2015年5月28日木曜日

この人は誰?

その人の名前は、

ガントルガ・ガンエルデネ さん

興味がある人は知っているかも、
ない人も、あるかないかどっちでもいいぼくのような普通の人はたぶん知らないだろうなあ

答えは・・・、


このたび大関に昇進した相撲界期待の星 照ノ富士 さんの本名だってさ


角界に外国籍相撲取りが大勢いるようになって久しい、
古くは力道山など朝鮮半島出身者が、ついこのあいだまでは曙、小錦などのハワイ勢が、最近ではモンゴル出身の相撲志望者が特に目立つ、

横綱は白鵬、日馬富士とどちらもモンゴル人、少し前には朝青龍というモンゴル人横綱もいったけ、
詳しく調べたことはないのだけど、今の角界には、50人を超えるモンゴル人力士が明日の横綱を目指し汗を流しているのだという

モンゴル人ばかりが活躍していてつまらないよ、だから俺は見ない、という人を知っている、

ぼくは全然そうは思わないのだけれどね、

特別、相撲に興味がないせいなのかもしれないが、国籍や出身の違い、目の色や肌の違い、話す言葉や習慣の違いなどは、本来、スポーツの世界には無縁な区別の在りようだと思っている、

まあ、相撲がスポーツかどうか、議論が分かれる課題ではあるのだが、ここではそういうことでもう少し話しを進める、

何人であれ、どこの出身であれ、その世界で活躍する、名をはせる人がやはりトップの座を占めるのは当たり前のこと、

モンゴル人が、モンゴル相撲という土壌を背景に、日本の相撲界に進出し、活躍するのなら、大いに結構ではないか、

そうでなければ、野球界のイチロー選手がアメリカメジャーの野球界で活躍することにも否定的な態度を取らなくてはならなくなる、

自分の国の選手が他国で活躍し賞賛を浴びることに賛意を覚えるのなら、まったく同じ理由で、異国からはるばる日本に渡ってきて、知らない言葉、食べたことのない食事に苦労しながら、土俵で汗を流す外国人力士にも、暖かい目をと、そう思うのだ、

強ければそれでいいじゃないか、というのは極論にしても、スポーツの世界、体力と気力、技を魅せる世界では国籍などあまり問題ではない、そのように思っている、

まあしかし、それでもさ、そろそろ日本人の横綱が欲しいよねと、横綱審議会を代弁し語ろうかな(笑)




2015年5月24日日曜日

塵も積もれば山と・・・

これが実は<ならない>のだなあ、

昔、高校で習った数学の等比級数という分野での話で、
(ここから記述が難しくなるのだが、その理由は、内容の難しさよりも、数式を視覚的にここで表現しようとしたとき、この手のブログでは数式を描くツールをもっていないので)

10のn乗分の1 このnに、1からはじまる整数を無限に与えたときのΣ(総和)は?

0.1+0.01+0.001+0.0001+・・・+0.0000000000001+・・・・・・・・・・+無限に続く

と無限に足し算をおこなっても、その総和は無限に(山に)ならないというものだ、

では、その総和はどんな数値になるのか、0.1以上になるのは間違いないのだが、0.2以下なのか、それとも0.3以下なのか、あるいは、1.0になるのか・・、
すでに答えは出ていて、その明解な説明もたしかあったはずなのだが・・・、
思い出せない・・・、うーーーん・・・・、

まあ、答えは

0.111111111111111111111111111111111111111・・・
となって、0.12さえ超えない、となるのだが 笑

どう見ても、いくら塵を足しても山にはならない、よね

そんなことを今朝考えていたら、いきなり数学をもう一回勉強したくなり、アマゾンの力を借りて
「新体系 高校の数学 上(ブルーバックス)」「新体系 高校の数学 下」の2冊を注文した、

このブルーバックスシリーズは、ぼくのように大学には行ったものの、ほとんど授業に出ないで、遊んでばかり?いた者が、もう一回、勉強がしたくなったときに、読み直す際、とても有効な本で、同じシリーズの「高校の化学」「高校の物理」はすでに入手し、たま~に再読している

これで、化学物理数学と理系の3部門がすべてそろったわけだ、
なんとなく嬉しいのだ、

理系学問には、文系のそれにはない良さがある、

人間の感情の外にある真理に近づこうとする学問なので、歴史や文学と違って、民族主義や一部イデオロギーに依存するような国家主義が入り込む隙間が無い、
徹底的にインターナショナルなのだ、

フランスで証明された理論は、ブラジルでもベトナムでも有効だということをそれは意味する、
香港のビル街でもアマゾンのジャングルでもエジプトの砂漠でも万有引力は常に有効だということ、

