健さんが亡くなったとニュースで知った、
まだ十代の頃に健さんの映画を観てファンになった、
ヤクザ映画、いや健さん主役の映画だけは任侠映画と呼びたい、の中で見せる、耐えて耐えて耐えぬいて最後に怒りを爆発させるその姿勢と、おこがましくも自分とを重ね合わせ酔いしれたものだ、
健さんの任侠映画はその筋の方々だけでなく、多くの労働者、学生に迎えられ、学生運動華やかな時代、東大紛争の最中に立てたれた看板、通称立て看に、止めてくれるなおっかさん背中(せな)の銀杏が泣いている、と文句が飾られマスコミの話題にもなった、
銀杏が東大のシンボルであることは説明不要のはず、
池袋文芸座でのオールナイト興行で、映画主題歌が流れると、場内の全員が声を合わせ歌ったこともあった、そんな場面はその後どの映画でも映画館でも体験したことはなかった、
任侠路線の終演とともに、東映は実録ヤクザものへ、日活はロマンポルノと進路を変え、そうした中に健さんの姿を見ることはなかった、
幸福の黄色いハンカチ、八甲田山、遙かなる山の呼び声、などなど、でさまざまな映画の賞をとり、演技力を見せつけたりもした、
またその誠実で実直な人柄から、共演した多くの女優男優、監督、スタッフなどから賛辞が寄せられ、健さんの悪口を言う人は一人もいないとまでいわれている、
その多くはもう既にいろいろなメディアで紹介されているので、ここで書くことは何もない、
Wikipediaで見てほしい、
健さんが亡くなったら、告別式には是非礼服で参列しよう、と誓った人が昔いた、
彼女はスナックのママだった、
そのスナックもすでになく、ママが何処へ行ったのか、ぼくは知らない
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