2013年5月29日水曜日

アメリカ



ここ何日かあらためてアメリカに興味が湧き、ネットでの検索を中心に、あれこれ調べたりダウンロードしたアメリカ地図を見ながら、うーむ、ミネソタというのはここかあ、オレゴンとアイダホは隣同士なんだなあ、おやっルイジアナママがこんなところに、ジョージア(ジョージアオンマイマインドの)はここね、などと唸ったりしている、
(どうやら、ニューヨークとかワシントンDCには興味がないことがわかる)

きっかけは、人命を奪い多くの家財や農業、産業、生活に被害を与えた先日の大竜巻の発生地、オクラホマ州はアメリカのどこにあるのだろうと思ったこと、
なんとなく南部ではないかと思っていたのだが、本当の場所とアメリカ本国での近隣との関係を知らなかった、
時間もあるので調べてみようと思い立ったのだ、

ネットで検索したらいろいろヒットし、オクラホマ州の位置はわかったのだが、今度は、南北戦争での南軍と北軍、それぞれの州に興味が移りそちらも調べてみた、

アメリカ連邦を脱退する形で形成された南部連合、初期の南部連合は13州あったといわれているのだが、その13州というのは何州と何州だったのか、それがわかれば地図に明記して理解しておきたい、
そんなことをしているうちに平面的な2D図だけでなく、ここに山とか川とか平野とかを入れたら各州の様子がより具体的になるのではと思い始め、そちらにも手を染めた、

なんのことはない、中学校での夏休みの宿題状態なのだ(笑)

映画「風と共に去りぬ」で描かれた南部の大地主たち、綿花の栽培を中心として黒人の奴隷制度にその労働力を依拠していた、だから奴隷制度を維持し続けようとしたといわれているのだが、本当のところはどうなんだろう、
リンカーンは、心の底から奴隷制度に反対だったのだろうか、実際は南北戦争勝利のために黒人を利用しようとしただけではなかったのか、
そんなことにも関心はある、

ビビアン・リーの怜悧な美貌を思い出しながら・・、

地図は二枚、アメリカ合国に南軍と北軍との境に赤い線を引いておいた、
山脈と平野の関係図もアップ、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング各州はほとんど山岳地帯だということが見て取れる、平野部にミシシッピー川も入れればよかったのだが、まだしていない、






2013年5月26日日曜日

真竹の竹の子採り

春から始まった野遊びの最後は、例年この時期の真竹の採集で終わりとなる、
昨日、計4名で埼玉の奥まで出かけていった、

結果、まだ時期が早かった・・、

去年は、6月の第二日曜日に出かけ、参加者全員が満足のいく成果を挙げたのだけれど、今年は二週間早かったせいなのか、小さな竹の子がちらほら、
広い場所なのに、ぼくで7本、全員でも20本採れたかどうかくらい、

去年はみんなが一抱えも真竹が採れたのに、どういうわけなんだろう、
きけば今年は孟宗竹も不作の年だったのだとか、真竹も孟宗も同じ竹だから真竹も不作なのかなあ、単に出かけた時期が早かっただけなのかしら、と、手ぶらで帰る車の中で反省やら原因究明やら・・、

6月の第二日曜日にまた出かけてみようとなった、
運転は往きも帰りもぼくひとり、けっこう大変なんですけどね 




2013年5月14日火曜日

2013年5月句会の結果

白靴を揃へ秘仏拝観す
言い過ぎしその夜のビールの苦きこと

以上、二句をもって主宰と副主宰から天賞を頂戴した、
俳句に造詣の深い両者から同時にいただくことは滅多にないことなので嬉しいを通り越しびっくりした、
別の参加者の天賞が、韓国海苔だと包装からわかったので、それも欲しいと駄々をこね、こね勝って貰ってきた、
つまり3つも貰ったのだな、、

主宰の天賞は海苔、副主宰のそれは蕎麦だった、
自分のはいつも和菓子なので、他の人がどんな品を天賞にするのかと、参考になった、

大学病院でのCT検査の結果から、体中に癌があることがあらためてわかり、今後の治療方針を家人ともども伺ってきた、
肝臓や膵臓など他の臓器に転移が認められず癌細胞も最大100円玉程度が観察されるものの、その大きさでとどまっているなら生命に別状はないので、今後も経過観察を続け、大きくなるようでしたらそのときにまた考えましょう、とのことだった、
髪の毛がぬけてなくなる治療に備えていただき、体力をつけてください、その意味で投薬による抗癌剤治療はしばらくしません、とも、、

同時に、

「私はヘボ医者で『あと二週間ですね』と診断した患者がその後一年半も生きたこともあって・・、」
担当医から、冗談とも本気とも判別つかないまま笑顔でそう告げられた、、
「はあ・・・」、こちらも中途半端な笑顔で応えたのだが、、

死ぬのにはまだ早いので、もう少し生きたいとは思うのだけど、いつまで生きたら満足するのか納得するのか、それがわからないので困る・・、

二年前に生まれた孫が一七歳になるまでだとあと15年、嫁に行くまでだとあと20年くらいか、、
しかしこの孫が二〇歳をいくつか過ぎた年齢で嫁に行くかどうかもわからない、、

長女のように四〇歳になっても嫁にいかなかったらどうしよう、
孫の結婚式には無理をしてでも参加し、巨額の祝い金を包みたいのだが、、
どこまでいっても、煩悩の尽きることはないようで、、





2013年5月12日日曜日

今日は句会

俳人を分解すると、人非人 
つまり人に非ずの人となるから、自分は人でなしだと、高名な俳人がどこかで書いていた、、

人でなしなら、物を盗み女を犯し道に痰を吐き隣家に火をつけオペラを鑑賞しながら脱糞でもするのかと思えば、所属する結社の創立記念日に新宿にある創価学会系ホテルのなんとかの間で礼装したまま記念の写真に収まっているのを目撃したことがあるので、人非人といってもさすが俳人、底が浅いものだと嗤ったことがあった、