歴史観における互いの民族の相違というか違和感は、アメリカネイティブインディアンと騎兵隊の関係を想起すればわかりやすい、

お互いの英雄は、相手側からみれば人殺しでありゴロツキなわけで、ネイティブアメリカン、騎兵隊双方に共通の英雄など、あり得ないわけなのだ、

白人アメリカの繁栄の歴史はネイティブアメリカンにとって悲劇の歴史であり、清教徒たちによる西部開拓史は、ネイティブアメリカンにとって土地を奪われ食料を奪われた絶望の歴史でもあるわけなのだ、

塵も積もれば、から、話が飛躍しぼくの記述能力を超えてしまった、

まあ、あれだ、言いたいことは、ことわざだとか教訓めいた話をそのまま信じ込むのではないよ、ということ、
問題はつねに多面的であり、その多面性はまして人間ならなおさら、だということ、

何人もの人間を殺害した犯人がじつは大の愛犬家であったり、謹厳実直だと思われた校長先生がじつは無類の女性好きで買春を繰り返していた、などという現実を、ついこの前も、ぼくらは見たばかりなのだから、、、







2015年5月4日月曜日

いなくなる本

本というのは、BOOKのこと、
大元とか本源とかの意味の本ではない

買ったきたのに、図書館で借りてきたのに、見えなくなることが時々ある、
これまでに3回あった、

買った本ならば、どうしたんだろう、そのうち出てくるさと諦めて気長に待てばよいのだが
借りてきた本となるとそうもいかない、
2週間という期限付きのため、2週間経てば嫌でもなんでも返却しなければならない、

以前、俳人・杉田久女の伝記を借りたときに、その「いなくなる現象」が起きた、
まだ読んで幾日もたっていないのに姿が見えなくなってしまった、
本棚はもちろん、押し入れ、トイレ(持ち込んで読むことが多々ある)、洗面所、はては風呂場の上に設置した簡便な物置まで、何カ所も幾度も探したのだが見つからなかった、
電車の中、バスの中で無くしたのなら、もう出てこない・・・、

本代と同額の金銭を支払い許してもらおうかと図書館でその旨説明したら、それはダメだという、
金銭ではなくあくまでも同じ本を提出してください、と相手も譲らない・・、

仕方なくアマゾンのお世話になり同じ本を手に入れ、期限は相当過ぎていたのだが返却したことにしてもらった、
(このときくらいアマゾンの古本力(ふるほんりょく、造語)の大きさに感じ入ったことはない)

数ヶ月後、いなくなった本が顔をのぞかせた、
それは本棚の後ろから出てきた、
滅多にしない本棚裏の掃除をしたときに、背表紙を下にしひっくり返った状態で発見された、
何かの拍子に落ちたのだろう、

今回、またいなくなってしまった本がある、

色川武大著 食いたい放題 文春文庫

色川氏といえば、ペンネームの阿佐田哲也の名前でも知られた麻雀の名人だとされた人、
惜しくも1989年に亡くなられたのだが、彼がどんなものを食べ何が好きだったのか知りたくなって、この本を買ってみた、のだが・・・、

また、いなくなってしまった、

就寝前の小一時間、布団に体を潜り込ませた状態で仰向けのまま本を持ち、眠くなるまで読むのが長年続いている習慣、
枕元には常時50冊くらいの本が置いてあり、手を伸ばせばいつでも読める状況にあるのだが、その積んである本のどこかに、たしかにあるはずなのだが、見当たらない、
いくら探しても見つからない、

積んである本を上から下へ順に手に取り全部の本を見たのだがどこにもいない、
あちらこちら探し続けたのだが出てこない、
自分で買った本なので返却する必要もなく探すことを中断し、出てくるのを待つことにした、

10日ほど経ったある日、それは突然顔を出した、
枕元ではない本棚の一番下、大型本を置いてあるそこ、その大型本の上にそれはあった、

木を隠すなら森に隠せ、というらしい
本を隠すなら本棚に隠せ、ということなのかしら、

あれだけ探したのに見つからなかった本が、ふっと視線を別に向けた時に、ちゃんとそこに在ったりする、

まあそんなことがあって、残念ながら、我が家に「床下の小人たち」は住んでいないと証明されたようなのだが、まだ見つからない本があと一冊残っている、
これだけはどうしても見つからない、

図書館で借りた、食べ物に関して書かれた馳星周著のエッセイ集、
これだけが、どこへ行ってしまったのか、見つからないまま一年を過ぎてしまった、

古本力を頼り、同じ本を買い求め図書館には納めたのだが、いまだに消えたままになっている、

どこへ行ってしまったのかなあ・・、
まだ半分も読んでいないまま・・・、