自らの先祖に言及し、毛利元就に仕えた侍だったと、そう説明した人を知っている、
また、別の人は、わたしは加賀百万石前田家の血筋をひいている者だ、と真顔で話した、
どちらにも共通なことは、先祖が侍で、しかもかなりの大名であったことを誇らないまでも知っておいて欲しいという願望の表明だということ、
親が広島県出身であったり石川県出身であることは事実らしいのだが、だからといって来歴を証するものはなに一つないのに、堂々と先祖は侍だったと言ってのけるその根拠を、本人の中でどのように検証しているのか、ぼくはそこを知りたいのだけれど、そこに触れると角が立ちそうなので、さらっと流して済ましている、
幸いにというのか不幸にもというのか、ぼくの先祖は侍ではなかった、ハズ・・・、
父親にいわせれば、何百年も続いた百姓だろう、と自虐的に、、
事実はかなりの土地を持っていた地主だったということがわかっている、
太平洋戦争後に、不在地主としてかなりの土地を接収されたと、祖母から聞かされたことがあったから、、
この家も元小作人、あの家も元小作人だったと、村の道を歩きながら家々を指さすのには閉口したけれど・・、
300年続いた蕎麦屋の倅です、という友人をぼくはもっていないし、魚屋に生まれ天秤棒をかついで50年(若い人には意味不明だろう)、という知人もいない、
現にいないのか、いても話さないのか、先祖は魚屋ですと話す意味はないというのか、、
侍を先祖に持っていたと語る人の胸中を想うに、侍というものに対しての憧れがあるのではないか、身分制度の頂点に位置するそれら士族の一員であったことに誇らしさを感じているのではないか、たぶんそういうことなのだろう、
江戸時代に徳川幕府が定めた身分制度に限定して日本史を復習してみれば、士農工商エタ非人の6姓だったことは知っているはず、
当時の人口はおおよそ6000万人くらい、その3%が侍と称する士族で、その3%の人間たちが残り97%を支配していた、8割9割は農民で、残りの数%を商工業者が占めていた、というのが教えるところだったと記憶している、
漫画家白土三平氏による長編漫画「カムイ伝」に詳しく描かれているのだが、戦国時代から封建時代へと移行していくなか、徳川家康以降、徳川家が定めた身分制度と、徳川家安泰のために立案計画実施された数々の施策は、今日の眼から見て当たり前なのだが多くの問題点を孕んでいた、
その一つに、ヒト以下のヒトとして位置付けられていたエタ、非人の存在がある、
多くの庶民は、移動の自由も婚姻の自由も職業選択の自由も無く、一生を徳川幕藩体制を支えるためだけに「死なないように」生かされていた時代、
さらに、庶民ともみなされなかった最下層の位置に置かれた人々のこと、
階級社会の頂点に位置し、栄華をきわめた侍たち士族があるのなら、その真逆にあった人々がいたということに、ぼくは思いを馳せたいと思う、
さて、侍ジャパン、サムライJAPAN?
なんでサムライでなければならないのだろう、
農民ジャパンでは恥ずかしいとでもいうのだろうか、
サラリーマンJAPAN、アニメJAPAN、オタクJAPAN,フクシマ原発事故JAPAN、、
今を特徴的に表すイロイロなJAPANは、他に幾つもあるだろうに・・・さ、
まあ、心情はわかりますから?(笑)
今日は、俳句の会、
この時季、毎年のことだけれど、極度の花粉症に悩まされ、
参加するよりも家でじっとしていたい気分なのだけど、行くのだろうなあ、、
発射前ペンシルロケット土筆の子
手洗いの水も温むや大あくび
春恨や大なゐ震ふるみちのく地
なゐあり春眠をまた破らるる
※ なゐ というのは、地震の古語
おはようございます。どの句もいいですね!!わたしは「発車前〜」がすごくつくしを絵的に表現してて好きです。素直な表現。
返信削除今の自分に誇れる物が無い人ほど、でも自分の親兄弟はすごい、ルーツは凄いんだ、だからホントは自分も凄いのよ、といってるふうでげんなりです。
家系アレルギーです。。。。。
今から24年前凄く嫌な事があったので。
nattyさん、おはよう♪
返信削除気になったので見直したら字を間違えていました、発射前ですね はは^^;
直しておきました、
世の中にはいろいろな人がいるので・・、個人レベルではそれを気にはしていません、
けど、
マスコミ大合唱の中なんのためらいもなく国家レベルで、サムライがサムライがと騒ぐのを見ていると、そんなにサムライって素晴らしい存在だったのか、映画「七人の侍」から何を汲み取った何を得た、熊本城を建設したのは加藤清正じゃない、多くの大工左官鳶、職人たちだろう、けっ、と噛みつきたくなる習性に火がつきます・・、
反権威反権力、ロック魂に火がつくぜっ(笑)
24年前という具体的な年数をいわれたので、相当イヤなことだったのだろうと推察しています、
記憶の池の底に沈む澱のようなものが時たまぶくぶくと泡立ちながら上がってくる、そんなことが今でもたまにあるのだろうと、気になります、
そんな時には心情的な同志の存在を想像してみてください、
そんな同志の連なりの一つに、ぼく自身が居ることを確信しています。