アイロンをぴっちりあてたGパン(今はジーンズというのか、しゃらくせー)に、たるんだ尻肉を無理繰り押し込み、オレも昔はワルでさーとワルぶり宣う、ご近所でよく見かける善人たちを思い出したじゃないか・・、

俳句作成サイトを発見した、、
俳句は基本575 17文字で構成される世界で一番短い詩だというのだが、上 中 下 そのどれか一つ、または二つの箇所に勝手な文字を当て込むと、過去の俳句から言葉を探してきて残った語句を埋め込んでくれるベンリものサイトなのだなあ
ベンリだったらそれでいいのか・・、

ちなみに、今回の兼題「青嵐(あおあらし)」を上の位置に差し込み、クリックしたら

青嵐 家ははるけし 踏み歩く と・・・、 こんなん出ました!

はるけしというのは、もちろん春の景色なんかではなく、遙けし なのだろう
なかなか佳いじゃないかと書きながら、やるせない思いに囚われの自分ハッケン、、

で、今日は句会

言い過ぎしその夜のビールの苦きこと
それほどのものにはあらず粽食(た)ぶ
白靴を揃へ秘仏を拝観す
陰干しの下着翻し青嵐
こわいもの無くて17歳青嵐
買ひ食ひを叱られし帰途青嵐

どれを取ろうか・・、



曲は LeAnn Rimesさん - Can't Fight The Moonlight 
好きなのだなあ・・、
あちらの女子、特にかっこいい女子は、決して痩せていないよね、
なんで日本の女子は痩せにこだわるのだろう・・、


2013年5月7日火曜日

ロシアン ララバイ




Garcia/Grisman - Russian Lullaby 


ロシアの子守歌 という歌なのだろう
ガルシアの優しいヴォーカルに癒やされる

芸に うまうま うまへた へたへた という領域があり、芸人を目指すものは皆、うまうまの域まで辿り着くようにとされたものらしいのだが、最近はどうもそうでもなく、うまうまよりは、へたうまの方がもてはやされる時代となり、
ものすごい美人よりかは、少し美人で、もしかしたら手が届きそうな隣のおねえさん、近所の妹タイプタレントが稼げる時代なのだとか、

落語でいえば、文楽がうまうまで、志ん生がへたうま、なのだろうか、
いやいや、志ん生師匠の落語はアドリブこそ効いていて、一聴誤魔化しに聞こえる落語だったかもしれないが、十分名人落語の域に達していたと、、
三平さんが、へたうま・・、

長島茂雄氏、ゴジラ松井両氏の二名同時の国民栄誉賞受賞式典があり、贈る立場の(勲章と違い、時の総理の勝手な気分次第で当たり障りのない、毒にも薬にもならない人間に贈ることで自分の名声を高め、次の選挙でもなんとか国民から多くの票を入れてもらわんと人気取りに終始する立場の)アベ氏が審判となって、読売巨人軍ファンを盛り上げたのだとか、

思うのだが、歴代自民党総理にとって一番の功労者はナベツネだろう
彼こそ、先代の正力社長の例にならって自民党とともに原子力発電所建設のレールを敷いてきた人物、
終始、自民党を、保守層を利する発言を繰り返し、平和運動や反原発運動に牙をむいてきた人物、
アベ氏が贈るなら、ナベツネこそ保守界を代表し「栄誉賞」を受け取るにふさわしい人物、

ガルシアのヴォーカルを聴きながら、上手いか下手かでいえば決して上手くはないよなあ・・、と
感想をもちつつ、そんなことを考えている今日なのだ、、




2013年5月3日金曜日

サントワマミー

またあの日がやってきた、

人は二度死ぬ、という
一度目は亡くなった日、二度目は亡くなったことを皆が忘れた日、

そうであるなら、彼は一度しか死ななかった数少ない人間の一人なのだ、

4年前の5月9日、ぼくは葬儀を執り行う会場の最寄り駅に午前11時半に到着していた、
目の前に斎場があるのに逆の方向に「止まらないで進んでください」と、係員らしき人から言われ、納得がいかないまま指示に従って乃木坂通りを進み、外苑西通りも抜け根津美術館もさらに通り過ぎ、(こんなんじゃ葬儀に間に合わないじゃないか?!)と、頭の中で???をぐるぐる廻らせながら前の列に遅れないように、ひたすら歩いていたっけ、、

どこの交差点で折り返しを許されたのか、今となっては思い出せない、
空には二機のヘリコプターが舞っていた、
報道関係者らしき重たそうなビデオカメラをもった人が長いコードを持った若者を従えて、歩道を歩く長い列を撮影しながら通り過ぎていった、
彼の曲を歌っている人がいた、車椅子を押されて参加している人、母親らしき若い女性に手を繋がれて歩く少女、白髪の老婦人も、頭の禿げ上がった老人もいた、
夏のような日射しの中、どの顔にも長い道のりを歩いたためか汗が浮かんでいた、

葬儀会場に着き、彼の遺影の前に立ったのは夕方五時半を過ぎた頃だった、
彼の名前を叫びながら若い男性が泣き崩れていた、

亡くなったのだと実感したときに初めて涙が溢れてきた、
心の中で(アリガトウ、サヨウナラなんだね)とつぶやき、その前を離れた、、
あれからもう4年経ったのだなあ・・、





忌野 清志郎(いまわの きよしろう) 
1951年4月2日 - 2009年5月2日 日本ロックミュージシャン