2011年8月28日日曜日

文章の話

文章を書くことも、読むことも大好き、

書いたり読んだりが好きだからといって、文章を作ることが上手かというとそんなことはない、
ボクシングが好きだからといって、必ずしも強いとは限らない、それと同じくらいの意味で、、

しかし、書くにあたって自分なりのこだわりはある、

過去に読んで、感動したり影響を受けた多くの作家たちの文章、
書く上での文章作法であったり、漢字の用い方、書く内容の正確さ、句読点の打ち方、てにをは、一行を書くことに心血を注ぐその姿勢などなど、それはいろいろあるのだが、好きな作家の一方である吉行淳之介氏には、漢字に関してこういうこだわりがあった、

人のカラダを表す漢字に幾つかあることは、今これを読まれている方ならご承知のはず、
例えば、身体、体、躯、躰、軀、などなど、

これらのカラダを表す漢字のうち、吉行氏は、必ずといっていいほど、軀という字を用いた、
その理由として、氏はこう述べている、
>躰には男性的で溌溂とした健康的なイメージがつきまとう、私の文章には男性的健康的な字が似つかわしくないと思われるのでを用いる

今、手元にこのことを記述した文献がないので、正確な文章ではないことを謝りながら、大筋の意味ではそれほど違ってはいないと思っている、

一文字に対してのこだわり、
なるほどなあ、単純なぼくは、作家でもないのに、このこだわりに影響された、

また、努めて意識していることは、誤字をなくすということ、
よほど自信が持てれば別なのだが、少しでも、これは?と思うと、簡単な字でも辞書をひく、ようにはしている、つもり、、

思い違いや、この字はこうだとの思い込みから、今でもよく漢字を間違える、
人には見せない日記のようなものならともかく、他の人が見る文章に漢字の間違いがあれば、読まれている方々の興を削ぐことはなはだしいし、第一、失礼だと思うから文章を書くときに辞書は手放せない、
(今はパソコンからのキーボード入力が主になり、漢字変換ソフトの変換成功率も一時期に比べ格段に進歩したから、入力ミスがない限り、紙の辞書を開くことはあまりない、のだが)

ところで、図書館から借りてきた本の中に、肌に合わない文章を見つけたので、ここに書いておこうと思う、

上手いか下手かというより、ぼくの肌に、感性に合わない文章なのだ、
良い悪いでなくて感性の問題、これは仕方がないよね、、

どこがイヤなのかというと、カタカナの多用、

作者は魚が好きで、車を飛ばし全国のあちらこちらの漁港を訪ねては、そこで食べた魚の美味さや、地元での魚調理方法を紹介したくて書いた、と述べておられるのだが、、

>ウチはジイサンの頃からタコ壺漁
>カゴを使う漁では小さなマダコも入ってしまう
>目の前の海にいたヤツの足を、
>輸入冷凍モンとははるかに異質
>また来るワと言ったんだってよぉ。ハッハハハハ

んーーー、、、肌が合わない文章だなあ、、、

本を手に取りぱらっと見ながら、目次を読んで借りたのだけど、全部読まないで返却することにした、

そう思って、目次をもう一度読み直したら、
ほんまモン利尻コンブ、カラスも狙う南蛮エビ、仕上げはさつまメシ、石川漁港はエキサイティング、、


ギャアアアアーーー




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