2017年4月26日水曜日

俳号

絵を描いたり文章を綴る人には雅号(本名の他につける風流な別名)がある、
多くはその道の先達や師匠筋から、長年の努力を賞する意味で与えられるものなのだとか、
ぼく自身も、俳句を始めて数年、師匠から俳号をいただいた、

昨今の空前の俳句ブームを反映し(知らないけど・・・)、我が句会にも先月今月と新人の参加希望者があり、会員数も20人になりそうな気配、

投句だけで実際に会場に足を運ばないという投句会員も3名いるので、教室に入りきれないということはないのだけれど、会員が増えて嬉しいような、本当に俳句をやるのかなあ、いつまで続くのかなあという戸惑いのような、複雑な心境にも、、、

で、戸惑いの中身のひとつに、まだ始めたばかりだというのに、私は俳号をこれにします、と言ってくることがある、

俳句を一句も作っていないのに、俳号だけが先にあるって、変だと思わないのかしら、
変だと思わないその感性がぼくには変だと思われて、なんだかなあ・・・なのだ、苦笑

渓水(けいすい)、東山(とうざん)などなど、

立派な名前を持参し、今日からこれでお願いします、というのだが、はてはて、
主宰にはまだ連絡していないので、主宰が知るところではないのだが、知ったら彼がどう思うのか、今からそれが心配なのだ、

主宰あっての句会、形式上は会員となっていても、その意味は主宰の弟子ということ、
先生に相談もなく弟子が勝手に、それぞれの俳号を名乗りはじめる、

これって、芸事の世界でユルされるのかどうか、ぼくもよくわからない世界なので不安な心持ちなのだ、

少なくとも落語の世界では(いきなり話が飛ぶのだが)、本人が、今日からぼくは文楽です、圓生で~すと、名乗ることはしないし絶対ありえない、

前座、二つ目、真打ちと、位があがるたびに、そのときそのときの名前を師匠からいただき、席亭やまわりの師匠筋にも認めてもらう、
それがその道のしきたり、であるはず、

三遊亭、古今亭、林家、など流派それぞれあっても、それは守られてきたし今後も守られていくはずなのだ、

これから俳句を始める初心者なのに、いきなり俳号ですかあ???

んーーーー、、、

おとっつぁん、なんか勘違いしてないかい、








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