が共存し、それぞれを散策できるようになっている、

古河というのは古河鉱業の創始者の名前古河市兵衛から、、
もらった入場券の半券には、三代目当主古河虎之助によって大正八年(1919年)に造られたと、
古河鉱業というのは、我が国初の公害?明治の公害事件、足尾銅山に発する足尾銅山鉱毒事件を引き起こしたあの会社のこと、
足尾一帯を鉱毒によって死の山、死の川に変えたその代償がこの庭園だったのかと、、
悲憤慷慨ということばがあるがまさにそれ、鬼哭啾々ということばも久しぶりに思い出した、

明治の元勲、陸奥宗光の次男がこの古河に養子として入り、その縁で古河と陸奥は実業家と政治家との今の言葉でいえば「ズブズブ」の関係、

明治24年12月、田中正造が初めて足尾鉱毒事件に関する国会質問を行った前年、渡良瀬川の洪水で水に浸った農地のあらゆる作物が壊滅的な被害を受けた、
農民たちの必死の訴えを国は一切無視した、時の農商務大臣・陸奥宗光の二男潤吉が古河市兵衛の娘婿養子となっていたからだ、こともあろうに農民の利益を代表すべきはずの農商務大臣が、実は古河一族の身内だった、

忖度どころの話ではない、
明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与え、また、カミソリ大臣とも呼ばれた陸奥宗光のもう一つの顔がこれ、

英国式庭園ではバラの見頃、
それほど大きな庭でもないので、しばしの散策にはちょうどよいのかも、









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